J1リーグの結果により招集選手を決める難しさ/六川亨の日本サッカー見聞録

2019.12.06 21:30 Fri
twitterfacebookhatenalinegplus
photo
©︎CWS Brains, LTD.
4日は韓国釜山で開催されるE-1選手権2019に参加する日本代表と、今月28日に長崎で開催されるキリンチャレンジ杯に出場するU-22日本代表のメンバーが発表された。とはいえ日本代表は国内組で編成され、U-22日本代表を含めて週末のJ1リーグの結果やJ1参入プレーオフ出場チーム、さらには21日の天皇杯準決勝に出場する4チームなどに配慮して追加メンバーを決めるという。J1の残留争いがかかっていたり、ACLの出場権獲得がかかっていたり、チームとしては死活問題だけに、そう簡単に選手を貸し出すことはできないだろう。

そして、その伏線は、10月のW杯アジア2次予選のホーム・モンゴル戦、アウェー・タジキスタン戦と、U-22日本代表のブラジル遠征の前の会見でもあった。10月3日の会見で関塚隆技術委員長は会見の最後に「代表の活動中に国内外のチームに協力してもらっている。コンディションを含めた選考になった。J2の昇格争いをしているチームと、ルヴァン杯で勝ち残っているチームもあるので、配慮できる部分は配慮しました」と語った。

当時の日本代表は海外組が数多く、国内組は3人しかいなかった。一方のU-22日本代表は、ルヴァン杯の準決勝に残っている鹿島、川崎F、G大阪からの選手招集は1名にとどめた。代表強化の時間は限られていて、東京五輪まで残された日数は少ない。かといってクラブにも配慮しなければならない。森保一監督にしても悩ましいことだろう。

そして、そんな配慮を欠いたのが、9月5日のキリンチャレンジ杯と10日のアウェー・ミャンマー戦だった。4日にはルヴァン杯の準々決勝第1戦、8日は第2戦があり、FC東京はG大阪と対戦した。

FC東京はレギュラーの左サイドバック小川諒也が天皇杯での負傷で長期離脱中。日本代表に橋本拳人と永井謙佑を取られ、U-22日本代表の北中米遠征で岡崎慎も不在だった。さらに羅相浩(ナ・サンホ)が韓国代表で使えず、名古屋へ移籍した太田宏介の代わりにレンタルで獲得した呉宰碩(オ・ジェソク)もG大阪との試合には出場できず、結果論だが主力5人を欠くことになった。

このため長谷川健太監督は左サイドバックに17歳のバングーナガンデ佳史扶をスタメンで起用せざるを得なかった。もちろんトップチームでのデビュー戦だ。9月7日にはJ3リーグでFC東京U-23の試合もあっただけに、選手のやりくりには苦労した。

その結果、ルヴァン杯は0-1、2-1で1勝1敗となったものの、アウェーゴールによりトータル3-2でG大阪が準決勝に進出した。当時の長谷川監督は不満を漏らすことはなかった。自身が日本代表選手だったこともあり、日本代表の活動には協力的だったからだ。

ただ、準々決勝だから選手を貸し出せと言われても、クラブとしは割り切れるものではないだろう。シーズンの日程に関してはJリーグの原博実副チェアマンがJFA(日本サッカー協会)とすり合わせをしている。それでも齟齬が出てしまうのが日常的なリーグ戦と、数少ない代表戦の強化日程だ。

来年は1月9日から26日にかけて、タイでU-23アジア選手権が開催される。当然U-23日本代表の選手は所属チームでのキャンプに参加できない。そして7月23日から8月8日にかけて東京五輪があり、9月にはW杯予選が4試合ほど組まれている。

すでに来シーズンの日程作りは始まっていると思うが、どのような妥協点を見いだすのか。シーズンの移行も含めて議論を重ねるしかないだろう。
【六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
関連ニュース
thumb

五輪スタートで男子は波乱続出/六川亨の日本サッカー見聞録

21日に始まった東京五輪の女子サッカーで、なでしこジャパンは田中のPK失敗がありながらもエース・岩渕の同点弾でカナダと1-1で引き分けた。12年ロンドン五輪、16年リオ五輪と2大会続けて銅メダルを獲得している相手に先制点を許しただけに、追いついてのドロー発信はけして悪いスタートではない。 第2戦のイギリス戦は過去1勝1分け5敗と日本が大の苦手にしている相手。クラシカルなキック&ラッシュによるフィジカル勝負のサッカーだが、スピード勝負となると日本は圧倒的に分が悪い(現チームには攻守にスピードのある選手がいない)。このためイギリス戦もドロー狙いで、勝負は最終戦のチリ戦での得失点差争いに持ち込むのが現実的な目標だろう。 その女子サッカーの初戦で、過去に3度の金メダルを獲得しているアメリカがグループリーグ初戦でスウェーデンに0-3で敗れる波乱があった。前回のリオ五輪でも両チームは準々決勝で対戦し、この時はスウェーデンが1-1からのPK戦を4-3で制して銀メダルを獲得している(金メダルは今回出場していないドイツが獲得)。このためアメリカが負けたことは想定内にしても、0-3という一方的なスコアは衝撃的だった。 それ以外は順当な結果に終わった女子サッカーの第1節だった。 それに比べ22日にスタートした男子では波乱の連続だった。 男子の日本は南アフリカの守備的なサッカーと粘りに苦しみながらも、久保の大会第1号ゴールにより1-0で逃げ切った。グループAのもう1試合は12年ロンドン五輪金メダルのメキシコがフランスを4-1と粉砕した他、リオ五輪決勝の再戦となったブラジル対ドイツ戦はブラジルがヒシャルリソンのハットトリックなどで4-2と圧勝した。 ところが韓国は、ニュージーランドを圧倒的に攻めながら1チャンスを決められ0-1で初戦を落としてしまう。優勝候補筆頭のスペインもエジプトに0-0のドロー。04年アテネ五輪、08年北京五輪金メダルのアルゼンチンもオーストラリアに0-2で敗れる波乱があった。 ヨーロッパ勢は新シーズンの開幕を控え、チームが選手の招集を拒むケースもあるだけに、狙い通りのチーム作りができなかった国もある。このため“前評判”はあまり当てにならないこともある。 そして初戦を落とすと、思わぬ落とし穴にはまることがあるのが五輪やW杯の国際大会だ。12年ロンドン五輪では、優勝候補にあげられていたスペインが初戦で日本に0-1で敗れ、なおかつ退場者を出したため、終わってみればグループリーグ最下位で敗退した。02年日韓W杯では、前回大会優勝のフランスがグループリーグで敗退している。 初戦を落としたフランスや韓国、アルゼンチン、ドイツが第2戦以降、どう立て直してくるのかも注目したい。日本の第2戦の相手は12年ロンドン五輪の準決勝で1-3と敗れたメキシコだ。25日の第1試合、フランス対南ア戦でフランスが敗れればグループリーグ敗退が決定する。 このため第3戦の日本戦のモチベーションはかなり低下するだろう。そうなれば無理してメキシコに勝ちに行く必要はない。引き分け狙いで勝点を分け合い、フランス戦での得失点差争いでグループAの1位抜けがいいか2位抜けにするか、他グループ(Cのスペインかアルゼンチンか、Dのブラジルかドイツ、コートジボワールか)の状況を見ながら選択できれば理想的だ。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.07.24 17:00 Sat
twitterfacebook
thumb

東京五輪で道交法が変わった?/六川亨の日本サッカーの歩み

U-24日本対U-24南アフリカ戦を3日後に控えた19日、南アの選手2名とスタッフ1名の3名が新型コロナウイルスの陽性判定を受けた。さらに残りのメンバー21名も保健所の検査により濃厚接触者と判定された。 発熱の症状があり陽性と判明したのはDFジエームズ・モニャンとMFカモヘロ・マーラツィで、選手村を出てホテルに隔離されているそうだ。そして濃厚接触者のチームメイトとスタッフは全員が自室待機となっている。 日本政府と組織委員会は、試合開始(20時)6時間前のPCR検査で陰性なら出場を認めるが、果たしてどんな結果が出るか予断を許さない。 過去の夏期オリンピックでは、第一次世界大戦(1916年ベルリン五輪)と第二次世界大戦(40年東京五輪)で2度の中止と、ソ連のアフガニスタン侵攻により西側諸国がボイコット(80年モスクワ五輪)したり、その報復に東側諸国がボイコット(84年ロサンゼルス五輪)したりした。 しかし今回は新型コロナウイルスのパンデミックという、これまで経験したことのない脅威の中での開催だ。もしも日本対南アの試合が開催できなければ初めてのケースになるだろうし、南ア戦だけでなく他のカード、もしくは他の競技にも同様のケースが起こらないとは断言できない。こちらは今後も注意深く見守る必要があるだろう。 さて、開幕を控えて都内の首都高速道では大規模な交通規制が始まった。料金所のレーン数を減少したり、入り口を封鎖したりして交通量を減らし、選手と大会関係者がスムーズに移動できるようにするためだ。 19日の昼過ぎに大宮対浦安の練習試合を取材するためクルマを走らせていたが、平日の日中なのにやけに交通量が多く渋滞している。するとラジオからは高速道路の入り口閉鎖のニュースが流れてきた。こんなところにも影響が出てくるのだと実感した。 高速道では日中料金を午前6時から午後10時まで通常料金にプラスして、1000円を上乗せすることで交通量を規制しようとしている。期間は19日から8月9日までと、パラリンピックの期間中の8月24日から9月5日までだ。こちらはクルマに乗っていると、それを伝える電光掲示板での表示があるため知っていた。 しかしTVで報道するまで、東京都と千葉県の一般道で、選手や大会関係者が乗る車両の専用レーンと優先レーンがあることは知らなかった。通行証を持たない一般車両がこのレーンを走ると道交法の違反となり、普通車は違反点数1点と反則金6000円を支払わないといけないらしい。 こちらに関しては、ほとんど告知していない(と思う)ので、知らずに走ってしまい“被害"にあうドライバーも多いのではないだろうか。これは大会組織委員会と政府の怠慢以外のなにものでもないと思う。 86年メキシコW杯を取材した時のことだ。選手、関係者はもちろん、メディアも移動手段はバスがメインだった。当時はメキシコシティに地下鉄こそあったものの、それ以外の移動手段はバスかタクシーかレンタカーしかなかった。そしてメインメディアセンターからスタジアムへはメディア専用のバスがあり、白バイが先導したため渋滞に巻き込まれることはなかった。 ただ、貧しい人々が暮らすネサでは、プレスバスを目がけて石を投げたり、徐行運転になると車体に蹴りを入れたりする若者がいた。それだけ不満が溜まっていたのだろう。 90年イタリアW杯などヨーロッパでの大会は、基本的に都市間の移動手段は列車になる。それでもナポリでのゲームでは、プレスセンターからのバスが確実な移動手段だった。広い道路には今回の東京五輪と同様に大会関係者専用のレーンがあったものの、それを守るナボリっ子は1人もいない。 かくして大渋滞になるが、先導する白バイは突然、空いている反対車線にコースを変え、サイレンを鳴らして信号無視でプレスバスを先導。乗客のスペイン人らしい記者は「バモ! バモ!(行け、行け)」とはやしたてていた。 この白バイやパトカーによる先導は、14年ブラジルW杯でも活躍した。ブラジルでの移動手段の基本は飛行機である(広大なため)。そして空港からはバスかタクシーになる。そこで代表チームを乗せたバスが走る時間帯の高速道は、一般車の乗り入れが一切禁止となり、パトカーが前後について、かなりのスピードでキャンプ地まで先導した。 同じようなこと(パトカーの先導)はW杯予選のオーストラリアでも目撃したが、残念ながら日本はパトカーによる先導が法的に認められていない。02年の日韓W杯ではパトカーが先導したものの、選手バスの移動のタイミングに応じてすべての信号を“青“に変える高等テクニックを使った。まさに日本ならではの芸当だろう。 しかし東京五輪では、日韓W杯とは比べものにならない法規制を実施する。それもこれも新型コロナウイルスの影響かもしれないが、それならいっそ、白バイやパトカーによる先導と信号無視などを認める法改正を――時限立法でもいいから――すべきではないだろうか。 専用レーンを走ったら減点1と反則金は、なんだかだまし討ちのような気がしてならないからだ。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.07.20 15:00 Tue
twitterfacebook
thumb

上田綺世は初戦に間に合うのか/六川亨の日本サッカー見聞録

昨日14日は、なでしこジャパンがオーストラリアに1-0の勝利を収めた。月曜日の12日にはU-24日本がU-24ホンジュラスに3-1と快勝した。6月に6-0と粉砕したU―24ガーナや、5-1と圧勝したメキシコ女子代表と違い、オーストラリアとホンジュラスはいずれも東京五輪に出場するチーム。それだけに、ホンジュラス戦の後半以外は引き締まった試合内容だった。 高倉監督は代表経験の浅い塩越(3試合)をスタメンで起用したほか、同じく3試合出場の北村を交代でピッチに送り込むなど、選手の経験値を上げようと試行錯誤した。女子は3グループの上位2チームと、成績上位3位の2チームが準々決勝に進出できる。 しかし、なでしこジャパンのグループリーグの対戦相手は相性のよくないイギリス、FIFAランク8位のカナダ(日本は11位)と難敵が控えている。初戦の相手カナダには最低でも引き分けて、第3戦のチリ(37位)戦で大量得点からグループリーグの首位突破を狙いたい。 グループEを1位で突破したら、準々決勝の対戦相手はグループFかGの3位のため、順当ならオーストラリア(7位)か中国(15位)になるだろう。ここを突破すれば、メダルはすぐ目の前だ。 初戦と第2戦を札幌ドームで戦い、第3戦も宮城スタジアムと移動距離が短いのもホームのアドバンテージと言える。 一方の男子である。17日に神戸でU-24スペインと対戦して、22日からの南アフリカ戦に備える。このスペイン戦がメダルを占う試金石になるだろう。先のEUROでは18歳で6試合すべてにスタメン出場したペドリ(バルセロナ)以外にも、ダニ・セバージョス(レアル・マドリー)らOA枠をしっかり使い、優勝候補の1角にあげられる。 そこで気になるのがFW陣の構成だ。本来なら五輪の登録メンバーは18名だ。しかし新型コロナウイルスの影響でバックアップメンバー4名も同じ扱いになった。日本はもちろん、他国もそのアドバンテージ恩恵に預かっている。そして試合ごとに登録メンバー18名を決めるルールだ。 このためホンジュラス戦では、当初はバックアップメンバーの林大地(鳥栖)がスタメン出場し、後半に前田大然(横浜FM)と交代した。この試合はACL組が不在だったため、新たなバックアップメンバーとして藤田譲瑠チマ(徳島)が交代出場したほか、櫻川ソロモン(千葉)、山本理仁(東京V)らもメンバー入りした。3年後のパリ五輪を目指すメンバーでもある。 林はポストプレーで堂安律の2点目をアシストしたほか、泥臭いプレーで存在感を示したのは好材料だが、彼がスタメンで起用されたのは前田と上田綺世がケガとコンディション不良から別メニュー調整だったからである。前田は交代出場できるまで復帰したが、上田は15日の記者会見でも「『順調です』としか言えません。本大会に合わせて、もっとよくしていきたい。焦りはないです」と話したものの、表情は終始硬いものだった。 「ボールを使った練習もやっているので、あとは強度を高めるだけ」と言っていたが、初戦の南ア戦まで6日しかない。右足の付け根付近の肉離れから7月22日までにどこまで回復できるか未定だが、すでに5日で選手の登録期限が過ぎているため変更はできない。(怪我の場合は初戦の24時間前まで可能) OA枠を森保一監督は守備陣の強化に使ったが、たとえ大迫勇也や鈴木武蔵をOA枠で招集できなかったとしても、J1リーグで得点ランク2位のオナイウ阿道を候補に入れておくべきではなかったか。 上田が復帰するまで森保ジャパンは勝ち続けることができるのか。それとも“ゼロトップ"という秘策があるのだろうか。いずれにせよ1週間後には初戦がスタートする。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.07.16 10:55 Fri
twitterfacebook
thumb

EUROのイングランドと日本サッカー/六川亨の日本サッカーの歩み

例えば1982年のスペイン・ワールドカップ。優勝候補の本命はヨーロッパ遠征で桁違いの強さを見せたブラジルだった。ジーコ、ソクラテス、ロベルト・ファルカンら魅力的な中盤だけでなく、オスカーやレアンドロ、ジュニオールら守備陣にも錚錚たるメンバーが揃っていた。 彼らの対抗馬としては、ディフェンディングチャンピオンでマラドーナの加わったアルゼンチン、1980年のEUROを制し、ベテランのパウル・ブライトナー、主力のカール・ハインツ・ルムメニゲ、若手のピエール・リトバルスキーらを揃え、選手層の充実している西ドイツがあげられた。 しかし3度目の優勝を遂げたのは、グループリーグをやっとのことで通過したイタリアだった。 同じことは2006年のドイツ・ワールドカップにも当てはまる。優勝候補は地元ドイツに加え、4年前は負傷により力を発揮できなかったジネディーヌ・ジダンの復帰したフランス、2年前のEUROで準優勝のポルトガル、ロナウドに加えロナウジーニョら攻撃陣にタレントを揃えたブラジルだった。 しかしPK戦にもつれながらも優勝したのは、ファビオ・カンナバーロら強固な守備を誇ったイタリアだった。 そう、期待されていない時ほどイタリアは強さを発揮する。 そしてイングランドといえば、古くは1990年イタリアW杯ではポール・ガスコインとデイビット・プラットを擁しながら、準決勝でPK戦から敗退。2018年のロシア・ワールドカップでも準決勝でクロアチアにまさかの敗北を喫した。 過去にはデイビット・ベッカムを、そして今回のEUROではハリー・ケインという絶対的なストライカーを擁し、「今度こそは」と期待されながら結果を出せない。それがイングランドだった。 そう、期待されている時のイングランドほど、勝負弱いという印象が強い。 期待値の高さに反比例するのがイングランドの「負の歴史」と言えなくもない。それでも今回のEUROでは、決勝戦まで進出した。イングランドが主要な国際大会(W杯とEURO)で決勝戦まで進出したのは、1966年のイングランドW杯以来55年ぶりの快挙でもある。 それはそれで、新たな歴史を刻んだと言っていいだろう。 これは完全な私見だが、イングランドは、よく言えば「潔い」と思う。逆な見方をすれば「諦めが早い」という印象もある。ドイツ(西ドイツ時代も含め)のような、「奇跡的な逆転勝利」を収めた記憶がないからかもしれない。 プレーはとてもフェアで、南米の選手とは比べものにならない。しかし、そのぶん勝負への執着が感じられないのは私だけだろうか。 2001年のことだった。翌年の日韓W杯を控え、パレルモ島でのイタリア対アメリカの親善試合を取材後、足を伸ばしてポーツマスに移籍した川口能活を取材した。練習後に海沿いのレストランで食事をしたが、川口に聞いたところ、彼もイングランドの選手は「諦めるのが早い」と感じていた。 それはそれで、けして悪いことではないし、国民性だと理解したい。負けたからといって不満のはけ口を代表チームに向けるのではなく、代表チームと一緒になって悲しむ。86年や90年のワールドカップで、ブラジルのサポーターは涙を流して代表チームの敗退を悲しんでいた。その姿に感動を覚えたものだ。 今回のEUROで間違いなくイングランドは躍進した。しかし、それが来年のカタールW杯の出場を約束するものではない。個人的な経験として、ワールドカップにイングランドとドイツ、イタリア、フランス、ブラジル、日本(と聞き慣れた韓国)の国歌は必要不可欠だと思っている。 「好事魔多し」ではないが、イングランドには油断することなく予選を突破して本大会に出てきて欲しい。 で日本は? この最終予選の組み合わせなら問題はないはず。先週のビーチサッカーのオープニングセレモニーで田嶋JFA(日本サッカー協会)会長に、「カタールW杯はベスト8以上が目標ですね」と質問したところ、「その前にまず最終予選を突破しなければなりません」と返された。 それはその通り。でも、今回の予選は実力を発揮すれば簡単に突破できるはず。五輪代表の充実度を含め、いまの日本は過去最強と思えるほど選手層は厚い。落とし穴があるとすれば、それは「過信」しかない。イタリアのように、したたかに戦えるか。その意味で森保監督はエリートではない“強み"があると思っている。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.07.13 19:00 Tue
twitterfacebook
thumb

ビーチサッカーの聖地“ピッチ・カリオカ”が完成/六川亨の日本サッカー見聞録

JFA(日本サッカー協会)が昨年完成させた千葉市幕張の「高円宮記念JFA夢フィールド」に、新たにビーチサッカーのピッチが完成し、7月7日午後4時から田嶋幸三JFA会長、元ビーチサッカー日本代表監督のラモス瑠偉氏、フットサル・ビーチサッカー委員長の北澤豪氏、日本ビーチサッカー連盟会長の長與博典氏らが出席して記念セレモニーが開催された。 これまでビーチサッカー日本代表は、沖縄県や立川市の立飛にあるピッチなどで活動してきた。それというのも、昨年完成した「高円宮記念JFA夢フィールド」には天然芝と人工芝のピッチが各2面と、室内のフットサルコート1面はあったが、ビーチサッカーのピッチはなかった。 建設予定のスペースは確保してあったものの、肝心の「砂」がなかったのだ。田嶋会長も「ビーチだけがないのは心苦しかった」と打ち明ける。しかし今回、長與会長がホワイトサンド(精製砂)800トンを寄付したことで、「あとは協会が責任を持って作りますということで完成した」(田嶋会長)という。 ピッチは33m✕42m (ピッチサイズは28m✕37m)で深さ40センチほど。成人男性の膝下くらいまで埋まる深さだ。芝生の観覧席と照明も完備し、今月中旬にはすぐ側に更衣室も完成する。すでに8月にロシアで開催されるワールドカップへの参加も決まっているため、専用ピッチの完成で初優勝にも期待がかかる(前回19年パラグアイ大会では4位。準決勝でポルトガルに3-3からのPK戦で敗退。3位決定戦でロシアに4-5だった。優勝はポルトガル)。 田嶋会長も「パラグアイ(大会)では優勝しそうだったので、作ることは決めていた」とし、今後は代表チームの練習だけでなく、国内リーグの会場としても使用する予定だ。 さて、このピッチ、名称は「ピッチ・カリオカ」に決まった。リオデジャネイロのコパカバーナビーチでは、1995年に最初の世界選手権が開催され、ビーチサッカーの聖地と言われている。そして「カリオカ」はリオデジャネイロ市民やリオデジャネイロ出身者を広く意味する。さらに長くビーチサッカー日本代表の監督を務めたラモス瑠偉氏と、現在の代表監督兼選手である茂怜羅(もれいら)オズもリオデジャネイロ出身だ。 田嶋会長も「カリオカ(ラモス瑠偉氏)がビーチサッカーの井戸を掘った。沢(穂希。11年W杯のMVP)に続いて(パラグアイW杯の)MVPのオズもリオデジャネイロ出身」と「ピッチ・カリオカ」に命名した理由を説明した。 ラモス瑠偉氏は「電話で田嶋会長から“ピッチ・カリオカ”と聞きました。リオと比べても素晴らしいピッチ。立派なピッチができて感謝しかない。ここがビーチサッカーの聖地になるでしょうし、そうなって欲しい」と期待を込めた。 そして初練習を前にした代表選手には「言いたいのは自分を信じること。そうすれば(パラグアイ大会では)メダルを取れていた。取れなかったのは監督(自分)のせい。ビビってはダメ。ロシアでは自信を持って、ブラジルと決勝で戦いましょう」と激励した。 「高円宮記念JFA夢フィールド」は海岸沿いにあり、隣接する松林を抜けるとそこには砂浜が広がっている。将来はその砂浜に、コパカバーナのように多くのコートを作る構想もある。それが何年後になるかわからないが、夏になると老若男女がビーチでサッカーを楽しむ日が来ることを信じて待ちたい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.07.09 10:24 Fri
twitterfacebook
NEWS RANKING
Daily
Weekly
Monthly