レーティング: ミラン 1-2 ラツィオ《セリエA》
2019.11.04 06:52 Mon
セリエA第11節、ミランvsラツィオが3日に行われ、1-2でラツィオが勝利した。超WSの選手採点結果と寸評は以下の通り。
▽ミラン採点

GK
99 ドンナルンマ 6.0
2失点も枠内シュートを的確にセーブ
DF
2 カラブリア 6.0
コレアの徹底マークをしつつ、攻撃時には右サイドバックとして厚みを与えた
43 ドゥアルチ 5.0
失点場面ではインモービレのマークに付ききれず、2失点目も関与。対人への脆さが目立った
13 ロマニョーリ 5.0
2失点目は戻りが緩慢。ラッツァーリにスペースを与えた
7 カスティジェホ 6.0
右サイドを広範囲にカバーし躍動していたが、無念の負傷交代
(→レビッチ 5.0)
カスティジェホのようなアクセントは付けられず
39 パケタ 5.5
失点に繋がりかねないミスパスがったが、よくボールには絡んでいた
(→レオン 5.0)
試合に入れなかった
4 ベナセル 6.5
持ち運びと前線へのパス出しで攻撃にアクセントを付ける
33 クルニッチ 5.5
移籍後初先発。攻撃面は凡庸だったが、ミリンコビッチ=サビッチとのフィジカル対決で負けず、守備面で貢献
(→ボナヴェントゥーラ -)
19 テオ・エルナンデス 6.0
左ウイングバック、左サイドバックを臨機応変にこなす。同点弾をアシスト
FW
9 ピョンテク 5.5
消えている時間がやはり長い印象。オウンゴールとなったが、同点弾を演出
10 チャルハノール 6.0
正確なセットプレーからのキックでチャンス演出。流れの中でもよく絡んだ
監督
ピオリ 5.5
変則3バックで善戦していたが、カスティジェホの負傷も痛く後半は失速
▽ラツィオ採点

GK
1 ストラコシャ 5.5
こちらも防げるシュートは止めていた
DF
15 バストス 5.5
オウンゴールは致し方なし。それ以外は無難にプレー
33 アチェルビ 5.5
ピョンテクをほぼ潰していた
26 ラドゥ 5.5
カスティジェホの対応に手を焼いたが、レビッチには対応
MF
29 ラッツァーリ 6.0
スピードを生かして右サイドを何度か突破。先制点アシスト
21 ミリンコビッチ=サビッチ 6.0
攻撃面では違いを生めなかったが、55分のピンチを見事な戻りで阻止
(→パローロ 5.5)
守備面で貢献
6 ルーカス・レイバ 6.0
的確な配球で攻撃にリズムを与える
10 L・アルベルト 7.0
バイタルエリアでボールを受け、ドリブルとスルーパスでアクセントに
19 ルリッチ 5.5
相変わらずのハードワークで勝利に貢献
FW
17 インモービレ 6.5
絶好調を持続。ラツィオ通算100ゴールを達成
(→カイセド -)
(→カタルディ -)
11 コレア 6.5
なかなかシュートチャンスがなかったが、少ない好機をモノにした
監督
S・インザーギ 6.5
鬼門のサン・シーロで30年ぶり勝利。後半はこう着状態に持ち込み勝利を手繰り寄せた
★超WS選定マン・オブ・ザ・マッチ!
L・アルベルト(ラツィオ)
決勝点をアシストしたL・アルベルトを選出。試合を通して好スルーパスを味方に遠しチャンスを演出していた。
ミラン 1-2 ラツィオ
【ミラン】
OG(前28)
【ラツィオ】
インモービレ(前25)
コレア(後38)
▽ミラン採点

(C)CWS Brains,LTD.
GK
99 ドンナルンマ 6.0
2失点も枠内シュートを的確にセーブ
DF
2 カラブリア 6.0
コレアの徹底マークをしつつ、攻撃時には右サイドバックとして厚みを与えた
失点場面ではインモービレのマークに付ききれず、2失点目も関与。対人への脆さが目立った
13 ロマニョーリ 5.0
2失点目は戻りが緩慢。ラッツァーリにスペースを与えた
MF
7 カスティジェホ 6.0
右サイドを広範囲にカバーし躍動していたが、無念の負傷交代
(→レビッチ 5.0)
カスティジェホのようなアクセントは付けられず
39 パケタ 5.5
失点に繋がりかねないミスパスがったが、よくボールには絡んでいた
(→レオン 5.0)
試合に入れなかった
4 ベナセル 6.5
持ち運びと前線へのパス出しで攻撃にアクセントを付ける
33 クルニッチ 5.5
移籍後初先発。攻撃面は凡庸だったが、ミリンコビッチ=サビッチとのフィジカル対決で負けず、守備面で貢献
(→ボナヴェントゥーラ -)
19 テオ・エルナンデス 6.0
左ウイングバック、左サイドバックを臨機応変にこなす。同点弾をアシスト
FW
9 ピョンテク 5.5
消えている時間がやはり長い印象。オウンゴールとなったが、同点弾を演出
10 チャルハノール 6.0
正確なセットプレーからのキックでチャンス演出。流れの中でもよく絡んだ
監督
ピオリ 5.5
変則3バックで善戦していたが、カスティジェホの負傷も痛く後半は失速
▽ラツィオ採点

(C)CWS Brains,LTD.
GK
1 ストラコシャ 5.5
こちらも防げるシュートは止めていた
DF
15 バストス 5.5
オウンゴールは致し方なし。それ以外は無難にプレー
33 アチェルビ 5.5
ピョンテクをほぼ潰していた
26 ラドゥ 5.5
カスティジェホの対応に手を焼いたが、レビッチには対応
MF
29 ラッツァーリ 6.0
スピードを生かして右サイドを何度か突破。先制点アシスト
21 ミリンコビッチ=サビッチ 6.0
攻撃面では違いを生めなかったが、55分のピンチを見事な戻りで阻止
(→パローロ 5.5)
守備面で貢献
6 ルーカス・レイバ 6.0
的確な配球で攻撃にリズムを与える
10 L・アルベルト 7.0
バイタルエリアでボールを受け、ドリブルとスルーパスでアクセントに
19 ルリッチ 5.5
相変わらずのハードワークで勝利に貢献
FW
17 インモービレ 6.5
絶好調を持続。ラツィオ通算100ゴールを達成
(→カイセド -)
(→カタルディ -)
11 コレア 6.5
なかなかシュートチャンスがなかったが、少ない好機をモノにした
監督
S・インザーギ 6.5
鬼門のサン・シーロで30年ぶり勝利。後半はこう着状態に持ち込み勝利を手繰り寄せた
★超WS選定マン・オブ・ザ・マッチ!
L・アルベルト(ラツィオ)
決勝点をアシストしたL・アルベルトを選出。試合を通して好スルーパスを味方に遠しチャンスを演出していた。
ミラン 1-2 ラツィオ
【ミラン】
OG(前28)
【ラツィオ】
インモービレ(前25)
コレア(後38)
ミランの関連記事
セリエAの関連記事
|
ミランの人気記事ランキング
1
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.5 “グランデ・ミラン”CL制覇、セリエA3連覇達成/ミラン[1993-94]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.5</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">1993-94シーズン/ミラン 〜グランデ・ミラン〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/1993-94milan.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ファビオ・カペッロ(47) 獲得タイトル:チャンピオンズリーグ、セリエA 攻撃力6:★★★★★★☆☆☆☆ 守備力10:★★★★★★★★★★ タレント8:★★★★★★★★☆☆ 連係9:★★★★★★★★★☆ 選手層8:★★★★★★★★☆☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">CL制覇、セリエA3連覇達成</div> サッキが退任後、1991年にミランの監督に就任したカペッロは、バレージやマルディーニ、コスタクルタら守備能力の高いDFを生かしたソリッドなスタイルで、1年目からセリエA初となる無敗優勝を達成。さらに翌年もセリエAを制し、CLの決勝にも進出したミランは、1993―94シーズンに3連覇の偉業を成し遂げた。このシーズンの得点数は、わずか36得点。優勝クラブとしては、過去類を見ない少なさだった。しかし、失点数はわずか15という特筆ものの数字だった。抜群の勝負強さを発揮する当時のミランは、“グランデ・ミラン”と称され、まさに黄金期を迎えていた。 1993-94シーズンのハイライトは、何といってもCL決勝だった。相手はクライフの下で、ミランと同じく黄金期を迎えていたバルセロナ。下馬評では、ロマーリオやストイチコフ、クーマンらを擁するバルセロナが圧倒的有利との見方が大勢を占めたが、フタを開けてみればミランが4-0で圧勝した。ミランは序盤から、お家芸となっていたハイプレスを敢行し、デサイーを中心に中盤で主導権を掌握。マッサーロの2ゴールでリードして試合を折り返すと、後半開始直後にはサビチェビッチの鮮やかなループシュートで加点した。そして、終盤にはデサイーにもゴールが生まれ、“ドリームチーム”を見事に粉砕してみせた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">鉄壁の守備陣</div> このシーズンのミランは、それまでチームを支えてきたオランダ・トリオが崩壊していた。ライカールトとフリットがクラブを去り、ファン・バステンも慢性的な負傷でコンディションが整わず。チームは転換期を迎えていた。そのなかでも、セリエAとCLを制覇できたのは、バレージとマルディーニ、コスタクルタ、タソッティというサッキ時代から不変のバックラインを擁していたからだ。パヌッチとガッリという優秀な選手もベンチに控えており、まさに隙のない守備陣だった。 守備に関して言えば、デサイーとアルベルティーニというセントラルMF2選手も効いていた。そして、前線にはテクニシャンのボバンとサビチェビッチが並んだ。チームはファン・バステンとフリットという得点源を補うようなストライカーが不在だったが、全体のバランスが良いチームだった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">FWデヤン・サビチェビッチ(28)</span> イタリア語で天才を意味する“ジェニオ”のニックネームを持つモンテネグロ人アタッカー。ミランに加入した1992―93シーズンは、ファン・バステンやフリットの高い壁に苦しんだが、カペッロ就任後はチームにとって欠かせない存在となった。とりわけ、1993-94シーズンのCL決勝の活躍は印象的。前半22分に右サイドのドリブル突破からマッサーロの先制弾をアシストすると、後半2分には巧みな仕掛けから見事なループシュートを決めて、タイトル獲得に大きく貢献した。一方、ユーゴスラビア代表(当時)としては、内戦などの影響で全盛期に国際舞台への出場が叶わず、晩年に1998年フランスW杯に出場するにとどまった。 2019.04.05 22:00 Fri2
ボヌッチ、ミランでの“黒歴史”を回想…慎重に言葉を選ぶもミラニスタを傷つける?
ユベントスのイタリア代表DFレオナルド・ボヌッチが、“黒歴史”とも揶揄されるミランでの1年間を振り返っている。『フットボール・イタリア』が伝えている。 2010年夏にユベントスへ加入したボヌッチは、在籍期間にセリエA6連覇を経験するなど、近年の最盛期を過ごすビアンコネーロと共に充実した日々を過ごしていた。 しかし、当時の指揮官マッシミリアーノ・アッレグリ監督との確執、チャンピオンズリーグ(CL)決勝での厳しい敗戦など、幾つかのネガティブな要素が重なり、2017年夏にミランへの電撃移籍を果たした。 ただ、キャプテンマークを託されたミランでは、チームとしても個人としても思うようにいかず。一方、自身不在の古巣は悲願のCL制覇の夢をレアル・マドリーに打ち砕かれたものの、危なげなく国内2冠を達成していた。 そして、一度別れて“老貴婦人”の良さを改めて知ったボヌッチは、2018年夏に恥を忍んで古巣復帰を要請。自身とのトレードでミランへ旅立ったイタリア代表DFマッティア・カルダーラ(現アタランタ)という犠牲者を出しながらも、1年での帰還を果たした。 そのため、ボヌッチのミラノでの1年間は自身にとって“黒歴史”とも言える忘れたいものであるかに思われるが、ポジティブな33歳は「一人の男として成長できた」と、イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』のインタビューで振り返っている。 「個人的にもプロとしても厳しいシーズンだったよ」 「幾つかの意見の食い違い、とりわけチャンピオンズリーグ敗戦後に衝突があり、僕は最終的に誤った決断をしてしまった」 「だけど、自分のキャリアに大きな影響を与えたあの決断は、僕を一人の男として成長させたと言わざるを得ないよ」 「ミラノでの数カ月は僕に自問自答の機会を与えたんだ。そして、自分にとって最も大事なのは、家族のような存在であるユベントスだってことがわかったんだ」 「ミランでは何人かの素晴らしい人たちと出会うことができた。その筆頭がリーノ・ガットゥーゾだ。確かに厳しいシーズンだったけど、それが自分のキャリアにおいて役に立たなかったなんてことはないよ」 「最終的に、僕は自分の家に戻り、すごく幸せだからね」 ボヌッチなりに慎重に言葉を選んだうえでのコメントだが、ミランでの苦しい日々がユベントスの良さを改めて知るキッカケになったというニュアンスは、再びミラニスタの怒りを買いそうだ。 2020.06.07 17:45 Sun3
シティとミランが対戦、遺恨を残したペップから声をかけられたイブラヒモビッチは...
ズラタン・イブラヒモビッチ氏が、ジョゼップ・グアルディオラ監督に対して気まずそうな態度をとった。ドイツ『ビルト』が伝える。 イブラヒモビッチとペップ・グアルディオラ。 両者は2009-10シーズン、バルセロナのトップチームで共闘することになり、当時インテルからサミュエル・エトー氏との実質トレードで加入したイブラ氏は、ペップ・バルサ2年目の最前線でスタメン起用され始めた。 しかし、序盤戦のゴール量産から次第にコンディションを落とし、グアルディオラ監督はイブラ氏のベンチスタートを増やすことに。 結局、加入から1年でミランにレンタル放出され、さらにその1年後に完全移籍移行。 現在に至る「ミランの王・イブラヒモビッチ」が生まれることとなったが、イブラ氏はグアルディオラ監督に対する恨み辛みを、のちに余すことなく、何度も口にしている。 「グアルディオラは幼稚なコーチ…話しかけられることなどないし、見ようともしない…俺を見るなり逃げ失せるような男だ…」 時は流れて2024年夏、7月28日。 イブラ氏がシニアアドバイザーを務めるミランと、グアルディオラ監督率いるマンチェスター・シティが、米国でのプレシーズンマッチにて対戦。ミランが3-2と勝利した。 グアルディオラ監督から立ち寄る形で試合前に顔を合わせた両者。イブラ氏が作った笑顔はどう見てもよそよそしく、握手とハグもそこそこに、ペップの話しかけにも目線を合わせるのがしんどかったような印象が。 おそらくグアルディオラ監督のほうは、過去の確執をそこまで気にするタイプではないが、イブラ氏の「気まずい…」という表情は本当に印象的。 1年限りとなったバルセロナでの共闘から14年、イブラ氏は当時のグアルディオラ監督の年齢(38〜39歳)を超え、今や自身もチームを監督する側の立場。TVカメラも近づいてきたなか、大人の対応をした格好か。 <span class="paragraph-title">【動画】ペップに声をかけられ、この上なく気まずそうなイブラヒモビッチ</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="in" dir="ltr">Ibrahimovic tampak menghindari kontak mata dan Guardiola pun coba bersikap 'senormal' mungkin. Para fans sepakbola menilai, Zlatan Ibrahimovic tampak masih tidak menyukai Pep Guardiola <br><br>Ibrahimovic pernah terang-terangan menulis Guardiola sebagai pelatih yang tidak punya… <a href="https://t.co/skUHPxR4Wv">pic.twitter.com/skUHPxR4Wv</a></p>— detiksport (@detiksport) <a href="https://twitter.com/detiksport/status/1819330955708190859?ref_src=twsrc%5Etfw">August 2, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.08.02 20:35 Fri4
「サッカーが大嫌いだった」偉大な父を持つ18歳M・イブラヒモビッチ、父ズラタンとの比較は「嫌だった」
ミラン・フトゥーロのU-18スウェーデン代表FWマキシミリアン・イブラヒモビッチが自らのキャリアについて語った。スウェーデン『Aftonbladet』が伝えた。 現在はミランのシニアアドバイザーを務めるズラタン・イブラヒモビッチ氏の息子、マキシミリアン。7月にはミランとプロ契約を交わし、下部組織で父と同じプロサッカー選手の道を歩み始めている。 主に左ウイングとしてプレーする18歳は、プリマヴェーラ1でここまで7試合4ゴールと好発進のシーズンに。10月にはU-18スウェーデン代表に初招集された。 マキシミリアンは代表活動中に取材に応じると、9歳から始まったサッカーキャリアを回想。父親が所属したパリ・サンジェルマン(PSG)、マンチェスター・ユナイテッド、ロサンゼルス・ギャラクシー(LAギャラクシー)のアカデミーを渡り歩くと、その後は母国スウェーデンのハンマルビーでプレーし、2022年8月にミランへ行き着いた。 「どこの国でも良い思い出があるけれど、ミランが一番居心地の良い場所だった」 「始めたのは9歳の時でかなり遅かった。パリの地元クラブで」 「でも(サッカーに)一目惚れしたからじゃない。その逆だ。11歳くらいまではサッカーが大嫌いだった。最悪だった。すべてが間違っていて嫌だった。父と比較されるのも嫌だった」 「でもある日、サッカーへの愛に目覚めた。突然ピンと来たんだ」 また、昔は嫌だったという父との比較についてさらにコメント。今では自分の道を見つけているようだ。 「比較については考えない。僕は僕だし、彼は彼だ。同じポジションをプレーしているわけでもないから、比べることはあまりない」 好きな選手はブラジル代表FWネイマール、先輩のポルトガル代表FWラファエル・レオン、ミランにも所属した元ブラジル代表FWロナウジーニョ氏だとも明かしたマキシミリアン。ともに練習したことがあるレオンについては「初めて彼を見た時、まるでお菓子屋さんにいる気分だった」というが、「今はむしろ競争相手として見ている」と頼もしいコメントも残した。 <span class="paragraph-title">【動画】U-18代表入り! 取材に応じるマキシミリアン</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="vuIK6ScqWUg";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.10.17 15:50 Thu5