終盤のPKストップでジェノアに薄氷勝利のミランが連敗を3でストップ《セリエA》

2019.10.06 05:58 Sun
Getty Images
ミランは5日、セリエA第7節でジェノアとのアウェイ戦に臨み、2-1で競り勝った。

前節フィオレンティーナ戦をムサッキオが前半に退場した中、ホームで1-3と惨敗し、泥沼の3連敗となったミラン。早くもジャンパオロ監督の首が危うくなっている中、フィオレンティーナ戦のスタメンから4選手を変更。レオン、ベナセル、ムサッキオ、直前に発熱したドンナルンマに代えてボナヴェントゥーラ、ビリア、ドゥアルチ、レイナを起用した。

ここまで1勝とミラン同様に厳しいスタートとなっているジェノアに対し、フィオレンティーナ戦同様に[4-3-3]で臨んだミランは3トップに右からスソ、ピョンテク、ボナヴェントゥーラと並べた。
ハイプレスをかけてきたジェノアに対し、ミランは7分にピンチ。アーリークロスに抜け出したレラガーにGKレイナを強襲されるシュートを打たれた。

その後、11分に左足ハムストリングを痛めたクリーシトがプレー続行不可能となってビラスキを投入したジェノアに押し込まれる状況が続いたミランは、24分にスソが直接FKでオンターゲットを記録。
それでも、劣勢を挽回できず、37分にジリオーネ、39分にパヤッチと立て続けにGKレイナを強襲されるシュートを打たれたミランは、41分に失点する。

ボックス手前左で許したFKをシェーネに直接狙われると、アウト回転にかかったシュートをレイナは後逸してしまい、先制を許して前半を終えた。

迎えた後半、ピョンテクとチャルハノールに代えてレオンとパケタを投入したミランは、51分に同点とする。クイックリスタートでボックス左に侵入したテオ・エルナンデスが角度の厳しい位置からシュートを蹴り込んだ。

さらに直後、ボックス内でビラスキがハンドを犯したプレーがVARの末にPKを取られるとともに一発退場の厳しい判定が下される。

幸運な判定で数的優位となったミランは、このPKをケシエが決めて勝ち越しに成功。67分にはレオンがGKと一対一となるなど、流れを引き寄せたミランだったが、79分に退場者を出してしまう。カラブリアがクアメに入れ替わられたところでファウルを犯し、2枚目のイエローカードを受けてしまった。

すると終盤の89分、ミランはPKを献上する。スルーパスに抜け出したクアメをボックス内でGKレイナが倒してしまった。しかし、キッカーのシェーネのシュートをGKレイナが止めてリードを保った。

そして7分の追加タイムを守り切ったミランが連敗を3でストップ。薄氷の勝利で4戦ぶりの白星を手にしている。

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