【平成サッカー30年の軌跡】平成6年/1994年 Jは2年目、キング・カズがセリエAに挑戦!

2019.04.06 19:00 Sat
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新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ


1994年に開業したユーロスター。イギリスとフランスだけでなく、ベルギー、オランダまで陸路で移動可能に

■現代まで繋がる変革の1年
平成6年(1994年)は、世界で大きな変革が起こった年となりました。南アフリカ共和国では、アパルトヘイト(人種隔離政策)が終焉を迎え、ネルソン・マンデラ氏が南アフリカで初の黒人大統領に就任しました。

また、イギリスとフランスの間にあるドーバー海峡が、海底トンネルで結ばれ、空路だけでなく、陸路でも同国間の行き来が可能に。ユーロスターが通っています。

アメリカでは、日本が前年に初出場を逃したワールドカップが開幕。ブラジルがイタリアとの決勝戦で、PK戦の末に勝利しました。

さらに、「GAFA」の一角である、アマゾンの前身、Cadabra.comが設立されました。

スポーツ界では、今年現役引退を発表したイチローが、当時のプロ野球シーズン最多安打記録を更新。一方で、“音速の貴公子”の愛称でも知られるアイルトン・セナがレース中の事故で命を落としています。

その他、「PlayStation」が日本で発売。ソニーが家庭用ゲーム業界に参入し、現代でも人気を誇る機種となっています。ちなみに、同年にセガから「セガサターン」も発売されています。



サッカー界

“キング・カズ”こと三浦知良がセリエAのジェノアへ

■Jリーグ2年目、“キング”がイタリアへ
前年に開幕したJリーグが2年目を迎えたシーズン。この年もサントリーシリーズと NICOSシリーズに分かれて開催。また、今はなき「Vゴール」という名称が誕生したのも、平成6年でした。そして、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)、ジュビロ磐田がこのシーズンからJリーグに加入しました。

サントリーシリーズはサンフレッチェ広島が優勝。NICOSシリーズは前年王者のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)が優勝。両チームによるチャンピオンシップは、ヴェルディ川崎が制し、連覇を達成しました。

ちなみに、サントリーシリーズを制した広島ですが、優勝カップを割ってしまったことは、記憶にある方も多いでしょう。アウェイの地で優勝を果たした広島の選手たちは、カップをサポーターに見せようと移動。しかし、その際に落としてしまい、ガラスでできた「チェマン杯」はバラバラになってしまいました。

また、このシーズンの途中には“キング・カズ”こと三浦知良がセリエAのジェノアへと移籍します。当時世界最高峰の舞台と言われたセリエAに移籍したカズは、開幕戦のミラン戦でフランコ・バレージと接触し鼻骨を骨折。いきなり長期離脱となりました。初ゴールはサンプドリアとの“ジェノバ・ダービー”。キングの名は、現在でもイタリアの地で記憶に刻まれています。

■日本代表はリスタート
前年に“ドーハの悲劇”でアメリカ・ワールドカップへの出場を逃した日本代表は、ファルカン監督を招へい。選手を入れ替えるなど、新たな時代を到来させようとしましたが、結果がついてきません。

広島で行われたアジア競技大会では、ジェノアに所属していたカズも呼び戻して臨みましたが、結果はベスト8止まり。ファルカン監督はわずか8カ月で契約満了となり、退任となったのです。

後任に就任したのは、この先の日本代表に影響を与えた加茂周氏。横浜フリューゲルスで監督を務めていましたが、日本代表監督に就任が決定しました。

また、同年にカタールで行われていたU-16アジアユース選手権(現在のAFC U-17選手権)では、日本が初優勝を果たします。

当時のメンバーには、小野伸二(現北海道コンサドーレ札幌)や稲本潤一(現SC相模原)、高原直泰(現沖縄SV)、曽ケ端準(現鹿島アントラーズ)ら後にゴールデンエイジと呼ばれる世代の選手たちが出場していました。

ファルカン政権は8カ月で幕を閉じました
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