「人を育てる」曺貴裁監督がもたらした“湘南スタイル”の浸透力/編集部コラム

2018.10.30 19:50 Tue
©超ワールドサッカー
▽就任7年目。「人を育てる力」を持つ曺貴裁監督が、多くの挫折を乗り越え、“折れかかった”ではなく“折れた”心でも立ち上がり続け、一輪の華を咲かせた。

▽現役時代は柏レイソル、浦和レッズ、ヴィッセル神戸でプレーし、1997年に現役を引退。その後は、川崎フロンターレやセレッソ大阪でコーチを務め、2005年に湘南へとやってきた。湘南の地に足を踏み入れてからは、14年の歳月が経っていた。

◆浮沈を繰り返し“心が折れる”
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▽反町康治前監督(現松本山雅FC監督)の後任として、2012年に湘南の監督に就任した曺監督。当時J2リーグを戦っていた湘南を率いると、シーズンを通して安定した戦いを見せ2位でJ1に昇格を果たした。
▽2シーズン目をJ1で迎えた曺監督だったが、チームは苦しい戦いを強いられ、1年でのJ2降格となってしまった。しかし、3シーズン目はJ2で開幕14連勝を飾るなど“湘南スタイル”を徐々に作り上げ、勝ち点101でJ2優勝。再びJ1への挑戦権を得る。

▽2015年は下部組織出身のDF遠藤航(現シント=トロイデンVV)が日本代表に招集されるなど、湘南ベルマーレとしての変革期となり、チームも改名後初のJ1残留を決める。しかし、2016年には遠藤を始め、MF永木亮太(→鹿島アントラーズ)、GK秋元陽太(→FC東京)、DF古林将太(→名古屋グランパス)と主力が軒並み退団。すると、曺監督として2度目のJ2降格を味うことになった。
▽「何度か折れそうになったのではなく、何度も折れていました。ポキポキ、ポキポキ」とルヴァンカップ決勝後の会見で曺監督はコメントした。昇格と降格を繰り返すエレベータークラブとなり、選手を育てても他クラブに引き抜かれる。毎年のように前年の主力選手が退団する流れでは、チーム作りにも苦慮したはずだ。

▽それでも諦めなかった曺監督は、「折れていたことをちょっと思い出して、ホッとしたでも良かったでもなく、ギリギリのところでやって来たことが、選手が報われて良かったな」と語り、自身を含め、選手やクラブ全体の長年の苦労が報われたタイトル獲得を喜んでいた。

◆苦悩も継続した“湘南スタイル”
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▽湘南と言えば、「若い」、「ハードワーク」、「縦に早い攻撃」というのが大方のイメージだろう。それは間違っていない。曺監督も「何よりも選手を見ている人に分かりやすい」と語り、“湘南スタイル”を作り上げる上で、ファンやサポーターへの分かりやすさを求めていた。

▽その一方で、“湘南スタイル”を貫きながらも、選手が引き抜かれ、昇降格を繰り返すことに「僕が折れていたのは、そのスタイルを出して入ればいいのか」と曺監督には葛藤があったようだ。そして、「このスタイルはカルチャー作りにとって大事なんだといっても、説得力がない」とスタイルを貫くだけでは意味がないという答えに辿り着いた。

▽通常のクラブであれば、監督交代、方針転換、選手補強や育成へのテコ入れを考えるだろう。しかし、湘南は曺監督に託した。「人を育てる力」をもつ曺監督だからこそ、今の“湘南スタイル”ができあがった。

▽今シーズンの湘南も例年通り多くの新加入選手で構成されている。3バックの中央を担うDF坂圭祐(23/順天堂大学)、ルヴァンカップで結果を残したMF金子大毅(20/神奈川大学)、MF松田天馬(鹿屋体育大学)はルーキー。さらに、MF梅崎司(浦和レッズ)、FW山﨑凌吾(徳島ヴォルティス)は新加入だ。その他にも、DF杉岡大暉(20)は市立船橋高校から加入して2年目、DF山根視来(24)は桐蔭横浜大学から加入して3年目と、主力選手の多くが“湘南スタイル”への馴染みが深いわけではなかった。それでも、チームとして作り上げて結果に繋げた。

◆“スタイル”の前に“勝利”
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▽「勝つためにどうしたらいいかと考えた時に、それ以外のレベルを上げていないと、選手が成長したと実感が持てない感じました」と曺監督は語る。“湘南スタイル”を守りながらもしっかりと結果を出すこと。そのために、曺監督はチームの作り方、選手への接し方を考えた。

▽曺監督が最も重要だと考えることは「自分を輝かせるためにどう塩梅をつけるかということに責任を持つ」ということ。「監督が言うからとか、チームに求められるからこれをやるしかないんだという選手はいると思いますけど、それは責任放棄だと思う」と、誰しもが陥りそうな考えを排除した。真の意味での“チーム”になることで、スタイルを維持するとともに結果に繋げた。

▽プロである以上、「勝利」という結果が求められる。しかし、自分たちのスタイルに捉われ、勝つために必要なことが抜け落ちてしまうチームは多い。頭では理解していても、ピッチ上で発揮できない。そういった再現性の低いプレーを続けるチームは少なくなく、継続して結果を出せないことが往往にして多い。

▽しかし、曺監督は「毎日切磋琢磨してピッチの中の温度を常に下げないで、出ている試合、出ていない試合と、選手の中で選別しないでやってきたことが、こういった結果に繋がって嬉しく思います」と語った。選手が横一線になり、分け隔てなく同じ温度で、同じベクトルでトレーニングを積む。試合に関しても、出場の有無に関わらず、チームが1つになる。そのチーム作りが、身を結んだ。

◆湘南ベルマーレとしての誇り
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▽様々な苦難を乗り越えた曺監督とクラブにとって、ルヴァンカップのタイトル獲得は大きな喜びだろう。しかし、曺監督が語った最も嬉しかったことは、湘南ベルマーレというクラブを表すものだった。

「スタジアムに来た子供たち、その親御さんに、頑張ればここまで来れるんだということを見せられたことが、優勝したことよりも非常に嬉しいです」

▽横浜F・マリノスとのルヴァンカップ決勝には、湘南の下部組織の選手が多く駆けつけた。下馬評では横浜FMが優勢とも見られたが、結果は1-0で湘南が勝利。結果を残せたことを見せられたことを曺監督は喜んだ。そして、スタジアムに駆けつけた選手たちからの寄せ書きのエピソードを明かしてくれた。

「ただ『勝ってください』とか、『◯◯選手頑張ってください』とか『優勝してください』ではなく、8割ぐらいの選手が“湘南スタイルで”とか、“湘南魂で”とか、小学生が書くということに涙出そうになっていました」
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▽トップチームに限らず、各年代の選手たちに浸透する“湘南スタイル”。言い換えれば、“曺貴裁スタイル”とも言えるそのメソッドは、湘南ベルマーレを支える将来の宝たちの支えにもなっている。クラブ創設50周年というメモリアルイヤーにタイトルを獲得したことも大きい。

▽「これがゴールではなく通過点なので、この後チームがどう変わっていくかに責任があります」とも曺監督は語った。スタイルを確立しつつ、結果にコミットした湘南ベルマーレ。今シーズンはJ1残留という目標が残されている。曺監督とクラブの挑戦は始まったばかりだ。
《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》

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G大阪が降格圏の磐田に劇的勝利、前半戦苦しんだ13位湘南や14位京都など6クラブのJ1残留が確定!

9日、明治安田J1リーグ第36節の8試合が行われた。 首位のヴィッセル神戸、2位のサンフレッチェ広島は10日に試合が控える中、3位のFC町田ゼルビアは今まで勝ったことがない国立競技場でFC東京との“新東京ダービー”を戦い、3-0で快勝。国立で初めて勝利したとともに、逆転優勝への望みを繋いだ。 熾烈な優勝争いとは真逆の残留争いも今シーズンは白熱。残留ラインの17位・柏レイソルと16位・アルビレックス新潟の直接対決は柏が勝利目前でまたしても失点。新潟はルヴァンカップ決勝同様に粘りを見せ、1-1のドローに終わった。 そんな中、降格圏の18位に位置するジュビロ磐田(勝ち点35)と5位のガンバ大阪(勝ち点60)の対戦は激闘に。試合は23分に磐田が渡邉りょうのゴールデ先制するも27分に半田陸のゴールでG大阪が同点に。前半アディショナルタイム9分には山下諒也がゴールを決めて逆転に成功する。 さらに62分には宇佐美貴史がネットを揺らして追加点。しかし、残留するためには負けられない磐田は87分に上原力也、そして91分に鈴木海音がゴールを奪い、土壇場で同点に追いつく。 残留に向けて貴重な勝ち点1を手にできるかと思われたが、G大阪は93分にパスを繋いで崩すと最後は坂本一彩が落ち着いて決めて勝ち越しに成功。G大阪が粘りを見せて勝利を収めた。 これにより、降格圏の18位・磐田は勝ち点35のまま。消化が1試合少ないものの、3試合で最大勝ち点「9」しか積み上げられないため、「44」までに。これにより、残留が確定していなかった多くのチームの残留が確定した。 磐田の敗戦により、勝ち点47の9位・名古屋グランパス、10位・アビスパ福岡、勝ち点46に伸ばした11位・横浜F・マリノス、勝ち点45の12位・川崎フロンターレ、13位・湘南ベルマーレ、14位・京都サンガF.C.までが残留決定となった。 15位の浦和レッズは10日に広島と対戦し、勝利すれば残留が確定する。 <h3>◆明治安田J1リーグ順位表(11/9時点)</h3> 1位:ヴィッセル神戸|勝ち点67/35試合/20 2位:サンフレッチェ広島|勝ち点65/35試合/30 ーーーーーACLE出場 3位:FC町田ゼルビア|勝ち点63/36試合/19 4位:ガンバ大阪|勝ち点60/36試合/10 5位:鹿島アントラーズ|勝ち点58/35試合/13 6位:東京ヴェルディ|勝ち点54/35試合/1 7位:セレッソ大阪|勝ち点52/36試合/-1 8位:FC東京|勝ち点51/36試合/5 9位:名古屋グランパス|勝ち点47/36試合/-2 10位:アビスパ福岡|勝ち点47/36試合/-4 11位:横浜F・マリノス|勝ち点46/35試合/-2 12位:川崎フロンターレ|勝ち点45/35試合/8 13位:湘南ベルマーレ|勝ち点45/36試合/-3 14位:京都サンガF.C.|勝ち点45/35試合/-12 ーーーーー残留決定 15位:浦和レッズ|勝ち点43/34試合/2 16位:アルビレックス新潟|勝ち点41/36試合/-14 17位:柏レイソル|勝ち点40/36試合/-10 ーーーーー残留ライン 18位:ジュビロ磐田|勝ち点35/35試合/-15 19位:北海道コンサドーレ札幌|勝ち点34/36試合/-20 20位:サガン鳥栖|勝ち点29/36試合/-26 ※降格決定 2024.11.09 17:59 Sat

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