【Jリーグが伝えたい事】第2回:Jリーグとファン・サポーターが手を組み、“夢と希望”を与えた「サポユニforsmile」

2017.12.27 12:00 Wed
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▽Jリーグが目指すもの、Jリーグが生み出してきたものについて株式会社Jリーグ マーケティング専務執行役員として多忙な日々を送る山下修作氏に語っていただく連載インタビュー『Jリーグが伝えたい事』。第1回目は、Jリーグが後援する映画『MARCH』を通じての東日本大震災を始めとするJリーグの支援活動について伺った。

▽支援に関しては、東日本大震災以外にも様々な部分で活動しているJリーグ。その中で、第2回目は、Jリーグが2011年より実施している「サポユニforsmile」という活動にフォーカス。サポーターから寄付された各クラブのユニフォーム・コンフィットシャツをアジアの子どもたちに届ける企画を通じて、Jリーグが伝えたいこと、またその先に目指す形についてお話を伺った。
取材・文=菅野剛史

▽2011年にカンボジアへの寄付から始まったこの活動。2013年は東ティモール、2014年はミャンマー、2015年はブータンとモンゴル、2016年はスリランカ、そして2017年はバヌアツへ、Jリーグ各クラブのユニフォーム・コンフィットシャツを寄付している。その枚数は合計で4,227枚。全て各クラブのファン・サポーターから寄付されたものだ。
(C)CWS Brains,LTD.
▽アジア各国の子供たちへのユニフォーム寄付をスタートさせたキッカケについて山下氏にお話を伺うと、山下氏こそがその発起人であったものの、Jリーグの国際化が目的であり、ユニフォームの寄付ではない部分が当初の目的であったと明かしてくれた。

「きっかけは“アジア戦略”と言われていますが、当時はJリーグを国際化したいという思いがあり、特にアジアと何かできるんじゃないかと考えていました。当時はタイ・リーグが立ち上がり、非常に盛り上がっているという話を聞いていました。そこに何かマーケットがあるんじゃないかと思いました」
▽現在でこそ、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)に多くのチームが出場しているタイ・リーグ。南米や欧州からも選手が移籍してプレーしている。2011年に現在の形が完成し、当時はその後の発展を遂げるための、大きな変革期であった。日本人選手も数多くプレー。ムアントン・ユナイテッドに所属するDF青山直晃は、今シーズンのACLで鹿島アントラーズと対戦するなど、日本との関りも深いリーグだ。

▽タイのサッカーに興味を抱いた山下氏だったが、「タイ・リーグとJリーグで何かしたいと言っても、一体何がしたいのかと。また、私自身もタイ・リーグを生で観たことがなく、実体験ではなく本やネットで読んだだけの情報で何かを伝えても、人への説得力はありませんでした」と、雲を掴むような状況であったとの事。そんな山下氏は「なんとか仕事でタイ・リーグを見にいきたい」と考え、そこで1つのアイデアを思い浮かんだ。それが、ユニフォームの寄付だった。

「当時の私がやっていたことは、ウェブサイトの運営やプロモーションだったので、タイ・リーグを仕事で観に行くことはありませんでした。ただ、プロモーションの一環としてソーシャルメディアを使いつつ、ファン・サポーターの方々にユニフォームをカンボジアに持っていくと呼びかける。そのユニフォームを送ってもらって、カンボジアに届けた帰りにタイ・リーグを観る。当時カンボジアへの直行便はなかったですが、タイ経由で行けば、やりたかったカンボジアの子供たちへの支援とタイ・リーグを観ることができます。それで企画しました」

▽第1回目のインタビューでキーワードになっていた「何かできることはないか」の精神。山下氏は、カンボジアの子供たちへの支援という側面と、Jリーグの国際化を目指したタイ・リーグの視察を同時に叶えるための企画を思いつき、それがその先のJリーグの活動に大きな影響を及ぼすこととなった。

▽カンボジアを最初の支援先に選んだ理由については、「1つはタイを訪れたかったことで、その周辺国だからです」と正直に答える山下氏。しかし、ユニフォーム寄付を通じても、1つのメッセージをJリーグクラブのファン・サポーターに届けたかったことを語ってくれた。

「一番はじめにこの活動をするのに、ファン・サポーターたちに何かを訴えていきたいと考えました。その時、当時カンボジアは東南アジアの中でも貧しい国の1つでした。過去の歴史を見ても、大変な思いをしてきた国です。その辺りで何かできなかということを考えました」

▽東日本大震災での経験もあった中、ただ支援をするだけでなく、それをJリーグに、そしてファン・サポーターに還元することまで考えた末の企画。その動きは、“Jリーグらしさ”とも言える、特殊なスタイルにも表れた。
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「ユニフォームを寄付する」ということを頭に思い浮かべた場合、ユニフォームの提供元は、各クラブやメーカーからということが考えられるだろう。しかし、山下氏はリーグやクラブではなく、「ファン・サポーター」からのユニフォーム提供という道を選択。その決断に至ったのは、Jリーグが行っていたPR活動の1つであったと明かしてくれた。

「プロモーションをやらせてもらっていた時に、足立梨花さんがJリーグ特命PR部の女子マネージャーをやっていらっしゃいました。その特命PR部の活動の一環として、ソーシャルメディアを使って何かPRをしてくれたら、アイコンバッチをお送りするという運動をしていました。年に7回行い、お題を出してはそれに答えてもらうようなことを、ファン・サポーターのみなさんとやっていました」

▽現在は足立梨花さんの後を継ぎ、“サトミキ”こと佐藤美希さんが女子マネージャーを務めているJリーグ特命PR部。佐藤さんは、試合日に各スタジアムへと足を運び、選手だけでなくファン・サポーターとも交流。さらに、自身のSNSやテレビ番組への出演により、ファン・サポーター以外にもJリーグにより興味を持ってもらう活動を続けている。

▽足立さんから佐藤さんへと継続され、Jリーグが推し進めているファン・サポーターとの交流が、この「ユニフォーム寄付」に大きく影響を与えることとなった。

「当時、7つ目、最後のお題が、ユニフォームを持っていくPRを手伝ってくださいというものでした。『できれば、みなさんもユニフォームを送ってください』という形でやらせていただきました。それにより、ファン・サポーターの方々にユニフォームを送ってもらえましたね」

▽初の試みながら、カンボジアへと寄付されたユニフォームは451枚。多くのファン・サポーターが、Jリーグの企画に力を貸してくれた。ファン・サポーターにとっては、自身が応援するクラブの選手たちと共に戦うための“戦闘服”とも呼べるユニフォーム。しかし、Jリーグが繋げてきた想いは、すでにファン・サポーターに届いており、その想いに応えるべく、Jリーグも行動を続けた。

「ユニフォームを現地に持って行ってからは動画も作りますし、ユニフォームを送ってくれた方々に感謝状のようなものをお送りしています。現地の様子をポストカードにして、手書きで『ご協力ありがとうございました』といったメッセージを添えてお送りしています」

「それに対して、『Jリーグってこんなこともやってくれるんだ』というようなことを受け取ってくれた方が、ネット上で書いてくれたりして、Jリーグを身近に感じてもらうことにも繋がっているなと思います」

▽反響の大きさは2017年まで活動が続いていることからも明らかだ。寄付されるユニフォームの枚数に関しては「支援先にヒアリングして、何枚ほど送る方が良いのかを相談して決めています」と教えてくれた山下氏。寄付先によっての変化はあるものの、ここまで活動を続けるためのユニフォームをファン・サポーターが寄付し続けてくれていることはまぎれもない事実だ。

「国際貢献といえば、ボランティアとしてどこかに行かなければいけないような、ハードルが高いイメージがあります。募金だと、最終的に何に使われたかがわかりません。ただ、ユニフォームを送って、それが子供の笑顔に繋がる。それが動画や感謝状で見てもらえるようになる。これは、Jリーグを応援してくださっているからこそできる国際貢献だと思います」

▽Jリーグが紡いできた「何かお役に立てるようなことがないか」という精神は、東日本大震災の支援の際にもファン・サポーターから感じられた。しかし、世界に目を移した場合にも、その精神は保たれ、Jリーグとファン・サポーターが同じ歩みを進めていることを改めて感じさせられた。

▽そして、Jリーグも、この活動を通じてファン・サポーターとの距離感が変わってきていることを感じているようだ。
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「確実に距離感は縮まっています。ユニフォームを送ってもらうにしてもJリーグのオフィスですし、送っていただいた方で住所を明記してくださっている方々には、確実に感謝状を送っています。そこでコミュニケーションが発生していますね。そういう面では距離感としては縮まっています」

「送っていただく時に、手紙を書いていただける方もいます。中には『前回も送らせていただきました』と書いてくれている方もいます。『今回でこれ以上送られるものがありません』というような方もいます(笑)。いずれにしても、複数回送ってくださる方たちが多くいらっしゃいます」

▽2011年当初は別の目的もあった中で企画されたユニフォーム寄付の活動だが、いつしかJリーグとファン・サポーターを繋ぐ架け橋になり、そして世界とJリーグ、世界とJリーグクラブのファン・サポーターの架け橋にもなっている。

「日本でサポーターの方たちが大事にしているユニフォームですが、タンスの中にしまわれているものもあります。それが場所を変えると子供の笑顔に繋がる。それはとても感じています。同じものですが、日本でしまっておくだけでなく、海外の子供たちに渡せばみんなが笑顔になれます」

▽ユニフォームを寄付することで、世界の子供たちを笑顔にさせていく。その一方で、Jリーグが世界に広がっていくキッカケにもなっているこの活動。山下氏が当初に思い描いていたもう1つの狙いも、活動を続けて行くことで広がりを見せはじめている。

「マーケティング的に狙っているということではないですが、例えば自分が小さい頃に海外の人と触れ合った記憶は今でも覚えているものです。現地の子供たちにとっては、よくわからない日本人が来たとなるでしょうが、ユニフォームをもらえてサッカーをしたことが心に残ってくれれば良いなと思います。また、これをきっかけに日本に行くという夢を持ってもらえればなと思います」

▽幼少期の感動体験というのは、誰しもが記憶のどこかにあるはずだ。そして、それはJリーグクラブのユニフォームをもらった子供たちも同じ。山下氏は、2017年の夏に知った、意外な事実を明かしてくれた。

「第1回でカンボジアに行った時にユニフォームを配り、今年の夏に私の知り合いがカンボジアを訪れました。そこで、18歳くらいの若者が水戸ホーリーホックのユニフォームを着ていたそうです。話しかけてみると、「昔、日本人からこのユニフォームをもらった。このマークのクラブ(水戸)のサッカーを観に行きたくて、お金を貯めているんだ」と言っていたと連絡をもらいました」

「多分、その日本人は僕ですね(笑)。数年前にカンボジアで、水戸のユニフォームを配っていた人はあまりいないでしょう。確証はないですが、僕が配って受け取ってくれた子じゃないかなと思っています。ユニフォームをもらったことがきっかけで、水戸の試合を観るために日本に行ってみたいと思ってくれている。そのために、今は運転手をしながらお金を貯めているようで、それを聞いた時は嬉しかったですね。そういうものがどんどん広がって行くと良いなと思っています」

▽Jリーグクラブのファン・サポーターを巻き込んでスタートした活動が、現地の子供たちに夢を与え、それが数年経っても色褪せるどころか、より大きな夢になっている現実。そして、Jリーグだけでなく各クラブが進めるアジア戦略の行動も、Jリーグを広めることに影響を及ぼしているようだ。

「今年はチャナティップ選手がタイから北海道コンサドーレ札幌に来て活躍しています。この前、スタッフがラオスに出張で行きましたが、ラオスでもチャナティップ選手のユニフォームを着ている方がいたようです。それも、札幌のユニフォームだったようで、そういう影響はタイだけでなく隣の国でも出ているんだなと感じています」
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▽Jリーグがファン・サポーターと協力して支援して行くこの活動。寄付したユニフォームの枚数も4,000枚を超え、寄付する国や地域も広がりを見せている。順調に進んでいると思われる活動だが、山下氏は課題を口にした。

「今は年に1回の活動ですが、そこがもう少しできるようになることですね。他にも、今は現地に行ってユニフォームを渡してサッカーをして終わりです。継続的に何かをすることができていないので、継続支援をしつつその回数を増やす。その両面をやっていけることが、本当は良いことだと思います」

▽2011年から始まり、7年間で7カ国に寄付されたユニフォーム。しかし、それでも足りないと考え、さらに活動を増やしていきたいと語ってくれた山下氏。目標についても明かしてくれた。

「リソースの部分もありますので、できるところを1つ1つ。最低限で言えば、今は4,200枚くらい配りましたが1万枚くらいはクラブのユニフォームが世界中の子供たちに届けられると良いなと思います」

▽1万枚という数字は、これまでの活動を考えればこの先数年で達成できる目標だろう。しかし、多くのユニフォームを世界各地の子供たちに届けることが、本来の目的ではないはずだ。Jリーグが積み重ねてきた魅力、ファン・サポーターとともに育んできたJリーグならではの文化が、アジアをはじめとした世界の人々に伝わることが目的だ。
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「色々なクラブのユニフォームが一カ所に集まると色とりどりです。今年はバヌアツにJリーグの女性スタッフも連れて行きましたが、『お花畑のようだ』と言っていました。本当に色とりどりで、ユニフォームを着た子供たちが遊んでいる姿を見ると、Jリーグが積み重ねて来たクラブが増えているという効果が、違った場所でも見られるなと思います。たくさんのクラブがあって、そのサポーターがこのような支援をしてくれる。それはJリーグが積み重ねて来たものに繋がるなと思います」

▽10チームからスタートしたJリーグは、開幕から25年が経過し、リーグが3つに増え、チーム数は「54」にまで増加した。リーグとしての規模が大きくなっただけでなく、リーグの成長に寄り添う形でファン・サポーターも大きく成長していることは、国際貢献に繋がる支援からも見てとれた。

▽最後に、2018年以降のユニフォーム寄付についてお尋ねした。

「正直に言えば、まだ決まっていません。これから支援する国などの相談をJICA(国際協力機構)にします」

「こういう活動を続けていると、他の色々なところから話をいただけるようになってきました。JICAとの活動を続けながらも、他にもJリーグとして“お役に立てることはないか”という可能性を探って行きたいと思います」

▽2018年の活動についても、そのうち発表があるはずだ。このコラムを読んでユニフォームを寄付したいと思われた方には、2018年の活動の際に、ぜひご協力いただければと思う。(了)

【Jリーグ公式チャンネル】バヌアツの子どもたちにJクラブのユニフォームを届けてきました!

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