ボヌッチ移籍でバランスが変わる?ブッフォン「セリエAは競争力のあるリーグに」
2017.07.29 13:34 Sat
ユベントスのイタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンは、大型補強を続けるミランとの対決を楽しみにしているようだ。イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』が報じた。
ミランは今夏、ユベントスからDFレオナルド・ボヌッチの電撃移籍を実現させ、ルーカス・ビリア、ハカン・チャルハノールとった実力者の獲得に成功するなど復権に向けて補強を続けている。
ブッフォンはボヌッチの移籍が大きな影響をもたらす可能性があるとして、新シーズンのタイトルレースについてこのように語っている。
「レオ(ボヌッチ)は新たな挑戦が必要だと感じ、ミランが彼の興味をそそったのだろう。ミランがライバルになるか? そう思うよ。競争力のあるリーグになることを楽しみにしている。セリエAは面白いリーグになるだろう」
また、ブッフォンはすでに今シーズン終了後のワールドカップを最後に現役を引退することを明言しており、「特別なシーズンになるけど、これまでやってきたのと同じようにユベントスで成功を繰り返したい」と意気込みを語った。
提供:goal.com
ミランは今夏、ユベントスからDFレオナルド・ボヌッチの電撃移籍を実現させ、ルーカス・ビリア、ハカン・チャルハノールとった実力者の獲得に成功するなど復権に向けて補強を続けている。
ブッフォンはボヌッチの移籍が大きな影響をもたらす可能性があるとして、新シーズンのタイトルレースについてこのように語っている。
「レオ(ボヌッチ)は新たな挑戦が必要だと感じ、ミランが彼の興味をそそったのだろう。ミランがライバルになるか? そう思うよ。競争力のあるリーグになることを楽しみにしている。セリエAは面白いリーグになるだろう」
また、ブッフォンはすでに今シーズン終了後のワールドカップを最後に現役を引退することを明言しており、「特別なシーズンになるけど、これまでやってきたのと同じようにユベントスで成功を繰り返したい」と意気込みを語った。
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日本人が目指すべきCB像、“希少なバロンドーラー“ファビオ・カンナバーロ
サッカー界においてなかなか評価がされないのが守備的な選手。勝利に貢献する派手なゴールを決める攻撃的な選手はわかりやすい活躍の指標が存在するが、なかなかディフェンダーは評価が得にくい。 もちろん、これまでのサッカー界で高く評価されたディフェンダーは多々いるが、世界年間最優秀選手に贈られる「バロンドール」では3人のみが受賞。元西ドイツ代表DFのフランツ・ベッケンバウアー氏と、元東ドイツ代表DFマティアス・ザマー氏、そして元イタリア代表DFファビオ・カンナバーロ氏の3人しかいない。 DFとして最後に受賞したのが2006年のカンナバーロ氏だが、ベッケンバウアー氏やザマー氏はリベロのポジションを務めており、中盤でのプレー機会も多かった選手たち。一方で、カンナバーロ氏は、純粋にセンターバックを務めており、DFとして最初の受賞者と言っても良い存在だ。 イタリア代表のキャプテンとしてドイツ・ワールドカップ(W杯)を優勝した功績が認められたカンナバーロ氏。現役時代のキャリアで多くのタイトルを獲得しているが、縁がなかったのがチャンピオンズリーグ(CL)だ。 <span class="paragraph-title">◆記録よりも記憶に残るプレーヤー</span> 現役時代はナポリでキャリアをスタートさせたカンナバーロだが、クラブの財政難により放出。パルマへと移籍する。 このパルマでは、GKジャンルイジ・ブッフォンやDFリリアン・テュラムらと強固な守備陣を形成。“ミラクル・パルマ“とも呼ばれ、カンナバーロも2度のコッパ・イタリア優勝や、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)での優勝を経験した。 中田英寿ともチームメイトとしてプレーした中、セリエAのスクデット獲得には至らずに2002年8月にインテルへと移籍。しかし、インテルでは監督との確執もあり出番が減り、2004年8月にユベントスへと完全移籍する。 すると、パルマ時代の同僚であったブッフォンとテュラムと再びチームメイトに。2004-05シーズンに見事スクデットを獲得する。しかし、このスクデットは2006年に発覚したカルチョ・スキャンダルといわれた一連の八百長事件の影響で剥奪に。結果、カンナバーロはスクデットも獲得していないこととなった。 チームはセリエBに降格処分となり、カンナバーロはレアル・マドリーへと完全移籍。そこでも本領を発揮すると、難しい中で行われたドイツW杯で優勝。前述のバロンドールも受賞することとなると、FIFA年間最優秀選手賞も受賞した。 マドリーではラ・リーガ連覇を果たすなどしたが、再びユベントスに復帰。その後は、アジアでプレーし引退した。 ビッグクラブに在籍を続けていたカンナバーロだったが、実はタイトル獲得数は多くない。クラブキャリアではわずか7個。そこにW杯が加わり8つと、イメージよりは少ないのではないだろうか。 <span class="paragraph-title">◆縁がないチャンピオンズリーグ優勝</span> そのカンナバーロだが、ことCLとなるとより縁遠くなる。インテル移籍後は毎シーズン出場はしていたが、チームとしての成績は良くなく、最高がベスト4止まりだった。 今でこそ、マドリーやユベントスはタイトルを多く獲得し、マドリーは近年CLを何度も制しているが、ちょうど“銀河系“を形成していたカンナバーロが在籍していた時代は過渡期。2000年から2010年まではラ・リーガも4度の優勝に留まっており、CLも2001-02シーズンを最後に11年間獲れなかった。 最もビッグイヤーに近づいたのは、インテル在籍時の2002-03シーズン。準決勝に駒を進めると、決勝進出を懸けた相手はライバルのミラン。2試合とも引き分けに終わったが、アウェイゴール差で僅かに敗れて敗退した。 その後は、ユベントス時代に2度ベスト8、マドリー時代に2度ベスト16まで勝ち上がっているが、それ以上は進めず。ビッグイヤーを掲げていないどころか、決勝の舞台にすら立ったことがなく、最も意外な選手の1人と言っても良い。 <span class="paragraph-title">◆タイトルは少なくとも才能は抜群</span> 目に見えたタイトルというものにはあまり恵まれていないキャリアのカンナバーロ。そのため、ワールドカップの優勝とバロンドール受賞が輝いて見える。 ただ、ピッチ上で見せるパフォーマンスの評価、そして持ち合わせた才能は世界屈指と言われている。 なんといっても、センターバックとしては身長175cmと小柄。体格に勝るヨーロッパではもちろんのこと、日本で考えても175cmのセンターバックはあまりいないタイプだ。 しかし、持って生まれた強靭な肉体が身長のハンデを埋めることに。まず一対一の守備力が抜きん出ており、相手との競り合いに負けないほか、身長を補う高いジャンプ力を武器としていた。 どんなストライカー相手でも、空中でも地上でも抜かせないという守備力は一級品だが、カンナバーロの真骨頂は守備をする前のパフォーマンスだ。 最も優れているとされたのがポジショニング。相手との競り合いに負けないフィジカルも素晴らしいが、相手よりも優位なポジションを先読みして取ることで、そもそも勝負の前に勝っているのだ。 一対一の勝負もさることながら、簡単にボールを奪い切る能力は抜きん出ている。 そしてもう1つが抜きん出た統率力。センターバックとして周りの選手にコーチングして相手を追い込んだり、優位なポジションを取ったりすることができる。これは、「カテナチオ」と言われるイタリアの堅い守備には欠かせず、ドイツW杯を制した際にもこの点は非常に評価された。チームのパフォーマンスを引っ張り上げる彼の力は、タイトルの数に関係なく、最後まで高く評価され続けた。 日本人と変わらない体格で世界と渡り合ったカンナバーロ。お手本とすべき選手の1人とも言えるだろう。 <div id="cws_ad"><hr>イタリア代表で活躍し、“カテナチオ“戦術の中心としても活躍したファビオ・カンナバーロが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href=“https://ryan.onelink.me/C7cD/awagt0va” target=“_blank”><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20220713.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> <span class="paragraph-title">【動画】相手を封殺!カンナバーロの闘志溢れるユベントス時代のディフェンス集</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJsdGt2Y1FHSiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> <div id=“cws_ad”><hr>イタリア代表で活躍し、“カテナチオ“戦術の中心としても活躍したファビオ・カンナバーロが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href=“https://ryan.onelink.me/C7cD/awagt0va” target=“_blank”><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20220713.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> 2022.07.13 21:30 Wed3
「ゾーン」に名を残すカルチョの“ファンタジスタ”、デル・ピエロ
類稀な才能を持つ一部の人間が超一流という言葉で表されるが、その中でも自分の名前を用いて、場所を表現される選手はほとんどいない。 今でこそ「5レーン理論」が浸透し、戦術論が日々語られるが、そのレーンに名前を持つレジェンドがいる。それが、元イタリア代表FWのアレッサンドロ・デル・ピエロだ。 「5レーン理論」で言う所の「左のハーフスペース」、ゴールに向かって縦に5分割した時の、左から2つ目のレーンのことだ。ボックス内のこのゾーンは「デル・ピエロ・ゾーン」と呼ばれ、左斜め45度はデル・ピエロの聖域だった。 華やかなキャリアを築くデル・ピエロも、スタートは2部リーグ。セリエBのパドヴァでプロキャリアをスタートさせる。1992年3月、デル・ピエロが17歳の時にセリエBでデビュー。翌シーズンもパドヴァで過ごすと、1993年夏にユベントスへと移籍した。 後にイタリア代表監督にもなるジョバンニ・トラパットーニ監督に見初められたデル・ピエロだったが、当初はプリマヴェーラでプレー。しかし、そのプリマヴェーラでチームにタイトルをもたらせる活躍を見せると、9月にはセリエAでデビューを果たす。 デビュー翌週には初ゴールを記録すると、シーズン中にはハットトリックも達成。1年目からまずまずのインパクトを残すと、翌シーズンに転機が訪れることとなる。 <span class="paragraph-title">◆ファンタジスタの後継者に</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/sega20210428delpiero_2_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 当時のユベントスには、イタリアを代表する“ファンタジスタ"のロベルト・バッジョが所属していた。イタリア代表としても活躍するバッジョだったが、1994年のアメリカ・ワールドカップでは、チームを決勝に導く活躍を見せたが、決勝では史上初のPK戦にもつれ込み、バッジョの失敗でブラジルに優勝を譲ることとなっていた。 そのバッジョは、W杯の影響もあり精彩を欠くことになり、そこで輝き放ったのがデル・ピエロだった。ユベントス2年目のシーズンは公式戦50試合に出場し11ゴールを記録。チームはスクデットを獲得するも、UEFAカップ(現在のヨーロッパリーグ)ではファイナリストになるもパルマに敗れて準優勝に終わっていた。 バッジョに代わってファンの心を掴んだデル・ピエロだが、押し出される形で1995-96シーズンからバッジョがミランへと移籍。そのため、背番号「10」をデル・ピエロが受け継ぎ、チームの中心的存在に。すると、そのシーズンは公式戦43試合に出場し13ゴール2アシストを記録。チャンピオンズリーグではグループステージで5試合連続ゴールを記録するなどし、ビッグイヤー獲得に貢献した。 <span class="paragraph-title">◆チャンスメイクと得点力を兼ね備える</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/sega20210428delpiero_3_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> その後もジネディーヌ・ジダンやフィリッポ・インザーギなど、代表クラスのスター選手が加わっても、チームの中心選手として活躍。1998年には左ヒザ十字じん帯断裂の重傷を負うも、その後に復活し、キャリアを通してケガをすることは増えたが、復活を続け、チームのレジェンドになっていった。 話を元に戻せば、「デル・ピエロ・ゾーン」と呼ばれる左斜め45度のゾーンからのシュートは、誰にも真似できないものとして高く評価される。そして、その武器があったことも、デル・ピエロがクラブの中心であり続け、レジェンドになったと言えるだろう。 「デル・ピエロ・ゾーン」と名前がつくだけあり、そこからシュートを打てば必ず入るというイメージが持たれるほどのもの。対峙するDFは、そのゾーンにいかにデル・ピエロを入れないことを目指して守っていた。 一方で、セカンドストライカーやトップ下のイメージもあるデル・ピエロは、自身のゴールだけではなく、チャンスメイクでも秀でた才能を発揮。イタリア代表でもコンビを組んだFWフィリッポ・インザーギとのコンビは「デル・ピッポ」と呼ばれ、多くのチームが手を焼いた。後に2人はライバルとなり、デル・ピエロのライバルは“ローマの王子様”ことフランチェスコ・トッティに変わっていった。 <span class="paragraph-title">◆“ピントゥリッキオ”と呼ばれた才能</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/sega20210428delpiero_4_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> やはり元はストライカーであり、自分の形を持っていたからこそ、多くのゴールを記録。ユベントスでは705試合に出場し290ゴールを記録。アシストも91を数えた。 そのキック精度はセットプレーでも遺憾無く発揮され、多くのものを魅了。直接FKでゴールを奪うこともあれば、味方に合わせる精度の高いキックも見せた。 クラブはカルチョ・スキャンダルもあり、セリエBに強制降格。しかし、デル・ピエロは真っ先に残留を決めると、ジャンルイジ・ブッフォンらが追随。デル・ピエロはセリエBで得点王に輝くとチームは1年で復帰。そしてキャリア晩年に当たる2007-08シーズンには、復帰したセリエAで21ゴールを決めて得点王に初めて輝くほど、大きな衰えは見せなかった。 初めてユベントスに加入した際に、ルネサンス時代のイタリアの画家であるピントゥリッキオにちなんだニックネームを当時の会長につけられた。ピントゥリッキオの作品は繊細で非常に芸術性の高いものだったが、デル・ピエロのプレーも同様。美しさと繊細さを兼ね備え、時には力強いゴール、時には目を奪うような美しいプレーを見せ続けていた。 <div id="cws_ad"><hr>ユベントスやイタリア代表として多くのゴールを奪い、美しいプレーで人々を魅了したアレッサンドロ・デル・ピエロが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>名コンビを組んだフィリッポ・インザーギらも同時に登場しており、当時のコンビネーションを実現させるのも楽しめるポイントだ。『サカつくRTW』でピントゥリッキオのゴールを観たい方は是非一度チェックしよう。</div> <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/4c7a9075" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20210428.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> <span class="paragraph-title">【動画】これぞ「デル・ピエロゾーン」の真骨頂! 2人を間をすり抜け蹴り込む</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJ6UlFZOHlLeSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> ユベントスやイタリア代表として多くのゴールを奪い、美しいプレーで人々を魅了したアレッサンドロ・デル・ピエロが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場! 名コンビを組んだフィリッポ・インザーギらも同時に登場しており、当時のコンビネーションを実現させるのも楽しめるポイントだ。『サカつくRTW』でピントゥリッキオのゴールを観たい方は是非一度チェックしよう。 <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/4c7a9075" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20210428.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2021.04.30 10:45 Fri4
パルマがブッフォン在籍時を彷彿とさせるGKユニフォームを発表!20年ぶりに着用へ
パルマは22日、2021-22シーズンのGKユニフォームを発表した。 20年ぶりに元イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォン(43)が復帰したパルマ。22日に入団セレモニーが行われ、同時にGKユニフォームも発表となった。 ブッフォンやDFファビオ・カンナバーロ、DFリリアン・テュラム、MFフアン・セバスチャン・ベロン、FWエルナン・クレスポらを擁し、コッパ・イタリアとUEFAカップの2冠を達成した1998-99シーズンから着想を得たユニフォームは、当時同様に赤と青のボーダーでデザインされている。 サプライヤーは、1998-99シーズンはロットであったが、2005-06シーズンからはエレアが務めている。 なお、公式ストア上では、ブッフォンの背番号は「1」になっている。今シーズンは守護神のイタリア人GKルイージ・セペが担っていたが、背番号変更があるかもしれない。 20年ぶりのレジェンドの帰還に沸くパルマ。ブッフォンとともに1年でのセリエA復帰を目指す。 <span class="paragraph-title">【写真】パルマの2021-22シーズンGKユニフォームと1998-99シーズンのブッフォン</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="und" dir="ltr"> <a href="https://twitter.com/hashtag/W%E1%B4%80%CA%9F%CA%9F%E1%B4%98%E1%B4%80%E1%B4%98%E1%B4%87%CA%80W%E1%B4%87%E1%B4%85%C9%B4%E1%B4%87s%E1%B4%85%E1%B4%80%CA%8F?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#WᴀʟʟᴘᴀᴘᴇʀWᴇᴅɴᴇsᴅᴀʏ</a> <a href="https://twitter.com/gianluigibuffon?ref_src=twsrc%5Etfw">@gianluigibuffon</a> | <a href="https://twitter.com/hashtag/SupermanReturns?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#SupermanReturns</a> <a href="https://t.co/zFtkMyjnQK">pic.twitter.com/zFtkMyjnQK</a></p>— Parma Calcio 1913 (@1913parmacalcio) <a href="https://twitter.com/1913parmacalcio/status/1407609426933174272?ref_src=twsrc%5Etfw">June 23, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/GettyImages-1552317.jpg" style="max-width:100%;"></div> 2021.06.24 07:35 Thu5
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マルディーニ氏の27歳長男が現役引退へ...ミランやセリエAでのプレー叶わずもセカンドキャリアは…
ミランのレジェンド、パオロ・マルディーニ氏の長男が現役引退を決断したようだ。イタリア『カルチョメルカート』が伝えている。 ミランのクラブ史における最大のバンディエラと言っても過言ではないマルディーニ氏。クラブキャリア全てをミランに捧げ、史上最高の左サイドバックとも称された男は、今夏まで古巣でテクニカル・ディレクター(SD)を務めていた。 そんなマルディーニ氏には2人の息子がおり、どちらも父に続いてサッカー選手に。次男はミランからエンポリへ武者修行中の元U-20イタリア代表FWダニエル・マルディーニで、長男が現在無所属のDFクリスティアン・マルディーニ(27)だ。 まだ21歳の次男ダニエルが偉大な父に追いつけ追い越せと言わんばかりに逞しくセリエAで奮闘する一方、長男クリスティアンはミランの下部組織を退団後、セリエCやセリエDでのキャリアが中心となり、一時はマルタでのプレーも経験した。 現在に至るまでセリエAへのステップアップが叶っていないなか、昨シーズンはセリエCのレッコに所属も1年で契約が切れて現在は無所属。イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』によると、クリスティアンは現役引退を決断したという。 セカンドキャリアは代理人業。イタリアの著名なエージェントであり、イタリア代表のMFサンドロ・トナーリ(ニューカッスル)やMFダビデ・フラッテージ(インテル)、MFブライアン・クリスタンテ(ローマ)、また弟ダニエルなども顧客に持つジュゼッペ・リソ氏の下で働き始めるとのことだ。 祖父のチェーザレ・マルディーニ氏、そして父であるパオロ・マルディーニ氏...先代2人のように偉大なキャリアを築けなかったクリスティアン・マルディーニだが、いつの日かカルチョに大きな影響力を持つ大物代理人となる日が来るかもしれない。 2023.09.13 15:01 Wed2
シティとミランが対戦、遺恨を残したペップから声をかけられたイブラヒモビッチは...
ズラタン・イブラヒモビッチ氏が、ジョゼップ・グアルディオラ監督に対して気まずそうな態度をとった。ドイツ『ビルト』が伝える。 イブラヒモビッチとペップ・グアルディオラ。 両者は2009-10シーズン、バルセロナのトップチームで共闘することになり、当時インテルからサミュエル・エトー氏との実質トレードで加入したイブラ氏は、ペップ・バルサ2年目の最前線でスタメン起用され始めた。 しかし、序盤戦のゴール量産から次第にコンディションを落とし、グアルディオラ監督はイブラ氏のベンチスタートを増やすことに。 結局、加入から1年でミランにレンタル放出され、さらにその1年後に完全移籍移行。 現在に至る「ミランの王・イブラヒモビッチ」が生まれることとなったが、イブラ氏はグアルディオラ監督に対する恨み辛みを、のちに余すことなく、何度も口にしている。 「グアルディオラは幼稚なコーチ…話しかけられることなどないし、見ようともしない…俺を見るなり逃げ失せるような男だ…」 時は流れて2024年夏、7月28日。 イブラ氏がシニアアドバイザーを務めるミランと、グアルディオラ監督率いるマンチェスター・シティが、米国でのプレシーズンマッチにて対戦。ミランが3-2と勝利した。 グアルディオラ監督から立ち寄る形で試合前に顔を合わせた両者。イブラ氏が作った笑顔はどう見てもよそよそしく、握手とハグもそこそこに、ペップの話しかけにも目線を合わせるのがしんどかったような印象が。 おそらくグアルディオラ監督のほうは、過去の確執をそこまで気にするタイプではないが、イブラ氏の「気まずい…」という表情は本当に印象的。 1年限りとなったバルセロナでの共闘から14年、イブラ氏は当時のグアルディオラ監督の年齢(38〜39歳)を超え、今や自身もチームを監督する側の立場。TVカメラも近づいてきたなか、大人の対応をした格好か。 <span class="paragraph-title">【動画】ペップに声をかけられ、この上なく気まずそうなイブラヒモビッチ</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="in" dir="ltr">Ibrahimovic tampak menghindari kontak mata dan Guardiola pun coba bersikap 'senormal' mungkin. Para fans sepakbola menilai, Zlatan Ibrahimovic tampak masih tidak menyukai Pep Guardiola <br><br>Ibrahimovic pernah terang-terangan menulis Guardiola sebagai pelatih yang tidak punya… <a href="https://t.co/skUHPxR4Wv">pic.twitter.com/skUHPxR4Wv</a></p>— detiksport (@detiksport) <a href="https://twitter.com/detiksport/status/1819330955708190859?ref_src=twsrc%5Etfw">August 2, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.08.02 20:35 Fri3
「サッカーが大嫌いだった」偉大な父を持つ18歳M・イブラヒモビッチ、父ズラタンとの比較は「嫌だった」
ミラン・フトゥーロのU-18スウェーデン代表FWマキシミリアン・イブラヒモビッチが自らのキャリアについて語った。スウェーデン『Aftonbladet』が伝えた。 現在はミランのシニアアドバイザーを務めるズラタン・イブラヒモビッチ氏の息子、マキシミリアン。7月にはミランとプロ契約を交わし、下部組織で父と同じプロサッカー選手の道を歩み始めている。 主に左ウイングとしてプレーする18歳は、プリマヴェーラ1でここまで7試合4ゴールと好発進のシーズンに。10月にはU-18スウェーデン代表に初招集された。 マキシミリアンは代表活動中に取材に応じると、9歳から始まったサッカーキャリアを回想。父親が所属したパリ・サンジェルマン(PSG)、マンチェスター・ユナイテッド、ロサンゼルス・ギャラクシー(LAギャラクシー)のアカデミーを渡り歩くと、その後は母国スウェーデンのハンマルビーでプレーし、2022年8月にミランへ行き着いた。 「どこの国でも良い思い出があるけれど、ミランが一番居心地の良い場所だった」 「始めたのは9歳の時でかなり遅かった。パリの地元クラブで」 「でも(サッカーに)一目惚れしたからじゃない。その逆だ。11歳くらいまではサッカーが大嫌いだった。最悪だった。すべてが間違っていて嫌だった。父と比較されるのも嫌だった」 「でもある日、サッカーへの愛に目覚めた。突然ピンと来たんだ」 また、昔は嫌だったという父との比較についてさらにコメント。今では自分の道を見つけているようだ。 「比較については考えない。僕は僕だし、彼は彼だ。同じポジションをプレーしているわけでもないから、比べることはあまりない」 好きな選手はブラジル代表FWネイマール、先輩のポルトガル代表FWラファエル・レオン、ミランにも所属した元ブラジル代表FWロナウジーニョ氏だとも明かしたマキシミリアン。ともに練習したことがあるレオンについては「初めて彼を見た時、まるでお菓子屋さんにいる気分だった」というが、「今はむしろ競争相手として見ている」と頼もしいコメントも残した。 <span class="paragraph-title">【動画】U-18代表入り! 取材に応じるマキシミリアン</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="vuIK6ScqWUg";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.10.17 15:50 Thu4
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.5 “グランデ・ミラン”CL制覇、セリエA3連覇達成/ミラン[1993-94]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.5</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">1993-94シーズン/ミラン 〜グランデ・ミラン〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/1993-94milan.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ファビオ・カペッロ(47) 獲得タイトル:チャンピオンズリーグ、セリエA 攻撃力6:★★★★★★☆☆☆☆ 守備力10:★★★★★★★★★★ タレント8:★★★★★★★★☆☆ 連係9:★★★★★★★★★☆ 選手層8:★★★★★★★★☆☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">CL制覇、セリエA3連覇達成</div> サッキが退任後、1991年にミランの監督に就任したカペッロは、バレージやマルディーニ、コスタクルタら守備能力の高いDFを生かしたソリッドなスタイルで、1年目からセリエA初となる無敗優勝を達成。さらに翌年もセリエAを制し、CLの決勝にも進出したミランは、1993―94シーズンに3連覇の偉業を成し遂げた。このシーズンの得点数は、わずか36得点。優勝クラブとしては、過去類を見ない少なさだった。しかし、失点数はわずか15という特筆ものの数字だった。抜群の勝負強さを発揮する当時のミランは、“グランデ・ミラン”と称され、まさに黄金期を迎えていた。 1993-94シーズンのハイライトは、何といってもCL決勝だった。相手はクライフの下で、ミランと同じく黄金期を迎えていたバルセロナ。下馬評では、ロマーリオやストイチコフ、クーマンらを擁するバルセロナが圧倒的有利との見方が大勢を占めたが、フタを開けてみればミランが4-0で圧勝した。ミランは序盤から、お家芸となっていたハイプレスを敢行し、デサイーを中心に中盤で主導権を掌握。マッサーロの2ゴールでリードして試合を折り返すと、後半開始直後にはサビチェビッチの鮮やかなループシュートで加点した。そして、終盤にはデサイーにもゴールが生まれ、“ドリームチーム”を見事に粉砕してみせた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">鉄壁の守備陣</div> このシーズンのミランは、それまでチームを支えてきたオランダ・トリオが崩壊していた。ライカールトとフリットがクラブを去り、ファン・バステンも慢性的な負傷でコンディションが整わず。チームは転換期を迎えていた。そのなかでも、セリエAとCLを制覇できたのは、バレージとマルディーニ、コスタクルタ、タソッティというサッキ時代から不変のバックラインを擁していたからだ。パヌッチとガッリという優秀な選手もベンチに控えており、まさに隙のない守備陣だった。 守備に関して言えば、デサイーとアルベルティーニというセントラルMF2選手も効いていた。そして、前線にはテクニシャンのボバンとサビチェビッチが並んだ。チームはファン・バステンとフリットという得点源を補うようなストライカーが不在だったが、全体のバランスが良いチームだった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">FWデヤン・サビチェビッチ(28)</span> イタリア語で天才を意味する“ジェニオ”のニックネームを持つモンテネグロ人アタッカー。ミランに加入した1992―93シーズンは、ファン・バステンやフリットの高い壁に苦しんだが、カペッロ就任後はチームにとって欠かせない存在となった。とりわけ、1993-94シーズンのCL決勝の活躍は印象的。前半22分に右サイドのドリブル突破からマッサーロの先制弾をアシストすると、後半2分には巧みな仕掛けから見事なループシュートを決めて、タイトル獲得に大きく貢献した。一方、ユーゴスラビア代表(当時)としては、内戦などの影響で全盛期に国際舞台への出場が叶わず、晩年に1998年フランスW杯に出場するにとどまった。 2019.04.05 22:00 Fri5
