【東本貢司のFCUK!】ファン・ハール、怒りの会見
2015.12.24 16:06 Thu
▽「ジミー・ヒル」と「ドン・ハウ」―――イングリッシュフットボール史有数のレジェンド、というよりも、少なくとも40代までの現地ファンなら知らぬ者の無い著名人2名が相次いで亡くなった。ごく手短に二人のプロフィールをまとめると、ジミー・ヒルはプレーヤー(指折りのストライカー)、監督(コヴェントリー)、著名TV解説者、そして何よりもプレーヤーズ協会の重鎮としてなど、多岐にわたりおよそ半世紀以上、ときには物議をかもしながらも“業界”発展に尽くしてきた功労者。ドン・ハウはウェスト・ブロム、アーセナル、代表の名SBとして鳴らし、特に1971年のアーセナルのダブル(リーグ/FAカップ)では誰しもが認める“陰”の最高殊勲キーマンとして貢献。指導者に転じてからも、リネカーらが「史上最高のコーチ」と讃えたほどの手腕で知られ、ボビー・ロブソン、テリー・ヴェナブルズの懐刀として、歴代代表プレーヤーの信頼と畏怖を勝ち取った。
▽歯に衣着せぬ言動がトレードマークの論客、つまり稀代の“うるさがた”だったヒルと、普段は寡黙だが一度キレると鬼軍曹と化す“鉄拳指導者”ハウ。二人がそれぞれの道を闊歩し切り開いていた時代は、イングランドが最もイングランドらしかった―――つまりは、良くも悪くもありのままのイングリッシュフットボールが輝いていた時代だったと言えるだろう。当時はいうまでもなく、UK圏以外の異邦のプレーヤーなど数えるほどしか見当たらず、ましてや外国人監督など皆無に等しかった。ところが、新世紀の声を聞いてからまだほんの20年足らずの今、その比率はものの見事に逆転してしまっている。そうなった要因、因果をここで蒸し返す必要もないのだが、さて、この年の瀬を襲ったヒルとハウの死に、一つの啓示を感じて黄昏てしまうのは筆者だけだろうか。時は変わり、ひた走る。ブラッター、プラティニの退場がほぼ確定模様なのも、その感をさらに強くする。だが、その変化の、変化を期待する“サイクル”たるや、あまりに短かすぎないか。例えば・・・・。
▽水曜日(23日)、定例の記者会見に臨んだユナイテッド監督、ファン・ハールは、三つの質問にそそくさに答えた後、捨て台詞めいた言葉を残して会見場を立ち去った。その間、わずか「4分58秒」。のっけに投げられた質問、それは・・・・「あなたの立場が危ういという声に、ヴェンゲルが先ほど『無礼ではないか』と述べたことをどう思うか」。ファン・ハールの返答は「誰か、この部屋の中に、わたしに謝罪する気のある人はいるか? いない? それがまず信じられない」。返された記者からの第二の質問:「我々が何か間違ったことをしたとでも?」! これが「言論の自由」の一つの悪しき実態である。何も「自由」を許せないと言うのではない。しかし、いきなり「ヴェンゲルの(ファン・ハールを気遣う)コメント」を引き合いに出し、本人に意見を求めるという挑発(これ自体も無礼だ)をしておいて「何が悪い」と開き直られては、どんなに鷹揚な人物でもまともに応対する気にはなれないだろう。モウリーニョ解任ですら「疑問」の声が大きいというのに!
▽ビッグクラブ周辺で解任劇が相次げば、確かに“美味しい”ネタになる。折しも、モウリーニョ解任直後に、バイエルンのグアルディオラが「今季限り」を表明、その行方に注目が集まっている状況もある。メディアはすでに、マン・シティー、チェルシーに、ユナイテッドとアーセナルまで巻き込んだ「新・監督交代ローテーション」のあざとい図式を描いている。そこまではいい。「言論の自由」の範囲内だとしておこう。しかし、その「変化の実現性」を、まさにその渦中の人物に意地悪く問いただすような質問のぶつけ方は、明らかに礼を失している。そもそも、この会見の主眼は週末のストーク戦についてのものなのである。百歩譲って、この記者がファン・ハールの“気骨”を試してやろうとしたのだとしても、ならば「失礼ながら、ずばりお聞きしたい。辞任の二文字が頭をよぎったことは? さもなくば、状況打開のプランがあれば是非お聞かせ願いたい」辺りが筋だろうに。多分、サー・アレックスなら自分のことのように烈火のごとく怒り狂ったに違いない。
▽もっとも、以上の経緯を記事にしただけでもトップニューズになる価値は十分。実際にそうなったし、「ファン・ハールは気が短い」「ファン・ハールは熱い男だ。彼と同じくらい、(ユナイテッドの)プレーヤーたちが熱くなればいいのだが」などと、識者も含めた“感想”が引き出されている。そう、「挑発」は彼らの手、常套手段なのだ。そこから何が飛び出すかに期待し、議論とその波紋を誘発する。その騒ぎの先に何が起きようと知ったことではない。某主要メディアの論説主幹はいみじくもこう述べた。「メディアが(ファン・ハールに)謝罪する筋がいったいどこにある? (ユナイテッドの)不振の責任が我々にあるわけじゃあるまいし」!“すり替え”などはお手の物。もっと気の利いた返しが出来ない方が悪い、とでも言わんばかりに。ふと思った。どこかの国のメディアも、政治絡みの事象に対して、このくらいの“知的レトリック”を利かせられないのかな、と。いずれにせよ、この一件からユナイテッド猛反発の反攻が始まり、最後の最後まで息詰まるタイトル争いが繰り広げられれば、それはそれで(メディアとしても)めでたし、めでたし?
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】
1953年大阪府生まれ
青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
▽歯に衣着せぬ言動がトレードマークの論客、つまり稀代の“うるさがた”だったヒルと、普段は寡黙だが一度キレると鬼軍曹と化す“鉄拳指導者”ハウ。二人がそれぞれの道を闊歩し切り開いていた時代は、イングランドが最もイングランドらしかった―――つまりは、良くも悪くもありのままのイングリッシュフットボールが輝いていた時代だったと言えるだろう。当時はいうまでもなく、UK圏以外の異邦のプレーヤーなど数えるほどしか見当たらず、ましてや外国人監督など皆無に等しかった。ところが、新世紀の声を聞いてからまだほんの20年足らずの今、その比率はものの見事に逆転してしまっている。そうなった要因、因果をここで蒸し返す必要もないのだが、さて、この年の瀬を襲ったヒルとハウの死に、一つの啓示を感じて黄昏てしまうのは筆者だけだろうか。時は変わり、ひた走る。ブラッター、プラティニの退場がほぼ確定模様なのも、その感をさらに強くする。だが、その変化の、変化を期待する“サイクル”たるや、あまりに短かすぎないか。例えば・・・・。
▽水曜日(23日)、定例の記者会見に臨んだユナイテッド監督、ファン・ハールは、三つの質問にそそくさに答えた後、捨て台詞めいた言葉を残して会見場を立ち去った。その間、わずか「4分58秒」。のっけに投げられた質問、それは・・・・「あなたの立場が危ういという声に、ヴェンゲルが先ほど『無礼ではないか』と述べたことをどう思うか」。ファン・ハールの返答は「誰か、この部屋の中に、わたしに謝罪する気のある人はいるか? いない? それがまず信じられない」。返された記者からの第二の質問:「我々が何か間違ったことをしたとでも?」! これが「言論の自由」の一つの悪しき実態である。何も「自由」を許せないと言うのではない。しかし、いきなり「ヴェンゲルの(ファン・ハールを気遣う)コメント」を引き合いに出し、本人に意見を求めるという挑発(これ自体も無礼だ)をしておいて「何が悪い」と開き直られては、どんなに鷹揚な人物でもまともに応対する気にはなれないだろう。モウリーニョ解任ですら「疑問」の声が大きいというのに!
▽もっとも、以上の経緯を記事にしただけでもトップニューズになる価値は十分。実際にそうなったし、「ファン・ハールは気が短い」「ファン・ハールは熱い男だ。彼と同じくらい、(ユナイテッドの)プレーヤーたちが熱くなればいいのだが」などと、識者も含めた“感想”が引き出されている。そう、「挑発」は彼らの手、常套手段なのだ。そこから何が飛び出すかに期待し、議論とその波紋を誘発する。その騒ぎの先に何が起きようと知ったことではない。某主要メディアの論説主幹はいみじくもこう述べた。「メディアが(ファン・ハールに)謝罪する筋がいったいどこにある? (ユナイテッドの)不振の責任が我々にあるわけじゃあるまいし」!“すり替え”などはお手の物。もっと気の利いた返しが出来ない方が悪い、とでも言わんばかりに。ふと思った。どこかの国のメディアも、政治絡みの事象に対して、このくらいの“知的レトリック”を利かせられないのかな、と。いずれにせよ、この一件からユナイテッド猛反発の反攻が始まり、最後の最後まで息詰まるタイトル争いが繰り広げられれば、それはそれで(メディアとしても)めでたし、めでたし?
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】
1953年大阪府生まれ
青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
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