【東本貢司のFCUK!】メモリアルマッチの失意
2015.11.26 13:30 Thu
▽つい先ほど、往年の大女優、原節子の訃報(死去は9月)を目にしてふと、高倉健のことを思い出した。個人的に特別な縁も関わり合いもないのに、妙に悄然としてため息を吐いてしまうのは、急に肌身にしみる冷え込みと、それにもまして気を滅入らせる、しと降る雨のせいかもしれない。ジョージ・ベストの死はきっかり10年前の、2005年11月25日に訪れた。夕闇迫るオールド・トラッフォードのスタンドでは、チャンピオンズリーグ・対PSVアイントホーヘェンの一戦が始まった「7分後」、ファンのほぼ全員がライトアップしたスマートフォンを振りかざすという、粋な追悼パフォーマンスが見られた。ベストについてはこれまで数え切れないほど機会を得て語ってきたつもりだが、彼ほど「スター」という称号が似合うフットボーラーはとんと思いつかない。故に愛された。良くも悪くも。
▽あえてその一部を圧縮して振り返ってみるにつけ、今更ながらに次元の違いを確認せざるを得ない。紛うことなき天賦の才能、無類のわがまま、シニカルで茶目っ気たっぷりな傍若無人ぶり、ダークでそれでいて太陽のようなペルソナ。これらをすべて併せ持つアスリートがいたこと自体、奇跡に近い。ただ「上手い、凄い」だけでは語りようもない、規格外の個性なのだ。栄光のユナイテッドにてほぼきっかり10年、その後世界を股にかけた流浪の10年、ベストならではの孤高の「光」そして「毒」は、常に表裏一体だったような気がする。一つ、追加しておくなら、ベストの全盛期、故国北アイルランドはかつてない暗黒の時代に喘いでいた。ポール・マッカートニーの『Give Ireland Back to the Irish』が放送禁止処分になった頃、と言えばわかるだろう。そして、ちょうどその同じ頃、筆者はかの国で寄食していた。そのためか、まるでベストに関するありとあらゆる事が身近にあった錯覚にとらわれたりもする。『あしたのジョー』の喧騒など筆者にはまるで無縁だ。
▽だが、ジョージ・ベスト没10年のメモリアルマッチを、ユナイテッドは不意にした。汚したとは言わない。気の入った様子が感じられなかった。まさか、ベストへの思いに気もそぞろだったわけでもあるまいに。言わば、ファン・ハール到来以後のユナイテッドによく顔を出す“とりとめの無さ”。アタックラインの4人、ルーニー、マーシアル、デパイ、リンガードが皆それぞれ、立ち位置のぎこちなさを露呈する。チェルシー時代の、ティンカーマンと揶揄されるほど布陣を“いじり捲った”ラニエリの方がむしろ“理に適って”いたように思うほどだ。そのラニエリは今、ヴァーディー、マーレズ、オルブライトンにドリンクウォーターと、まさに“水”を得たような不動のカルテットに恵まれて、いじりたくてもいじりようがない! それを思うにつけ、ファン・ハールはいまだ“実験室”に閉じこもっているかのよう。ディ・マリアの失敗は教訓どころかもはや記憶にもない?
▽いずれにせよ、ユナイテッドのグループ突破は、最終・アウェイの首位ヴォルフスブルク戦に勝つのみとなってしまった。3位PSVはホームで最下位確定のCSKA戦。ワーゲンのお膝元でユナイテッドがまたも不発に終わろうものなら、あっさり逆転の憂き目に。首の皮一枚でつながったアーセナルも厳しい状況に変わりはない。ホームのオリンピアコスを舐めたら怪我をする。下手をすると、それがプレミア優勝レースにも悪影響を及ぼしかねない。12月はいわゆる「フェスティヴ(お祭り)期間」。つまり、一年で最もスケジュールが過密する時期なのだ。ここにきてまたぞろ故障者が続発しているチーム事情はなんとも危なっかしい。例えば、エジルが絶好調でもラムジーがいないとどうしても攻撃が散発気味になる。ウェスト・ブロムによもやの敗戦を喫した反動でディナモ・ザグレブに快勝、なんてのは大した参考にはならないと肝に銘じるべし。この後のリーグ戦数試合の様子次第で、1月補強プラン立て直しの“噂話”も騒がしくなりそうだ。
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】
1953年大阪府生まれ
青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
▽あえてその一部を圧縮して振り返ってみるにつけ、今更ながらに次元の違いを確認せざるを得ない。紛うことなき天賦の才能、無類のわがまま、シニカルで茶目っ気たっぷりな傍若無人ぶり、ダークでそれでいて太陽のようなペルソナ。これらをすべて併せ持つアスリートがいたこと自体、奇跡に近い。ただ「上手い、凄い」だけでは語りようもない、規格外の個性なのだ。栄光のユナイテッドにてほぼきっかり10年、その後世界を股にかけた流浪の10年、ベストならではの孤高の「光」そして「毒」は、常に表裏一体だったような気がする。一つ、追加しておくなら、ベストの全盛期、故国北アイルランドはかつてない暗黒の時代に喘いでいた。ポール・マッカートニーの『Give Ireland Back to the Irish』が放送禁止処分になった頃、と言えばわかるだろう。そして、ちょうどその同じ頃、筆者はかの国で寄食していた。そのためか、まるでベストに関するありとあらゆる事が身近にあった錯覚にとらわれたりもする。『あしたのジョー』の喧騒など筆者にはまるで無縁だ。
▽だが、ジョージ・ベスト没10年のメモリアルマッチを、ユナイテッドは不意にした。汚したとは言わない。気の入った様子が感じられなかった。まさか、ベストへの思いに気もそぞろだったわけでもあるまいに。言わば、ファン・ハール到来以後のユナイテッドによく顔を出す“とりとめの無さ”。アタックラインの4人、ルーニー、マーシアル、デパイ、リンガードが皆それぞれ、立ち位置のぎこちなさを露呈する。チェルシー時代の、ティンカーマンと揶揄されるほど布陣を“いじり捲った”ラニエリの方がむしろ“理に適って”いたように思うほどだ。そのラニエリは今、ヴァーディー、マーレズ、オルブライトンにドリンクウォーターと、まさに“水”を得たような不動のカルテットに恵まれて、いじりたくてもいじりようがない! それを思うにつけ、ファン・ハールはいまだ“実験室”に閉じこもっているかのよう。ディ・マリアの失敗は教訓どころかもはや記憶にもない?
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】
1953年大阪府生まれ
青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
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