【東本貢司のFCUK!】世知辛くなってきたルール基準
2015.08.06 13:50 Thu
▽「本官はフットボールはあくまでもフットボールであり、戦場ではないことを示したいと考える」ーーーかく宣ったカーリン・ユンク判事は、1860ミュンヘンのファン2名に対し、彼らが台無しにした某バイエルン・ミュンヘンのファンのジャケット、シャツ、麦わら帽子の弁償として「バイエルンのグッズ」を購入すること、さもなくば15カ月間の禁固刑を申付けることとした。果たして被告2名は「プライドの耐え難い痛み」を耐え忍び、しぶしぶライバルのグッズショップに赴いて散財することに同意したーーーいや、話はそれで収まらない。被告2名の弁護士によると、散財額はそれぞれ350ポンド(約6万8000円)相当に及び、しかも、被告両名は「バイエルンの帽子とスカーフ、ジャージーを身に着けて」出廷するよう命じられたという。これを気の利いた粋な裁定とするか、はたまた“厳罰”と受け取るかは、神のみぞ、もとい、真のフットボールファンスピリットを理解する人のみぞ知る?
▽暴力犯罪を咎め罰する基準はときに、その国・地域の文化的背景を垣間見せてくれる。是か非かを問う“マナー”もしかり。このケースではドイツのビルト紙が「同判事のユニークな判決が被害者の精神的苦痛を和らげたのは間違いない」と“評”している。ただし、あくまでも「ニューズにする価値のある」例外的エピソードであって、通例化している訳でも何でもない。再発を戒め、防止するにはいかなる罰が効果的か、その都度、吟味工夫する上での、一つの帰着というべきだろう。では、こちらの場合はどうか。今般、イングランドの統括機構(FA)は新たに「不適切な行為に対する罰則基準強化のガイドライン」を通達した。対象は「テクニカルエリアにおけるリスペクトおよび行動基準」。なんとなれば、近年、特に昨シーズンのプレミアリーグのゲームにおいて、いささか目に余る“みっともない事件”が頻発しているからだ。といえば、真っ先に思い当たるあの事件・・・・。
▽昨年10月、スタンフォード・ブリッジにて行われたチェルシーvsアーセナルの試合中に演じられたアーセン・ヴェンゲルとジョゼ・モウリーニョの“あわやの掴み合い”騒動。両氏がかねてより何かとソリが合わないのは周知だとはいえ、思わず目を疑った人も少なくなかったろう。そのせいもあって、つい先日のコミュニティーシールド(アーセナルvsチェルシー)にも、機構関係者はひやひやものだったとか。幸い“二の舞”などはなかったものの、火種はまだ消えていないようだ。というのも、モウリーニョは勝ったガナーズの面々に祝福の言葉をかけておきながら、そこで握手を求めてきたヴェンゲルを無視してさっさと立ち去ってしまったのだ。しかも、その二日後に開かれたプレミア監督の年次総会をモウリーニョがすっぽかしたため、リーグから罰金を科されることになった。明らかにヴェンゲルとの“再会”を避けたものと見られ、両人の間の溝は相当に深いともっぱらの見解。多分、ジョゼ君の気性を考えると「顔を見るのも御免」といったところなのだろうか。
▽あくまで憶測だが、この一連の仲違いエピソードが今回の「規則強化」の引き金になったのではなかろうか。もちろん他にも“タネ”はある。2月、クリスタル・パレスのジェイムズ・マッカーサーにタッチライン上で掴みかかったレスター監督(当時)ナイジェル・ピアソン、昨3月にハルのデイヴィッド・メイラーに頭突きをお見舞いしたニューカッスル監督(当時)アラン・パーデュー・・・・。いずれにせよ、今回“強化”された罰則(違反)基準をいくつかピックアップしておこう。まず、レフェリーに対する揶揄行為、例えば、監督がイエローカードを出すべきだと訴えるポーズ、気に入らない判定を拍手でもって冷やかす、なども咎められ、場合によっては退場を命じられる。かっとなってウォーターボトルを蹴飛ばしたりするのもだめ。言うまでもなく、審判員や相手監督/コーチに喧嘩腰で詰め寄るなどすれば最後、罰金、退場処分、向こう数試合のベンチ入り停止処分など、極めて重いお咎め待っている。無論、監督だけではなくアシスタントやコーチ陣も同様の対象となる。
▽プレーヤーたちについても“強化”の新基準が追加された。これまでは「3人以上が絡む暴力沙汰」が罰則対象だったのが、今後は「2人」でも出場停止などのお咎めがくる。ついでに、これはいささかおまけっぽいのだが、オフサイドに関する新たな申し合わせも確認されている。すなわち、誰かがオフサイドポジションにいた場合、同プレーヤーが一切ボールと接触する機会も可能性もなかったとしても、ゴールは無効となる。ざっとこんなところらしいが、状況から鑑みるに、今後もこの種の規制ルールが増えていく予感もするのだが・・・・。本来なら、担当レフェリーがゲームごとに責任をもって対処する“良きファジーさ”こそが、このスポーツの隠れた魅力でもあり、あえて一貫していない素のままの醍醐味ではないかと(筆者は)思うのだが、時代の要請はもはやそんな“野趣のあるキレイゴト”では済まなくなってきつつあるのかもしれない。臨機応変の高潔なる判断ができなくなっている現実がもしあるのだとしたら、それはそれで寂しい。ああ、もちろん、憲法の自由な解釈なんていう“許されない所業”なんぞと比べてはゆめゆめいけませんぞ!
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】
1953年大阪府生まれ 青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
▽暴力犯罪を咎め罰する基準はときに、その国・地域の文化的背景を垣間見せてくれる。是か非かを問う“マナー”もしかり。このケースではドイツのビルト紙が「同判事のユニークな判決が被害者の精神的苦痛を和らげたのは間違いない」と“評”している。ただし、あくまでも「ニューズにする価値のある」例外的エピソードであって、通例化している訳でも何でもない。再発を戒め、防止するにはいかなる罰が効果的か、その都度、吟味工夫する上での、一つの帰着というべきだろう。では、こちらの場合はどうか。今般、イングランドの統括機構(FA)は新たに「不適切な行為に対する罰則基準強化のガイドライン」を通達した。対象は「テクニカルエリアにおけるリスペクトおよび行動基準」。なんとなれば、近年、特に昨シーズンのプレミアリーグのゲームにおいて、いささか目に余る“みっともない事件”が頻発しているからだ。といえば、真っ先に思い当たるあの事件・・・・。
▽昨年10月、スタンフォード・ブリッジにて行われたチェルシーvsアーセナルの試合中に演じられたアーセン・ヴェンゲルとジョゼ・モウリーニョの“あわやの掴み合い”騒動。両氏がかねてより何かとソリが合わないのは周知だとはいえ、思わず目を疑った人も少なくなかったろう。そのせいもあって、つい先日のコミュニティーシールド(アーセナルvsチェルシー)にも、機構関係者はひやひやものだったとか。幸い“二の舞”などはなかったものの、火種はまだ消えていないようだ。というのも、モウリーニョは勝ったガナーズの面々に祝福の言葉をかけておきながら、そこで握手を求めてきたヴェンゲルを無視してさっさと立ち去ってしまったのだ。しかも、その二日後に開かれたプレミア監督の年次総会をモウリーニョがすっぽかしたため、リーグから罰金を科されることになった。明らかにヴェンゲルとの“再会”を避けたものと見られ、両人の間の溝は相当に深いともっぱらの見解。多分、ジョゼ君の気性を考えると「顔を見るのも御免」といったところなのだろうか。
▽プレーヤーたちについても“強化”の新基準が追加された。これまでは「3人以上が絡む暴力沙汰」が罰則対象だったのが、今後は「2人」でも出場停止などのお咎めがくる。ついでに、これはいささかおまけっぽいのだが、オフサイドに関する新たな申し合わせも確認されている。すなわち、誰かがオフサイドポジションにいた場合、同プレーヤーが一切ボールと接触する機会も可能性もなかったとしても、ゴールは無効となる。ざっとこんなところらしいが、状況から鑑みるに、今後もこの種の規制ルールが増えていく予感もするのだが・・・・。本来なら、担当レフェリーがゲームごとに責任をもって対処する“良きファジーさ”こそが、このスポーツの隠れた魅力でもあり、あえて一貫していない素のままの醍醐味ではないかと(筆者は)思うのだが、時代の要請はもはやそんな“野趣のあるキレイゴト”では済まなくなってきつつあるのかもしれない。臨機応変の高潔なる判断ができなくなっている現実がもしあるのだとしたら、それはそれで寂しい。ああ、もちろん、憲法の自由な解釈なんていう“許されない所業”なんぞと比べてはゆめゆめいけませんぞ!
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】
1953年大阪府生まれ 青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
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