【日本サッカー見聞録】なでしこに見るシューズの変化

2015.06.11 14:00 Thu
▽なでしこジャパン(女子日本代表)が、カナダでのW杯初戦で難敵スイスを1-0で下し、幸先の良いスタートを切った。決勝点は27分、安藤の飛び出しを相手GKが身体ごとブロックしたことで得たPKから宮間が決めた。ただし残念なことは、このプレーで安藤は左足首を骨折し、大会から離脱しなければならなくなったこと。

▽代役は安藤に代わってスイス戦のピッチに立った菅澤ということになるが、岩渕の回復が遅れているだけに、今後を考えると多少の不安もつきまとう。大野と大儀見の2トップにして川澄を右サイドに投入する手もあるが、川澄のコンディションがどこまで上がっているか。こちらは現地からの情報を待つしかなさそうだ。

▽日本は13日に、初戦でエクアドルを6-0の大差で下したカメルーンと対戦する。この試合に勝てばグループCの首位通過はほぼ決まりだろう。ただ、初戦の大勝でカメルーンも勢いに乗っていることが予想されるだけに、立ち上がりは細心の注意が必要だ。
▽さて、テレビ観戦していて気が付いた方もいるかもしれないが、これまで“なでしこ”の足元はアディダスが支えてきた。それが今年からはナイキのシューズを履く選手が増えてきた。日本サッカー協会(JFA)がアディダスとサプライヤー契約を結んだのは1999年のこと。以来、男子代表は別にして、なでしこに限らずアンダー世代は全員がアディダスのシューズを履いていた。やっと今年になり、シューズの選択は個人の判断に委ねられ、好きなシューズを履くことができるようになったというわけだ。

▽いまを遡ること30年前、JFAは3社とサプライヤー契約を結び、1年ごとのローテションで回していた。フル代表がアディダスならユースはプーマ、そしてジュニアユースはアシックスで、翌年はプーマがフル代表、アディダスはジュニアユースといった具合だ。当時はまだ日本にプロ選手は存在せず(建前上は)、指定メーカーのシューズを履きたくない選手は白いラインを黒く塗りつぶしていたものだ。
▽そんな時代でのこと。森孝慈(故人)監督率いる日本代表が、静岡県つま恋で合宿を行った。当時の日本代表はプーマだったが、日産の木村和司(元横浜FM監督)、金田喜稔(テレビ解説者)、柱谷幸一(北九州監督)の3人は長らくアディダスのシューズ(コパ・ムンディアル)を愛用していた。

▽夜ごと3人の部屋を訪れてはプーマのシューズを履くよう懇願するエキップメントに音を上げた3人は、意を決して森監督に相談。森監督はすぐさまJFAを説得して、「シューズは選手が最もプレーしやすいものを履く」というルールを作った。履き慣れたシューズの方がパフォーマンスも向上するのは当然だ。こうして“シューズ問題”は解決したかに見えたが……現在ではW杯を前に各メーカーは新製品を開発し、契約している選手に履いてもらって宣伝しようと考える。しかし新製品のため選手も慣れるのに時間がかかることもある。お互いに仕事だから仕方ないと言えなくもないが、こうした“いたちごっこ”はなかなか終わらないかもしれない。


【六川亨】 1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。

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