5月31日は何の日?/六川亨の日本サッカーの歩み
2022.06.01 22:45 Wed
『5・15』といえば何の日か、サッカーファンならご存じだろう。30年前の5月15日、「Jリーグが開幕した日」である。国立競技場には多くの観客が集まり、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)対横浜マリノス(現横浜F・マリノス)の一戦に熱い視線を送った。
ただ、国立での試合はチケットに氏名を入れたり、グッズのお土産がついたりしてプレミアムチケットとなったが、翌日の試合はチケットが売れ残っていたそうだ。当時Jリーグの広報室長を務めた佐々木一樹さんによると、「国立での開幕戦を見て火がつきましたね」とのこと。以後、“中立地"ではあるがアクセスのいい国立競技場での試合はどのカードも満員御礼となった。
さて次の質問。『5・31』といえば何の日かわかるだろうか。昨日、日本代表のズーム取材で吉田麻也にその質問が出た際、彼は「当時は名古屋に移り住んで2年目、中学2年生でした」と答えていたが、日韓W杯の開幕から20年目という節目の日だった。
5月31日、ソウルでの開幕戦では前回王者のフランスがセネガルにまさかの敗戦を喫した。セネガルはトルシエ・ジャパンが欧州遠征をした際にも完敗した伸び盛りのチーム。対するフランスはジネディーヌ・ジダンを負傷で欠いたことが響き、終わってみればグループリーグ最下位で大会に別れを告げた。
この試合を取材後、日本に帰国すると北は札幌から南は大分まで、全10会場での試合を取材するため飛び回る日々の連続だった。成田空港に着いたらそのまま駐めておいた自家用車で埼玉スタジアムに向かったりした。さらに新潟などは深夜まで都心に向かう新幹線を走らせるなど特別な措置を取ってくれたため、乗り合わせたメキシコ・サポーターの大騒ぎを目の当たりにすることができた。
ところが日本は1位通過したため、一度ベースキャンプのある静岡に戻り、そこから宮城への移動を強いられた。そして我々取材陣も、神戸でのブラジル対ベルギー戦後、寝台車で東京駅に早朝に着くと、上野駅に移動して今度は東北新幹線に乗り換えて仙台を目指した。
残念ながらトルシエ・ジャパンの冒険は仙台で終わったが、海外でのW杯と違いこれだけ濃密な1ヶ月を過ごしたのはもちろん人生初の経験である。それだけに、JFAにはもう一度、今度は単独でのW杯招致に向けて動き出して欲しいと願わずにいられない。
そして最期の質問。26年前の5月31日は何の日か覚えているファン・サポーターはいるだろうか?
前日の30日には、宮沢喜一W杯招致議員連盟会長と衛藤征士郎衆議院議員、釜本邦茂参議院議員らがスイス・チューリッヒのグローデン空港に着いたので取材に行った記憶がある。そして報道陣は後で知ることになるのだが、JFAの長沼健会長や岡野俊一郎副会長ら幹部会は30日の午後にFIFA(国際サッカー連盟)のブラッター事務局長から電話があり、W杯の日韓共催を打診された。すでに韓国は共催を受け入れている。このため日本はどうかという提案だった。
そこで宮沢元総理は、文書で正式な書面をもらうことと、「最期はサッカーのことだから、皆さんで決めて下さい」と判断をJFAの幹部会に委ねた。幹部会での意見は分かれたという。当時のJリーグに引き分け制度はなかったため、川淵三郎JFA副会長(兼チェアマン)は単独開催での決戦投票を主張したそうだ。これに対し釜本氏の「それでも半分くるならいいんじゃないですか」との一言が共催を後押ししたと言われている。
そして「もしFIFAが望むならJFAは共催を検討する」というレターを作成し、翌31日の早朝、岡野俊一郎JFA副会長がFIFAハウスに持参した。
31日は早朝から快晴だった。本来なら明日6月1日の投票で2002年のW杯開催国――日本か韓国か――は決定する。31日はFIFA理事会が開催されるが、会見の予定はなかった。それでも“噂"は飛び回っていた。アベランジェFIFA会長がスイス・ローザンヌのIOC(国際オリンピック委員会)を訪れ、サマランチ会長と相談したらしいとか、ルールにはない共催に流れは傾いているといった噂だ。
このため理事会の開催されているFIFAハウスの前には各国の記者でごったがえしていた。そして理事会終了後、北中米カリブ海のジャック・ワーナー理事(2015年に収賄罪で逮捕)が記者にもみくちゃにされながら「コ・ホスティング(共催)」と話したことでW杯初となる共同開催が決定した。
当日は、翌日の投票を控え、知人のドイツ人記者、マーティン・ヘーゲレ氏と会う予定だった。このため彼の好きな醤油と日本酒を持参したが、電話したところ「もう共催で決まったので、スイスには行かない」という返事だった。たぶん彼はもっと早い段階で日韓共催を知っていたのだろう。なんとも慌ただしいチューリッヒでの数日間だった。しかし、結果として共催も悪くはないと思った2002年の日韓W杯である。
ただ、国立での試合はチケットに氏名を入れたり、グッズのお土産がついたりしてプレミアムチケットとなったが、翌日の試合はチケットが売れ残っていたそうだ。当時Jリーグの広報室長を務めた佐々木一樹さんによると、「国立での開幕戦を見て火がつきましたね」とのこと。以後、“中立地"ではあるがアクセスのいい国立競技場での試合はどのカードも満員御礼となった。
さて次の質問。『5・31』といえば何の日かわかるだろうか。昨日、日本代表のズーム取材で吉田麻也にその質問が出た際、彼は「当時は名古屋に移り住んで2年目、中学2年生でした」と答えていたが、日韓W杯の開幕から20年目という節目の日だった。
この試合を取材後、日本に帰国すると北は札幌から南は大分まで、全10会場での試合を取材するため飛び回る日々の連続だった。成田空港に着いたらそのまま駐めておいた自家用車で埼玉スタジアムに向かったりした。さらに新潟などは深夜まで都心に向かう新幹線を走らせるなど特別な措置を取ってくれたため、乗り合わせたメキシコ・サポーターの大騒ぎを目の当たりにすることができた。
日本はというと、初戦でベルギーと2-2で引き分けると、続くロシア戦は1-0とW杯初勝利をあげる。さらに最終戦のチュニジアにも2-0で勝って、グループHを首位で通過した。これは後でJFA(日本サッカー協会)関係者から聞いたことだが、チュニジア戦が行われたのは大阪・長居スタジアムで、日本がもしも2位通過なら、相手はグループCを首位で通過するだろうブラジルだが、試合会場は神戸ウイングスタジアムのため移動のロスがないと判断して試合日程を組んだそうだ。
ところが日本は1位通過したため、一度ベースキャンプのある静岡に戻り、そこから宮城への移動を強いられた。そして我々取材陣も、神戸でのブラジル対ベルギー戦後、寝台車で東京駅に早朝に着くと、上野駅に移動して今度は東北新幹線に乗り換えて仙台を目指した。
残念ながらトルシエ・ジャパンの冒険は仙台で終わったが、海外でのW杯と違いこれだけ濃密な1ヶ月を過ごしたのはもちろん人生初の経験である。それだけに、JFAにはもう一度、今度は単独でのW杯招致に向けて動き出して欲しいと願わずにいられない。
そして最期の質問。26年前の5月31日は何の日か覚えているファン・サポーターはいるだろうか?
前日の30日には、宮沢喜一W杯招致議員連盟会長と衛藤征士郎衆議院議員、釜本邦茂参議院議員らがスイス・チューリッヒのグローデン空港に着いたので取材に行った記憶がある。そして報道陣は後で知ることになるのだが、JFAの長沼健会長や岡野俊一郎副会長ら幹部会は30日の午後にFIFA(国際サッカー連盟)のブラッター事務局長から電話があり、W杯の日韓共催を打診された。すでに韓国は共催を受け入れている。このため日本はどうかという提案だった。
そこで宮沢元総理は、文書で正式な書面をもらうことと、「最期はサッカーのことだから、皆さんで決めて下さい」と判断をJFAの幹部会に委ねた。幹部会での意見は分かれたという。当時のJリーグに引き分け制度はなかったため、川淵三郎JFA副会長(兼チェアマン)は単独開催での決戦投票を主張したそうだ。これに対し釜本氏の「それでも半分くるならいいんじゃないですか」との一言が共催を後押ししたと言われている。
そして「もしFIFAが望むならJFAは共催を検討する」というレターを作成し、翌31日の早朝、岡野俊一郎JFA副会長がFIFAハウスに持参した。
31日は早朝から快晴だった。本来なら明日6月1日の投票で2002年のW杯開催国――日本か韓国か――は決定する。31日はFIFA理事会が開催されるが、会見の予定はなかった。それでも“噂"は飛び回っていた。アベランジェFIFA会長がスイス・ローザンヌのIOC(国際オリンピック委員会)を訪れ、サマランチ会長と相談したらしいとか、ルールにはない共催に流れは傾いているといった噂だ。
このため理事会の開催されているFIFAハウスの前には各国の記者でごったがえしていた。そして理事会終了後、北中米カリブ海のジャック・ワーナー理事(2015年に収賄罪で逮捕)が記者にもみくちゃにされながら「コ・ホスティング(共催)」と話したことでW杯初となる共同開催が決定した。
当日は、翌日の投票を控え、知人のドイツ人記者、マーティン・ヘーゲレ氏と会う予定だった。このため彼の好きな醤油と日本酒を持参したが、電話したところ「もう共催で決まったので、スイスには行かない」という返事だった。たぶん彼はもっと早い段階で日韓共催を知っていたのだろう。なんとも慌ただしいチューリッヒでの数日間だった。しかし、結果として共催も悪くはないと思った2002年の日韓W杯である。
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