【超WORLDサッカー!再始動特集】時給800円ライターから、会員数15万人のメディアの“長”に。名物編集長・是永大輔、誕生秘話
2025.08.03 07:00 Sun
「超WORLDサッカー!」は、終わらない──。
2025年7月1日。
サービス終了が発表されたはずのサッカー専門Webメディアが、電撃復活を遂げた。
新たなコンセプトは「世界と、つながれ」。
世界で活躍するスター選手と、その舞台を目指すジュニア選手の繋ぎ目となる情報サイトを目指し、新たな舵を切る。
再始動にあたり「超WORLDサッカー!」の礎をつくりあげた、是永大輔氏に話をうかがうことに。
一時代を担った“名物編集長”のキャリアとともに、25年の歩みを振り返る。
インタビュー=北健一郎
文=青木ひかる
【「世界とつながれるスポーツ」との出会い】
北:お久しぶりです!
是永:久しぶりですね。まさか、こんな形で再会するとは思わなかったですが(笑)。
北:僕もですよ。改めて今日は、超WORLDサッカー!の歴史を、是永さんのキャリアと共に振り返ります。
まず、「サッカーとの出会い」と「ライターになるまでの道のり」を聞かせてもらいたいな、と。
是永:わかりました。
サッカー自体は小学校の頃から好きで、その頃から「サッカー雑誌」も大好きでした。 当時は月刊誌で出ていた『イレブン』(日本スポーツ出版社、1988年廃刊)、『サッカーマガジン』、『サッカーダイジェスト』。ボロボロになるまで読み込んでいました。いわゆるオタク(笑)。
中でも毎月楽しみにしていたのが、後ろの方に載っていた世界各国のリーグ紹介のページですね。 セリエAや様々な国のリーグが1ページずつ特集されていて、夢中になって読んでいました。
北:小学生の頃から、雑誌で世界のサッカー情報を集めていたんですね。
是永:そうそう。あと、サッカークラブのチーム名って、だいたいが街の名前じゃないですか。だから、「レッチェ」や「カリアリ」など、普通の小学生は聞いたこともない地名を知るきっかけにもなって。社会の授業では先生に「なんで知ってるの!?」ってよく驚かれていました。
そのときに「ああ、サッカーって世界とつながれるスポーツなんだなあ」と、ちょっと実感したんですよね。
北:「世界と、つながれ」という、「超WORLDサッカー」のコンセプトとも重なりますね!
是永:わざと合わせてるわけじゃないですよ(笑)。
【「時給800円ライター」から、1年で編集長に】
北:“サッカー雑誌大好き少年”だった是永さんですが、ずっとメディアに関わりたいという思いが強かったんですか?
是永:いや、高校までは部活でサッカーをしていたんですけど、大学は日本大学芸術学部演劇学科という学校に進学したので、サッカーからは少し離れたんですよ。
ただ、大学2年生で自分でパソコンを買った頃に、Yahoo!ジオシティーズという個人でホームページを作れるサービスがちょっと流行っていて。
自分もサイトを立ち上げて、大好きなサッカーのことを書くようになったんですね。もうこれが楽しくて…、読者はゼロですが(笑)。寝る間も惜しんで夢中になっていました。
北:いわゆる“ブロガー”のような感じだったんですね。
是永: そうこうしているうちに大学を卒業する年になるんですけど、それがちょうど2002年の日韓ワールドカップの年だったんですよね。
北:新卒1年目の年にワールドカップイヤーが重なってしまう、と。
是永:そう。でもそうなると、平日の夕方の試合もあったし、普通に就職しちゃうと生で試合を見ることが難しいじゃないですか。
せっかく一生に一度かもしれない自国開催なら、普段見られない国のサッカーを会場で楽しみたい。だけど、働かなくちゃいけない……。
どうしようかと考えて、もう「サッカーに関わる仕事に就くしかない」と。
その時に見つけたのが、横浜FCのオフィシャルライターと、『超WORLDサッカー!』のアルバイト募集でした。これは応募するしかないと、すぐにエントリーをしました。
北:それが、是永さんにとっての“就職活動”だった。
是永:横浜FCのオフィシャルライターのほうは、完全ボランティアでした。でも、200人くらい応募があったらしく、採用されたのは僕を含めて2人だけでした。
『超WORLDワールドサッカー!』のほうは、本当は募集期間が過ぎていたのですが、「面接だけでもなんとかなりませんか……!」とお願いして、こちらも200人応募があった中で、自分ともうひとりだけ合格することができた。
200分の2と200分の2を掛け合わせると10,000分の1。これはすごい確率なわけで「あ、自分はサッカー業界に選ばれた人間なんだな」って。 最初からちょっと、“勘違い”が始まっていました(笑)
北:是永さんがアルバイトからスタートしたというのは、少し意外でした。てっきり、新卒で入社という形だったのかと。
是永:時給800円のアルバイトでしたよ。
でも、大学のときに趣味で書いていたようなサッカーの記事を、同じように書いていればお金をいただけるなんて、当時の自分からしたら考えられなかった。大袈裟ですけど、「革命だな」と。
また、自分の家だったらテレビは1台しかないけど、会社にはモニターが何台もあるわけです。同時にいろんな試合を見ることができる。だから会社にも2、3日泊まり込んでは、とにかく原稿を書きまくってました。
すると社長や上司から「是永くん、頑張ってるじゃないか!」、「素晴らしいね!」って褒められて……。「なんだこの世界!? 最高!」って(笑)。
北:タフすぎる(笑)。
是永:いや、自分が好きなことを好きなだけやっていただけなんですが…。
【“ゆるくて楽しい”で独自性のあるメディアに】
北:記事を書いていて、何が一番楽しかったですか?
是永:うーん……。「このタイミングでこの記事を出したら、読者はこんな反応するんじゃないか?」って考えながら書いて、その反応を見るのが一番楽しかったかもしれませんね。
これは大学時代に細々と演技したり、脚本書いたり、演出もしたりもしていた自分ならではの感覚もあるかもしれないです。
舞台で突然照明が暗転した瞬間、観客が「はっ」となるように、人を驚かせたり楽しませたりすることが好きなので。
北:その“演出”的な感覚が、斬新なコンテンツ作りに生きたと。印象に残っている企画はありますか?
是永:たくさんありますが、一般の人や現地在住の“ちょっと変わった”人に記事を書いてもらう企画はおもしろかったですね。いい意味でプロっぽくない、友達が書いているような、読者にとって親近感のある原稿になるのが、自分も読んでいておもしろかったです。
北:絵文字も使われていて、ラフな文体のものも多かったのも差別化になっていました。
是永:携帯サイトというメディア特性を最大限生かしながら、たくさんの人が楽しめる“ゆるい”サッカーの世界をつくりたかったんですよね。
紙媒体はもちろん、 WEBサイトだと大手さんで『スポナビ』や『Number Web』のようなシリアスなコンテンツが多かったので、そうじゃないところで独自性を出したかったんです。
内容ももちろんですが「この人が書いた記事をまた読みたいなあ」と思ってもらえるように、キャラを立たせて、ライターさんの“クセ”“やコク”を出すような記事をつくっていました。
北:ご自身が積極的に顔と名前を出していたのは、どんな意図があったのでしょうか?
是永:基本的に出たがりっていうのはありますが(笑)。でも、そうやって少しずつでも認知されないと、サイト全体としてもいろんな人の個性が見えてこないので面白みがない。そのあたりはすごく意識していましたね。
2025年7月1日。
サービス終了が発表されたはずのサッカー専門Webメディアが、電撃復活を遂げた。
世界で活躍するスター選手と、その舞台を目指すジュニア選手の繋ぎ目となる情報サイトを目指し、新たな舵を切る。
7月某日。
再始動にあたり「超WORLDサッカー!」の礎をつくりあげた、是永大輔氏に話をうかがうことに。
一時代を担った“名物編集長”のキャリアとともに、25年の歩みを振り返る。
インタビュー=北健一郎
文=青木ひかる
【「世界とつながれるスポーツ」との出会い】
北:お久しぶりです!
是永:久しぶりですね。まさか、こんな形で再会するとは思わなかったですが(笑)。
北:僕もですよ。改めて今日は、超WORLDサッカー!の歴史を、是永さんのキャリアと共に振り返ります。
まず、「サッカーとの出会い」と「ライターになるまでの道のり」を聞かせてもらいたいな、と。
是永:わかりました。
サッカー自体は小学校の頃から好きで、その頃から「サッカー雑誌」も大好きでした。 当時は月刊誌で出ていた『イレブン』(日本スポーツ出版社、1988年廃刊)、『サッカーマガジン』、『サッカーダイジェスト』。ボロボロになるまで読み込んでいました。いわゆるオタク(笑)。
中でも毎月楽しみにしていたのが、後ろの方に載っていた世界各国のリーグ紹介のページですね。 セリエAや様々な国のリーグが1ページずつ特集されていて、夢中になって読んでいました。
北:小学生の頃から、雑誌で世界のサッカー情報を集めていたんですね。
是永:そうそう。あと、サッカークラブのチーム名って、だいたいが街の名前じゃないですか。だから、「レッチェ」や「カリアリ」など、普通の小学生は聞いたこともない地名を知るきっかけにもなって。社会の授業では先生に「なんで知ってるの!?」ってよく驚かれていました。
そのときに「ああ、サッカーって世界とつながれるスポーツなんだなあ」と、ちょっと実感したんですよね。
北:「世界と、つながれ」という、「超WORLDサッカー」のコンセプトとも重なりますね!
是永:わざと合わせてるわけじゃないですよ(笑)。
【「時給800円ライター」から、1年で編集長に】
北:“サッカー雑誌大好き少年”だった是永さんですが、ずっとメディアに関わりたいという思いが強かったんですか?
是永:いや、高校までは部活でサッカーをしていたんですけど、大学は日本大学芸術学部演劇学科という学校に進学したので、サッカーからは少し離れたんですよ。
ただ、大学2年生で自分でパソコンを買った頃に、Yahoo!ジオシティーズという個人でホームページを作れるサービスがちょっと流行っていて。
自分もサイトを立ち上げて、大好きなサッカーのことを書くようになったんですね。もうこれが楽しくて…、読者はゼロですが(笑)。寝る間も惜しんで夢中になっていました。
北:いわゆる“ブロガー”のような感じだったんですね。
是永: そうこうしているうちに大学を卒業する年になるんですけど、それがちょうど2002年の日韓ワールドカップの年だったんですよね。
北:新卒1年目の年にワールドカップイヤーが重なってしまう、と。
是永:そう。でもそうなると、平日の夕方の試合もあったし、普通に就職しちゃうと生で試合を見ることが難しいじゃないですか。
せっかく一生に一度かもしれない自国開催なら、普段見られない国のサッカーを会場で楽しみたい。だけど、働かなくちゃいけない……。
どうしようかと考えて、もう「サッカーに関わる仕事に就くしかない」と。
その時に見つけたのが、横浜FCのオフィシャルライターと、『超WORLDサッカー!』のアルバイト募集でした。これは応募するしかないと、すぐにエントリーをしました。
北:それが、是永さんにとっての“就職活動”だった。
是永:横浜FCのオフィシャルライターのほうは、完全ボランティアでした。でも、200人くらい応募があったらしく、採用されたのは僕を含めて2人だけでした。
『超WORLDワールドサッカー!』のほうは、本当は募集期間が過ぎていたのですが、「面接だけでもなんとかなりませんか……!」とお願いして、こちらも200人応募があった中で、自分ともうひとりだけ合格することができた。
200分の2と200分の2を掛け合わせると10,000分の1。これはすごい確率なわけで「あ、自分はサッカー業界に選ばれた人間なんだな」って。 最初からちょっと、“勘違い”が始まっていました(笑)
北:是永さんがアルバイトからスタートしたというのは、少し意外でした。てっきり、新卒で入社という形だったのかと。
是永:時給800円のアルバイトでしたよ。
でも、大学のときに趣味で書いていたようなサッカーの記事を、同じように書いていればお金をいただけるなんて、当時の自分からしたら考えられなかった。大袈裟ですけど、「革命だな」と。
また、自分の家だったらテレビは1台しかないけど、会社にはモニターが何台もあるわけです。同時にいろんな試合を見ることができる。だから会社にも2、3日泊まり込んでは、とにかく原稿を書きまくってました。
すると社長や上司から「是永くん、頑張ってるじゃないか!」、「素晴らしいね!」って褒められて……。「なんだこの世界!? 最高!」って(笑)。
北:タフすぎる(笑)。
是永:いや、自分が好きなことを好きなだけやっていただけなんですが…。
【“ゆるくて楽しい”で独自性のあるメディアに】
北:記事を書いていて、何が一番楽しかったですか?
是永:うーん……。「このタイミングでこの記事を出したら、読者はこんな反応するんじゃないか?」って考えながら書いて、その反応を見るのが一番楽しかったかもしれませんね。
これは大学時代に細々と演技したり、脚本書いたり、演出もしたりもしていた自分ならではの感覚もあるかもしれないです。
舞台で突然照明が暗転した瞬間、観客が「はっ」となるように、人を驚かせたり楽しませたりすることが好きなので。
北:その“演出”的な感覚が、斬新なコンテンツ作りに生きたと。印象に残っている企画はありますか?
是永:たくさんありますが、一般の人や現地在住の“ちょっと変わった”人に記事を書いてもらう企画はおもしろかったですね。いい意味でプロっぽくない、友達が書いているような、読者にとって親近感のある原稿になるのが、自分も読んでいておもしろかったです。
北:絵文字も使われていて、ラフな文体のものも多かったのも差別化になっていました。
是永:携帯サイトというメディア特性を最大限生かしながら、たくさんの人が楽しめる“ゆるい”サッカーの世界をつくりたかったんですよね。
紙媒体はもちろん、 WEBサイトだと大手さんで『スポナビ』や『Number Web』のようなシリアスなコンテンツが多かったので、そうじゃないところで独自性を出したかったんです。
内容ももちろんですが「この人が書いた記事をまた読みたいなあ」と思ってもらえるように、キャラを立たせて、ライターさんの“クセ”“やコク”を出すような記事をつくっていました。
北:ご自身が積極的に顔と名前を出していたのは、どんな意図があったのでしょうか?
是永:基本的に出たがりっていうのはありますが(笑)。でも、そうやって少しずつでも認知されないと、サイト全体としてもいろんな人の個性が見えてこないので面白みがない。そのあたりはすごく意識していましたね。
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