アズーリの2006年ドイツW杯優勝メンバーが4台の救急車を寄付!

2020.04.24 16:00 Fri
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2006年のドイツ・ワールドカップ(W杯)で優勝を果たしたイタリア代表のメンバーがイタリア赤十字社に最新鋭の設備を備えた4台の救急車を寄付した。『フットボール・イタリア』が伝えている。ヨーロッパで新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大の中心地のひとつとなったイタリアでは、数日前に感染中の人数が初めて減少したことが確認されるなど、ようやく終息に向けて一筋の光明が見出されている。それでも、感染者数は19万人を超え、死者数も2万5000人以上と甚大な被害を被っている。

その苦境の中でアズーリのドイツW杯優勝メンバーは国内で奮闘する医療従事者への支援のため、先日からチャリティーオークションを実施。アズーリのユニフォームなど貴重な品々を惜しげもなく寄付し、寄付金集めに奔走していた。
そして、その活動を主導していた1人であるアレッサンドロ・デル・ピエロ氏は23日、自身の公式『インスタグラム』を通じて、前述のチャリティーオークションで集まった寄付金で最新鋭の設備を備えた4台の救急車を購入し、イタリア赤十字社に寄付したことを明らかにした。

「この救急車は最新鋭のモノでウイルスを封じ込めるシステムも備えられている。そして、私たちはすぐそうなることを望んでいるが、パンデミックが終息した後には通常の使用も可能だ」
「ちょうど4台を購入できたことに運命のようなものを感じているよ。“4”という数字はイタリアがワールドカップを制した回数でもあるからね」

「今回の活動に参加してくれたすべての人に感謝を伝えたい。私たちはひとつの大きなチームであることの重要性を証明できた」

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