キッカケは”靴飛ばし”、「神様の指示」と語る81歳のサッカー指導者に起きた変化【#これから私は】
2021.03.18 21:00 Thu
◆相棒はiPad
そんな小幡氏の練習中の相棒は、意外にもiPadだ。80歳を過ぎながらも、最新のデジタル機器を活用し、指導に活かしていく。しかし、使い方は決して高度ではない。
「俺はサッカーのプレーできないじゃないですか?だからiPad持って行って、世界一流のプレーを子供に見せる」
小幡氏がiPadを使って行っているのは、世界のトッププレーヤーのプレー映像を見せるだけ。しかし、子供たちはスター選手たちの真似をする。それをキッカケに、自ら練習に励み、上達していくのだ。スポーツをやったことがある人は、誰もが憧れたトップ選手の真似をしてきたことと同じだ。
「一流になるためには一流のプレーを知る必要だ」というのは小幡氏が指導者になった当初からの考え。大卒初任給が2万円前後という時代に、当時50万円もするビデオデッキを購入した。もちろん、トッププレーヤーのプレーを見せるためだ。それが両親にばれて勘当されたという逸話もある。
その思いは今も変わらず、ビデオデッキがiPadへと進化。小幡氏の指導法の1つである「目で育つ」ことは今でも重視している。
「俺が加藤久を育てたと言われるよね。あれは俺が育てたわけじゃないの。あいつらに映像をみせたんですよ。教育は教えるんでなく、目から入ってくる」
「自分の体を有効利用するというか。自分の体のパワーをどう伝えるか、サッカーならボールにどう伝えるか。そのためにYouTubeもめちゃくちゃ見てるんですよ。その中で理解できたことだけを子供たちに伝える」
「地域に根ざしたスポーツクラブをつくる」を己で体現し、「今が一番楽しい」とまで語る小幡氏だが、その契機はやはり10年前の震災だった。
「こういういろいろなこともできるのもね。震災後に会っていろいろ指導を受けたり、震災を契機に、俺の進むべき道を変えてくれた。震災で亡くなった人たちのためにもそういうことを伝えていきたい。その思いで、今は遊びまわっています」
「だから、いろいろなことを皆に助けてもらって、嫌なこともあったし、辞める時もいろいろなことがあって自分で身を引いて…。でも今は神様にこっちの仕事をしなさいと指示を受けたんだと思った」
今なお指導者であり続ける小幡氏だが、「教える」という言葉をあまり使わず、「伝える」「育てる」「遊ぶ」という言葉を選ぶのが印象的だ。
「(教えるというより)今は伝えるみたいな感じ。『こうやってみたら』とか『こういうやり方はどう』とか。やるかやらないかはその人次第」
「育てるのは時間がかかるし、チームは次の試合のための準備になるんですよ。これがなくなっただけで、今の中学3年生でも、ものすごい伸びてるんですよ」
中学3年生であれば、震災当時は4歳か5歳。小幡氏は小学生を教えているため、震災後に指導を受けたことになる。
「教え子の今年中3の子のうち、3人が(今のチームで)キャプテンをやってるんだ!やっぱりやってきたことは間違いなかったんだなってさ」
数多くのJリーガーを輩出した実績がありながらも、そのこと以上に教え子が中学校のチームでキャプテンを務めることを嬉しそうに語るその姿に、小幡氏の本質を見た気がした。
震災を機に、「教える」から「伝える」へ大きく舵を切った小幡氏だが、「地域に根ざしたスポーツクラブをつくる」「子供たちを育てる」という原点は変わらない。古武術もiPadもビデオデッキも、それらを実現した行動力も全てはそのためということだろう。
そんな小幡氏の練習中の相棒は、意外にもiPadだ。80歳を過ぎながらも、最新のデジタル機器を活用し、指導に活かしていく。しかし、使い方は決して高度ではない。
「俺はサッカーのプレーできないじゃないですか?だからiPad持って行って、世界一流のプレーを子供に見せる」
小幡氏がiPadを使って行っているのは、世界のトッププレーヤーのプレー映像を見せるだけ。しかし、子供たちはスター選手たちの真似をする。それをキッカケに、自ら練習に励み、上達していくのだ。スポーツをやったことがある人は、誰もが憧れたトップ選手の真似をしてきたことと同じだ。
「一流になるためには一流のプレーを知る必要だ」というのは小幡氏が指導者になった当初からの考え。大卒初任給が2万円前後という時代に、当時50万円もするビデオデッキを購入した。もちろん、トッププレーヤーのプレーを見せるためだ。それが両親にばれて勘当されたという逸話もある。
その思いは今も変わらず、ビデオデッキがiPadへと進化。小幡氏の指導法の1つである「目で育つ」ことは今でも重視している。
「俺が加藤久を育てたと言われるよね。あれは俺が育てたわけじゃないの。あいつらに映像をみせたんですよ。教育は教えるんでなく、目から入ってくる」
「自分の体を有効利用するというか。自分の体のパワーをどう伝えるか、サッカーならボールにどう伝えるか。そのためにYouTubeもめちゃくちゃ見てるんですよ。その中で理解できたことだけを子供たちに伝える」
「地域に根ざしたスポーツクラブをつくる」を己で体現し、「今が一番楽しい」とまで語る小幡氏だが、その契機はやはり10年前の震災だった。
「こういういろいろなこともできるのもね。震災後に会っていろいろ指導を受けたり、震災を契機に、俺の進むべき道を変えてくれた。震災で亡くなった人たちのためにもそういうことを伝えていきたい。その思いで、今は遊びまわっています」
「だから、いろいろなことを皆に助けてもらって、嫌なこともあったし、辞める時もいろいろなことがあって自分で身を引いて…。でも今は神様にこっちの仕事をしなさいと指示を受けたんだと思った」
今なお指導者であり続ける小幡氏だが、「教える」という言葉をあまり使わず、「伝える」「育てる」「遊ぶ」という言葉を選ぶのが印象的だ。
「(教えるというより)今は伝えるみたいな感じ。『こうやってみたら』とか『こういうやり方はどう』とか。やるかやらないかはその人次第」
「育てるのは時間がかかるし、チームは次の試合のための準備になるんですよ。これがなくなっただけで、今の中学3年生でも、ものすごい伸びてるんですよ」
中学3年生であれば、震災当時は4歳か5歳。小幡氏は小学生を教えているため、震災後に指導を受けたことになる。
「教え子の今年中3の子のうち、3人が(今のチームで)キャプテンをやってるんだ!やっぱりやってきたことは間違いなかったんだなってさ」
数多くのJリーガーを輩出した実績がありながらも、そのこと以上に教え子が中学校のチームでキャプテンを務めることを嬉しそうに語るその姿に、小幡氏の本質を見た気がした。
震災を機に、「教える」から「伝える」へ大きく舵を切った小幡氏だが、「地域に根ざしたスポーツクラブをつくる」「子供たちを育てる」という原点は変わらない。古武術もiPadもビデオデッキも、それらを実現した行動力も全てはそのためということだろう。
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