マネが6600万円をかけて母国に病院を建設、大統領とも面会
2021.06.24 06:35 Thu
リバプールに所属するセネガル代表サディオ・マネが母国に多大な貢献をしている。スペイン『アス』が伝えている。セネガルで生まれ育ったマネは、これまでにも母国に寄付を行い、オフシーズンには必ず帰国するなど、大きな貢献をしてきた。そして、自身が育った小さな村バンバリに約50万ユーロ(約6600万円)をかけて新しく病院を建設した。この病院によって近隣の34の村民がサービスを受けられとのことだ。
さらにマネは、6月上旬にセネガル代表の一員として2試合を戦った後、母国でマッキー・サル大統領と面会。さらなるプロジェクトについて議論を交わしたそうで、郵便局やガソリンスタンドなど他のインフラを整備することを検討しているという。
マネは自身のインスタグラムで大統領と面会したことを報告。拳を合わせる写真とともに次のようにコメントしている。
「国家元首であるマッキー・サル大統領から私に与えられた機会をとても光栄に思っている。サッカーだけでなく、私たちの社会的プロジェクトについての良い議論の瞬間」
さらにマネは、6月上旬にセネガル代表の一員として2試合を戦った後、母国でマッキー・サル大統領と面会。さらなるプロジェクトについて議論を交わしたそうで、郵便局やガソリンスタンドなど他のインフラを整備することを検討しているという。
「国家元首であるマッキー・サル大統領から私に与えられた機会をとても光栄に思っている。サッカーだけでなく、私たちの社会的プロジェクトについての良い議論の瞬間」
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