鈴木隆行
Takayuki SUZUKI
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| ポジション | FW |
| 国籍 |
日本
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| 生年月日 | 1976年06月05日(49歳) |
| 利き足 | 左 |
| 身長 | 182cm |
| 体重 | 75kg |
| ニュース | 人気記事 |
鈴木隆行のニュース一覧
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鈴木隆行引退試合の出場選手第2弾が発表! 藤田俊哉氏や三浦淳寛氏、徳島退団のDF冨田大介らが参加
▽水戸ホーリーホックは22日、2018年1月13日(土)に開催される「茨城トヨペットpresents 鈴木隆行 引退試合」に出場する選手の第2弾を発表した。 ▽「鈴木隆行 引退試合」として行われる試合は、1月13日(土)の13時キックオフ予定。水戸の本拠地であるケーズデンキスタジアム水戸で行われる。試合は、SUZUKI FRIENDS vs MITO SELECTIONSとして行われ、「SUZUKI FRIENDS」には日韓W杯当時のメンバーも踏まえてのスペシャルチームを組み、「MITO SELECTIONS」は、水戸ホーリーホックの現役選手や鈴木隆行氏の在籍時所属していた選手等「水戸選抜」で組まれることとなる。 ▽今回発表されたメンバーは、「SUZUKI FRIENDS」としてジュビロ磐田などで活躍した藤田俊哉氏や東京ヴェルディなどで活躍した三浦淳寛氏が参加。また、「MITO SELECTIONS」には、徳島ヴォルティスでプレーしている冨田大介らが発表された。出場選手は、今後も追加発表される予定となっている。 ■出場選手(12/22現在) 【SUZUKI FRIENDS】 市川大祐 小笠原満男 曽ケ端準 戸田和幸 中田浩二 中村俊輔 中山雅史 名波浩 服部年宏 波戸康広 柳沢敦 阿部敏之(12/22追加) 藤田俊哉(12/22追加) 三浦淳寛(12/22追加) 【MITO SELECTIONS】 飯田優二 石神幸征 内田航平 岡本達也 尾本敬 樹森大介 島田祐輝 常盤聡 西村卓朗 細川淳矢 本間幸司 三島康平 村田翔 森直樹 山村佑樹 吉原宏太 小澤司(12/22追加) 小野博信(12/22追加) 冨田大介(12/22追加) 西岡謙太(12/22追加) ※体調等その他都合により、参加できない場合がございます 2017.12.22 12:20 Fri2
Jヴィレッジ再始動に向け、メッセージボードに夢。鈴木隆行氏「監督で世界へ」、大黒将志「ゴールし続ける」
▽Jヴィレッジは19日、新生Jヴィレッジの再始動100日前イベント『新生Jヴィレッジ、再始動。7.28みんなの夢が、動き出す。』を郡山駅前中央広場で行った。 ▽1997年に日本初のサッカーナショナルトレーニングセンターとして開設されたJヴィレッジ。2011年3月11日に発生した東日本大震災を受け、現在は施設の営業を停止していたが、営業停止から7年4カ月を経て、2018年7月28日、Jヴィレッジの利用が再開する。 ▽イベントでは元日本代表FWの鈴木隆行氏、栃木SCに所属する元日本代表FW大黒将志、お笑い芸人のパンサー尾形さんによるトークショーが実施。その後、メッセージボード「みんなの夢が、動き出す。」がお披露目された。 ▽このメッセージボードは、スポーツに関する夢を書き込み、貼り付けるというもの。子供たちとともに、ゲストの3名も夢を語った。 <div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/cws20180419_3_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brains,LTD.<hr></div>▽鈴木氏は「監督で世界へ」と書いたとのこと。「今、プロの監督を目指して勉強をしています。選手としてはプレーできないので、監督となって、世界に出ていけるように、夢は大きく持っています」とコメント。「もしかしたら、この子達とやるかもしれないですし。オグリ(大黒)ともやるかもしれないですね」と、将来の指導者としての夢を語った。 <div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/cws20180419_3_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brains,LTD.<hr></div>▽大黒は「ゴールし続ける」を夢として書いたとのこと。「それが仕事なので、できる限り長く続けていきたいです」とコメントした。 ▽さらに、「僕も将来監督をやりたいと思っているので、まずはタカさん(鈴木氏)のコーチをやらせてもらって、学んでいきたいです」とオファー。すると鈴木氏は「こういった個性が強い2人が監督とコーチになると上手くいきません。僕みたいに適当にやる人がいたら、真面目で頭がクールな人がいいと思います」とオファーをやんわりと断っていた。またパンサー尾形さんは「僕もホペイロで入れてください」とオファーしていた。 <div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/cws20180419_3_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brains,LTD.<hr></div>▽このメッセージボードは、Jヴィレッジ再始動までに行われるカウントダウンイベントにも登場。各地で、夢を書き込むことが可能となっており、最終的にはJヴィレッジ内に設置される予定となっている。 2018.04.19 23:30 Thu3
日本代表の背番号11/六川亨の日本サッカー見聞録
アジアカップはカタール代表の初優勝で終わり、5度目の戴冠を期待された日本代表は残念ながら準優勝に終わった。準決勝のイラン代表戦では今大会でベストのパフォーマンスから3-0の快勝を収めただけに、後手に回った決勝戦での前半の戦いぶりが悔やまれる。 そのカタール戦、ハーフタイムに控えの選手がピッチでボールを蹴っていたが、乾貴士と遠藤航の姿がなかった。0-2とリードされていただけに、「後半から乾と遠藤の2枚替えか。遠藤がボランチに戻れば守備を立て直すことができるが、体調は大丈夫なのか?」と期待したものの、森保一監督は動かなかった。 最初の交代カードは後半16分、原口元気に代えて武藤嘉紀を起用した。すると19分と21分に武藤が立て続けにヘッドでゴールを狙ったものの、シュートはクロスバーを越え、同点のチャンスを逃してしまった。決めていれば2011年カタール大会決勝の李忠成のようなヒーローになれただけに、武藤にとっては悔いの残るシュートだっただろう。 ただ、最初の交代カードで武藤を抜擢したが、彼の武器であるスピードはスペースがあってこと生きるタイプだ。カタールは自陣のゴール前を固めてカウンター狙いだったため、ゴールをこじ開けるにはクロスに対しガムシャラに飛び込む北川航也の方が効果的ではなかったかと疑問が残る。 それまで5試合に起用し、サブ組のFWでは最長の出場時間だっただけに、なぜ最後までベンチに温存したのか。北川が森保監督の期待に応えることができなかったと言われればそれまでだし、結果論にすぎないという反論もあることは百も承知だ。 そして改めて思うのは、北川は運がないということ。それは北川だけに限らず、今回彼が背負った日本代表の「背番号11」はなぜか結果に恵まれないということだ。 北川の前に「背番号11」を背負っていた選手が誰かと聞かれても、即答できるファンは数少ないのではないだろうか。ロシアW杯での「背番号11」は宇佐美貴史だったが、ほとんど活躍できなかった。 その前は豊田陽平であり、その前はというと柿谷曜一朗、原口元気、ハーフナー・マイク、前田遼一、玉田圭司、播戸竜二、佐藤寿人、巻誠一郎、鈴木隆行、黒部光昭、松井大輔、鈴木隆行、中山雅史、三浦淳寛、呂比須ワグナー、小野伸二、三浦知良らが「背番号11」を背負ってきた。 彼らの中で記憶に残るゴールを決めた選手となると、2002年日韓W杯の初戦ベルギー代表戦(2-2)で同点ゴールを決め、W杯で初めて勝点1をもたらした鈴木くらいではないだろうか。あとは“キング・カズ”の存在感が圧倒的だった。 もともと「背番号11」は左ウイングに与えられるナンバーだったものの、ポジションが流動化した現代サッカーでは9番と10番と同様に攻撃的な選手、ストライカーに与えられる番号でもある。にもかかわらず、日本代表の歴代「11番」は、カズ以降ストライカーとしての輝きを放てていない。 果たして3月に再招集される森保ジャパンにおいて、誰が「背番号11」を受け継ぐのか。そしてゴールという結果を出すことができるのか。23人のメンバーとともに注目したいと思っている。 2019.02.05 16:45 Tue4
あの伝説の2004年アジアカップPK戦に出場していたヨルダン代表GKが現役引退
ヨルダン代表で長らく正守護神を務めたGKアメル・シャフィ(38)が現役引退を発表した。 シャフィは、母国のアル・ファイサリやアル・ヤルムークでプレー。2006年7月からエジプトのイスマイリーでプレー。1年でヨルダンに戻り、アル・ワフダート、シャバーブ・アル・オルドゥンでプレー。2019年1月からはサウジアラビアのアル・フェイハへとレンタル移籍。2020年6月に復帰していた。 ヨルダン代表としては2000年にデビュー。176試合に出場した名守護神として知られ、アジアカップでも4大会に出場。初出場の2004年大会では、伝説の試合に出場していた。 ヨルダン代表が準々決勝に進んだ2004年大会。その相手は日本代表。あのPK戦にまでもつれ込んだ死闘で守護神として出場していた。 1-1で迎えたPK戦では、日本が中村俊輔、三都主アレサンドロが連続で失敗。ここでキャプテンの宮本恒靖が主審に直談判し、PKのエンドを変更。すると福西崇史、中田浩二が成功。ヨルダンの3人目、4人目が失敗すると日本の5人目の中澤佑二が失敗するも、ヨルダンの5人目の失敗。鈴木隆行が成功するとヨルダンは再び失敗し、最後は宮本が決めて勝利した。 シャフィの引退に関しては、ヨルダンサッカー協会が発表。シャフィは「長い検討とアドバイスを経て、人生で最も困難な決断をした。25年のキャリアを終えることを正式に発表する」と語った。 また、「私がヨルダン代表で戦うのと同じレベルで準備をするのは難しいだろうと感じ、トップレベルにいる間に去ることを決意しました」と引退の理由を語った。 2021.02.09 20:20 Tue5

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