
ローマ
Associazione Sportiva Roma S.p.A.国名 |
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創立 | 1927年 |
ホームタウン | ローマ |
スタジアム | スタディオ・オリンピコ |
愛称 | ジャッロロッソ(黄色と赤)、ラ・マジカ(魔法) |
今季の成績
セリエA | 勝点 | 勝数 | 引分数 | 負数 | 得点 | 失点 | 得失差 | 試合数 | ||
5 |
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ラツィオ | 64 | 18 | 10 | 8 | 59 | 46 | 13 | 36 |
6 |
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ローマ | 63 | 18 | 9 | 9 | 51 | 34 | 17 | 36 |
7 |
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ボローニャ | 62 | 16 | 14 | 6 | 54 | 41 | 13 | 36 |
詳細はこちら>
UEFAヨーロッパリーグ | 勝点 | 勝数 | 引分数 | 負数 | 得点 | 失点 | 得失差 | 試合数 | ||
14 |
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ガラタサライ | 13 | 3 | 4 | 1 | 19 | 16 | 3 | 8 |
15 |
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ローマ | 12 | 3 | 3 | 2 | 10 | 6 | 4 | 8 |
16 |
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ビクトリア・プルゼニ | 12 | 3 | 3 | 2 | 13 | 12 | 1 | 8 |
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ニュース | 人気記事 | 選手一覧 | 試合日程 |
ローマのニュース一覧
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1
ルカクは前半に退場させるべきだった…ナポリvsローマ裁いたマッサ主審に1試合職務停止処分か
ナポリvsローマで主審を務めたダビデ・マッサ氏が、誤審によって今週末のセリエAの担当から外れるようだ。イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』が報じている。 マッサ氏は24日に行われたセリエA第13節のデルビー・デル・ソーレで主審を担当。そのビッグマッチはFWロメル・ルカクの古巣恩返しゴールを最後まで守り抜いたホームチームがウノゼロで勝利していた。 しかし、試合後にローマのクラウディオ・ラニエリ監督が「前半に退場すべきだった」と語ったゴールスコアラーのファウルを巡る2つの判定が物議を醸していた。 ルカクはこの試合の前半にDFメーメト・ゼキ・チェリク、GKミレ・スヴィラルの2選手に対して完全なアフターチャージを見舞っていたが、いずれのファウルに関してもイエローカードが出されなかった。 報道によると、イタリア審判委員会の首脳陣はチェリクへのファウルは完全にイエローカードを掲示すべき誤審と考えており、スヴィラルへのファウルは議論の余地はあるものの、イエローカードに値するものだったと考えているという。 そして、このデルビーでのパフォーマンスによってマッサ氏は、今週末のセリエA第14節では完全に担当を外されるか、主審ではなく第4審に降格となる可能性が高いとのことだ。 2024.11.27 12:56 Wed2
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ローマが新スタジアムの計画を発表した。 ローマは1953年の開場以来、ラツィオと共にスタディオ・オリンピコを本拠地として使用してきた。しかし、幾度か修繕や改修は行っているものの、老朽化が否めないこともあり、クラブは以前から新スタジアム建設への動きを進めていた。 ただ、“地面を掘れば遺跡にあたる”とも言われる「永遠の都」特有の事情もあり、その計画はなかなか進まずにいたが、ライアン・フリードキン副会長とリナ・スルークCEOとローマ市長のロベルト・グアルティエリ氏ら市議会の代表者との会談を経て、新スタジアムの計画を発表した。 『YouTube』での新スタジアムのイメージ動画と共にクラブは今回の計画を以下のように説明している。 「ライアン・フリードキン副会長とリナ・スルークCEOを代表とするASローマのトップマネジメントは、本日、ローマ市長ロベルト・グアルティエリ氏と会談し、クラブの新スタジアムのエキサイティングな計画について話し合いました」 「会議では、プロジェクトの革新性と、フットボールファンと地域社会の両方に約束される数多くのメリットに対する共通の熱意が示されました」 「プロジェクトのビデオプレゼンテーションのリリースは、新しいスタジアムのユニークなビジョンとモダンなデザインを紹介し、熱狂的な反響を呼びました。このビジョンの鍵となるのは、ヨーロッパ最大となる予定の新しいクルヴァ・スッドです。このクルヴァ・スッドは、ASローマのサポーターの揺るぎない情熱の証となるでしょう」 また、フリードキン副会長は、このプロジェクトがクラブだけでなくローマという都市、地域社会においても新たな価値を創造するものになると確信している。 「本日、ローマ市長のロベルト・グアルティエリ氏とお会いし、新しいスタジアムのビジョンを発表できたことを光栄に思います。この素晴らしいスタジアムは、ASローマとそのファンの新しいホームであるだけでなく、ローマ市民全員にとってのランドマークでもあります。ヨーロッパ最大のクルヴァとなる予定の新しいクルヴァ・スッドは、サポーターの情熱とエネルギーを体現する強力な焦点となるでしょう。古典的なローマ建築にインスピレーションを得た象徴的なデザインと最先端の設備を備えたこのスタジアムは、フットボールファンから地元のコミュニティまで、すべての人に世界クラスの体験を提供します」 「ASローマの誇りある管理者として、私たちは、クラブの精神と伝統を体現する空間を創り出すとともに、革新と卓越性の世界的なシンボル、そして環境責任のモデルとなることに尽力しています」 「新スタジアムを環境責任のモデルにするという取り組みは、ローマ市長が指摘したように、クラブの価値観やローマ市のより広範な目標と一致しています」 「両者は、開発のさまざまな側面に焦点を当てる作業グループの設立を含む、プロジェクトを進めるためのロードマップについて話し合い、合意しました。これらのグループは、環境基準とコミュニティの関与に細心の注意を払いながら、プロジェクトがスムーズに進むようにします」 「ASローマとそのリーダーシップは、ファンの体験を向上させるだけでなく、コミュニティと環境にプラスの影響を与えるランドマークを作成することに専念しています。新しいスタジアムプロジェクトは、クラブ、ファン、そしてローマ市の誇りのシンボルとなるでしょう」 <span class="paragraph-title">【動画】ローマの新スタジアム構想が発表!</span> <span data-other-div="movie"></span> <iframe width="640" height="360" src="https://www.youtube.com/embed/RE0m08zRgBo" title=" Towards our new stadium " frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe> 2024.07.25 06:30 Thu3
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.18“カペッロ・ローマ”スクデットに貢献した中田/ローマ[2000-2001]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.18</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2000-2001シーズン/ローマ 〜カペッロ・ローマ〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2000-01roma.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ファビオ・カペッロ(54) 獲得タイトル:セリエA 攻撃力8:★★★★★★★★☆☆ 守備力8:★★★★★★★★☆☆ タレント7:★★★★★★☆☆☆ 連係8:★★★★★★★★☆☆ 選手層7:★★★★★★★☆☆☆</p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">常勝のカペッロ・ローマ</div> 1999-00シーズン、同じ街のライバル・ラツィオにスクデットを獲得され、ローマは屈辱のシーズンに終わった。迎えた2000-01シーズン、チームはフィオレンティーナから“ヴィオラの英雄”バティストゥータを獲得。その他、エメルソンやサムエルといった実力者を手に入れて、スクデットを獲得するために十分な戦力を整えた。 リーグが開幕すると、ローマはトッティの創造性溢れるプレーとバティストゥータらストライカーの決定力で破壊的な攻撃を見せつけた。さらに、就任2年目のカペッロ監督が採用する堅い守備戦術も機能し、着実に勝ち点を積み重ねていく。結局、序盤戦からほぼ独走状態を続けたチームは22勝9分3敗、68得点という成績で18年ぶり3回目のスクデットを戴冠した。 2年目のシーズンとなった当時の日本代表MF中田は、あくまでトッティの控えという位置付けだった。それでも腐らなかった中田は終盤戦の第29節、2位ユベントスとの天王山で大仕事をやってのける。2点ビハインドの中、トッティに代わって投入された中田は、見事なミドルシュートでゴールを奪取。さらに、再び自身のシュートからモンテッラの同点弾を演出した。この大一番での活躍が、ローマのスクデット獲得をより確実なものにしたといっても過言ではないだろう。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">前線のトライアングル</div> カペッロ監督の下、チーム内に規律と結果へのこだわりを植え付けられたローマ。守備面では、3バックの中央に入ったサムエルを中心に堅守を披露。ウイングバックに入ったカフーとカンデラは豊富な運動量で上下動を繰り返した。また、ボランチのエメルソンとトンマージが中盤で相手から自由を奪う。 そして、主に攻撃を担当したのが前線の3枚。トップ下に入るトッティを中心としたトライアングルで高速カウンターを仕掛けて得点を重ねた。中田がこの当時、ローマの攻撃がボールを縦に運ぶのが速すぎると漏らしたほど、彼らはボールを縦へ縦へと繋いで相手ゴールを目指した。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">MFフランチェスコ・トッティ(23)</span> ローマの“プリンチペ(王子)”が自身の愛する街に栄冠をもたらした。豪快なシュートに加え、柔らかなタッチのトラップやパスなど、ファンタジー溢れるプレーで攻撃陣を操った。13ゴール挙げるなど得点力を発揮したトッティは、ローマのバンディエラとして現役生活を終えた。 2019.04.12 12:00 Fri4
モウリーニョ解任のローマに“レジェンド”デ・ロッシが帰還! 監督就任に「この感動は言葉では言い表せない」
ローマは16日、新監督にダニエレ・デ・ロッシ氏(40)が就任することを発表した。 契約期間は2024年6月30日までの残りシーズンとなる。 デ・ロッシ新監督は、ローマ育ちでアカデミー出身者。2002年にファーストチームに昇格すると、2019年7月にボカ・ジュニアーズに移籍するまでプレー。ローマ時代には2007年、2008年にはコッパ・イタリアで優勝。2007年にはスーペル・コパも制し、フランチェスコ・トッティ氏が引退してからはキャプテンとしてチームを支えた。 引退後はイタリア代表のテクニカルコーチを務め、2021年のユーロ優勝に貢献。2022年10月から2023年2月まではSPALで指揮を執っていたが、半年でわずか3勝に終わり解任されていた。 ローマでは公式戦通算616試合に出場し63ゴール。18年間プレーしたクラブに監督として復帰することとなったデ・ロッシ新監督は、クラブを通じてコメントしている。 「ローマのテクニカル面でのリーダーシップの責任を私に託してくれたフリードキンファミリーに感謝したい。私としては、今からシーズン終了までの間に待ち受ける試練に立ち向かうため、日々の犠牲を払い、自分の中にある全てを捧げる必要があると思っている」 「ベンチに座ることができる感動は言葉では言い表せない。私にとってローマがどんな存在であるかは、誰もが知っているが、我々全員を待っている仕事は既に引き受けた」 「我々には時間がなく、選択肢もない。競争力を持ち、目標のために戦い、達成しようとすることがスタッフと私が自分たちに与える唯一の優先事項だ」 ローマは16日、4シーズン目を迎えていたジョゼ・モウリーニョ監督を解任。就任1年目の2021-22シーズンはヨーロッパ・カンファレンスリーグで優勝。2022-23シーズンはヨーロッパリーグで決勝に進むも、セビージャにPK戦の末に敗れて準優勝。今シーズンはリーグ戦で序盤から調子が上がらず、14日に行われたセリエA第20節でミランに敗れ、3戦未勝利となっており、9位と苦しんでいた。 2024.01.16 22:15 Tue5
中田英寿氏が波乱万丈のサッカーキャリア回想…『The Atletic』のロングインタビューに答える
元日本代表MFの中田英寿氏が、『The Atletic』のロングインタビューで自身のサッカーキャリアを振り返った。 中田氏はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプロキャリアをスタートし、以降は2006年の現役引退までペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナのイタリア5クラブ、イングランドのボルトンでプレー。 また、日本代表としては1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と3度のワールドカップに出場し、通算77キャップを刻んだ。 そのアジアを代表するレジェンドは『The Atletic』で29歳での現役引退を始め、キャリアにおけるトピックについて語った。 2006年ドイツW杯のグループステージ最終節のブラジル代表戦での1-4の敗戦後、スパイクを脱ぐ決断を下したMFは、その突然の引退から19年を経たなかで改めて決断の理由に言及。 「プロのサッカー選手になる夢は一度もなかったが、どういうわけかそれが実現し、ワールドカップでプレーし、イタリアとイングランドに行った。情熱のためにいつもプレーしていた。私はサッカーのファンではなく、サッカーをプレーするのが好きだった。それが私が引退した理由だ。情熱を失っていたし、情熱がなければ、自分に嘘をついているようなものだった」 「私が好きなのはプレーすることであり、コーチやコメントをすることではない。それが引退後に『別の情熱を見つけなければならない』と言った理由だった」 インタビュー冒頭で、サッカーキャリアの終わりについて語った元日本代表はここからキャリアの最初期に立ち戻り、「当時は、プロサッカー選手になることを夢見る人は誰もいなかった。日本で一番人気のスポーツは野球だった。だけど、結局、私は漫画『キャプテン翼』が大好きだったから、サッカーをやろうと決めた」と、サッカーを始めた理由を明かした。 続けて日本代表が初めてW杯に出場した1998年フランスW杯での奇抜な髪色については「(W杯前でさえ)毎日髪の色を変えていたが、海外でプレーしたかったので世界に知られることが重要だった。だから注目されたいと思っていた」と、振り返る。 その目論見通り、W杯直後にはセリエAのペルージャへ完全移籍。イタリアでのキャリアをスタート。その新天地では加入1年目から鮮烈な輝きを放ったが、プレーすること以外でサッカーに関心がなかったことが良い意味でプラスに働いたという。 「私はサッカーの大ファンではなかったし、サッカーを見たり新聞で読んだりもしなかった。そういう人間ではないんだ。ただサッカーをするのが好きで、毎日もっといい選手になりたいと思っていた」 「イタリアに来たときは、セリエAが世界最高のリーグで、ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デル・ピエロのような選手がいたが、私は選手をあまり知らなかった。リーグのチームの半分も知らなかった」 「でも、そのおかげで自分のプレーに集中できたし、それが私の強みだった。とにかく恐れがなかった」 そのペルージャでの活躍によって2000年にはローマへステップアップ。当時、頭角を現わしていたフランチェスコ・トッティとのポジション争いで苦戦を強いられた一方、2005年1月のユベントス戦ではクラブ史に刻まれた圧巻のロングシュートを突き刺し、ジャッロロッシのスクデット獲得に大きく貢献した。 中田氏はそのローマ時代について「ローマに戻るたびに、ファンのみんなが私のところに来て『ありがとう、ナカタ』と言ってくれる」と、自身の重要な働きに満足感を示した。 その後、1年でイタリアの首都を離れてパルマに活躍の場を移すと、コッパ・イタリア優勝に貢献。2年連続のタイトル獲得を経験。そして、日韓W杯では大会の目玉選手の一人として日本代表史上初の決勝トーナメント進出に貢献した。 「もっといい結果を出せたはず」トルコ代表に敗れてのベスト16に不満を示しながらも、「雰囲気は素晴らしかった」と、自国開催のW杯をポジティブに振り返った。 「日本では誰もが、私たちがグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出するだろうと期待していたが、それはとても大変だった」 「私たちはとても若いチームで、ほとんどのメンバーがワールドカップでプレーしたことがなかった。当時、海外でプレーしていたのは数人だけで、プレッシャーは大きかった。しかし同時に、国全体が私たちを応援してくれたので、雰囲気は素晴らしかった」 その後、チェーザレ・プランデッリ監督との衝突を機に、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリア国内での移籍を繰り返した後、2005年に7年間過ごしたイタリアを離れ、プレミアリーグのボルトンへレンタル移籍。 自身最後のクラブとなったマンチェスターのクラブではキック&ラッシュでお馴染みのサム・アラダイス監督が率いたチームということもあり、イタリアと大きく異なる環境面を含めて難しい日々を過ごした。 「イタリアから来たので、サッカーはまったく違っていた。多くのチームがロングボールをプレーしていた。それは少しショックだった。そしてイタリアからマンチェスターに来て、食べ物の面でも違ったし、雨も多かった。そういった意味で少し大変だった」 その後、前述のドイツW杯での現役引退で中田氏の波乱万丈のサッカーキャリアは締めくくられた。 そして、自身のサッカーキャリアを通じて「どのように記憶されたいか?」との問いに対して、中田氏は「私は美しいプレー、優雅さが好きだ。ジネディーヌ・ジダンのようなプレーが美しい。スピードやパワーではなく、美しいパス、美しいプレー。ゴールである必要はない。私は優雅さが好きで、サッカーだけでなく人生でもそうだ。優雅で美しいものが好きだ。つまり美しい服、美しい建築物、デザイン、景色…」と返答している。 現役引退後は3年間に渡っておよそ100カ国以上を巡る放浪の旅に出て、以降は魅了された日本酒造りや日本茶のブランド立ち上げなど、日本の文化や食文化の発信者として活躍する48歳。 今回のロングインタビューの最後には改めて自身の生き方について語り、これからも自身の情熱の赴くがままに様々なことにチャレンジしたいと結んだ。 「29歳で引退したとき、たくさんの人から『まだプレーできるよ』とか『サッカー業界で働いてコーチでもしたらどうだ』と言われた」 「でも、できるからやることを選んでいるわけではない。やりたいからやっている」 「私は好きなことをやっている。だからファッションが好きならファッションをやるし、他の文化が好きなら他の文化。日本酒が好きなら日本酒をやる」 「他の人は時々その理由が理解できないことがある。それは私が情熱を持ってやっているからだ」 2025.03.19 00:14 Wedローマの選手一覧
70 | GK |
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ジョルジオ・デ・マルツィ | |||||||
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2007年04月18日(18歳) |
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0 |
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0 |
73 | GK |
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アレッシオ・マルカッチーニ | |||||||
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2008年10月01日(17歳) |
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0 |
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0 |
89 | GK |
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レナト・マリン | |||||||
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2006年07月10日(19歳) | 190cm |
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0 |
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0 |
95 | GK |
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ピエルルイジ・ゴッリーニ | |||||||
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1995年03月18日(30歳) | 188cm | 80kg |
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7 |
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0 |
99 | GK |
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ミレ・スヴィラル | |||||||
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1999年08月27日(26歳) | 189cm |
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48 |
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0 |
2 | DF |
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デヴィン・レンシュ | |||||||
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2003年01月18日(22歳) | 179cm |
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20 |
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0 |
3 | DF |
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アンヘリーニョ | |||||||
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1994年01月04日(31歳) | 176cm |
![]() |
47 |
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4 |
5 | DF |
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エヴァン・エンディカ | |||||||
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1999年08月20日(26歳) | 190cm |
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47 |
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1 |
12 | DF |
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サウード・アブドゥルハミド | |||||||
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1999年07月18日(26歳) | 171cm | 69kg |
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8 |
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1 |
15 | DF |
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マッツ・フンメルス | |||||||
![]() |
1988年12月16日(36歳) | 191cm | 92kg |
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18 |
![]() |
1 |
19 | DF |
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メーメト・ゼキ・チェリク | |||||||
![]() |
1997年02月17日(28歳) | 180cm |
![]() |
39 |
![]() |
1 |
23 | DF |
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ジャンルカ・マンチーニ | |||||||
![]() |
1996年04月17日(29歳) | 191cm |
![]() |
44 |
![]() |
2 |
25 | DF |
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ヴィクトル・ネルソン | |||||||
![]() |
1998年10月14日(26歳) | 185cm | 75kg |
![]() |
8 |
![]() |
0 |
34 | DF |
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アナス・サラー=エディン | |||||||
![]() |
2002年01月18日(23歳) | 181cm |
![]() |
3 |
![]() |
0 |
66 | DF |
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ブバ・サンガレ | |||||||
![]() |
2007年08月06日(18歳) | 183cm |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
72 | DF |
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フェデリコ・ナルディン | |||||||
![]() |
2007年02月18日(18歳) |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
4 | MF |
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ブライアン・クリスタンテ | |||||||
![]() |
1995年03月03日(30歳) | 186cm | 82kg |
![]() |
36 |
![]() |
3 |
7 | MF |
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ロレンツォ・ペッレグリーニ | |||||||
![]() |
1996年06月19日(29歳) | 186cm |
![]() |
32 |
![]() |
3 |
16 | MF |
![]() ![]() |
レアンドロ・パレデス | |||||||
![]() |
1994年06月29日(31歳) | 180cm |
![]() |
28 |
![]() |
2 |
17 | MF |
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マヌ・コネ | |||||||
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2001年05月17日(24歳) | 185cm |
![]() |
42 |
![]() |
2 |
27 | MF |
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リュカ・グルナ=ドゥアト | |||||||
![]() |
2003年08月05日(22歳) | 185cm |
![]() |
5 |
![]() |
0 |
35 | MF |
![]() ![]() |
トンマーゾ・バルダンツィ | |||||||
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2003年03月23日(22歳) | 170cm |
![]() |
38 |
![]() |
1 |
56 | MF |
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アレクシス・サーレマーケルス | |||||||
![]() |
1999年06月27日(26歳) | 180cm |
![]() |
28 |
![]() |
6 |
61 | MF |
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ニッコロ・ピジッリ | |||||||
![]() |
2004年09月23日(21歳) | 180cm |
![]() |
38 |
![]() |
3 |
11 | FW |
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アルテム・ドフビク | |||||||
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1997年06月21日(28歳) | 184cm | 76kg |
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43 |
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14 |
14 | FW |
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エルドル・ショムロドフ | |||||||
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1995年06月29日(30歳) | 190cm |
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33 |
![]() |
6 |
18 | FW |
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マティアス・スーレ | |||||||
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2003年04月15日(22歳) | 182cm |
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36 |
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5 |
21 | FW |
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パウロ・ディバラ | |||||||
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1993年11月15日(31歳) | 179cm | 75kg |
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35 |
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8 |
92 | FW |
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ステファン・エル・シャーラウィ | |||||||
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1992年10月27日(32歳) | 178cm | 72kg |
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38 |
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3 |
監督 |
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クラウディオ・ラニエリ | ||||||||
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1951年10月20日(73歳) |
ローマの試合日程
セリエA
第1節 | 2024年8月18日 | A |
![]() |
0 | - | 0 | vs |
![]() |
カリアリ |
第2節 | 2024年8月25日 | H |
![]() |
1 | - | 2 | vs |
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エンポリ |
第3節 | 2024年9月1日 | A |
![]() |
0 | - | 0 | vs |
![]() |
ユベントス |
第4節 | 2024年9月15日 | A |
![]() |
1 | - | 1 | vs |
![]() |
ジェノア |
第5節 | 2024年9月22日 | H |
![]() |
3 | - | 0 | vs |
![]() |
ウディネーゼ |
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第1節 | 2024年9月26日 | H |
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1 | - | 1 | vs |
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アスレティック・ビルバオ |
セリエA
第6節 | 2024年9月29日 | H |
![]() |
2 | - | 1 | vs |
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ヴェネツィア |
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第2節 | 2024年10月3日 | A |
![]() |
1 | - | 0 | vs |
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エルフスボリ |
セリエA
第7節 | 2024年10月6日 | A |
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1 | - | 1 | vs |
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モンツァ |
第8節 | 2024年10月20日 | H |
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0 | - | 1 | vs |
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インテル |
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第3節 | 2024年10月24日 | H |
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1 | - | 0 | vs |
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ディナモ・キーウ |
セリエA
第9節 | 2024年10月27日 | A |
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5 | - | 1 | vs |
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フィオレンティーナ |
第10節 | 2024年10月31日 | H |
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1 | - | 0 | vs |
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トリノ |
第11節 | 2024年11月3日 | A |
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3 | - | 2 | vs |
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エラス・ヴェローナ |
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第4節 | 2024年11月7日 | A |
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1 | - | 1 | vs |
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ユニオン・サン=ジロワーズ |
セリエA
第12節 | 2024年11月10日 | H |
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2 | - | 3 | vs |
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ボローニャ |
第13節 | 2024年11月24日 | A |
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1 | - | 0 | vs |
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ナポリ |
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第5節 | 2024年11月28日 | A |
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2 | - | 2 | vs |
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トッテナム |
セリエA
第14節 | 2024年12月2日 | H |
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0 | - | 2 | vs |
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アタランタ |
第15節 | 2024年12月7日 | H |
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4 | - | 1 | vs |
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レッチェ |
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第6節 | 2024年12月12日 | H |
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3 | - | 0 | vs |
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ブラガ |
セリエA
第16節 | 2024年12月15日 | A |
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2 | - | 0 | vs |
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コモ |
コッパ・イタリア
ラウンド16 | 2024年12月18日 | H |
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4 | - | 1 | vs |
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サンプドリア |
セリエA
第17節 | 2024年12月22日 | H |
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5 | - | 0 | vs |
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パルマ |
第18節 | 2024年12月29日 | A |
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1 | - | 1 | vs |
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ミラン |
第19節 | 2025年1月5日 | H |
![]() |
2 | - | 0 | vs |
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ラツィオ |
第20節 | 2025年1月12日 | A |
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2 | - | 2 | vs |
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ボローニャ |
第21節 | 2025年1月17日 | H |
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3 | - | 1 | vs |
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ジェノア |
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第7節 | 2025年1月23日 | A |
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1 | - | 0 | vs |
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AZ |
セリエA
第22節 | 2025年1月26日 | A |
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1 | - | 2 | vs |
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ウディネーゼ |
UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第8節 | 2025年1月30日 | H |
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2 | - | 0 | vs |
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フランクフルト |
セリエA
第23節 | 2025年2月2日 | H |
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1 | - | 1 | vs |
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ナポリ |
コッパ・イタリア
準々決勝 | 2025年2月5日 | A |
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3 | - | 1 | vs |
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ミラン |
セリエA
第24節 | 2025年2月9日 | A |
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0 | - | 1 | vs |
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ヴェネツィア |
UEFAヨーロッパリーグ
プレーオフ1stレグ | 2025年2月13日 | A |
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1 | - | 1 | vs |
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ポルト |
セリエA
第25節 | 2025年2月16日 | A |
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0 | - | 1 | vs |
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パルマ |
UEFAヨーロッパリーグ
プレーオフ2ndレグ | 2025年2月20日 | H |
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3 | - | 2 | vs |
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ポルト |
セリエA
第26節 | 2025年2月24日 | H |
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4 | - | 0 | vs |
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モンツァ |
第27節 | 2025年3月2日 | H |
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2 | - | 1 | vs |
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コモ |
UEFAヨーロッパリーグ
ラウンド16・1stレグ | 2025年3月6日 | H |
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2 | - | 1 | vs |
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アスレティック・ビルバオ |
セリエA
第28節 | 2025年3月9日 | A |
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0 | - | 1 | vs |
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エンポリ |
UEFAヨーロッパリーグ
ラウンド16・2ndレグ | 2025年3月13日 | A |
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3 | - | 1 | vs |
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アスレティック・ビルバオ |
セリエA
第29節 | 2025年3月16日 | H |
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1 | - | 0 | vs |
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カリアリ |
第30節 | 2025年3月29日 | A |
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0 | - | 1 | vs |
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レッチェ |
第31節 | 2025年4月6日 | H |
![]() |
1 | - | 1 | vs |
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ユベントス |
第32節 | 2025年4月13日 | A |
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1 | - | 1 | vs |
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ラツィオ |
第33節 | 2025年4月19日 | H |
![]() |
1 | - | 0 | vs |
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エラス・ヴェローナ |
第34節 | 2025年4月27日 | A |
![]() |
0 | - | 1 | vs |
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インテル |
第35節 | 2025年5月4日 | H |
![]() |
1 | - | 0 | vs |
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フィオレンティーナ |
第36節 | 2025年5月12日 | A |
![]() |
2 | - | 1 | vs |
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アタランタ |
第37節 | 2025年5月18日 | H | vs |
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ミラン |
第38節 | 2025年5月25日 | A | vs |
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トリノ |