横山知伸

Tomonobu YOKOYAMA
ポジション DF
国籍 日本
生年月日 1985年03月18日(40歳)
利き足
身長 184cm
体重 75kg
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横山知伸のニュース一覧

1月18日、19日の両日、熊本で開催された第14回フットボールカンファレンスにズームで参加した。このカンファレンスは基本的に指導者向けで有料のため、オブザーバーはSNSでの発信を禁じられている。このため「指導者育成システム」の講義内容を紹介することはできない。 そのカンファレンスの冒頭、司会を務めた影山雅永JFA 2025.01.20 13:00 Mon
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川崎フロンターレの鬼木達監督が中村憲剛氏の引退試合を振り返った。 14日、『明治安田 presents 中村憲剛 引退試合』がUvance とどろきスタジアム by Fujitsuで開催。川崎Fや日本代表で活躍した中村の引退試合が、キャリアに終止符を打ってから4年の時を経て実現した。 今シーズン限りで川崎F 2024.12.14 23:33 Sat
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川崎フロンターレひと筋で現役キャリアを築き、日本代表としても活躍した中村憲剛氏の引退試合が14日に『明治安田 presents 中村憲剛 引退試合』と銘打たれ、Uvance とどろきスタジアム by Fujitsuで開催された。 2020シーズンをもって現役生活を終えてから、4年越しで実現した中村の引退試合。前半 2024.12.14 16:31 Sat
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大宮アルディージャは11日、U18フィジカルコーチ兼U18コーチの横山知伸氏が逝去したと発表した。38歳だった。 横山氏は現役時代に早稲田大学から川崎フロンターレ入りし、プロキャリアをスタートさせ、セレッソ大阪や、大宮、北海道コンサドーレ札幌、 ロアッソ熊本、FC岐阜でプレー。大宮では2014年から3シーズンにわ 2024.01.11 15:15 Thu
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大宮アルディージャは9日、2023シーズンの新体制、選手背番号を発表した。 2022シーズンは明治安田生命J2リーグを戦い、J1への昇格を目指したものの、霜田正浩監督の下で開幕から低迷。初勝利は第10節という状況に。その後も結果が出ないと、相馬直樹監督がシーズン途中に就任した。 粘り強い戦いを見せる一方で、 2023.01.09 13:10 Mon
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脳腫瘍からカムバックも昨季現役引退の横山知伸が札幌アカデミーのスタッフ入り

北海道コンサドーレ札幌は2日、アカデミーグループの新スタッフを発表。昨シーズン限りで現役を引退した横山知伸がアカデミーフィジカルコーチに就任した。 横山は、東京都出身で、帝京高校、早稲田大学を経て2008年に川崎フロンターレへ入団。証券会社への内定が決定しながらも、プロ入りを選択した。 川崎Fでは4シーズンを過ごし、主にボランチでプレー。2012年からはセレッソ大阪、2014年からは大宮アルディージャでプレー。2017年に札幌へ加入し、2シーズンを過ごした。 2018年末に体調不良で入院すると脳腫瘍と診断。その後懸命なリハビリを経て、2019年9月にFC岐阜へと加入。しかし、公式戦に出場することはなく、そのまま現役を引退していた。 また、横山以外にも、旭川U-15コーチとして山下泰明氏が就任。山下氏は北海道出身で、札幌の下部組織で育ち、金沢星稜大学から2016年にファジアーノ岡山へ入団。そのままファジアーノ岡山ネクストで選手登録さたが1年で引退していた。引退後の2017年からは石川県のセブンサッカースクールで指導を行っていた。 2020.04.02 18:33 Thu
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横山知伸氏が38歳で逝去…昨夏に脳腫瘍再発、大宮が発表

大宮アルディージャは11日、U18フィジカルコーチ兼U18コーチの横山知伸氏が逝去したと発表した。38歳だった。 横山氏は現役時代に早稲田大学から川崎フロンターレ入りし、プロキャリアをスタートさせ、セレッソ大阪や、大宮、北海道コンサドーレ札幌、 ロアッソ熊本、FC岐阜でプレー。大宮では2014年から3シーズンにわたって所属した。 2018年12月に脳腫瘍と診断され、摘出手術を受けたが、リハビリの末に2019年9月からFC岐阜で復帰。その岐阜を最後のクラブとして2020年2月に現役を退き、札幌アカデミーのフィジカルコーチとして指導者の道を歩み出した。 昨年から大宮のフィジカルコーチに就き、同年5月からU18フィジカルコーチ兼U18コーチに。クラブによると、4日に逝去し、葬儀は家族葬にて執り行ったという。後日、「お別れの会」を予定し、日時や場所等の詳細は改めて発表される。 大宮の代表取締役社長を務める佐野秀彦氏は次のようにコメントを発表している。 「大宮アルディージャは、とても大切なかけがえのない仲間を亡くしました。突然の訃報に接し、信じられない気持ちでおり、悲しみにたえません」 「今夏、脳腫瘍の再発の診断されてから、必ずピッチに戻るという強い意志のもと、懸命に治療、リハビリに励んでまいりましたが、残念ながら帰らぬ人となり、無念でなりません」 「トップチームの選手としてともに戦った2014-2016シーズンは、強固なディフェンス力と確かな技術、そして空中戦の強さを武器に、チームを多くの勝利に導く活躍をしてくれました。2015シーズンの『J2優勝 J1昇格』、2016シーズンの「J1最高順位」は彼の活躍なくては成し得なかったことでありました。ピッチを離れても持ち前の明るいキャラクターと細やかな気遣い、類稀なるコミュニケーション力でチームを、そしてクラブを明るく照らし続けてくれました」 「2018年末に脳腫瘍を発症した際には、『必ず選手としてピッチに戻る』という強い意志を持って治療に向き合い、プロサッカー選手としてJリーグの舞台に戻ってきた姿は、我々をはじめ多くの方々に勇気と感動を届けてくれました。2019年2月9日、NACK5スタジアム大宮で大宮アルディージャサポーターがいち早く闘病中の横山選手へ送ってくれた励ましのチャント、そしてコールが彼の挑戦を後押ししてくれたと思っております」 「2023シーズン、トップチームのフィジカルコーチとして7シーズンぶりにクラブへ戻ってきてからも、自身を成長させてくれたサッカー界へ恩返しすべく、これまでの経験をもとに選手の成長、チームの成長のために全てを大宮アルディージャへ費やしてくれました」 「未来に向かい、ともに成長を続けていく仲間との早すぎる別れは、残念でなりません。クラブスタッフ一同、横山コーチの常に高みを目指し挑戦し続ける勇姿を心に刻み、意思を引き継ぎ精進してまいります」 「ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします」 2024.01.11 15:15 Thu
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大宮、フィジカルコーチにかつて選手として所属した横山知伸氏が就任「熱い応援をよろしくお願いします」

大宮アルディージャは7日、フィジカルコーチにかつて選手として所属したOBの横山知伸(37)が就任することを発表した。 現役時代の横山は、早稲田大学から川崎フロンターレへと入団。セレッソ大阪でプレーしたのち、2014年に大宮に加入した。 ボランチやセンターバックでプレーし、J1で5位というクラブ史上最高成績にも貢献。2017年は北海道コンサドーレ札幌へ期限付き移籍すると、2018年に完全移籍。シーズン途中にロアッソ熊本へ期限付き移籍した。 しかし、2018年末に脳腫瘍と診断。手術を受けると、2019年9月にFC岐阜で現役生活を続行。しかし、プレーすることなく同年限りでの現役引退となった。 引退後は古巣である札幌のアカデミーでフィジカルコーチを務めていた。 横山はクラブを通じてコメントしている。 「2023シーズンからフィジカルコーチを務めることになりました横山知伸です。自分自身、日々勉強し選手の成長に貢献していきます。熱い応援をよろしくお願いします」 なお、昨シーズンまでフィジカルコーチを務めていた岡本隆吾氏(49)は退任。大宮U18のフィジカルコーチとなる。 2023.01.07 10:25 Sat
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「憲剛ともプレーできて面白かった」鬼木達監督が教え子兼後輩の中村憲剛の誘いに感謝、盛大な引退試合には「人柄の良さがここまでにした」

川崎フロンターレの鬼木達監督が中村憲剛氏の引退試合を振り返った。 14日、『明治安田 presents 中村憲剛 引退試合』がUvance とどろきスタジアム by Fujitsuで開催。川崎Fや日本代表で活躍した中村の引退試合が、キャリアに終止符を打ってから4年の時を経て実現した。 今シーズン限りで川崎Fの指揮官を退き、来季からは鹿島アントラーズを率いる鬼木監督も参加。「KAWASAKIフレンズ」がブルーチームとホワイトチームに分かれて戦った後半でピッチに立ち、ゴールまであと一歩に迫る場面もあった。 現役時代の後輩でもある中村の引退試合について、「面白かったです。憲剛ともプレーできましたし」と鬼木監督はコメント。「やっぱり懐かしいです。より(感覚が)わかるなというのがわかりました。絶対来るんだろうなとか、そういうのはありましたね。よかったです」と感想を述べた。 また、中村の人望の厚さにも言及。2万2014人の集客や、かつてのチームメイトで2016年に急逝したアルトゥール・マイア、2024年1月に亡くなった横山知伸への試合中の配慮にも触れた。 「もちろん規模とかそういうのが素晴らしいのはわかりますけど、憲剛でないと今日のこの人の集まり方(はない)。こういうのって人柄ではないですか。それは改めて憲剛の人柄の良さがここまでにしたんだなという。簡単なことではないではないです。こんな大きいことは。なおかつこれだけ満員になる人を呼べて」 「もう1つ僕がやっぱり憲剛らしいなというか、感動したのは、亡くなった2人に対してのリスペクトというか。こみ上げてくるものが来てしまうくらい。そういうのも含めて、憲剛だからできたことかなというのがあるので、参加させてもらえて本当に良かったなと思います」 「自分自身もやっぱり忘れてほしくない仲間。でもそういうのをこういう形で示せるのは、憲剛ではないとできないことだと思うし、それは改めて彼のすごさを見せられた」 「自分も本人にはいろいろ話しましたけど、いろんな思いがあったので、今日こういう最後、こういう形でいろんな人に憲剛のプレーを見てもらえたこと。あとは本人も言っていましたけど、(引退が)コロナ禍のなかで。僕はもっと違うところにいろんな思いがあるのですけど、それが今日こういう形でやってもらえたのは本当に良かったですし、誘ってもらえて嬉しかったです」 さらに、中村とともに作り上げた川崎フロンターレについても語った鬼木監督。同じく引退試合に参加したMF家長昭博も述べていたように、2017年のJ1リーグ初優勝が最も印象に残っているという。 「本当にいろんな思い出がありますけど、結局は2017年のあの優勝が頭に一番浮かびますし、あの景色・光景は忘れられないもの。なおかつ、結局あの時の憲剛の涙ではないですか。というぐらいやっぱり思いは深いですね。自分も長く監督やらせてもらいましたけど、あの時の景色というのは忘れられないものかなと思います」 中村をレジェンドたらしめている点については、「フロンターレの価値とはなんだとみたいなものを植え付けてくれた選手の1人というか、選手だと思います」と鬼木監督。後輩であり、教え子でもあるMFへのリスペクトを語った。 「後輩になりますけれども、本当に尊敬できるというか。そういう選手なので、改めて僕が今さら説明する必要もないくらい。今日の人たちを見ればわかるかなと思います」 「こうやって集まらせてくれるきっかけを作ってくれたというのは、やっぱり憲剛でなければできないし。いろんな思い出が本当にありますね。憲剛が入りたての時のメンバーもいれば、最後の方のメンバーもいるし。僕はずっと関わっていますけれど。そういう面々と会えたというのも、自分のなかでは嬉しかったですね」 一方、12日には鹿島の新監督になることが発表された指揮官。引退試合参加の経緯も明かしている。 「憲剛に誘ってもらってから退任なのはありましたけれど、本当の最後はここなんだろうなと思っていたので、そういう思いはあります。だけど、やっぱり今日憲剛の日だから、自分よりも憲剛を取り上げてほしいなというのはありますね(笑)。できるだけ出しゃばりたくないというか。一緒に見たかったので。でも自分は一緒にプレーできたので、それは本当に良かったです」 「(中村からの誘いは)それも結構深いからあまり言えないです。言えないですけど… 難しいですね。表現が難しいです。でもこのタイミングで来たかという感じのところで来てくれて。それで1回お願いされて、できればと。まだ試合もあったし、返事は最終戦終わってからで構わないので、みたいな感じでは言ってくれていて。それでいろんな話をして」 「これも言ったらあれなのかな。本当の本当の最後、麻生(練習場)の練習の最後の日に憲剛が来てくれて。みんな全員いなくなってからいろいろ話す機会があって。本当にいろんな思いはありましたね。そこではもう返事したのかな。考えるということでもなかったですけど、いろんなことがあったので、良いのかなとかいろんな思いがあった」 「(参加して)僕もお礼を言えたし、憲剛もいろんな思いを言ってくれて、お互い良かったということを言えたのはありがたかったです」 2024.12.14 23:33 Sat