ヘンリク・ラーション Henrik Edward Larsson

ポジション FW
国籍 スウェーデン
生年月日 1971年09月20日(52歳)
利き足
身長 178cm
体重 72kg
ニュース
ニュース一覧

ベルカンプ、カイト、ラーション、クーマン…イングランドクラブ買収を計画か

名だたる元選手たちが手を組み、イングランドクラブの買収を計画しているようだ。 イギリス『デイリー・メール』によると、買収を考えるクラブの名こそ伏せられたままだが、アーセナルのレジェンドOBとして語り継がれるデニス・ベルカンプ氏ら元選手がリーグ1(3部相当)、あるいはリーグ2(4部相当)のチームを狙っているという。 ベルカンプ氏以外の顔ぶれはというと、元リバプールのディルク・カイト現ベールスホット監督、セルティックやバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドなどを渡り歩いたヘンリク・ラーション氏、バルセロナOBのロナルド・クーマン現オランダ代表監督だ。 その計画が明るみとなったのはフットボールエージェントのロブ・ヤンセン氏が話した内容から。ポッドキャスト『Kieft Jansen Egmond Gijp』で、ベルカンプ氏がアカデミーを指導し、ラーション氏が監督になる絵も含め、こう証言したようだ。 「我々はイングランドのクラブを買収しようとしている。どのクラブかはまだ言えないがね。どんなグループかは言える。ロナルド・クーマン、デニス・ベルカンプ、ヘンリク・ラーション、そしてディルク・カイトだ」 「今はリーグ2か、リーグ1を検討している。周りの何人かと動いているところで、出資者もいる。ロンドンである必要はない。計画は広い意味でフットボールクラブを経営することにある」 「我々が考えるやり方でね。トレーニング、ホスピタリティ、マーチャンダイジング、マーケティング、すべてでだ。我々にはグループがあって、あと1人か、2人が加わるかもしれない」 「私が挙げた名もクラブ内で役割につくだろう。ヘンリク・ラーションは監督を志望している。ベルカンプはアカデミーを立ち上げるだろう。そして、クーマンも仕事をするために来る」 2024.02.28 16:15 Wed

電撃退任のポステコグルー監督の後任は誰に? 横浜FMのマスカット監督も急浮上、セルティック監督候補は多数

電撃的にセルティックの監督を退任し、トッテナムの指揮官に就任したアンジェ・ポステコグルー監督。セルティックは2シーズンで大きな成果を残した指揮官の後任探しに追われている。 2021年夏、横浜F・マリノスの監督を退任し、セルティックにやってきたポステコグルー監督。ヴィッセル神戸から日本代表FW古橋亨梧を獲得すると、チームのスコアラーとして躍動。冬には、日本代表FW前田大然、MF旗手怜央、MF井手口陽介を獲得し、リーグ優勝とリーグカップの2冠を達成した。 2年目の今シーズンは、さらにチームが進化。古橋はリーグ得点王の活躍を見せ、MVPも受賞。旗手、前田も大きく活躍すると、冬に加入したDF岩田智輝、DF小林友希もチームの一員としてプレー。前年を上回る国内3冠を達成していた。 栄光の日々を取り戻したセルティックだが、ポステコグルー監督は3冠達成の歓喜が冷めやらぬうちにチームを離れ、トッテナムの監督に就任。その結果、セルティックの監督人事が大きな騒ぎとなっている。 予てから候補にあがっていたのはウェストハムのデイビッド・モイーズ監督。スコットランド人であることもあり、就任の可能性も騒がれたが、ウェストハムでのキャリアを続けることが濃厚だ。 その他には、マンチェスター・シティのアシスタントコーチを務めるエンツォ・マレスカ氏やレスター・シティの監督を解任されてフリーのブレンダン・ロジャーズ氏、チェルシーの監督を解任されてフリーのグレアム・ポッター氏などの複数の名前が浮上。また、元セルティックのエースでもあるヘンリク・ラーション氏や元クロアチア代表監督でもあるスラヴェン・ビリッチ氏なども候補にあがっている。 イギリス『デイリー・レコード』によれば、ビリッチ氏は就任にかなり前向きとのこと。どの監督を連れてくるかは注目に値するが、驚きの名前もあがっている。 それが横浜F・マリノスのケヴィン・マスカット監督だ。 ポステコグルー監督のセルティック監督就任を受け、横浜FMの監督に就任したマスカット監督。チームを引き継ぐと、2年目の2022シーズンは見事に明治安田生命J1リーグで優勝を果たしている。 イギリス『デイリー・メール』によれば、横浜FMでも似たスタイルのサッカーを披露し、徐々に自身のスタイルにシフトしていったが、セルティックも同じ流れを組みたいと考えているとのことだ。 また、前田や岩田は横浜FM時代に指導したこともあり、チームの中心でもある日本人選手を知っていることもプラスに働くと見られている。 ポステコグルー監督も電撃的にチームを去ったが、マスカット監督も同様に引き抜かれてしまうのか。ただ、レンジャーズで現役時代にプレーした経験は足枷になるとも見られており、あくまで候補の1人とのこと。果たして、セルティックは誰がチームを率いるのだろうか。 2023.06.07 22:38 Wed

シャルケが“スウェーデンの英雄”ヘンリク・ラーションの息子、ヨルダン・ラーションを完全移籍で獲得

シャルケは5日、スウェーデン代表FWヨルダン・ラーション(25)を完全移籍で獲得することを発表した。 契約期間は2025年夏までの3年間となる。背番号は「7」に決まった。 ラーションはクラブを通じて、加入のコメントをしている。 「シャルケは、過去数カ月間で目覚ましい進歩を遂げた。チームの一員となり、シーズンの成功に貢献できることを楽しみにしている」 ラーションはこれまでヘルシンボリやNECナイメヘン、スパルタク・モスクワなどでプレー。しかし、今年2月のロシアによるウクライナへの軍事侵攻を受け、国際サッカー連盟(FIFA)の特例措置で母国のAIKソルナへとレンタル移籍していた。 スウェーデン代表としても7試合で1ゴールを記録しているヨルダンは、スパルタク・モスクワでは83試合で27ゴール9アシスト。AIKソルナでも11試合で3ゴール2アシストを記録していた。 父は、スウェーデン代表のレジェンドであり、フェイエノールトやセルティック、バルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドなどでストライカーとして活躍したヘンリク・ラーション氏。同じストライカーとして、ブンデスリーガでの活躍が期待される。 2022.08.05 22:33 Fri

ラーションの息子が吉田麻也の同僚に? ロシアクラブ退団でシャルケ移籍が接近

スウェーデンのレジェンドであるヘンリク・ラーション氏の息子であるスウェーデン代表FWヨルダン・ラーション(25)が、ブンデスリーガに挑戦するようだ。ドイツ『ビルト』が伝えた。 フェイエノールトやセルティック、バルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドなどでストライカーとして活躍した父を持つヨルダンは、これまでヘルシンボリやNECナイメヘン、スパルタク・モスクワなどでプレーした。 しかし、今年2月のロシアによるウクライナへの軍事侵攻を受け、国際サッカー連盟(FIFA)の特例措置で母国のAIKソルナへとレンタル移籍していた。 未だに軍事侵攻は終息せず特例措置が継続する中、スパルタく・モスクワを退団したヨルダンはドイツ移籍が近づいているようだ。 そのクラブは、日本代表DF吉田麻也も所属するシャルケ。『ビルト』によれば、5日にもメディカルチェックを受け、そのまま契約を結ぶとしている。 スウェーデン代表としても7試合で1ゴールを記録しているヨルダンは、スパルタク・モスクワでは83試合で27ゴール9アシスト。AIKソルナでも11試合で3ゴール2アシストを記録していた。 昇格組のシャルケにとってはまずは残留、そしてなるべく高い順位でシーズンを終えることだが、若いチームの助けになると見られている。 2022.08.05 12:20 Fri

ラーション息子ヨルダンがS・モスクワから母国クラブへレンタル移籍! FIFAの特例措置を利用

スパルタク・モスクワのスウェーデン代表FWヨルダン・ラーション(24)が、母国のAIKソルナに今シーズン終了までレンタル移籍することになった。AIKが4日に加入を発表した。 現在、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、ロシアリーグに所属する外国籍選手は、国際サッカー連盟(FIFA)の特例措置によって移籍期間外での移籍が許可されている。 そして、ラーションはその特例措置を利用し、今シーズン終了までの契約で母国クラブにレンタル移籍することになった。 スウェーデンの伝説的プレーヤー、ヘンリク・ラーション氏を父親に持つヨルダンは、母国2部のホガボリでプロデビュー。2014年に父親も在籍していたヘルシンボリに完全移籍すると、2015年からはその父親がトップチームの監督に就任し、指揮官と選手という立場で親子共演が果たされていた。 その後、オランダのNECナイメヘン、母国のノルシェーピンを経て2019年にスパルタク・モスクワへ完全移籍。ここまで公式戦83試合に出場し、27ゴール9アシストの数字を残している。 175cmとサイズは標準も父親譲りの身体能力に加え、攻撃的MFやウイングでもプレー可能なテクニック、打開力を備える左利きのストライカーは、過去にドルトムントやウェストハムの関心も集めていた。 2022.04.06 01:07 Wed

バルサが解任したクーマン前監督と合意…減額に成功し年内に約13億円支払いへ

バルセロナは、解任したロナルド・クーマン元監督と合意に達したようだ。スペイン『ムンド・デポルティボ』が バルセロナは10月27日、成績不振によりクーマン監督を解任。後任にはクラブのレジェンドであるチャビ・エルナンデス監督が就任していた。 クーマン前監督は、オランダ代表監督を務めていた中、2020年8月にバルセロナ条項を発動させ、オランダサッカー協会(KNVB)と契約を解除しバルセロナの監督に就任。しかし、1年と2カ月で去ることとなった。 クラブ内では様々な事象が起こり、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシの退団などもあれば、多額の負債を抱えていた事実が発覚するなど、必ずしも環境が整っていたとは言えない一方で、バルセロナ特有のスタイルであった細かいパス交換やポゼッションサッカー、ポジショナルプレーが薄れ、らしくないパワープレーを見せるなど、ファンなどが不満を抱えていたということもあった。 そのクーマン監督だが、契約上、解任後も新たにクラブを指揮しない限り、2022年6月までの給与総額1200万ユーロ(15億4300万円)を受け取る権利があったが、財政難のバルセロナが減額を要求。しかし、これに応じないという姿勢を見せていた。 そんな中、スペイン『ペリオディコ・デ・カタルーニャ』がバルセロナとクーマン前監督が合意に達したと報道。バルセロナが12月31日までに、クーマン監督に残り契約の全額に相当する1000万ユーロ(約12億8600万円)を支払うこととなったようだ。 当初よりも3億円近く減額に成功したバルセロナ。支払い期限は半年早まったが、それでも大きな金額となりそうだ。 なお、アシスタントコーチを務めていたアルフレッド・スロイデル氏、ヘンリク・ラーション氏ともバルセロナは合意を望んでいたようだ。 2021.11.26 23:15 Fri

去就不透明だったバルサACのラーション氏が退団を告白「私はここで終わった」

バルセロナでアシスタントコーチを務めていたクラブOBで元スウェーデン代表FWのヘンリク・ラーション氏(50)が、チームを去る事になったと明かした。スウェーデン『Sportbladet』が報じた。 バルセロナは、10月27日に成績不振によりロナルド・クーマン監督(58)の解任を発表。現在は暫定指揮官にバルセロナBを指揮していたセルジ・バルフアン監督(49)が就任している。 2020-21シーズンから指揮を執っていたクーマン監督だが、同時にアシスタントコーチでもあったアルフレッド・スロイデル氏(49)もチームを去っていたが、ラーション氏の処遇は不透明だった。 しかし、ラーション氏本人が『Sportbladet』に対してメッセージを送り、自分もチームを去ったと明かした。 「私はここで終わった。もちろん、申し訳なく思っている。しかし、このビジネスでは当たり前のことだ。何も言うことはない」 クラブからの公式な発表はないが、すでにバルセロナでの職務は終えたとのこと。新監督候補にはアル・サッドのチャビ・エルナンデス監督が浮上しているが、どうなるだろうか。 2021.11.02 11:30 Tue

「ラーションを彷彿とさせる」現地解説者もセルティックの古橋亨梧を絶賛「動きが似ている」

スコットランド『ハイバーニアンTV』で解説者を務めるタム・マクマナス氏がセルティックの日本代表FW古橋亨梧を称賛している。 現役時代にスコットランドのクラブを渡り歩いたマクマナス氏は、27日に行われたスコティッシュ・プレミアシップ第11節のハイバーニアンvsセルティックに先駆け、古橋について言及。自身の現役時代にセルティックのエースであった元スウェーデン代表FWヘンリク・ラーション氏になぞらえた。 「セルティックは、古橋亨梧というヘンリク・ラーションを彷彿とさせるスターを擁している、私にとってこれ以上の賞賛はない」 「ラーションとは何度も対戦したが、亨梧の動きはラーションに似ている。彼はディフェンダーの肩から離れ、背後に回り込み、流れを予測する。彼は素晴らしい選手で、プレミアシップで活躍している。ハイバーニアンにとっては、今シーズン最大の試練となるだろう」 ラーション氏はセルティックに在籍した7年間で315試合に出場し242ゴールという圧巻の成績を残し、4度のリーグ優勝に貢献。“キング・オブ・キングス(諸王の王)”という愛称でファンから親しまれていた。 ハイバーニアン戦に3トップの中央で先発出場した古橋は、30分にチームの3点目をマークし、セルティックでの公式戦15試合目で早くも10得点目を記録。追加点のチャンスを逃す場面もあったものの、マクマナス氏の言葉通りハイバーニアンの脅威となった。 スコットランドでゴールを量産している古橋だが、この活躍を続け、ラーション氏のようにセルティックにタイトルをもたらすことができるだろうか。 <span class="paragraph-title">【動画】古橋亨梧の最新ゴール!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="LJqgGUNEhNU";</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2021.10.28 16:01 Thu

古橋亨梧が達成した偉業、本拠地デビュー戦ハットトリックは97年ぶりの快挙

日本代表FW古橋亨梧が成し遂げたことは、歴史的な出来事だった。 セルティックは8日、スコティッシュ・プレミアシップ第2節でダンディーと対戦。本拠地のセルティック・パークでの今季最初のリーグ戦となった。 アンジェ・ポステコグルー監督にとってもホーム初陣となったこの試合。2万5000人のセルティックファンの前での久々のゲームで、古橋はリーグ戦の先発デビューを果たす。 20分、スルーパスに反応したリエル・アバダがボックス内右からダイレクトで折り返すと、ニアサイドに猛然と突っ込んだ古橋がスコティッシュ・プレミアシップ初ゴールを記録。さらに25分には、左サイドをライアン・クリスティが一対一に勝利しドリブルで突破。グラウンダーのクロスに対して走り込み、ダイレクトで合わせて追加点を奪う。 3-0で迎えた後半にもクリスティのスルーパスに反応しゴール。ハットトリックの大暴れでチームは6-0で勝利を収めた。 本拠地の開幕ゲーム、そして本拠地の先発デビュー戦でハットトリックを達成と、なかなかお目にかかれないパフォーマンスを見せた古橋だが、実はこの記録は97年ぶりの出来事だったようだ。 スコットランド『The Scotman』によると、古橋と同じことを成し遂げたのは、1924年11月8日にウィリアム・フレミングが達成。キルマーノックとの試合で6-0と勝利したが、フレミングは4ゴールを記録していた。 97年も前の出来事と考えれば、その偉業を目の当たりにして記憶している人は居ないと言っても良いだろう。現在のセルティックファンにとっては、初めて見た光景となる。 また、過去40年間でハットトリック達成にかかった試合数では古橋の3試合が最少とのこと。リー・グリフィスは5試合、クレイグ・ベラミーは7試合、レジェンドであるヘンリク・ラーションはなんと14カ月もかかっていたとのことだ。 セルティックファンの中では元日本代表MF中村俊輔(横浜FC)が伝説的な存在として記憶されているが、古橋もこの活躍を続け、中村に続くレジェンドになれるかに注目だ。 <span class="paragraph-title">【動画】97年ぶりの歴史的偉業となった古橋亨梧のハットトリック!</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJzaFRvQ2pIZyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.08.10 10:40 Tue

エゴと献身性の相反する能力を持ち合わせたアフリカ最高のストライカー、サミュエル・エトー

サッカー史には数多くの偉大なアフリカ人ストライカーが名を残している。 古くはミランで活躍しバロンドールも受賞、今は一国の長になっている元リベリア代表FWのジョージ・ウェア大統領、背番号「4」が特徴的で、心臓病がありながらもアーセナルをはじめとするプレミアリーグのクラブやナイジェリア代表として活躍したヌワンコ・カヌ、コートジボワールを強豪国へと引き上げた黄金世代の1人で、チェルシーではチャンピオンズリーグ制覇など数多くのタイトルを獲得。戦争を止めたというエピソードもあるディディエ・ドログバら、多くのスター選手がいる。 ヨーロッパの舞台だけでなく、Jリーグでも2020シーズンに得点王を獲得したFWオルンガのインパクトは絶大。かつては“浪速の黒豹”としても知られたパトリック・エムボマらも活躍し、その能力の高さは知られたところだろう。 現役でもリバプールを支えるエジプト代表FWモハメド・サラーやセネガル代表FWサディオ・マネなどがいるが、そんなアフリカ人ストライカーたちの中でも、一線を画すスタイルで活躍したのが元カメルーン代表FWサミュエル・エトーだ。 <span class="paragraph-title">◆地元の名門育ちのストライカー</span> エトーは、カメルーンのドゥアラにある名門アカデミーのカジ・スポーツアカデミーの一期生。その後、エスパニョールで長らく活躍したGKイドリス・カメニやマンチェスター・ユナイテッドでもプレーしたMFエリック・ジェンバ=ジェンバら、多くの才能ある選手を輩出している。 16歳になったエトーはスペインの名門、レアル・マドリーのカスティージャに入団。当時レアル・マドリー・カスティージャは3部に所属していたため、外国人選手が出場できず。エトーはレガネス、エスパニョール、マジョルカへとレンタル移籍し経験を積んだ。 マジョルカではその活躍が認められ2000年夏に完全移籍。3シーズンを過ごし、チームをコパ・デル・レイで優勝に導くなど、その才能が開花。2004年夏にバルセロナへと完全移籍した。 <span class="paragraph-title">◆ヨーロッパで輝いた“黒い宝石”</span> バルセロナへと加入したエトー。加入1年目からエトーは活躍。ラ・リーガで37試合に出場し25ゴールを記録。ラ・リーガ優勝を経験した。 そして迎えた2年目も躍動。ラ・リーガでは 34試合で26ゴール7アシストを記録し得点王を獲得。チャンピオンズリーグでは11試合で6ゴール2アシストを記録し、決勝のアーセナル戦でもゴールを決め、ビッグイヤー獲得に貢献した。 バルセロナではブラジル代表FWロナウジーニョとの抜群の連携を見せ、一気に得点力を開花させたが、そのエトーはロナウジーニョの影響もあり献身的な守備を身につける。そしてそのプレースタイルが、後のキャリアにも影響する。 5シーズンのバルセロナでのプレーでインパクトを残したエトーは、2009年夏にインテルへと移籍。セリエAの舞台に活躍の場を移すと、そのバルセロナで身につけた献身性を武器に32試合12ゴール。チャンピオンズリーグでも13試合で2ゴール2アシストと、数字に残る成績は低下したものの、チームへの貢献度は大きいものだった。 結果として、バルセロナ最後の2008-09シーズン、そしてインテル最初の2009-10シーズンと2年連続で国内リーグ、国内カップ、そしてチャンピオンズリーグの3冠を達成。史上初の快挙を成し遂げた唯一の選手となった。 その後のエトーは、世界各国を転々。ロシアのアンジ・マハチカラ、イングランドのチェルシー、エバートン、イタリアのサンプドリア、トルコのアンタルヤスポル、コンヤスポル、カタールのカタールSCでプレー。クラブレベルでは6カ国を経験した。 クラブレベルでは公式戦720試合で360ゴール117アシスト。2試合に1点のペースを生涯通じて記録した偉大なストライカーだ。 <span class="paragraph-title">◆CL決勝で決めた2つのゴール</span> バルセロナでは199試合で130ゴール40アシストを記録したエトー。数多くのゴールを決めてきた中、重要なゴールも多い。 まずは、チャンピオンズリーグ決勝でのゴールだ。エトーは、バルセロナ時代に2度チャンピオンズリーグで優勝。その2度の決勝ではどちらもゴールを奪っている。 1つ目2005-06シーズンのアーセナルとの決勝。この試合は、アーセナルのGKイェンス・レーマンが18分で退場するというアクシデントからスタート。さらに37分にはその数的不利なアーセナルが、ソル・キャンベルのゴールで先制するという展開となった。 数的有利なバルセロナとしては逆転したいなか、試合は終盤へ。それでも76分にエトーが見せる。 縦パスがアンドレス・イニエスタから入ると、ヘンリク・ラーションのワンタッチパスに反応し、ニアサイドを撃ち抜いた。 さらにエトーは2008-09シーズンの決勝でマンチェスター・ユナイテッド相手にゴール。こちらは打って変わって、開始10分で決めたゴールだ。 このゴールもボックス手前でボールを持ったイニエスタからのスルーパスをボックス内右で受けると、鋭い切り返しで相手をかわすと、そのままニアサイドを撃ち抜いた。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJETUZHelRZbCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> <span class="paragraph-title">◆新たな章の始まり</span> 次に紹介したいのはインテル時代のデビューゴールだ。 インテルではジョゼ・モウリーニョ監督の下で3冠を達成したが、その役割はバルセロナ時代のストライカーから少し変化していった。 エゴイスティックな自らのゴールを優先しがちなストライカーとは異なり、周りの選手を生かすアシストや、守備面でも貢献する献身性を伴ったエトーは、本当の意味で相手の脅威となった。 そのエトーがインテルで最初に決めたゴールが2009年8月8日に行われたスーペルコッパ・イタリアのラツィオ戦だった。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJHS1NmTFJ0NiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> シーズン開幕前に行われた一戦。エトーにとってはインテルでの公式戦デビュー戦となった試合だが、この試合ではその変化の片鱗を見せる。 献身的なプレーを続けたエトーだがチームは2点ビハインドで試合終盤へ。すると78分、マリオ・バロテッリの浮き球のパスに反応し豪快に蹴り込んで魅せた。 当時はディエゴ・ミリート、バロテッリ、そしてエトーとストライカータイプが揃う中で献身的なプレーを発揮していたエトー。この時はゴールを仕留める役割だったが、この後にウイング起用が増え、このシーズン3冠を達成した。 <span class="paragraph-title">◆プレミア初ハットトリック</span> そして3つ目はプレミアリーグでの活躍だ。 エトーはチェルシーとエバートンに在籍経験があるが、どちらも短いものだった。 チェルシーには1シーズンしか在籍しなかったが、その中でハットトリックを記録。それがマンチェスター・ユナイテッド戦だった。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJIeFZIdW1iRyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 前述の通り、バルセロナ時代の2008-09シーズンのチャンピオンズリーグ決勝でユナイテッド相手にゴールを決めていたエトー。今回はプレミアリーグの試合でハットトリックをやってのけた。 2014年1月19日に行われた試合ではカットインからのシュートで先制ゴールを決めると、2点目はグラウンダーのクロスに合わせて追加点。3点目はCKの流れからこぼれ球を蹴り込みハットトリックを達成した。 エバートン時代を含めプレミアリーグでは12ゴールしか決めていないが、そのうちの3点がユナイテッド戦。この年は優勝を争っていたものの、終盤に失速し3位に終わっていた。 <div id="cws_ad"><hr>バルセロナやインテルなどのクラブチームで活躍し、カメルーン代表としても歴代最多ゴール数を誇るエトーが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたゴールが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。</div> <a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/f7dd12&c=sega_20210715_2" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20210728.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2021.07.31 22:15 Sat
もっと見る>