ロナウジーニョ

Ronaldo de Assis Moreira RONALDINHO
ポジション
国籍 ブラジル
生年月日 1980年03月21日(44歳)
利き足
身長 181cm
体重 80kg
ニュース 人気記事 クラブ

ロナウジーニョのニュース一覧

バルセロナFWリオネル・メッシやパリ・サンジェルマンFWネイマールが、現役引退を表明した元ブラジル代表のロナウジーニョに労いの言葉を送っている。2002年にブラジル代表でワールドカップ優勝、2006年にバルセロナでチャンピオンズリーグ制覇を経験したロナウジーニョ。実兄で代理人を務めるロベルト・アシス氏は先日、ロナウジー 2018.01.18 22:32 Thu
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▽かつてバルセロナなどで活躍した元ブラジル代表FWロナウジーニョ(37)が、この度正式にスパイクを脱ぐことになった。同選手の実の兄であり代理人を務めるロベルト・デ・アシス・モレイラ氏が16日、ブラジル『O Globo』で発表した。 ▽アシス氏は『O Globo』で弟ロナウジーニョの現役引退を公式にアナウンスした。 2018.01.17 06:30 Wed
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▽現役時代にアトレティコ・マドリーやバルセロナ、リバプールなどで活躍した元スペイン代表のルイス・ガルシア氏が、最高の選手として元同僚のあの選手の名前を挙げた。 ▽あの選手とは、来年限りでの現役引退を表明した“2005年のバロンドーラー”元ブラジル代表FWロナウジーニョだ。ルイス・ガルシア氏とは、バルセロナ時代に共 2017.12.25 10:00 Mon
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▽元ブラジル代表MFカカ(35)が17日、現役引退を発表した。カカはそのキャリアの中で数々の栄光を手にしてきたが、ワールドカップ(W杯)、チャンピオンズリーグ(CL)、そしてバロンドールを受賞した選手は、フットボール史上でわずか8選手となっている。『B/R Football』が伝えている。 ▽サンパウロやミラン、 2017.12.20 10:57 Wed
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▽バルセロナで一時代を築いた元ブラジル代表FWロナウジーニョが同クラブ時代の恩師を語った。イギリス『ミラー』が伝えている。 ▽恩師とは、現在マンチェスター・シティを率いるジョゼップ・グアルディオラ監督だ。バルセロナ時代に14個のトロフィーをもたらしたグアルディオラ監督は、その後にバイエルンでも計7個のタイトルを獲 2017.11.21 12:05 Tue
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衰え知らずの肉体と左足…37歳フッキが母国帰還から195試合104得点、直近のゲームは弾丸FKをねじ込む

アトレチコ・ミネイロ(MG)の元ブラジル代表FWフッキ(37)が、今なおハイペースで得点を重ねる。ブラジル『グローボ』が伝えている。 Jリーグ経由でブラジル代表の中枢まで登り詰めたフッキ。2008年に東京ヴェルディを去って16年…緑の名門がJ1復帰まで要したこの年月の間に、フッキはポルト、ゼニト、上海海港と渡り歩き、自国開催の14年W杯にも出場。21年からアトレチコMGのエースに君臨する。 加入時点で34歳だったフッキだが、大きなケガも少なく今日まで至り、その成績はこの通り。 ▽2021シーズン(国内リーグ・カップ2冠) 公式戦:68試合36得点13アシスト ▽2022シーズン 公式戦:46試合29得点5アシスト ▽2023シーズン 公式戦:59試合30得点14アシスト ▽2024シーズン(ここまで) 公式戦:22試合9得点6アシスト ▽累計 公式戦:195試合104得点38アシスト 今季は1月開幕の州選手権10試合7得点というロケットスタートに始まり、国内リーグ開幕後は出場4試合ノーゴールも、2日の第7節バイーア戦で今季初得点。自慢の左足で直接FKをねじ込み、チームは開幕7戦無敗となっている。 また、プロデビューが日本で、日本から欧州へ渡ったフッキ。アトレチコMGがキャリア初の母国クラブとなったわけだが、この直接FK弾は国内リーグ通算「47」得点目…加入から3年半で、国内リーグにおけるクラブ史上4位のスコアラーとなった。 国際大会における活躍も際立っており、南米王者を決めるコパ・リベルタドーレスでのアトレチコMG通算「16」得点は、名古屋グランパスで活躍した2位ジョーの「11」得点を大きく上回る歴代1位。名実ともにアトレチコMGの看板選手、それが37歳フッキだ。 心配なのは、バイーア戦で直接FKを決めた直後、左ヒザを痛めて負傷交代ということに。試合後、「ヒザに少しばかりの違和感があるが、どうだろう。大したケガでないと神に祈っている」とコメントする。 フッキがエース、そして主将として引っ張るアトレチコMGは、今季のコパ・リベルタドーレスでグループステージを首位通過。ロナウジーニョ氏に牽引された2013年以来となる、通算2度目の南米制覇を目指している。 頂に立つには、フッキが必要だ。 <span class="paragraph-title">【動画】ずっと怪物...37歳フッキが直接FKをねじ込む</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="qme" dir="ltr"><a href="https://twitter.com/_papoboleiros?ref_src=twsrc%5Etfw">@_papoboleiros</a> <a href="https://t.co/OxJZKkE1tg">pic.twitter.com/OxJZKkE1tg</a></p>&mdash; follow: @_papoboleiros (@golsvideo) <a href="https://twitter.com/golsvideo/status/1797363713021722641?ref_src=twsrc%5Etfw">June 2, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.06.03 20:15 Mon
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史上最高“究極”のオールラウンダー、フランク・ランパード

サッカーにおいての花形ポジションとされるのは、やはりストライカー。チームを勝利に導くその姿に憧れる子供は少なくなく、幼少期には誰もがゴールを奪いたい気持ちでプレーしたはずだ。 プロの世界になれば、それぞれのポジションにスペシャリストがおり、子供たちの憧れの的になる選手は様々。それでも、やはり目に見える結果が残せるFWの人気は高いだろう。 どの時代においても、わかりやすくスターになれるストライカーたち。しかし、FWでプレーしない選手でも数多くのゴールを決められることを証明した究極の選手がいる。それが、元イングランド代表のフランク・ランパードだ。 <span class="paragraph-title">◆IQ150以上の天才MF</span> ランパードのイメージは、やはりチェルシーだろう。2001年から2014年まで在籍し、中盤に君臨。ほとんどの試合でプレーする姿は、“鉄人”と呼ばれていた。 また、“ランプス”と呼ばれて愛されたランパードは、ロマン・アブラモビッチ氏がクラブを買収し、ジョゼ・モウリーニョ監督を迎えて急激に力をつけたチームにおいて、軸となって支えた1人として記憶に残っていることだろう。ランパード無くして、チェルシーの飛躍はなかったと言っても過言ではない。 しかし、ランパードのルーツは同じロンドンでもウェストハムにある。父は元イングランド代表DFのフランク・ランパード・シニア、伯父には監督として多くのクラブを率いたハリー・レドナップ氏を持ち、サッカー一家で育つ。 家庭は裕福であり、ランパードは運動能力に長けるだけでなく、学力も優れており、IQは150を超える天才。育ちもよく、恵まれた環境で能力も高いという、正にエリート街道を歩む選手だった。 そのランパードがプロ生活を始めたのがウェストハム。頭角を現し、イングランド代表としてもプレーする一方で、伯父が監督、父がコーチを務めていたことで、結果が出なければ非難を浴びることも多々あった。 また、イングランド代表にも早くに選ばれながら、なかなかブレイクせず。その流れもあり、環境変化を求めて移籍したチェルシーで、チームに欠かせない選手に一気に成長。クラブ、そしてイングランド代表にとっての柱となった。 <span class="paragraph-title">◆チェルシーと共に花開く</span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiI2T0tmR0VNTiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> キャリアを始めたウェストハムでも高い能力が認められていたランパード。世代別のイングランド代表に選ばれると、1999年10月10日にイングランド代表デビューを果たす。 しかし、ランパードの代表でのキャリアは順調にはいかない。デビュー後は、出番どころか招集もされず。2001年に入り再び代表に招集されるようになり、日韓ワールドカップ(W杯)の前にはコンスタントに招集を受けるが、最終的にはW杯出場を逃すことに。その後も、しばらく代表からは外れていった。 ランパードがイングランド代表に定着したのは2003年5月以降。チェルシーに移籍して2シーズン目の終わり頃。チームとしても変革を遂げる少し前にポジションを掴んでいく。 そのランパードは定着を果たすと、ユーロ2004ではレギュラーとしてプレー。大会3ゴールを挙げて、ベスト11に選ばれることに。その後のドイツW杯予選では5ゴールを挙げるなど、イングランド代表のW杯出場に大きく貢献する。 その頃、チェルシーはモウリーニョ監督の下でプレミアリーグ制覇を達成し、ランパードとしても乗っている時期と重なっている。 イングランド代表としては2010年の南アフリカW杯、2014年のブラジルW杯にも出場。その後に引退を表明しているが、106試合で29ゴールを記録。歴代10位のゴール記録であり、攻撃的なポジションではない選手では最もゴールを決めている選手となっている。 <span class="paragraph-title">◆類稀なる得点力を備えたオールラウンダー</span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJvM2hRUGZHcyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> そのランパードは、チェルシーでも当然輝きを放つ。2005年にはバロンドール、FIFA最優秀選手ともに全体の2位という栄誉を得る。なお、どちらも元ブラジル代表MFロナウジーニョが1位だった。 またクオリティの高いプレーもさることながら、愛称の“鉄人”が示す通り、プレミアリーグでは164試合連続出場記録を樹立。それまでは元イングランド代表GKデイビッド・ジェームズが保持していた記録であり、フィールドプレーヤーが達成するのは異例だった。 その後もチェルシーの中心選手として君臨し続けたランパード。プレミアリーグで3回、FAカップで4回、EFLカップで2回と国内で9つのタイトルを獲得。さらに、チャンピオンズリーグとヨーロッパリーグを1度ずつ制しており、クラブの黄金期を支えた。 それはタイトルのみならず、個人の成績でも大きく貢献。公式戦通算648試合に出場し211ゴール150アシストという大記録を樹立。出場数は同時期にプレーした生え抜きのDFジョン・テリーに次ぐ2位、ゴール数は名だたる名FWを差し置いてダントツの1位となっており、まさにクラブのレジェンドそのものとなっている。 しかし、成績とは裏腹に、あまり目立たないのがランパードの真骨頂と言えるだろう。同時期に同ポジションを争ったリバプールのMFスティーブン・ジェラードはスター選手として早くから扱われており、リバプールというクラブに出てきた期待の若手というのが大きな要因といえる。 一方で、選手としての能力だけで見れば、ランパードの方が優れているという声も多く、なんでもこなせるハイスペックなオールラウンダーとして評価。得点力、アシスト、さらには中盤でのタイトな守備や泥臭いプレーなど、全てにおいて高い能力を誇り、さらにはケガをほとんどしないことで愛されていた。 <div id="cws_ad"><hr>イングランド代表でも活躍し、チェルシーのレジェンドとして歴代最多ゴール数を誇るランパードが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>盟友のDFジョン・テリーやMFスティーブン・ジェラードと共に現役時代に魅せたゴールが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。</div> <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD?pid=worldsoccer2110&c=worldsoccer2110&is_retargeting=true&af_inactivity_window=3d&af_dp=ryan.app%3A%2F%2F&af_web_dp=http%3A%2F%2Fsakatsuku-rtw.sega.com%2F" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20211013.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2021.10.13 20:00 Wed
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ロナウジーニョの移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2018年1月16日 無所属 引退 -
2015年9月29日 フルミネンセ 無所属 -
2015年7月11日 ケレタロFC フルミネンセ 完全移籍
2014年9月5日 アトレチコ・ミネイロ ケレタロFC 完全移籍
2012年6月4日 フラメンゴ アトレチコ・ミネイロ 完全移籍
2011年1月11日 ミラン フラメンゴ 完全移籍
2008年7月15日 バルセロナ ミラン 完全移籍
2003年7月19日 PSG バルセロナ 完全移籍
2001年7月1日 グレミオ PSG 完全移籍
1998年1月1日 グレミオ 完全移籍