ダビド・シルバ
David SILVA
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ポジション | MF |
国籍 |
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生年月日 | 1986年01月08日(39歳) |
利き足 | 右 |
身長 | 170cm |
体重 | 67kg |
ニュース | 人気記事 | クラブ |
ダビド・シルバのニュース一覧
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アグエロがシティの歴史に名を刻んだ瞬間、プレミア初優勝を決めた93:20の熱狂
15日に行われた会見で不整脈を理由に33歳で現役を引退することを発表したバルセロナのアルゼンチン代表FWセルヒオ・アグエロ。キャリアを通じて400ゴール以上を決めてきたストライカーが最も多くのゴールを決めたのが、10年間に渡ってプレーしたマンチェスター・シティ時代だ。 2011年夏にアトレティコ・マドリーから加入したアグエロは、デビュー戦となったスウォンジー・シティ戦で2ゴール1アシストの圧巻の活躍を披露。以降は絶対的なエースとして公式戦384試合に出場し、クラブ歴代最多となる257ゴールを記録。4度のプレミアリーグ制覇を含む、通算13個のトロフィー獲得の立役者となり、個人としても2014-15シーズンに自身唯一のリーグ得点王を獲得した。 その257ゴールの中で最も重要だったと言っても過言ではないのが、2011-12シーズンのプレミアリーグ最終節のQPR戦での決勝ゴールだ。 試合前の時点で、マンチェスター・ユナイテッドと勝ち点84で並んでいたシティだが、残留争いに身を置いていたQPR相手にまさかの苦戦。90分を終えた段階で1点ビハインドの展開となる。 しかし、最後まで諦めないシティはアディショナルタイム2分にMFダビド・シルバの右CKをFWエディン・ジェコが頭で叩き込み、2-2の同点に追いつく。 優勝まであと1点が必要な状況だったが、残り時間もほんとんどないという状況。シティが最後の猛攻を仕掛けると、下がってボールを受けたアグエロがFWマリオ・バロテッリへと縦パス。バロテッリは潰されながらもアグエロへリターンを返すと、そのままボックス右に抜け出したアグエロがニアサイドに右足のシュートを突き刺し、勝ち越しゴールが決まった。 現地実況の「アグエロォォォォォォォ」の絶叫でお馴染みのこのゴール。時計の針は93:20を指しており、その直後にはタイムアップのホイッスルが鳴り、劇的過ぎるプレミアリーグ初優勝となった。 シティ退団時には、このタイトルが最も重要だったと語ったアグエロ。引退会見でも触れていたゴールは、キャリアを通じても思い出深いものとなっているようで、急速に発展を遂げたシティの歴史に名を刻む瞬間だった。 <span class="paragraph-title">【動画】あの興奮をもう一度…!実況も思わず大絶叫したアグエロの劇的ゴール</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJEejZpckhIMSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.12.16 19:10 Thu2
Jリーグに選手・コーチとして計5年間…元U-21スペイン代表MF“シシ”が日本時代を回想「それまで知らなかったよ」
2023シーズンの徳島ヴォルティスでアシスタントコーチを務めた元U-21スペイン代表MFシシーニョ氏(37)。計5年間過ごした日本時代を振り返った。 20代前半の頃、2007-08シーズンにラ・リーガのバジャドリーで脚光を浴びたのち、チームメイトの影響で以前から興味があったという日本への渡航を30代にして決意した“シシ”ことシシーニョ氏。アビスパ福岡MF城後寿の“ファン”としても知られる。 2017年にFC岐阜入りすると、18〜19年は徳島、20年は愛媛FCと計3クラブでプレー…世代別スペイン代表の経験も持つ小柄なアタッカーは、四国・愛媛で現役再活にピリオドを打った。 引退後は古巣バジャドリーの育成年代で指導者キャリアをスタートし、2023シーズンから徳島のコーチに。ただ、チームはJ2リーグで10勝19分け13敗の15位フィニッシュと、2005年のJリーグ参入以降で最低タイの順位に。シシーニョ氏は徳島に2度目の別れを告げることとなった。 一番の親友は14歳から付き合いがあるダビド・シルバ氏という37歳は、現在スペインに帰国し、自宅のあるアルバセテで指導者キャリア再開に向けて英気を養っている最中。そんななか、スペイン『Relevo』のインタビューで日本時代を振り返った。 「日本の人たちというのは非常に思慮深く、隣人のことを気にかける。自らの立ち振る舞いを意識し、他人に迷惑をかけていないか常に考える。スリッパを履いたままトイレへ入ることは決してない」 「岐阜、徳島、愛媛…3年ちょっとで3クラブに所属した。私はその経験が欲しく、何より言語を学びたかった。日本へ行く外国人選手には通訳が付くことが多く、言語を学ばなくても通訳が問題を解決してくれる」 「だが、私は英語も話せないまま日本へ行き、通訳もいない。恥ずかしがることなく日本語を勉強できただろうか。日本では自らの発する言葉や行動を自分自身がよく理解しておくべき…キミ(インタビュアー)に説明してもどうゆうことかピンとこないだろう(笑) 私も実際に体感して理解した」 母国スペインを飛び出したのち、韓国、ポーランド、ギリシャを経て、最後は日本でプレーしたシシーニョ氏。以前から興味があった日本という“国”だが、“サッカー”の面でも選手キャリアの最後に前向きな驚きがあったという。 「日本にあれほどハイレベルなサッカー、各クラブのカラー、あんなに素晴らしいスタジアムがあるなんて…僕はそれまで知らなかったよ」 2024.01.11 20:00 Thu3
息子の早産に悩んだダビド・シルバ「フットボールが唯一の拠り所だった」
▽マンチェスター・シティに所属する元スペイン代表MFダビド・シルバの息子誕生時の苦悩は、フットボールによって和らげられていたようだ。イギリス『BBC』のインタビューで語った内容を、スペイン『アス』が伝えた。 ▽昨年12月に息子マテオ君を授かったシルバ。しかし、予定よりかなり早い出産だったため、早産児としてしばらく入院することに。それから5か月を経て、マテオ君は今年5月にようやく退院することができた。 ▽出産直後の2試合を欠場していたシルバは、息子の退院報告とともにファンやチームメイトに謝罪。また、離脱を許可してくれたジョゼップ・グアルディオラ監督に対しては「永遠の借りがある」として、最大限の賛辞を送っていた。 ▽『BBC』のインタビューに応じ、息子誕生からの困難を振り返ったシルバは、フットボールが救いになったとコメントしている。 「あれは本当に困難だった」 「とてもタフだったよ。あの子はずっと病院に居たんだ。それに彼はスペインに居て、何度も(イングランドから)渡らなければならなかった。ほとんどトレーニングができなかったよ。あまり眠れなかったし、食べられなかった。だけど、幸いにもチームは本当に上手くやっていて、それがとても僕の助けになった」 「以前にも言ったけど、プレーしている時間が唯一心配を忘れられる時間だった。そして、試合が終われば色々なことを考え始めるんだ。本当に良い逃げ道だった。フットボールは僕らが最も好きで、最も楽しめるものだ」 ▽マンチェスター・シティは昨シーズン、最多勝利(32勝)、最多勝ち点(100ポイント)、最多得点(106点)記録を更新しプレミアリーグを制覇。その中心の1人に据えられていたシルバは、苦境の中でもチームの勢いを力に変えていたようだ。 2018.09.09 17:55 Sun4
ウォーカー「欠けていたのはアシストとゴールだけ」、近年プレミアで“過小評価選手”の代表格に挙がる元スパーズMFに新たな賛辞
近年のプレミアリーグで“過小評価されていた選手”として常に名前が挙がる元スパーズMFに、新たな賞賛の言葉が送られている。イギリス『Sport Bible』が伝えている。 2022年に広州富力(現・広州城)で現役を引退した元ベルギー代表MFムサ・デンベレは、2010年8月から2019年1月までフルアムとトッテナムのロンドン2クラブで活躍。とりわけ、マウリシオ・ポチェッティーノが率いたスパーズ時代には中盤の絶対的な主力に君臨していた。 185cmの恵まれた体躯と強靭なフィジカルに加え、足元の技術が非常に高く、ボールを持てば圧倒的なキープ力と高精度の左足を駆使したドリブル、パスで易々と局面を打開。守備時もそのフィジカルを活かして簡単にボールを奪い切り、ハイレベルのボックス・トゥ・ボックスとして評価を得ていた。 ただ、少なくない負傷離脱やゴール、アシストという目に見える貢献の少なさもあって、そのパフォーマンスに見合う評価を得られなかった。 それでも、トッテナム、ベルギー代表の同僚、同時期にプレミアリーグで対峙してきた多くのライバルは、「最強のチームメイト」、「最もタフな対戦相手」といった表現で怪物MFを称賛。恩師ポチェッティーノも「フットボールの天才」と激賞したこともあった。 そのデンベレに新たな賞賛の言葉を送ったのが、マンチェスター・シティのイングランド代表DFカイル・ウォーカー。 シティとイングランド代表で多くの名手と共演してきた右サイドバックは、元イングランド代表DFのリオ・ファーディナンド氏が運営するYouTube『Vibe with FIVE』で、これまで一緒にプレーした最高の選手について問われると、元スペイン代表MFダビド・シルバと共にスパーズ時代の同僚の名前を挙げた。 まずシティの元同僚で昨夏惜しまれながらも現役を引退したエル・マーゴについては「あなたが彼に悪いボールをパスしたとしても、彼はそれを良いボールのように見せてくれる。彼はあなたをより良く見せてくれる。ダビドはとても素晴らしかったよ。ケビン(・デ・ブライネ)はオールラウンダーだけど、ダビドは個人的なプレーヤーだった」と、称賛の言葉を送った。 多くの名手を抑え、そのシルバと共にすぐさま名前が挙がったデンベレについては、「スキャンダル」との独特な表現でその才能を絶賛している。 「ダビドあるいは、ムサ・デンベレのことは何度も言ってきた。彼はスキャンダルだ。デンベレに欠けていたのはアシストとゴールだけだけど、彼には馬鹿げたほどの才能があった。そんなことは許されるべきではなかったよ(笑)」 さらに、デンベレが現在のシティにフィットするかと問われると、「100万パーセント」と確信に満ちた返答を行っている。 2024.03.27 08:00 Wed5
「彼がもたらしてくれた全てに感謝」アーセナル移籍間近のメリーノにソシエダ指揮官が最後の言葉…
レアル・ソシエダのイマノル・アルグアシル監督がスペイン代表MFミケル・メリーノ(28)の移籍に触れた。スペイン『マルカ』が伝えた。 今夏はクラブでもチームメイトのMFマルティン・スビメンディと共に、ユーロ2024を制したメリーノ。その後はリバプールから関心のあったスビメンディが残留を決意した一方、アーセナルでのプレミアリーグ挑戦が迫っている。 イマノル監督は24日のエスパニョール戦を前にした記者会見で、28歳MFの去就にコメント。「メリーノについての質問はこれで最後にしてほしい」と述べ、別れの言葉を口にした。 「彼が私やチーム、クラブに対してもたらしてくれた全てに感謝している。ここに私がやってきた時、彼はまだ準備ができていない22歳の若者だったが、驚くべき成長を遂げた。ラ・レアルの選手全員にとって、また、その一員になりたい若者たち全員にとっての模範だ」 「彼がこのような一歩を踏み出したことをとても誇りに思う。ラ・レアルの素晴らしさ、何よりも彼自身の素晴らしさを物語っている」 また、イマノル監督は万能型インテリオールの功績にも言及。2019-20シーズンのコパ・デル・レイ制覇や、昨シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)、4度のヨーロッパ・リーグ(EL)出場権獲得に加え、最大3850万ユーロ(約62億5000万円)程度と言われる移籍金を残したことにも感謝している。 「彼は素晴らしいパフォーマンスを見せ、チームを成長させた。ともにカップ戦を制し、5度ヨーロッパの舞台への出場権を獲得した。熱狂的なチャンピオンズリーグもだ。そして彼は3000万ユーロ以上を残してくれた…。だから今こそ、別のメリーノを迎え入れる時だ」 さらに、今後のチームについても語ったバスク人指揮官。これまでも多くの主力がチームを去ってきたものの、その度に困難を乗り越えてきたと主張。そして、今回も同じようなことができるはずだと考えている。 「ここ数年、非常に重要な選手たちがここを去ったが、このチームの成長は止まらない。ウーデゴール、ダビド・シルバ、ヤヌザイ、イジャラメンディ、オヤルサバルのケガ、メリーノ…。だが、監督は変わらないし、チームの大部分も同じであり、自信を持つ必要がある」 2024.08.23 22:35 Friダビド・シルバの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2023年7月27日 |
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- |
2020年8月17日 |
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完全移籍 |
2010年7月14日 |
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完全移籍 |
2006年6月30日 |
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レンタル移籍終了 |
2005年8月8日 |
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レンタル移籍 |
2005年6月30日 |
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レンタル移籍終了 |
2004年8月2日 |
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レンタル移籍 |
2004年7月1日 |
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完全移籍 |
2003年7月1日 |
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完全移籍 |
2002年7月1日 |
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完全移籍 |