横山知伸

Tomonobu YOKOYAMA
ポジション DF
国籍 日本
生年月日 1985年03月18日(40歳)
利き足
身長 184cm
体重 75kg
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横山知伸のニュース一覧

FC岐阜は13日、昨シーズンまで北海道コンサドーレ札幌に所属していたMF横山知伸(34)の加入を発表した。 横山は東京都出身で、帝京高校、早稲田大学と進学し、2008年に川崎フロンターレに入団。ボランチ、センターバックと守備的なポジションをこなすと、2012年にセレッソ大阪へと移籍。2014年からは大宮アルディー 2019.09.13 11:00 Fri
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北海道コンサドーレ札幌は21日、昨年12月に契約満了となっていたDF横山知伸(33)が脳内に腫瘍が見つかったことを発表した。 クラブの発表によると、横山は昨年12月24日の夜に体調不良となり、自宅のある埼玉県の病院へ緊急搬送。検査の結果、脳内に腫瘍が見つかり、転院後の12月31日に腫瘍の摘出手術を実施し、約2週間 2019.01.21 15:10 Mon
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▽北海道コンサドーレ札幌は2日、DF横山知伸(33)、DF田中雄大(30)、DF河合竜二(40)、MFジュリーニョ(32)、FW内村圭宏(34)、DF菊地直哉(34)、MF稲本潤一(39)、DF永坂勇人(24)の契約満了を発表した。 ▽横山は2017年に大宮アルディージャから期限付き移籍で加入し、翌年に完全移籍。 2018.12.02 12:00 Sun
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thumb ▽ロアッソ熊本は2日、北海道コンサドーレ札幌から期限付き移籍していたDF横山知伸(33)の期限付き移籍期間の満了を発表した。 ▽横山は2017年に大宮アルディージャから期限付き移籍を果たし、翌年に完全移籍。しかし、YBCルヴァンカップ4試合に出場がとどまり、今年8月に熊本へ。同クラブ加入後は、明治安田生命J2リー 2018.12.02 10:00 Sun
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▽ロアッソ熊本は6日、北海道コンサドーレ札幌からDF横山知伸(33)を期限付き移籍で獲得したことを発表した。背番号は「45」に決定。期限付き移籍期間は2018年8月7日から2019年1月31日までとなる。 ▽東京都出身の横山は、早稲田大学から川崎フロンターレに加入しプロキャリアをスタートさせた後、セレッソ大阪、大 2018.08.06 17:47 Mon
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「憲剛ともプレーできて面白かった」鬼木達監督が教え子兼後輩の中村憲剛の誘いに感謝、盛大な引退試合には「人柄の良さがここまでにした」

川崎フロンターレの鬼木達監督が中村憲剛氏の引退試合を振り返った。 14日、『明治安田 presents 中村憲剛 引退試合』がUvance とどろきスタジアム by Fujitsuで開催。川崎Fや日本代表で活躍した中村の引退試合が、キャリアに終止符を打ってから4年の時を経て実現した。 今シーズン限りで川崎Fの指揮官を退き、来季からは鹿島アントラーズを率いる鬼木監督も参加。「KAWASAKIフレンズ」がブルーチームとホワイトチームに分かれて戦った後半でピッチに立ち、ゴールまであと一歩に迫る場面もあった。 現役時代の後輩でもある中村の引退試合について、「面白かったです。憲剛ともプレーできましたし」と鬼木監督はコメント。「やっぱり懐かしいです。より(感覚が)わかるなというのがわかりました。絶対来るんだろうなとか、そういうのはありましたね。よかったです」と感想を述べた。 また、中村の人望の厚さにも言及。2万2014人の集客や、かつてのチームメイトで2016年に急逝したアルトゥール・マイア、2024年1月に亡くなった横山知伸への試合中の配慮にも触れた。 「もちろん規模とかそういうのが素晴らしいのはわかりますけど、憲剛でないと今日のこの人の集まり方(はない)。こういうのって人柄ではないですか。それは改めて憲剛の人柄の良さがここまでにしたんだなという。簡単なことではないではないです。こんな大きいことは。なおかつこれだけ満員になる人を呼べて」 「もう1つ僕がやっぱり憲剛らしいなというか、感動したのは、亡くなった2人に対してのリスペクトというか。こみ上げてくるものが来てしまうくらい。そういうのも含めて、憲剛だからできたことかなというのがあるので、参加させてもらえて本当に良かったなと思います」 「自分自身もやっぱり忘れてほしくない仲間。でもそういうのをこういう形で示せるのは、憲剛ではないとできないことだと思うし、それは改めて彼のすごさを見せられた」 「自分も本人にはいろいろ話しましたけど、いろんな思いがあったので、今日こういう最後、こういう形でいろんな人に憲剛のプレーを見てもらえたこと。あとは本人も言っていましたけど、(引退が)コロナ禍のなかで。僕はもっと違うところにいろんな思いがあるのですけど、それが今日こういう形でやってもらえたのは本当に良かったですし、誘ってもらえて嬉しかったです」 さらに、中村とともに作り上げた川崎フロンターレについても語った鬼木監督。同じく引退試合に参加したMF家長昭博も述べていたように、2017年のJ1リーグ初優勝が最も印象に残っているという。 「本当にいろんな思い出がありますけど、結局は2017年のあの優勝が頭に一番浮かびますし、あの景色・光景は忘れられないもの。なおかつ、結局あの時の憲剛の涙ではないですか。というぐらいやっぱり思いは深いですね。自分も長く監督やらせてもらいましたけど、あの時の景色というのは忘れられないものかなと思います」 中村をレジェンドたらしめている点については、「フロンターレの価値とはなんだとみたいなものを植え付けてくれた選手の1人というか、選手だと思います」と鬼木監督。後輩であり、教え子でもあるMFへのリスペクトを語った。 「後輩になりますけれども、本当に尊敬できるというか。そういう選手なので、改めて僕が今さら説明する必要もないくらい。今日の人たちを見ればわかるかなと思います」 「こうやって集まらせてくれるきっかけを作ってくれたというのは、やっぱり憲剛でなければできないし。いろんな思い出が本当にありますね。憲剛が入りたての時のメンバーもいれば、最後の方のメンバーもいるし。僕はずっと関わっていますけれど。そういう面々と会えたというのも、自分のなかでは嬉しかったですね」 一方、12日には鹿島の新監督になることが発表された指揮官。引退試合参加の経緯も明かしている。 「憲剛に誘ってもらってから退任なのはありましたけれど、本当の最後はここなんだろうなと思っていたので、そういう思いはあります。だけど、やっぱり今日憲剛の日だから、自分よりも憲剛を取り上げてほしいなというのはありますね(笑)。できるだけ出しゃばりたくないというか。一緒に見たかったので。でも自分は一緒にプレーできたので、それは本当に良かったです」 「(中村からの誘いは)それも結構深いからあまり言えないです。言えないですけど… 難しいですね。表現が難しいです。でもこのタイミングで来たかという感じのところで来てくれて。それで1回お願いされて、できればと。まだ試合もあったし、返事は最終戦終わってからで構わないので、みたいな感じでは言ってくれていて。それでいろんな話をして」 「これも言ったらあれなのかな。本当の本当の最後、麻生(練習場)の練習の最後の日に憲剛が来てくれて。みんな全員いなくなってからいろいろ話す機会があって。本当にいろんな思いはありましたね。そこではもう返事したのかな。考えるということでもなかったですけど、いろんなことがあったので、良いのかなとかいろんな思いがあった」 「(参加して)僕もお礼を言えたし、憲剛もいろんな思いを言ってくれて、お互い良かったということを言えたのはありがたかったです」 2024.12.14 23:33 Sat