【前編】オリオラ・サンデーが日本で出会った2人の“ビッグファーザー”「今、ここでやれているのは2人のおかげ」
2025.11.06 16:02 Thu
“魔境”と称される2025年の明治安田J2リーグもいよいよ最終盤。J3から這い上がってきたRB大宮アルディージャは、J2第35節終了時点で勝ち点60の4位に付ける。自動昇格圏内の2位・V・ファーレン長崎とわずか3ポイント差で、国内最高峰リーグ昇格のチャンスを十分に残しているのだ。
今季からレッドブルグループの傘下に入り、クラブ全体が激変する中、1年でここまで躍進できたのは特筆すべき点である。その原動力になっている一人が、今季23試合出場で5得点を記録しているFWオリオラ・サンデーだ。2024年7月にJ2・徳島ヴォルティス(※ヴァンラーレ八戸への期限付き移籍期間中)から大宮へ赴き、一気にブレイクを果たした22歳の点取り屋に今季の戦いや自身の変化・成長について語ってもらった。
取材・文=元川悦子
サンデーを変えた石﨑信弘監督、長澤徹監督との出会い
――サンデー選手はナイジェリア生まれで、2019年に京都府の福知山成美高校に留学生として入学。日本での生活は7年目になりました。日本語はかなり勉強されたんですよね?
サンデー 高校の時は授業以外にも日本語を勉強していたので、読み書きも大丈夫でした。けど、少し忘れました(笑)。サッカーのことばかり考えているので、もっと勉強しないといけないなと思いますね。
サンデー 通訳はあまり必要ではなかったです。日本語は話せるし、言っていることも分かります。大宮は大きいクラブなので通訳(※英語)がいますけど、八戸はそうではなかったです。八戸では友達もできたし、サッカーのこともよく理解できた。すごく楽しかった思い出です。
――八戸と言えば、やはり石﨑信弘監督です。Jリーグ屈指の名将のもとでプレーして、人間的にも成長できたのではないですか?
サンデー 石﨑さんは僕の“ビッグファーザー”です(笑)。八戸に行く前から石﨑さんのことは「何度もJ1に昇格させている監督」と聞いていたし、一緒にできて嬉しかったですね。石﨑さんは自分のポテンシャルをちゃんと見てくれていて、「もっとこうしたら良くなる」とか「自分の体のデカさをうまく使えばいい」とポストプレーも教えてくれました。
――石﨑監督のもとで培ったベースが大宮で生きたわけですね。
サンデー そうですね。石﨑さんとテツさん(長澤徹前監督)はすごく似ていると思います。自分をうまく使う方法をよく分かっていたし、「どうしたらもっと上まで行けるのか」と自分の将来を考えたアドバイスもくれました。今、ここでやれているのは2人のおかげだと思っています。
――今季序盤戦は試合に出たり出なかったりという状況でしたが、振り返っていかがですか?
サンデー 今季はチャレンジが多かった。求められるボールタッチや相手のマークも厳しくなりました。テツさんは大宮にいるFWがそれぞれどういう選手なのか、何を持っているかが分かっていて、自分にも「できることがある」と言ってくれました。一緒に動画も見て「このプレーができるようになれば、もっと試合に出られるようになる」と話してくれました。ケガもあっていろいろと大変でしたが、テツさんが自分のことを信じてくれて、何回も試合に出してくれました。
――長澤前監督とはコミュニケーションを密に取っていたんですね。
サンデー 練習や試合後のリカバリーする時なんかに「この前の試合はどうだった」とか「何が足りなかったか」という話を2人でよくしていたし、必要なことを言ってくれた。自分も家に帰ってから振り返って「やっぱりそうだな」と思って、また練習でトライするというのを繰り返していました。
――最も印象に残っている言葉はありますか?
サンデー 「背後を取れ」という言葉です。大宮に来てからポストプレーがうまくできなくて、そのことを周りから言われて、ポストプレーに集中し過ぎていた。自分ができるはずの背後への飛び出しを忘れていたんです。でも、テツさんは「自分にできることは何か」と聞いてくれて「サンデーはまだ若いし、体も大きい。いろいろなことをやらなければいけない。だけど、自分にできることを絶対に忘れたらダメだ」と。そう言われてから、どうやって足元と背後のバランスを取るのか。もっと考えながらやるようになりました。ミツさん(戸田光洋コーチ)もピッチで「ボールを貰いたい時、こういう体の向きにしたら、うまく受けられる」と教えてくれたし、自分のことを良くしようと本当に熱心にやってくれたと思います。
――日本に来る前はそういった指導を受けたことはなかったんですか?
サンデー ナイジェリアの時もコーチはいましたけど、力強さとか自信を持つことを教えてくれていた。自分は体が強くてスピードがあればやっていけると考えていたけど、日本に来てからはどうやって動いたらゴールを決められるのかを考えることが増えました。留学生として初めて日本に来た時「日本の若い選手は判断がめっちゃ速い」とビックリしました。狭いところにもパッと出ていくし、「なんでこんなことできるの?」って不思議だった(笑)。そういうプレーはナイジェリアで見たことなかったですね。判断が速過ぎて「自分もこうならなアカンな」と思いました。
――ただ、日本よりナイジェリアの方が上と位置づけられる時代は長かったですよね。
サンデー もちろんナイジェリアにも上手い選手はいるけど、日本には静学(静岡学園)みたいにしっかりとスキルを教えてくれるチームがある。ナイジェリアは自分が持っているポテンシャルをそのまま出すだけ。日本の場合は、ポテンシャルがそこまでない選手も伸びてくると感じました。
――サンデー選手は日本に来て、いろいろな環境でディテールを学ぶ機会を得たわけですね。そして大宮でも杉本健勇選手や豊川雄太選手らと共闘することで、良い部分を吸収できたのではないですか?
サンデー そうですね。健勇くん、豊川くん、トミくん(富山貴光)、カズシ(藤井一志)もいるし、ファビアン(ゴンザレス)も体が強い。その強さをどう使っているのか。自分もすごく勉強しています。健勇くんはサッカーだけじゃなくて、人生のことも話したりしてくれたりする。そういう選手と一緒にやれているのは一番嬉しいね。
テツさんのためにも「絶対にJ1に上がらなきゃいけない」
――FW陣と切磋琢磨しながら良い競争ができている中、9月に長澤前監督が解任された時のショックは大きかったと思います。
サンデー 解任の話を聞いて、自分はめちゃくちゃ悔しかった。実は解任される直前の練習後、テツさんと2人で話したんです。「最近あまり話せていないし、どうしても喋りたい」と思って。サッカーのこともだし、どうしたらお金をうまく使えるようになるのかとか、自分の人生のことも話しました。その日に監督が交代すると聞いて、すごくビックリしました。たぶんテツさんと最後に話した選手は自分のはず。次の日にはもうテツさんはいなくて、本当に寂しかった。ナイジェリアの家族からも「どうしたの?」って心配されて「監督が解任された」と話したら「今日は元気がないから変だと思った」と言われました。石﨑さんと同じようにテツさんは“ビッグファーザー”だったので、物凄くショックでした。
――サッカー界は監督が解任されたり、選手が移籍したり“青天の霹靂”が多い世界ではあります。
サンデー でも、自分は今までこういう経験が一度もなかった。絆が強かったからこそ、テツさんのためにも「絶対にJ1に上がらなきゃいけない」という気持ちになりました。
――翌日から宮沢悠生監督が指揮を執るようになり、第31節のジュビロ磐田戦では4-3という劇的な逆転勝利を挙げ、連敗を3でストップ。サンデー選手も貴重な2ゴールを決めました。
サンデー ミヤさんになってから一番分かりやすいのは、中盤の形がダイヤモンドになったこと。走る量もより求められるようになりました。自分の役割も特別だと思います。磐田戦は「新しい監督が来たタイミングでまた負けてしまったら絶対に良くない」という気持ちで戦いました。0-2から4点を取って逆転しましたけど、プレーを見たら絶対に大宮の方が強いと感じました。「2点取られたけど、時間もまだまだあるし、自分らの攻撃力はリーグの中ですごく高いから、絶対に点を決められる」と思って戦ったら、カプリーニのゴールが決まった。自分の自信もどんどん増していって、絶対に逆転できると思いました。自分が2点を取って逆転勝ちした時は、久しぶりにあんなに嬉しい気持ちになりました。それは自分だけのことじゃなくて、監督とチームのために連敗を止められたから。テツさんもどこかで見ていたはずだし、結果を知って誇りに感じてくれたと思います。
――劇的だった磐田戦から大宮は5戦無敗で、いよいよ自動昇格圏も見えてきました。
サンデー まずは目の前のゲームをしっかりと戦って、これ以上ポイントを落とさずに一つひとつ集中していくことが大事です。自動昇格でもプレーオフでもいいから、とにかくJ1に上がることができればそれでいい。今季のチームの目標も「J1昇格」ですし、それを達成するためにはどんな形でも、這いつくばってでも、何としても上がるという姿勢を持ち続けていきます。
父のように慕う恩師・長澤前監督。そして今の自分を伸ばしてくれている宮沢監督や戸田コーチらスタッフのためにも、サンデーはゴールを目指して突き進んでいく構えだ。2026年のJ1リーグで圧倒的な存在感を示す彼の姿を心待ちにする人も少なくないはず。ラスト3戦でゴールという結果を残し、大宮を成功へと導いてほしいものである。
【ハイライト動画】サンデーが2得点!! 磐田vs大宮
今季からレッドブルグループの傘下に入り、クラブ全体が激変する中、1年でここまで躍進できたのは特筆すべき点である。その原動力になっている一人が、今季23試合出場で5得点を記録しているFWオリオラ・サンデーだ。2024年7月にJ2・徳島ヴォルティス(※ヴァンラーレ八戸への期限付き移籍期間中)から大宮へ赴き、一気にブレイクを果たした22歳の点取り屋に今季の戦いや自身の変化・成長について語ってもらった。
取材・文=元川悦子
――サンデー選手はナイジェリア生まれで、2019年に京都府の福知山成美高校に留学生として入学。日本での生活は7年目になりました。日本語はかなり勉強されたんですよね?
サンデー 高校の時は授業以外にも日本語を勉強していたので、読み書きも大丈夫でした。けど、少し忘れました(笑)。サッカーのことばかり考えているので、もっと勉強しないといけないなと思いますね。
――2022年にJ2・徳島ヴォルティスでプロキャリアをスタートさせ、2023年8月に期限付き移籍でJ3のヴァンラーレ八戸へ。2024年夏に大宮に加入しました。八戸では通訳もいなかったと思います。
サンデー 通訳はあまり必要ではなかったです。日本語は話せるし、言っていることも分かります。大宮は大きいクラブなので通訳(※英語)がいますけど、八戸はそうではなかったです。八戸では友達もできたし、サッカーのこともよく理解できた。すごく楽しかった思い出です。
――八戸と言えば、やはり石﨑信弘監督です。Jリーグ屈指の名将のもとでプレーして、人間的にも成長できたのではないですか?
サンデー 石﨑さんは僕の“ビッグファーザー”です(笑)。八戸に行く前から石﨑さんのことは「何度もJ1に昇格させている監督」と聞いていたし、一緒にできて嬉しかったですね。石﨑さんは自分のポテンシャルをちゃんと見てくれていて、「もっとこうしたら良くなる」とか「自分の体のデカさをうまく使えばいい」とポストプレーも教えてくれました。
――石﨑監督のもとで培ったベースが大宮で生きたわけですね。
サンデー そうですね。石﨑さんとテツさん(長澤徹前監督)はすごく似ていると思います。自分をうまく使う方法をよく分かっていたし、「どうしたらもっと上まで行けるのか」と自分の将来を考えたアドバイスもくれました。今、ここでやれているのは2人のおかげだと思っています。
――今季序盤戦は試合に出たり出なかったりという状況でしたが、振り返っていかがですか?
サンデー 今季はチャレンジが多かった。求められるボールタッチや相手のマークも厳しくなりました。テツさんは大宮にいるFWがそれぞれどういう選手なのか、何を持っているかが分かっていて、自分にも「できることがある」と言ってくれました。一緒に動画も見て「このプレーができるようになれば、もっと試合に出られるようになる」と話してくれました。ケガもあっていろいろと大変でしたが、テツさんが自分のことを信じてくれて、何回も試合に出してくれました。
――長澤前監督とはコミュニケーションを密に取っていたんですね。
サンデー 練習や試合後のリカバリーする時なんかに「この前の試合はどうだった」とか「何が足りなかったか」という話を2人でよくしていたし、必要なことを言ってくれた。自分も家に帰ってから振り返って「やっぱりそうだな」と思って、また練習でトライするというのを繰り返していました。
――最も印象に残っている言葉はありますか?
サンデー 「背後を取れ」という言葉です。大宮に来てからポストプレーがうまくできなくて、そのことを周りから言われて、ポストプレーに集中し過ぎていた。自分ができるはずの背後への飛び出しを忘れていたんです。でも、テツさんは「自分にできることは何か」と聞いてくれて「サンデーはまだ若いし、体も大きい。いろいろなことをやらなければいけない。だけど、自分にできることを絶対に忘れたらダメだ」と。そう言われてから、どうやって足元と背後のバランスを取るのか。もっと考えながらやるようになりました。ミツさん(戸田光洋コーチ)もピッチで「ボールを貰いたい時、こういう体の向きにしたら、うまく受けられる」と教えてくれたし、自分のことを良くしようと本当に熱心にやってくれたと思います。
――日本に来る前はそういった指導を受けたことはなかったんですか?
サンデー ナイジェリアの時もコーチはいましたけど、力強さとか自信を持つことを教えてくれていた。自分は体が強くてスピードがあればやっていけると考えていたけど、日本に来てからはどうやって動いたらゴールを決められるのかを考えることが増えました。留学生として初めて日本に来た時「日本の若い選手は判断がめっちゃ速い」とビックリしました。狭いところにもパッと出ていくし、「なんでこんなことできるの?」って不思議だった(笑)。そういうプレーはナイジェリアで見たことなかったですね。判断が速過ぎて「自分もこうならなアカンな」と思いました。
――ただ、日本よりナイジェリアの方が上と位置づけられる時代は長かったですよね。
サンデー もちろんナイジェリアにも上手い選手はいるけど、日本には静学(静岡学園)みたいにしっかりとスキルを教えてくれるチームがある。ナイジェリアは自分が持っているポテンシャルをそのまま出すだけ。日本の場合は、ポテンシャルがそこまでない選手も伸びてくると感じました。
――サンデー選手は日本に来て、いろいろな環境でディテールを学ぶ機会を得たわけですね。そして大宮でも杉本健勇選手や豊川雄太選手らと共闘することで、良い部分を吸収できたのではないですか?
サンデー そうですね。健勇くん、豊川くん、トミくん(富山貴光)、カズシ(藤井一志)もいるし、ファビアン(ゴンザレス)も体が強い。その強さをどう使っているのか。自分もすごく勉強しています。健勇くんはサッカーだけじゃなくて、人生のことも話したりしてくれたりする。そういう選手と一緒にやれているのは一番嬉しいね。
テツさんのためにも「絶対にJ1に上がらなきゃいけない」
――FW陣と切磋琢磨しながら良い競争ができている中、9月に長澤前監督が解任された時のショックは大きかったと思います。
サンデー 解任の話を聞いて、自分はめちゃくちゃ悔しかった。実は解任される直前の練習後、テツさんと2人で話したんです。「最近あまり話せていないし、どうしても喋りたい」と思って。サッカーのこともだし、どうしたらお金をうまく使えるようになるのかとか、自分の人生のことも話しました。その日に監督が交代すると聞いて、すごくビックリしました。たぶんテツさんと最後に話した選手は自分のはず。次の日にはもうテツさんはいなくて、本当に寂しかった。ナイジェリアの家族からも「どうしたの?」って心配されて「監督が解任された」と話したら「今日は元気がないから変だと思った」と言われました。石﨑さんと同じようにテツさんは“ビッグファーザー”だったので、物凄くショックでした。
――サッカー界は監督が解任されたり、選手が移籍したり“青天の霹靂”が多い世界ではあります。
サンデー でも、自分は今までこういう経験が一度もなかった。絆が強かったからこそ、テツさんのためにも「絶対にJ1に上がらなきゃいけない」という気持ちになりました。
――翌日から宮沢悠生監督が指揮を執るようになり、第31節のジュビロ磐田戦では4-3という劇的な逆転勝利を挙げ、連敗を3でストップ。サンデー選手も貴重な2ゴールを決めました。
サンデー ミヤさんになってから一番分かりやすいのは、中盤の形がダイヤモンドになったこと。走る量もより求められるようになりました。自分の役割も特別だと思います。磐田戦は「新しい監督が来たタイミングでまた負けてしまったら絶対に良くない」という気持ちで戦いました。0-2から4点を取って逆転しましたけど、プレーを見たら絶対に大宮の方が強いと感じました。「2点取られたけど、時間もまだまだあるし、自分らの攻撃力はリーグの中ですごく高いから、絶対に点を決められる」と思って戦ったら、カプリーニのゴールが決まった。自分の自信もどんどん増していって、絶対に逆転できると思いました。自分が2点を取って逆転勝ちした時は、久しぶりにあんなに嬉しい気持ちになりました。それは自分だけのことじゃなくて、監督とチームのために連敗を止められたから。テツさんもどこかで見ていたはずだし、結果を知って誇りに感じてくれたと思います。
――劇的だった磐田戦から大宮は5戦無敗で、いよいよ自動昇格圏も見えてきました。
サンデー まずは目の前のゲームをしっかりと戦って、これ以上ポイントを落とさずに一つひとつ集中していくことが大事です。自動昇格でもプレーオフでもいいから、とにかくJ1に上がることができればそれでいい。今季のチームの目標も「J1昇格」ですし、それを達成するためにはどんな形でも、這いつくばってでも、何としても上がるという姿勢を持ち続けていきます。
父のように慕う恩師・長澤前監督。そして今の自分を伸ばしてくれている宮沢監督や戸田コーチらスタッフのためにも、サンデーはゴールを目指して突き進んでいく構えだ。2026年のJ1リーグで圧倒的な存在感を示す彼の姿を心待ちにする人も少なくないはず。ラスト3戦でゴールという結果を残し、大宮を成功へと導いてほしいものである。
【ハイライト動画】サンデーが2得点!! 磐田vs大宮
出典:https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20251106/2083741.html
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