【超WORLDサッカー!再始動特集】“支援ありき”な赤字運営から、J1クラブ規模の黒字化に成功!「生き残るためには……」代表・是永大輔の経営論
2025.08.06 07:00 Wed
「超WORLDサッカー!」は、終わらない──。
2025年7月1日。
サービス終了が発表されたはずのサッカー専門Webメディアが、電撃復活を遂げた。
新たなコンセプトは「世界と、つながれ」。
世界で活躍するスター選手と、その舞台を目指すジュニア選手の繋ぎ目となる情報サイトを目指し、新たな舵を切る。
再始動にあたり「超WORLDサッカー!」の礎をつくりあげた、是永大輔氏に話をうかがうことに。
2008年に突如編集長の座とライター業から離れ、『アルビレックス新潟シンガポール』の代表に就任した経緯や、経営者として大事にしているマインドを語ってもらった。
【そもそも『アルビレックス新潟シンガポール』って?】
北:『超WORLDサッカー!』の名物編集長だった是永さんですが、2008年に突如、サッカークラブの社長に就任しました。まず、『アルビレックス新潟シンガポール』とは?というところから教えてもらってもいいですか?
是永:まず少しシンガポールのサッカーの歴史から話しますね。もともとシンガポールには自国リーグがなくて、“シンガポール代表”のようなクラブをつくって、隣国のマレーシアリーグに参加していたんですよ。
アウェイ戦でも1万人が国境越えてバスで遠征したり、ホームには5万人が集まったりするくらいサッカーは人気で、国民的スポーツ。そして、1992年にリーグ戦とカップ戦でダブル優勝をしたんです。
ただそれがきっかけで、マレーシア側から「八百長疑惑」をかけられてしまった。「だったら自分たちでリーグつくるよ!」と誕生したのが、シンガポールリーグ(Sリーグ)でした。
ただ、せっかく自国リーグをつくったのに、10,000人から5,000人、2,000人とどんどん観客が減ってしまったんですね……。
北: 一気に盛り上がりそうなところですが、それは想定外すぎますね……。
是永:シンガポールサッカー協会が大きな理由として考えたのが、それまで毎試合あった「マレーシアvsシンガポール」という国家のアイデンティティの対決、言い換えれば“ナショナリズム”がなくなったからなのではないか、と。
そこで「だったら海外のクラブを呼べばいいじゃないか」という発想になって、いろんな外国クラブをシンガポールリーグに呼ぼうという流れができたんです。
そして、シンガポールサッカー協会が日本サッカー協会に「どこか参入したいクラブはないか?」と相談があり、協会が各クラブに募った結果、アルビレックス新潟だけが手を挙げて、2004年からの参入が決まりました。
北:当時の新潟はJ2からJ1昇格目前の時期ですよね?
是永:そうそう。若手選手の試合経験がこれからもっと必要になるかもしれないというタイミングでもあったので「じゃあ海外で出場機会をつくろう」と。つまり、国をまたいだサテライトの位置付けですね。
それを国内じゃなくてシンガポールにつくってしまおうなんて発想をするのは、うちの会長(池田弘・アルビレックス新潟会長)だけですよ(笑)。
【なぜサッカーメディア編集長がサッカークラブ社長に?】
北:そんなある意味“普通じゃない”クラブの代表に是永さんが就任したのは、どういう経緯だったんですか?
是永:『超WORLDサッカー!』に広告出してくれていた、新潟にあるサッカー専門学校のJAPANサッカーカレッジさんから、相談を受けたことがきっかけでした。
実は20歳の時に「30歳の自分」というタイトルで100個くらい箇条書きで項目を並べていて、そのひとつに「サッカークラブの社長になっている」というのがありました。
だから「シンガポールのクラブの社長を探してるんだけど、誰かいませんか?」と聞かれた時に、「おっ!?」と。これはやるしかないなって気持ちで手を上げました。
北:当時29歳。メディア業界から離れることや、編集長としてのキャリアに未練は?
是永:あまりなかったですね。「クラブの社長をやりたい」っていう気持ちが勝ってました。
北:おそらくは右も左もわからない状態でクラブの社長になってみて、最初はどうでした?
是永:クラブの経営自体はかなり厳しい状況で、「強化費」という名目で毎年数千万円のアルビレックス新潟本体からの支援でどうにか成立していた状態でした。
もしアルビが支援を減らす、もう辞めますとなったら、すぐにこのクラブはなくなる。かなりの危機感がありました。
いずれにしてもこのクラブが生き残るには「自立」するしかない。なので2年目ぐらいから、退路を断ちました。「もう強化費は必要ないので、自由にやらせてほしい」と伝えさせてもらって、独立採算の組織にしよう、と。
そのぶん最初はコストもかなり削って、純粋なプロ選手の数を減らし、その代わりにJAPANサッカーカレッジや大学と提携して学生選手を増やすようにしました。
また、スポンサーを集めたり、サッカースクールやチアスクールを運営したりして、少しずつ収入を増やして、独立採算で自走できる状態をつくっていきました。
現在もその流れを引き継ぎ、アルビレックス新潟からの強化費は受け取っていませんし、サテライトとしての機能もありません。また、資本関係もありません。
北:かなりリスクのある決断だったと思います。
是永:はい。でも、シンガポールはシンガポールの事情があるので、遠く離れた日本の解釈や尺度で物事が進んでいくほうが、結果的に大きな困難に直面する可能性が高いとは感じていました。
北:『アルビレックス新潟バルセロナ』『アルビレックス新潟プノンペン』と、世界各国でサッカー事業を展開していきました。最初に聞いた時はどういうこと?とも思いましたが(笑)。
是永:『アルビレックス新潟シンガポール』の事業拡大の大きな要因となったのは、クラブハウスにカジノを併設したことでしたね。「カジノ」と言っても、スロットマシンを置いているだけなんですけど。
一番よかったときは現在のレートで言うと、カジノだけで年間45億円くらい。そこに通常のビジネスの収益も加えたら、トータルで年に50億円を超えていました。あの頃の、J1上位クラブくらいの規模感はあったと思いますよ。
北:ただ、そのカジノで稼ぐ事業が2022年の10月に禁止されてしまう……と。
是永:シンガポールのグループの8割超の売り上げがそこから生まれていたので、“大打撃”どころの話ではなかったですね。現在はこれまでのキャッシュをうまく回しながら、首の皮をつなぎつつ新規事業を拡大している状態です。まだまだここから反撃しますよ。
【必要なのは、“突き抜けたキャラクター”】
北:どれだけ順調でも思わぬ理由で経営難に陥ったり、時には事業撤退を決めなきゃいけなかったりすることもあると。
その一例でもあるのが、今回の『超WORLDサッカー!』のサービス終了でした。是永さんとしては、サービス終了に至ってしまった一番の要因は、どこにあると思いますか?
是永:外から眺めていただけですので内情は分かりません。
ただ、想像するに他媒体と“差別化”がなかったということかもしれませんね。扱う内容に“サッカーニュース”の割合が増え「別に超WORLDサッカー!じゃなくてもいいんじゃない?」となってしまったのかもしれません。
どんな事業もそこに存在するからには何かしらの“意味”や“意義”がないといけませんし、ほかとは異なる価値やアイデアを表現しないと生き残れません。似たようなサービスが売れなくなって淘汰されていくのは、メディアだけに限らずどんな商品でも同じことだと思います。もちろん、サッカークラブも同様です。
北:サービス終了は事前に知っていたんですか?
是永:いや、まったく知らなかったです。ニュースで見て「ああ……終わるんだな」と。
北:やっぱりショックは大きかった?
是永:あのロゴがもう見れなくなるんだって思うと、やっぱり寂しさはありました。
「なくしてしまうのはもったいないよね」って話はしていたんですよ。でも、他媒体とは異なるスタンスを取らないと生き残れないから「いっそのことサッカーのゴシップ系に特化すればいいのになあ」と。あ、冗談ですよ(笑)。
北:ゴシップですか(笑)。
是永:そうそうそう!まあゴシップは極端だとしても、情報の精度や速さでは簡単に勝てる時代ではないから、よっぽど突き抜けたキャラクターでないと存在感は出せない。
北:僕としては、新たな「超WORLDサッカー!」はジュニア年代の強化に力を入れたいと考えています。世界で活躍する選手と、世界を目指す選手をつなぐようなメディアをつくりたいな、と。
是永:漫画みたいに読めるようなラフな読み物がたくさんあると、もしかしたらジュニアサッカー世代に刺さるかもしれませんね。
誰かに原稿を書いてもらうというのは、今後の方針としてはアリなんですか?
北:もちろん。むしろ是永さんに書いてもらえませんか?
是永:えっ?(笑)。
2025年7月1日。
サービス終了が発表されたはずのサッカー専門Webメディアが、電撃復活を遂げた。
世界で活躍するスター選手と、その舞台を目指すジュニア選手の繋ぎ目となる情報サイトを目指し、新たな舵を切る。
7月某日。
再始動にあたり「超WORLDサッカー!」の礎をつくりあげた、是永大輔氏に話をうかがうことに。
2008年に突如編集長の座とライター業から離れ、『アルビレックス新潟シンガポール』の代表に就任した経緯や、経営者として大事にしているマインドを語ってもらった。
【そもそも『アルビレックス新潟シンガポール』って?】
北:『超WORLDサッカー!』の名物編集長だった是永さんですが、2008年に突如、サッカークラブの社長に就任しました。まず、『アルビレックス新潟シンガポール』とは?というところから教えてもらってもいいですか?
是永:まず少しシンガポールのサッカーの歴史から話しますね。もともとシンガポールには自国リーグがなくて、“シンガポール代表”のようなクラブをつくって、隣国のマレーシアリーグに参加していたんですよ。
アウェイ戦でも1万人が国境越えてバスで遠征したり、ホームには5万人が集まったりするくらいサッカーは人気で、国民的スポーツ。そして、1992年にリーグ戦とカップ戦でダブル優勝をしたんです。
ただそれがきっかけで、マレーシア側から「八百長疑惑」をかけられてしまった。「だったら自分たちでリーグつくるよ!」と誕生したのが、シンガポールリーグ(Sリーグ)でした。
ただ、せっかく自国リーグをつくったのに、10,000人から5,000人、2,000人とどんどん観客が減ってしまったんですね……。
北: 一気に盛り上がりそうなところですが、それは想定外すぎますね……。
是永:シンガポールサッカー協会が大きな理由として考えたのが、それまで毎試合あった「マレーシアvsシンガポール」という国家のアイデンティティの対決、言い換えれば“ナショナリズム”がなくなったからなのではないか、と。
そこで「だったら海外のクラブを呼べばいいじゃないか」という発想になって、いろんな外国クラブをシンガポールリーグに呼ぼうという流れができたんです。
そして、シンガポールサッカー協会が日本サッカー協会に「どこか参入したいクラブはないか?」と相談があり、協会が各クラブに募った結果、アルビレックス新潟だけが手を挙げて、2004年からの参入が決まりました。
北:当時の新潟はJ2からJ1昇格目前の時期ですよね?
是永:そうそう。若手選手の試合経験がこれからもっと必要になるかもしれないというタイミングでもあったので「じゃあ海外で出場機会をつくろう」と。つまり、国をまたいだサテライトの位置付けですね。
それを国内じゃなくてシンガポールにつくってしまおうなんて発想をするのは、うちの会長(池田弘・アルビレックス新潟会長)だけですよ(笑)。
【なぜサッカーメディア編集長がサッカークラブ社長に?】
北:そんなある意味“普通じゃない”クラブの代表に是永さんが就任したのは、どういう経緯だったんですか?
是永:『超WORLDサッカー!』に広告出してくれていた、新潟にあるサッカー専門学校のJAPANサッカーカレッジさんから、相談を受けたことがきっかけでした。
実は20歳の時に「30歳の自分」というタイトルで100個くらい箇条書きで項目を並べていて、そのひとつに「サッカークラブの社長になっている」というのがありました。
だから「シンガポールのクラブの社長を探してるんだけど、誰かいませんか?」と聞かれた時に、「おっ!?」と。これはやるしかないなって気持ちで手を上げました。
北:当時29歳。メディア業界から離れることや、編集長としてのキャリアに未練は?
是永:あまりなかったですね。「クラブの社長をやりたい」っていう気持ちが勝ってました。
北:おそらくは右も左もわからない状態でクラブの社長になってみて、最初はどうでした?
是永:クラブの経営自体はかなり厳しい状況で、「強化費」という名目で毎年数千万円のアルビレックス新潟本体からの支援でどうにか成立していた状態でした。
もしアルビが支援を減らす、もう辞めますとなったら、すぐにこのクラブはなくなる。かなりの危機感がありました。
いずれにしてもこのクラブが生き残るには「自立」するしかない。なので2年目ぐらいから、退路を断ちました。「もう強化費は必要ないので、自由にやらせてほしい」と伝えさせてもらって、独立採算の組織にしよう、と。
そのぶん最初はコストもかなり削って、純粋なプロ選手の数を減らし、その代わりにJAPANサッカーカレッジや大学と提携して学生選手を増やすようにしました。
また、スポンサーを集めたり、サッカースクールやチアスクールを運営したりして、少しずつ収入を増やして、独立採算で自走できる状態をつくっていきました。
現在もその流れを引き継ぎ、アルビレックス新潟からの強化費は受け取っていませんし、サテライトとしての機能もありません。また、資本関係もありません。
北:かなりリスクのある決断だったと思います。
是永:はい。でも、シンガポールはシンガポールの事情があるので、遠く離れた日本の解釈や尺度で物事が進んでいくほうが、結果的に大きな困難に直面する可能性が高いとは感じていました。
北:『アルビレックス新潟バルセロナ』『アルビレックス新潟プノンペン』と、世界各国でサッカー事業を展開していきました。最初に聞いた時はどういうこと?とも思いましたが(笑)。
是永:『アルビレックス新潟シンガポール』の事業拡大の大きな要因となったのは、クラブハウスにカジノを併設したことでしたね。「カジノ」と言っても、スロットマシンを置いているだけなんですけど。
一番よかったときは現在のレートで言うと、カジノだけで年間45億円くらい。そこに通常のビジネスの収益も加えたら、トータルで年に50億円を超えていました。あの頃の、J1上位クラブくらいの規模感はあったと思いますよ。
北:ただ、そのカジノで稼ぐ事業が2022年の10月に禁止されてしまう……と。
是永:シンガポールのグループの8割超の売り上げがそこから生まれていたので、“大打撃”どころの話ではなかったですね。現在はこれまでのキャッシュをうまく回しながら、首の皮をつなぎつつ新規事業を拡大している状態です。まだまだここから反撃しますよ。
【必要なのは、“突き抜けたキャラクター”】
北:どれだけ順調でも思わぬ理由で経営難に陥ったり、時には事業撤退を決めなきゃいけなかったりすることもあると。
その一例でもあるのが、今回の『超WORLDサッカー!』のサービス終了でした。是永さんとしては、サービス終了に至ってしまった一番の要因は、どこにあると思いますか?
是永:外から眺めていただけですので内情は分かりません。
ただ、想像するに他媒体と“差別化”がなかったということかもしれませんね。扱う内容に“サッカーニュース”の割合が増え「別に超WORLDサッカー!じゃなくてもいいんじゃない?」となってしまったのかもしれません。
どんな事業もそこに存在するからには何かしらの“意味”や“意義”がないといけませんし、ほかとは異なる価値やアイデアを表現しないと生き残れません。似たようなサービスが売れなくなって淘汰されていくのは、メディアだけに限らずどんな商品でも同じことだと思います。もちろん、サッカークラブも同様です。
北:サービス終了は事前に知っていたんですか?
是永:いや、まったく知らなかったです。ニュースで見て「ああ……終わるんだな」と。
北:やっぱりショックは大きかった?
是永:あのロゴがもう見れなくなるんだって思うと、やっぱり寂しさはありました。
「なくしてしまうのはもったいないよね」って話はしていたんですよ。でも、他媒体とは異なるスタンスを取らないと生き残れないから「いっそのことサッカーのゴシップ系に特化すればいいのになあ」と。あ、冗談ですよ(笑)。
北:ゴシップですか(笑)。
是永:そうそうそう!まあゴシップは極端だとしても、情報の精度や速さでは簡単に勝てる時代ではないから、よっぽど突き抜けたキャラクターでないと存在感は出せない。
北:僕としては、新たな「超WORLDサッカー!」はジュニア年代の強化に力を入れたいと考えています。世界で活躍する選手と、世界を目指す選手をつなぐようなメディアをつくりたいな、と。
是永:漫画みたいに読めるようなラフな読み物がたくさんあると、もしかしたらジュニアサッカー世代に刺さるかもしれませんね。
誰かに原稿を書いてもらうというのは、今後の方針としてはアリなんですか?
北:もちろん。むしろ是永さんに書いてもらえませんか?
是永:えっ?(笑)。
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