イギリス元首相ブレア氏、過去にウィンブルドンFCのベルファスト移転計画を支持
2023.12.29 06:30 Fri
イギリス元首相のサー・トニー・ブレア氏が、1990年代後半にウィンブルドンFCを北アイルランドのベルファストに移転する計画を支持していたことが判明した。イギリス『BBC』が報じている。
そのウィンブルドンFCに関して、以前は機密だった州文書によってベルファスト移転が計画されていたことが最近になって確認された。
1989年に発生した群集事故の“ヒルズボロの悲劇”を受け、1990年に同事故に関するテイラー報告書が出版され、イングランドでは全席座席のスタジアムへの移行が各クラブに通知された。
その後、クラブはクリスタル・パレスの本拠地セルハースト・パークを共用させてもらう形で急場を凌いでいたが、オーナーのサム・ハマム氏は根本的な問題を解決するために本拠地移転を計画。
当初、ハマム氏はクラブをアイルランドのダブリンに移転することを検討していたが、この動きはアイルランドリーグのクラブによって拒否された。
そういったなか、「イングランド・プレミアリーグのフットボールクラブがベルファストに移転する可能性についての以前の非公式な議論の追跡調査」と記された州文書には、ウィンブルドンFCが同じ時期にベルファスト移転を計画したことが書かれていた。
その文書のメモにはブレア氏が「ベルファストにイングランド・プレミアリーグでプレーするフットボールチームがあれば、大きな進歩となるだろう」、「地域社会を超えた強力な支援を構築し、分断された都市に積極的な団結力をもたらすことができるはず」との発言が書かれていたという。
当時のイギリス政府は、1960年代後半から1998年にベルファスト合意が締結されるまで、暴力的な民族国家主義的、宗派間の対立を経験していた北アイルランドの平和を確保する方法を見つけることに熱心だった。そういった思惑もあり、ブレア氏はウィンブルドンFCの移転を支持する考えを持っていたという。
ただ、移転後にウィンブルドンFCからベルファスト・ユナイテッドへの改称も示唆されていたこの計画は最終的に関係各所からの強い反発を受け、実現はしなかった。
PR
ウィンブルドンFCは、1889年に創設されて2004年に消滅したロンドン南西部ウィンブルドンに本拠地を置いたクラブ。ロンドン北西のミルトン・キーンズ移転に伴い、現在ミルトン・キーンズ・ドンズFC(MKドンズ)と呼ばれるクラブが後身となっている。また、現在もウィンブルドンに本拠地を置くAFCウィンブルドンは、ミルトン・キーンズ移転を反対したウィンブルドンFCのサポーターによって創設されたクラブだ。1989年に発生した群集事故の“ヒルズボロの悲劇”を受け、1990年に同事故に関するテイラー報告書が出版され、イングランドでは全席座席のスタジアムへの移行が各クラブに通知された。
これにより、ウィンブルドンFCはそれまで使用していた本拠地プラウ・レーンから移転を余儀なくされていたが、プラウ・レーン周辺は再開発に不向きとみなされ、クラブは新たな本拠地を探すことに。
その後、クラブはクリスタル・パレスの本拠地セルハースト・パークを共用させてもらう形で急場を凌いでいたが、オーナーのサム・ハマム氏は根本的な問題を解決するために本拠地移転を計画。
当初、ハマム氏はクラブをアイルランドのダブリンに移転することを検討していたが、この動きはアイルランドリーグのクラブによって拒否された。
そういったなか、「イングランド・プレミアリーグのフットボールクラブがベルファストに移転する可能性についての以前の非公式な議論の追跡調査」と記された州文書には、ウィンブルドンFCが同じ時期にベルファスト移転を計画したことが書かれていた。
その文書のメモにはブレア氏が「ベルファストにイングランド・プレミアリーグでプレーするフットボールチームがあれば、大きな進歩となるだろう」、「地域社会を超えた強力な支援を構築し、分断された都市に積極的な団結力をもたらすことができるはず」との発言が書かれていたという。
当時のイギリス政府は、1960年代後半から1998年にベルファスト合意が締結されるまで、暴力的な民族国家主義的、宗派間の対立を経験していた北アイルランドの平和を確保する方法を見つけることに熱心だった。そういった思惑もあり、ブレア氏はウィンブルドンFCの移転を支持する考えを持っていたという。
ただ、移転後にウィンブルドンFCからベルファスト・ユナイテッドへの改称も示唆されていたこの計画は最終的に関係各所からの強い反発を受け、実現はしなかった。
PR
プレミアリーグの関連記事
|