【巴乔】このサッカー選手は誰?
2021.02.18 15:00 Thu
サッカー選手の名前を中国語で表記したら…?中国では、基本的に海外の選手名やチーム名を漢字による音訳をして表記していますが、そのまま漢字に置き換えることが難しい場合もあり、愛称が用いられることも多くあります。この企画では、現役を問わずあるサッカー選手の名前を中国語表記で出題します。それが誰を指すのか、当ててみてください!
問題:「罗伯特·巴乔」
難易度:中
さすがにこれだけでは分からない方も多いと思うので、ここでヒントです!
ヒント①: イタリアのカルドーニョで8人兄弟の6番目として生を受けました。
ヒント②: 「巴」は中国語で「bā」と発音し、「バリ島」は「巴厘岛」と表記します。
ヒント③: ポニーテール姿が特徴的で、馬の尻尾という意味を持つ愛称の「コディーノ」は髪型が由来です。
ヒントを見て、もう分かった方もいるのではないでしょうか?それでは、正解発表です。
正解はこちら!
「巴乔」の読み方は…「バッジョ」でした。そう、元イタリア代表FWロベルト・バッジョ氏です。
イタリアのカルドーニョで8人兄弟の6番目として誕生したバッジョ氏は、1981年にセリエC1のヴィチェンツァで15歳にしてプロデビュー。その後、1985年にフィオレンティーナへと移籍。しかし、ここでこの先のキャリアでも悩まされる“ケガ”との付き合いが始まります。契約した2日後に右ヒザ十字じん帯断裂の大けがに見舞われ、移籍したシーズンは欠場。翌シーズンも活躍がままならず、4シーズン目で15ゴールを記録しついに花開きます。
その後、1990年に当時最高額の150億リラ(約16億5000万円)でユベントスへと移籍。これは、多額の移籍金に対して移籍せざるを得なくなった状況であり、バッジョ氏としても「望ましくない」移籍だったという。それでも実力を発揮し、ゴールを量産。1992-93シーズンはユベントスをUEFAカップ優勝に導くと、FIFA最優秀選手賞とバロンドールを同時受賞しました。
キャリア絶頂期だったバッジョ氏だが、ユベントス側がインテルとの移籍交渉をスタート。これに腹を立てたバッジョ氏は、インテルのライバルであるミランへと移籍。しかし、アリゴ・サッキ監督就任とともに出場機会が激減すると、1997年にはボローニャへ、1998年にはインテルへ移籍。2000年にはブレシアへと移籍し、2004年に現役を引退しました。
“ファンタジスタ”の象徴的な存在として知られるバッジョ氏のキャリアにおいて、切っても切れないのが「PK」だろう。1990年のイタリア、1994年のアメリカ、1998年のフランスと、3度のワールドカップに出場したバッジョは、すべての大会でPK戦を経験。特に1994年のアメリカ・ワールドカップでは、決勝のブラジル戦がPK戦にもつれ込むと、最後のキッカーであるバッジョが大きく枠を外し試合終了。優勝を逃したあのシーンは、誰もが1度は目にしているはず。なお、3度のワールドカップを経験しながらも、ユーロへの出場は1度もありませんでした。ちなみに今日が54歳の誕生日です。
サッカー選手クイズ、いかがでしたか?気になる方は他の選手の名前もチェックしてみてください!
問題:「罗伯特·巴乔」
難易度:中
ヒント①: イタリアのカルドーニョで8人兄弟の6番目として生を受けました。
ヒント②: 「巴」は中国語で「bā」と発音し、「バリ島」は「巴厘岛」と表記します。
ヒント③: ポニーテール姿が特徴的で、馬の尻尾という意味を持つ愛称の「コディーノ」は髪型が由来です。
ヒントを見て、もう分かった方もいるのではないでしょうか?それでは、正解発表です。
「巴乔」の読み方は…「バッジョ」でした。そう、元イタリア代表FWロベルト・バッジョ氏です。
イタリアのカルドーニョで8人兄弟の6番目として誕生したバッジョ氏は、1981年にセリエC1のヴィチェンツァで15歳にしてプロデビュー。その後、1985年にフィオレンティーナへと移籍。しかし、ここでこの先のキャリアでも悩まされる“ケガ”との付き合いが始まります。契約した2日後に右ヒザ十字じん帯断裂の大けがに見舞われ、移籍したシーズンは欠場。翌シーズンも活躍がままならず、4シーズン目で15ゴールを記録しついに花開きます。
その後、1990年に当時最高額の150億リラ(約16億5000万円)でユベントスへと移籍。これは、多額の移籍金に対して移籍せざるを得なくなった状況であり、バッジョ氏としても「望ましくない」移籍だったという。それでも実力を発揮し、ゴールを量産。1992-93シーズンはユベントスをUEFAカップ優勝に導くと、FIFA最優秀選手賞とバロンドールを同時受賞しました。
キャリア絶頂期だったバッジョ氏だが、ユベントス側がインテルとの移籍交渉をスタート。これに腹を立てたバッジョ氏は、インテルのライバルであるミランへと移籍。しかし、アリゴ・サッキ監督就任とともに出場機会が激減すると、1997年にはボローニャへ、1998年にはインテルへ移籍。2000年にはブレシアへと移籍し、2004年に現役を引退しました。
“ファンタジスタ”の象徴的な存在として知られるバッジョ氏のキャリアにおいて、切っても切れないのが「PK」だろう。1990年のイタリア、1994年のアメリカ、1998年のフランスと、3度のワールドカップに出場したバッジョは、すべての大会でPK戦を経験。特に1994年のアメリカ・ワールドカップでは、決勝のブラジル戦がPK戦にもつれ込むと、最後のキッカーであるバッジョが大きく枠を外し試合終了。優勝を逃したあのシーンは、誰もが1度は目にしているはず。なお、3度のワールドカップを経験しながらも、ユーロへの出場は1度もありませんでした。ちなみに今日が54歳の誕生日です。
サッカー選手クイズ、いかがでしたか?気になる方は他の選手の名前もチェックしてみてください!
|