中国との繋がりがイタリアで新型コロナウイルス感染者が急増した理由?/六川亨の日本サッカー見聞録

2020.03.13 21:20 Fri
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Getty Images
JリーグとNPB(日本野球機構)と感染症の専門家3人による第3回新型コロナウイルス対策連絡会議が12日に都内で行われ、専門家チームは8枚からなる「提言」を両団体に提出した。

詳細はJリーグのHP(ホームページ)のトップに掲載してあるので、ファン・サポーターには一読をお勧めする。会見に出席した専門家チームの賀来満夫座長(東北医科薬科大学医学部・感染症学教室特任教授)は「感染症にゼロリスクはありえないので、リスクマネジメントを徹底することが重要なポイントになる。基本再生産数が1を切る(ウイルスの終息)見通しは立っていない」と、依然として厳しい現状について見解を述べた。

同じく専門家チームの舘田一博氏(東邦大学医学部微生物・感染症学講座教授)は「長い期間でどう向き合っていくかを提言した。マスギャザリング(集団隔離)をやらないのは、効果的なのはわかるが、経済社会にいろいろな影響を及ばしてしまうから。このウイルスとの戦いは長いスパンで考えないといけない。ファン1人1人の行動確認をお願いしたい」と警鐘を鳴らした。

JリーグとNPBは同日午後に個別の会議を開いて3月開催の試合を正式に4月に延期したが、この日の質疑応答を聞く限り、4月の開催に関しても予断を許さない状況が続く可能性は高いかもしれない。

奇しくも12日は、WHO(世界保健機関)が新型コロナウイルスの感染拡大について、世界的な流行を意味するパンデミック宣言を出した。そしてイタリアでの感染者は1万2462人、死者も827人と増加して、中国に次ぐ2位の被害が出ている。ヨーロッパの感染源の温床とも言われ、ユベントスのDFが感染していることが判明し、当然セリエAも延期になった。

コンテ首相はイタリア全土に移動制限を発し、薬局や買い物以外の外出を制限するなどウイルスの封じ込めに苦慮している。イタリアでこんなに感染者が増えたのは、元々スキンシップが濃厚な風習だからという話もある。ハグやキスが挨拶代わりになっているからだ。

それ以外では、中国との結びつきの強さを指摘する声もある。中国の習近平氏が掲げた「一帯一路政策」にヨーロッパで最初に同調したのがイタリアだった。国内で最初に感染が確認されたのは武漢から来た夫婦とも言われている。さらに北部のミラノやヴェネツィア、フィレンツェは中国人に限らず観光の名所だ。昨年イタリアを訪れた中国人観光客は前年比100万人増の600万人に達したそうだ。イタリア全土でも中国系移民が増加していて、その数は40万人に達するとも見られている。

1990年代後半のことだった。仕事の合間にミラノの象徴でもあるドゥオーモ広場を散策すると、ブランド品をコピーしたバッグや財布を手に観光客に売りつけていたのは韓国かブラックアフリカの人々だった。中国人は地下鉄の通路にシートを敷いて肌着やアクセサリーを売っていた。

日本人はというと、ドゥオーモ広場の横にあるガレリアというアーケード街のブランドショップにあふれていた。一等地にあるプラダの1階はウインドーショッピングをしている客こそいたが、閑散としていた。たまたま知人からバッグの購入を頼まれたのでそのことを伝えると、奥のドアを開けて地下へと案内してくれた。

そこには買い物をする日本人女性で立錐の余地もないほど。イスに座っていれば、イケメンの店員が次々にハイヒールを持って来て履かせてくれる。まさに「至れり尽くせり」のサービスぶりだ。

ところが2000年代に入って再びドゥオーモ広場を訪れたところ、ブランド品のコピーを売っているのは韓国人ではなく中国人が取って変わっていた。

そして新しいところでは、かつて本田圭佑のセリエAデビュー戦を撮影するため、知人のカメラマンが2014年1月15日のサッスオーロ対ACミラン戦を取材するためサッスオーロ・チッタ・デレ・トリコロールを訪れた。元々サッスオーロは織物の手工業の都市だそうだが、その仕事の大半を手先の器用な中国人が占めていて、ホテルやバールもオーナーと従業員はほとんどが中国人だったそうだ。「街を中国人に乗っ取られた」印象を受けたというし、街を歩いていると、イタリア人から「本田の取材に来ているのでジャポーネと言われるかと思ったらチャイナ、チャイナ」だったというエピソードもある。

サッソオーロはイタリア中部に位置し、パルマとボローニャの中間あたりにある都市だ。イタリアでは北部で新型コロナウイルスの感染拡大が伝えられ、感染者は韓国を抜いて中国に次ぐ2位の多さである。もしかしたらサッスオーロも感染源の1カ所だったのかもしれない。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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