SARSで揺れた2003年のサッカー界/六川亨の日本サッカーの歩み

2020.02.04 17:10 Tue
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Getty Images
「Meeting on AFC Champions League Group Stage matches to be held」

このタイトルのメールが届いたのは2月2日のこと。内容を簡単に紹介すると、「AFC(アジアサッカー連盟)は2日、今シーズンのACL東アジアゾーンについて、4日にマレーシアのクアラルンプールにあるAFC本部で緊急会議を行う。ACLに参加している東アジアゾーンの全ての主要な利害関係者(各サッカー協会、リーグ、クラブおよび代理店)を招集する。議題は、中国を中心に感染が拡大している新型コロナウイルスについて」ということだ。

現在までのところ、その後どうなったのかAFCからアナウンスはないが、日に日に拡大する新型コロナウイルスは2003年に流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)による死者349人を上回り361人に膨れ上がった。感染者の数も依然として増え続けている。

そのACLには日本から横浜FMと神戸、FC東京の3チームが出場し、中国は上海申花、広州恒大、上海上港に加えて北京国安の4チームが本戦出場を決めている。さらにオーストラリアからはプレーオフで鹿島を下したメルボルン・ビクトリー、パース・グローリー、シドニーFCの3チームが出場するが、オーストラリア政府は2月1日、中国からの入国禁止を発表したため、中国チームの入国と試合開催が不可能になった。

果たしてAFCはどのような決断を下すのか注目したいが、03年の際は日本のサッカー界も揺れに揺れたので簡単に紹介しよう。

この年はSARSの流行だけでなく、イラクの保有する大量破壊兵器の破壊と武装解除のため、アメリカ、イギリス、オーストラリアの有志連合がいつイラクに侵攻するか緊張が高まっていた。行くべきか辞退するべきかで、JFA(日本サッカー協会)の発表も2転3転しながら迎えた3月17日、アメリカ遠征を実施すると決断し、遠征メンバーも発表された。

ところが3日後の20日、アメリカがイラクへの攻撃を開始。すると翌21日、JFAは「選手、スタッフ、サポーターをはじめ、この遠征に関わる全ての関係者の安全を第一に考えて」アメリカ遠征の中止を決定した。

6月には日本で第1回の東アジアサッカー選手権(現E-1選手権)の開催が決まっていたが、SARSの影響で12月に延期された(このため海外組を呼べず、国内組を中心に参加)。

3月にUAEで開催されるU-20W杯も11月末から12月上旬に日程を変更。アテネ五輪の出場を目指すU-22日本代表のアジア最終予選は翌年に延期された。

なでしこジャパンではアジア女子選手権大会が6月に延期され、さらに今大会は女子W杯のアジア予選も兼ねていたが、中国での開催からアメリカへと変更された(9月24日~10月11日)。

ざっと代表チームのスケジュールをメインに紹介したが、日本代表の親善試合の相手もコロコロ変わった記憶がある。それだけ慌ただしい1年だったわけだが、SARSを上回る新型コロナウイルスの拡大は、さらなる日程の変更を迫るかもしれない。とりわけ大きいのは7月22日に開幕(男女サッカー)する東京五輪への影響だろう。無事に開幕して世界各国からアスリートとファンを迎えることができるのか。1日も早い新型コロナウイルスの終息を祈らずにはいられない。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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