高校サッカー名勝負物語/六川亨の日本サッカーの歩み
2020.01.07 19:00 Tue
第98回全国高校サッカー選手権もベスト4が出揃った。連覇を狙う青森山田が、昌平(埼玉)の粘りに3-2と追い上げられたものの、逃げ切って埼玉スタジアムへの切符をつかんだ。帝京長岡は新潟県勢としては初のベスト4進出。栃木の矢板中央も四日市中央工を2-0で退け2年ぶり3度目の4強入りを果たす。そして静岡の古豪・静岡学園も徳島市立を4-0で撃破して、96年度大会以来23年振りのベスト4に勝ち上がってきた。
これはこれで、良しとするしかないだろう。
そんな旧国立で繰り広げられた“名勝負"を今一度振り返ってみたい。近年で印象深いのは、日本がW杯初出場を決めた1998年1月8日に行われた決勝戦だ。雪の降るなかで行われたため、「雪の決勝」とも言われた一戦。決勝に勝ち上がった帝京には中田浩二、東福岡には本山雅志というエース対決でも話題を呼び、卒業後は揃って鹿島に入団して活躍したのを覚えているファンも多いのではないだろうか。
個人的に忘れられないのは、1977年1月8日に行われた浦和南対静岡学園の決勝戦だ。それまで大阪で開催されていた高校選手権が初めて首都圏開催となり、国立と西が丘、大宮(現NACK5スタジアム)、駒沢の4会場で開催された。
前年に田嶋幸三(現JFA会長)を擁して全国制覇していた浦和南は手堅いサッカーで決勝戦まで勝ち上がってきた。一方の静岡学園は、井田勝通監督のポリシーにより個人技重視でドリブル突破が大きな武器だった。後に「ドリブルの静学」と言われるほど、ドリブルにこだわった。
1回戦で都城工を6-0で粉砕すると、2回戦では神戸に5-0の大勝を収める。準々決勝は古河一に2-1と苦戦したものの、準決勝では八幡浜工を3-0で撃破して初の決勝戦に駒を進めた。
試合は、開始早々から攻勢に出た浦和南が3-0とリードする。静岡学園にとって、大舞台での緊張感があったのかもしれない。しかし次第に落ち着きを取り戻すと、本来のドリブルとキープ力を活かして前半のうちに1点を返した。
後半も先にスコアを動かしたのは浦和南で4-1とリードを広げる。静岡学園もすぐさま反撃して1点を返すが、浦和南もゴールを奪い5-2と三度、静岡学園を突き放した。さすがに勝負あったと思ったが、ここから静岡学園の反撃が始まった。1点、また1点と追い上げ5-4と1点差に迫った。
ただ、試合は5-4のまま終了し、浦和南が連覇を達成したが、静岡学園のドリブルを主体にしたサッカーは、高校サッカー界に新たな一石を投じたと言っていいだろう。浦和南には後に日産でも一緒にプレーした水沼貴史と田中真二がいれば、静岡学園には日本代表として活躍したGK森下申一と杉山誠(日産では水沼らと同期で、1979年に日本で開催されたワールドユースに水沼、田中らと出場)らがいた。
かつてサッカー御三家と言われた埼玉は、タテへの素早い展開からの攻撃的なサッカーで、対する静岡はスキルフルな個人技で数々の名勝負を繰り広げてきた。
過去4度の出場で静岡学園は優勝1回、準優勝1回(あとはベスト4とベスト8)の成績を残している。果たして2度目の頂点に立てるのかどうか。
そして矢板中央は、昨シーズンから、かつて帝京を率いて選手権6回、インターハイ3回の優勝を達成した智将・古沼貞雄氏をアドバザーに迎えた。一方の帝京長岡でも同氏はサッカー部の育成に携わり、高校時代の教え子を監督として送り込むなど手塩にかけて育ててきたチームでもある。そんな2校が優勝候補に挑むのも準決勝の見どころと言えるだろう。
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準決勝は青森山田対帝京長岡、静岡学園対矢板中央の対戦で、11日に埼玉スタジアムで開催される。過去に優勝経験があるのは青森山田と静岡学園の2校で、他の2校は初の決勝戦進出をかけて名門チームに挑むことになった。さて、高校選手権といえば、オールドファンにとっては国立が“聖地"だった。しかし、元旦の天皇杯決勝で使われた新国立を高校選手権で使うことは今後もないそうだ。JFA(日本サッカー協会)関係者によると、「やはりサッカー専用スタジアムの方が臨場感もある」ということと、旧国立を使わなくなって5年、サッカーダイジェストの編集長いわく「もう今の高校生にとって“聖地"と言えば埼スタを指す時代です」ということだそうだ。そんな旧国立で繰り広げられた“名勝負"を今一度振り返ってみたい。近年で印象深いのは、日本がW杯初出場を決めた1998年1月8日に行われた決勝戦だ。雪の降るなかで行われたため、「雪の決勝」とも言われた一戦。決勝に勝ち上がった帝京には中田浩二、東福岡には本山雅志というエース対決でも話題を呼び、卒業後は揃って鹿島に入団して活躍したのを覚えているファンも多いのではないだろうか。
この大会では彼ら以外にも、小笠原満男(大船渡)、遠藤保仁(鹿児島実)、加地亮(滝川二)、巻誠一郎(大津)、羽生直剛(八千代)ら後に日本代表として活躍する選手を多く輩出した。
個人的に忘れられないのは、1977年1月8日に行われた浦和南対静岡学園の決勝戦だ。それまで大阪で開催されていた高校選手権が初めて首都圏開催となり、国立と西が丘、大宮(現NACK5スタジアム)、駒沢の4会場で開催された。
前年に田嶋幸三(現JFA会長)を擁して全国制覇していた浦和南は手堅いサッカーで決勝戦まで勝ち上がってきた。一方の静岡学園は、井田勝通監督のポリシーにより個人技重視でドリブル突破が大きな武器だった。後に「ドリブルの静学」と言われるほど、ドリブルにこだわった。
1回戦で都城工を6-0で粉砕すると、2回戦では神戸に5-0の大勝を収める。準々決勝は古河一に2-1と苦戦したものの、準決勝では八幡浜工を3-0で撃破して初の決勝戦に駒を進めた。
試合は、開始早々から攻勢に出た浦和南が3-0とリードする。静岡学園にとって、大舞台での緊張感があったのかもしれない。しかし次第に落ち着きを取り戻すと、本来のドリブルとキープ力を活かして前半のうちに1点を返した。
後半も先にスコアを動かしたのは浦和南で4-1とリードを広げる。静岡学園もすぐさま反撃して1点を返すが、浦和南もゴールを奪い5-2と三度、静岡学園を突き放した。さすがに勝負あったと思ったが、ここから静岡学園の反撃が始まった。1点、また1点と追い上げ5-4と1点差に迫った。
ただ、試合は5-4のまま終了し、浦和南が連覇を達成したが、静岡学園のドリブルを主体にしたサッカーは、高校サッカー界に新たな一石を投じたと言っていいだろう。浦和南には後に日産でも一緒にプレーした水沼貴史と田中真二がいれば、静岡学園には日本代表として活躍したGK森下申一と杉山誠(日産では水沼らと同期で、1979年に日本で開催されたワールドユースに水沼、田中らと出場)らがいた。
かつてサッカー御三家と言われた埼玉は、タテへの素早い展開からの攻撃的なサッカーで、対する静岡はスキルフルな個人技で数々の名勝負を繰り広げてきた。
過去4度の出場で静岡学園は優勝1回、準優勝1回(あとはベスト4とベスト8)の成績を残している。果たして2度目の頂点に立てるのかどうか。
そして矢板中央は、昨シーズンから、かつて帝京を率いて選手権6回、インターハイ3回の優勝を達成した智将・古沼貞雄氏をアドバザーに迎えた。一方の帝京長岡でも同氏はサッカー部の育成に携わり、高校時代の教え子を監督として送り込むなど手塩にかけて育ててきたチームでもある。そんな2校が優勝候補に挑むのも準決勝の見どころと言えるだろう。
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