クラブW杯の思い出/六川亨の日本サッカーの歩み

2019.12.25 20:00 Wed
FIFAクラブW杯の決勝が12月21日にカタールのドーハで行われ、リバプールが延長の末にフラメンゴを1-0で下して初のクラブ世界1に輝いた。古豪復活となった両者の対決に、スポーツ紙は38年前のトヨタカップの因縁を例に出す報道も多かったのは感慨深い。
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いまから38年前の1981年2月11日に第1回トヨタカップが開催された。それまで日本では、日本代表とヨーロッパ・南米のクラブチームの親善試合しかなく、その試合でも日本代表はなかなか勝てなかった。そんな中で生まれたヨーロッパと南米のクラブ王者による真剣勝負には心が躍ったものだ。第1回大会はイングランド・リーグを連覇したノッティンガム・フォレストと、日本では馴染みのなかったウルグアイのナシオナルの対戦。ノッティンガムにはイングランド代表GKのピーター・シルトンやFWトレバー・フランシスといったスター選手がいたものの、ビクトリーノの一撃でナシオナルが初代王者に就任した。
そして迎えた第2回大会は、同じ1981年の12月13日に開催された。この大会からトヨカップは12月の第2日曜日に行われることで、世界のスポーツカレンダーにも定着することになる。

開催場所となった旧国立競技場は、第1回大会は冬枯れの茶色の芝生で、ところどころ土が露出したピッチでの試合だった。しかし、それではテレビ的に見栄えが悪いということで、第2回大会以降は芝生にグリーンのスプレーを吹き付けて、見た目は青々とした(かなり無理があったが)芝生に見せかけるという関係者の涙ぐましい努力もあった。
試合はというと、日本のサッカーファンは初めてジーコのプレーを目の当たりにして驚いた。ゴールこそなかったが、3-0のスコアの3点を絶妙なループパスやスルーパスでアシストしたからだ。

今なら南米の有力選手はほとんどがヨーロッパのクラブに青田買いされ、ヨーロッパ対南米の対決はヨーロッパ勢が優勢と、そのバランスが崩れている。しかし当時はまだインターネットも存在せず、フラメンゴにはジーコを筆頭にレアンドロ、モゼール、ジュニオールなどのブラジル代表を擁し、翌年に開催されるスペインW杯でもブラジルは優勝候補の筆頭にあげられていた。

そんなブラジルの至宝である現役バリバリのジーコを生で見られたことは、いまとなっては望外の幸せと言える。国立競技場のロイヤルボックスには、ロック歌手のロッド・スチュワートもいた。改めてサッカーは世界的なスポーツと再認識したものだ。

ただ、後になって聞いたところによると、リバプールを筆頭にトヨタカップに出場した初期のイングランド勢のチームは、来日しても日常生活は母国の時差に合わせ、昼と夜が逆転したなかでの試合だったという。重要なのは母国でのリーグ戦であるため、時差調整はしないでトヨタカップに寝不足のまま臨んだそうだ。

それは大会を重ねるにつれ解消されたとも聞いた。大会の重要性を知ったユベントスのプラティニやACミランのアリゴ・サッキ監督とファン・バステン、ルート・フリットらの活躍も影響しているかもしれない。

クラブW杯は来年を最後に終了し、新たにコンフェデ杯の代替案として再ススタートを切る。

そして幾多の名勝負の舞台となった旧国立競技場は、16年にひとまずその歴史の幕を閉じ、全面リニューアルされて19年12月に完成した。21日には「~HELLO,OUR STADIUM~」と銘打ったイベントが開催された。

前半は「東北絆まつり」として、青森のねぶた祭りや秋田の竿灯など東北の6大祭りの実演を実施。そしてサッカー界からはキングカズが「90年代の日本代表(のデザイン)をミックスして作ってもらった」という、さざ波や炎などが混ざった半袖青色のプーマのユニホームを着て登場し、初めて新国立競技場のピッチに足を踏み入れた。

「Jリーグ開幕戦、日本代表として戦ったワールドカップ予選、国内の全てのタイトルを取ったのもこの場所でした。新しくなった国立競技場のピッチに立ってることを誇りに思う。幸せです。これからこの国立競技場で皆さんの力で、新しい歴史を作っていきましょう」と6万人の観衆の前で宣言した。

カズと国立競技場で思い出すのは、やはりフランスW杯のアジア最終予選だ。アウェーのウズベキスタン戦で初めて指揮を執った岡田武史監督は、ホームのUAE戦に勝てば2位浮上の可能性があった。10月26日に行われた試合は呂比須ワグナーのゴールで先制するも、FKから失点して1-1の引き分けに終わる。このドローにより日本は自力での2位以内確保が消滅した。

試合が終わり、カズが愛車に乗ろうとすると、興奮して殺気立ったサポーターが鉄柵(新国立競技場にはない)によじ登り、投石を始めた。ヤジに反論するため鉄柵に近寄ろうとしたカズだったが、関係者が身体を抱くようにして引き留める。その結果、カズの愛車は投石により傷ついてしまった。

新国立競技場は、1月1日の鹿島対神戸の天皇杯決勝がこけら落としとなり、その後はコンサートなどに利用され、再び東京五輪のために改修工事が行われる。サッカーが利用できるのはパラリンピック終了後の9月6日以降となるが、これからどんなドラマが演じられるのか楽しみだ。


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