中島の移籍するポルトと言えば……/六川亨の日本サッカーの歩み

2019.07.09 13:00 Tue
Getty Images
いやはや、すごい時代が到来したものだ。

昨日、Bチームとはいえ久保建英が、あのレアル・マドリーに合流した。今後はトップチームの北米遠征に帯同するため、トップチームでのデビューが実現するかもしれない。

そして鹿島の安部裕葵もバルセロナへと旅立つ予定だ。
さらに中島翔哉はチャンピオンズカップ優勝2回、トヨタカップ優勝2回を誇るポルトガルの名門・ポルトへ移籍し、背番号8を背負って戦うことが決まった。日本を代表するテクニシャン3人が、新天地でどんなプレーを見せるか、いまから楽しみでならない。

さてポルトと言えば、オールドファンは1987年の“雪中の死闘”を思い出すことだろう。12月13日、ペニャロールとの一戦は雪が降り続く中での試合となった。
当日は、早朝の電話で起こされた。

アルバイトで入社したばかりの金子達仁くんがトヨタカップを取材することになっていたものの、「IDカードを無くしました。どうしましょう」と泣きついてきた。早朝の電話で起こされ機嫌の悪かったこともあり、「自分で考えろ」と冷たく突き放してしまった。そして、さんさんと雪が降り積もっていることを知ったのだった(金子くんは先輩のIDカードを借りて無事に取材できた)。

肝心のトヨタカップは、両チームとも帰国のフライトが決まっていたため延期することはできない。そこで、せめてラッチラインやゴールラインなどジャッジに必要な部分を除雪して試合は行われた。

降りしきる雪のため、白黒のサッカーボールは見えにくくて使えない。そこでJFA(日本サッカー協会)の職員が試合当日の朝、原宿のサッカーショップで黄色と黒のタンゴを複数購入する機転をきかせた。

この判断は大正解だった。試合中に寒暖差で膨張して破裂し、試合球が使えなくなるハプニングが発生。しかし予備を購入していたため、試合は滞りなく行われたのだった。

降雪で走り回ったため、国立競技場は泥田のような状態。パスをつなぐことはできず、両チームの選手はドリブルで突進するか、キック&ラッシュを繰り返すしかない。慣れてきた選手は、一度ボールを浮かしてボレーで前線へと蹴るようになった。

1-1で延長に突入した試合は、ポルトのソウザが前線に蹴ったボールに、ペニャロールのGKがペナルティーエリアを飛び出して処理しようとしたが、降雪にボールが止まってしまう。そこでボールを拾ったアルジェリア人FWのラバー・マジェールがループシュートでGKの頭上を抜いた。

ゴールへと向かったボールは、手前でバウンドしたため降雪により勢いが弱まる。それでもボールの勢いが勝り、ゆっくりと回転しながらゴールラインを越えボールは止まった。

マジェールは1982年のスペインW杯1次リーグで、優勝候補の西ドイツから先制ゴールを奪って(試合は2-1)ジャイアントキリングを演じた、アルジェリア史上最高のストライカーでもある。1986年のメキシコW杯にも出場し、アルジェリア代表として87試合40ゴールはいまでも最多得点記録である。

そんなポルトガルの名門で、中島がリーグ優勝とCL(チャンピオンズリーグ)に挑む。新シーズンは久保と安部を含め南欧のリーグから目を離せないファンも多いことだろう。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。

NEWS RANKING
Daily
Weekly
Monthly