今年の殿堂掲額者のプロフィール1/六川亨の日本サッカーの歩み
2019.05.20 19:00 Mon
今年もまた、「日本サッカー殿堂」の掲額者を選出する投票の依頼が来た。
今回は4名の候補者で投票が実施されるが、今年8月で66歳を迎える碓井博行氏は17年から継続しての候補者名簿への掲載である。その他の3名、金田喜稔氏、木村和司氏、原博実氏は今年の誕生日で60歳を迎える新規の候補者だ。
残念なのは昨年の候補者だった松木安太郎氏である。規約で得票が5%未満だったため、今回の候補者名簿から削除され、それ以降の投票のための候補者名簿にも掲載されることはなくなった。昨年は加藤久氏とラモス瑠偉氏という強力なライバル2人がいたため、得票率を高めることはできなかったのだろう。
高校1年で日本ユース代表に選出され、アジアユース大会には1970年の第12回大会以降4年連続で出場した。これは歴代でも唯一の記録で、第15回大会では初の決勝進出に貢献(準優勝)。藤枝東高では全国高校選手権、インターハイと国体で優勝と3冠を達成した。
早稲田大では2年の時に日本代表にデビューし、関東大学リーグ優勝2回、全日本大学選手権優勝2回とチームを牽引。卒業後は日立(現柏レイソル)で活躍し、JSLカップ優勝と1980年と82年にはJSL得点王とベストイレブンにも輝く。87年に現役を引退するまでJSL1部で200試合出場、85得点。この85得点は釜本氏の202点(251試合)に次ぐ歴代2位の記録としていまも残っている。
残る3名の候補者のプロフィールについては来週のコラムで紹介したい。
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ここで改めて選考基準を紹介しておこう。有資格者は選考時に満60歳以上(物故者はのぞく)で、1)JSL(日本サッカーリーグ)1部で通算200試合以上の出場。2)JSL1部とJ1リーグで通算300試合以上出場。3)J1リーグ通算400試合以上の出場。4)日本代表として国際Aマッチ50試合以上の出場。5)全国の運動記者クラブが選出する年間最優秀選手。6)Jリーグ最優秀選手および功労者表彰選手のいずれかを満たした選手だ。そして殿堂委員会の作成した候補者名簿が5名以内の場合は1名、6名以上の場合は2名を投票で決定する。その際に、原則として投票総数の75%以上の得票者を殿堂委員会が確認して理事会へ報告して決定するが、75%未満で5%以上の候補者は、翌年の投票のための候補者名簿に掲載され、次回の投票でも5%以上の得票があれば、さらに次々回の投票のための候補者名簿に掲載され、初回掲載時から通算5回までは同様の措置が取られる。残念なのは昨年の候補者だった松木安太郎氏である。規約で得票が5%未満だったため、今回の候補者名簿から削除され、それ以降の投票のための候補者名簿にも掲載されることはなくなった。昨年は加藤久氏とラモス瑠偉氏という強力なライバル2人がいたため、得票率を高めることはできなかったのだろう。
それでは次に、各候補者のプロフィールを紹介しよう。まず碓井氏だが、高校サッカーの名門・藤枝東高から早稲田大学に進学したストライカーで、当時としては身長178センチ、体重73キロと大型にもかかわらず柔軟性とテクニックを合わせ持ったストライカーでもあった。多くのストライカーが“釜本2世"と呼ばれたが、今となっては碓井氏がその名に一番ふさわしいかもしれない。
高校1年で日本ユース代表に選出され、アジアユース大会には1970年の第12回大会以降4年連続で出場した。これは歴代でも唯一の記録で、第15回大会では初の決勝進出に貢献(準優勝)。藤枝東高では全国高校選手権、インターハイと国体で優勝と3冠を達成した。
早稲田大では2年の時に日本代表にデビューし、関東大学リーグ優勝2回、全日本大学選手権優勝2回とチームを牽引。卒業後は日立(現柏レイソル)で活躍し、JSLカップ優勝と1980年と82年にはJSL得点王とベストイレブンにも輝く。87年に現役を引退するまでJSL1部で200試合出場、85得点。この85得点は釜本氏の202点(251試合)に次ぐ歴代2位の記録としていまも残っている。
残る3名の候補者のプロフィールについては来週のコラムで紹介したい。
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