なでしこリーグのプロ化は成功するのか/六川亨の日本サッカーの歩み

2019.04.22 19:00 Mon
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JFA(日本サッカー協会)の田嶋幸三会長は、なでしこリーグのプロ化について「もう一段階上に行こうと思うと、プロ化というところを通らないといけないと思うし、具体的に話し合っているのは事実で、近いうちに結論を出したい」と言及したそうだ。

すでに先月26日の理事会で女子担当の佐々木則夫理事(元なでしこジャパン監督)がプロ化の必要性を訴え、20年東京五輪後の21年か22年のプロ化を目指し、早ければ来月5月の理事会で承認を得られればプロ化に舵を切るという。

まだプロ化への具体的な道筋は見えていないので、軽々な発言は控えるべきだろうが、「本当にプロ化してやっていけるのだろうか」というのが正直な感想だ。

Jリーグを例に取るまでもなく、プロ化のためには収入源を確保しなければ成立しない。その3本柱として「入場料収入」、「スポンサーの確保」、「テレビ放映権の獲得」が上げられる。さらにJリーグの場合は、ビッグクラブになればなるほど母体企業である「親会社からの補填」も欠かせない。

しかし、なでしこジャパンがW杯で初優勝した11年の1試合あたりの平均入場者数は2千796人だった。その実数を10倍にしないとプロ化は難しいだろう。JリーグはDAZNのおかげで放映権収入が飛躍的に膨らんだが、なでしこリーグが新たに巨額な放映権を獲得できるのか。親会社からの補填が可能なのはINAC神戸レオネッサくらいではないだろうか――簡単に考えても問題山積だ。

かつて日本女子サッカーリーグには「プロ」に近いチームが存在したことがある。91年に女子のW杯新設と、90年アジア大会で女子サッカーが正式種目になることを受け、89年に女子のリーグ戦が新設された。94年にJリーグに合わせLリーグと改名されたが、90年に創部された日興證券ドリームレディースは完全なプロチームだった。

初代の日本女子代表監督だった鈴木良平氏を招聘した同チームは、鈴木監督の要望した「専用グラウンドとクラブハウスの建設、選手寮の借り上げ、選手が仕事をせずサッカーに専念できる環境」を実現。リンダ・メダレン、グン・ニイボルグらノルウェー女子代表選手を獲得するなど強化に力を入れ、96年から3連覇を果たすなどLリーグを牽引した。

しかし母体企業の日興證券が証券取引法違反に問われた98年中に廃部を決定。さらにバブル経済の崩壊からフジタサッカークラブも廃部。99年1月の全日本女子選手権が終了すると、黎明期の女子サッカーを牽引してきた鈴与清水FCと、シロキFCがリーグからの脱退を表明し、その後もプリマハムや松下電器らチームスポンサーの撤退によりクラブチーム化せざるを得ないチームが相次いだ。

そんな危機的な状況にもかかわらず、関係者の熱意と努力によってLリーグは命脈をつないできた。そして転機となったのが04年にJFAのキャプテンズ・ミッションに「女子サッカーの活性化」が盛り込まれたことだ。4月に行われたアテネ五輪アジア予選での活躍も追い風となった。五輪本大会では「なでしこジャパン」と命名された日本女子代表がベスト8に進出。9月スタートのリーグ戦は「なでしこリーグ」と改められて、紆余曲折を経ながら今日まで続いている。

その後は11年ドイツW杯での優勝、12年ロンドン五輪での銀メダル獲得と栄華を極めたのは周知の事実。しかし澤穂希の引退と主力選手の高齢化で16年ブラジル五輪の出場権を逃してしまった。現在の高倉麻子監督はチームの若返りを図って今夏のフランスW杯に挑むが、けして平坦な道のりではない。来夏の東京五輪ではメダル獲得の期待もかかる「なでしこジャパン」であるが、本大会をはじめ、その先のプロ化にも茨の道が待っているような気がしてならない。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。

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新規感染者の減少で入場人数の上限変更か?/六川亨の日本サッカーの歩み

毎月恒例のNPB(日本野球機構)とJリーグ、そして専門ドクター3氏による第39回対策連絡会議が9月21日に開催された。定刻どおり10時30分に始まったメディアブリーフィングは、冒頭で斉藤惇NPBコミッショナーが「今日は専門家の方々からご意見をいただきました。JリーグとNPBからの報告はありません」と言ったとおり、質疑応答でも質問は1つしか出ず、過去最短の21分間で終了した。 会議がスタートして約1年半、すでに「議論百出」といったところか。 それでもここ2週間は新規感染者が減少しているため、入場者数の制限について斉藤コミッショナーは「いまは50%もしくは5000人の少ない方ですが、希望としては50%か1万人、もしくは1万2000人の少ない方を認めていただきたい」と制限緩和に期待するコメントを口にした。 その上で、「トップ(菅義偉首相)が変わるので、コロナ対策室のトップがどうなるか。窓口がどうなるのか、早めに交渉に入りたい」との希望を述べた。 政府は10月4日に臨時国会を召集して菅首相の後任首相を選出する予定だ。このため新内閣が発足すれば、コロナ対策室のメンバーも変わるかもしれない。現状では19都道府県に出されている緊急事態宣言は、今月末で解除される可能性が高いだろう。 しかし政府は8月末に緊急事態宣言とまん延防止等重点措置の適用されている地域では、大規模イベントの参加人数を「収容人数の50%か5000人の少ない方」とする決定を10月末まで延長したままだ。そこで9月末で緊急事態宣言が解除された場合、新たなコロナ対策室と収容人数の上限について、斉藤コミッショナーは早急に協議したいとの意向を示したのである。 さらにワクチンの2回接種が徐々に浸透するにつれ、接種の証明書や検査の陰性証明書を組み合わせた「ワクチン・検査パッケージ」の活用による、飲食や旅行などの制限緩和についても意見が交換された。 座長であり東北医科薬科大学の賀来満夫ドクターは「具体的な方法論はこれから。議論はいま始まったばかり」と言うものの、村井満チェアマンは「ドクターの意見を聞きながらプランニングしたい。ワクチンや陰性証明書をどうするか。運営の議論もしっかりしていきたい」と、実際に導入した際は“誰”が“どこ”で、“どのように”チェックするのかも視野に入れていた。 奇しくも次回の対策連絡会議は10月4日の月曜日。ただし会議は午前中のため自民党の新総裁決定には間に合わないし、新内閣の発足と新たなコロナ対策室のスタートもそれ以降になる。それでもこのまま新規感染者の減少が続けば、スタジアムに多くの観客が戻る日もそう遠い日ではないかもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.09.21 21:00 Tue
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WEリーグ開幕戦で感じたこと/六川亨の日本サッカーの歩み

昨日12日、華々しく開幕したWEリーグ。味の素フィールド西が丘の東京V対浦和の試合を取材した。試合はカウンターから浦和のDFラインの裏を突いた東京Vが植木理子のゴールで先制すれば、前線に安藤梢(165cm)と塩越柚歩(166cm)の大型FWを擁し、後半からはエースの菅澤優衣香(169cm)を投入した浦和が、菅澤と塩越のゴールで2-1と逆転勝利を収めた。 開幕戦にもかかわらず、タイムアップの瞬間に東京Vの選手はピッチに崩れ落ち、浦和の選手は優勝したかのように喜びを爆発させた。それだけ女子初のプロリーグである「WEリーグ」の誕生は、彼女たちにとって画期的な出来事だったのだろう。 WEリーグのチームには15名以上のプロ契約選手を保有することが義務づけられている。そして東京Vの登録選手は20名。そのせいかどうか詳細を確かめることはできなかったが、スタメンのリザーブ選手の登録枠は7名に対し、東京Vは6名の選手しか登録していなかった。ベテランの岩清水梓や大会前に移籍した宇津木瑠美らはメンバー外だった。ここらあたりもプロとなったことで、クラブチームの運営(経営)の難しさが出ているのかもしれない。 そもそもWEリーグは、地盤沈下の著しい日本代表の強化のための環境整備、選手の地位向上、小中高生の育成など底辺の拡大を目的に創設された。 93年に開幕したJリーグもそうだったが、「昨日までアマチュアの選手が、今日からプロになりました」と言ってすぐに技術が向上するわけではない。こちらは長い時間を要する。しかしそれでも環境が整備されたおかげで徐々にではあるが、選手のフィジカル(スピードとスタミナ)強化とプロとしての自覚は促進された。選手は毎日サッカーに専念できるからだ。 そして今までは、対外的に所属クラブの親会社の社員だったりアルバイトだったりという身分が、晴れて「プロ選手」と名乗れるようになった。これまでも「プロ選手」と名乗ることはできても、社会的に認知されていなかった。その意味でもWEリーグの創設は意義深い。 底辺の拡大も時間をかけて地道にやるしかないが、昨日の西が丘サッカー場では、バックスタンド右側に水色のユニホームを着た女子小学生の一団がいた。Jリーグが成功した一因に「地域密着」がある。WEリーグも同様に、ホームタウンの女子小学生チームを毎試合招待したり、サッカー教室を開いたりして地域密着を積極的に進めるべきだろう。 すでに西が丘サッカー場の周辺には、東京Vが北区と板橋区をホームタウンにするポスターが掲出されている(西が丘サッカー場は北区にあるが板橋区とも隣接)。そして、いかに露出を増やして認知度を高めていくか。これが今後のWEリーグの一番の課題になるだろう。選手たちは子供たちにとって、憧れの存在にならなければいけないからだ。 露出に関してはもう一言。昨日の試合では東京VがA4で6ページの観戦パンフレットを無料配布していた。これまであまり女子リーグを取材してこなかったので、サッカー専門誌が発行しているJリーグのような、全チームを網羅した選手名鑑が売っていないか探したところ、残念ながら発見することはできなかった。 もしかしたらコロナ禍で、金銭のやりとりによる感染のリスクを避けるためスタジアム内では販売していなかったのかもしれない。そこでネットで検索したら、ぴあMOOKから「オフィシャルガイドブック2021-22」(1100円)が発行されているのを知ったので、早速ポチッと購入した。 どんな選手が、どのチームにいるのか調べるのも名鑑の楽しみではないだろうか。そして試合会場でも、名鑑を販売していることをアナウンスするだけでも効果はあると思うが、いかがだろうか。まずはファンに知ってもらうことがプロ選手のスタートだと思うからだ。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.09.14 12:10 Tue
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対策連絡会議での斉藤コミッショナーの鋭い指摘/六川亨の日本サッカーの歩み

カタール・ドーハで行われたW杯アジア最終予選の中国対日本戦は、日本が大迫のゴールで初勝利を奪った。前半は5BKで守備を固める中国に手こずったものの、伊東の突破から大迫が最終予選初ゴールを奪取。1-0のスコアには物足りなさが残ったものの、いまの森保ジャパンでは勝点3がなりよりの“良薬"になるに違いない。 さて今回は9月6日に開催されたNPB(日本野球機構)とJリーグによる対策連絡会議の話題をお届けしたい。第38回目となる会議だったが、東京五輪・パラリンピック前の同会議は、NPBとJリーグはともに「やるべきことはやり尽くした」感が強かった。 ところが昨日の会議は、久々に建設的(?)な意見を聞くことができた。 口火を切ったのはNPBの斉藤惇コミッショナーだった。 「フランスはイベントの際にワクチンを2回接種した証明書か、72時間以内のPCR検査の陰性証明がないと入れない。MLB(メジャーリーグ)でもテスト的に似たようなことが行われている。球団によって違うが、ワクチンを2回打った人と、72時間以内にPCR検査を受けた人のゾーンがあり、データ作りをしている。プロ野球はすでにチケットを売ってしまっているが、2度のワクチン接種かPCR検査の陰性証明を導入したい。しかし政府は宣言を先延ばしするだけで、着地点はなく、同じ政策を繰り返しているだけ。これでは政策ではない」と大谷翔平もビックリするような“直球"を投げ込んだ。 現職の総理大臣が「コロナの感染拡大の防止に専念したい」と続投を断念するやいなや、総裁の後継者争いに奔走している政権政党。その最有力候補がコロナ対策の“ワクチン担当"で後手を踏んだ当人なのだから、斉藤コミッショナーならずとも呆れるところだろう。 この提案に、座長の賀来満夫(東北医科薬科大学)ドクターは「ワクチンは効果があるものの、ブレイクスルー、(2回)打っても感染したり、感染しても症状が出ない人もいたりする。このため打ったとしても注意が必要」と警鐘をならした。 一方、オリ・パラの検査を担当した愛知医科大学の三鴨廣繁ドクターは、「オリ・パラはNPBとJを参考に、毎日厳しく検査をしたことで感染を制御できた」と報告しつつ、「陰性かワクチンの証明が経済的にも有効だ」という見解を示した。さらに東邦大学の舘田一博ドクターは「NPBとJの1年半のエビデンスを元に提案して社会経済を再生すべきである」とさたに一歩踏み込んだ発言もあった。 ワクチンを2回接種した証明書か、PCR検査による陰性証明書で、現状の5000人か収容率の50%の少ない方という現行の入場制限を緩和することができれば、これはこれで一歩前進と言えるのではないだろうか。 しかしながら賀来ドクターはメリットとデメリットの両方を指摘した。まずメリットは「安心安全な観戦ができること。ワクチンもPCRも100%ではないが、感染リスクを下げるメリットはある」と言う。一方のデメリットとしては「PCRか抗原か抗体か、いろいろな検査がある。それらの証明書をスタジアムで管理する難しさがある」と指摘した。同じように舘田ドクターも「ワクチンを打ちたくない人、受けたくても受けられない人もいるので、差別的な風潮が起きるのもデメリット」と危惧した。 さらに三鴨ドクターも「実際に検査体制を作るのは各自治体になるだろうが、誰がその費用を負担するのか。PCR検査よりはワクチン証明の方が現実的だが、ワクチンの有効期間をどうするかという問題もある」と実現に向けてのハードルを指摘した。 村井チェアマンは常々上限5000人ではなく、スタジアムのキャパに応じての50%を提言している。ニッパツ三ツ沢や浦和駒場の5000人と、日産スタジアムや埼玉スタジアムの5000人では密集度がケタ外れに違うため、一律に制限するのは整合性を欠いているからからだが、実現するのはやはりそう簡単ではなさそうだ。 そして、これらの結論として、再び斉藤コミッショナーに登場してもらったほうがいいだろう。 「これは国の制度として、イベントを認可しようという方向にはなっていない。検討しているものの、発表を恐れている。批判されることを恐れているので、我々NPBも動けない。(プラスして試合の)興行権は各球団が持っているので、よほどルールから逸脱しないとNPBも介入できないのが現状です」 いろいろと勉強になった対策連絡会議だった。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.09.08 22:30 Wed
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五輪初勝利のブラサカ。ビーチに続いて快挙達成を期待/六川亨の日本サッカーの歩み

楽しみにしていたロシアでのビーチサッカー決勝は、地元ロシアに2-5と完敗して初優勝は果たせなかった。ピヴォの赤熊が意地の2ゴールを決めて得点王の3位(2位と同ゴールもアシスト数で3位)に入賞したものの、“決定力の差"が出た決勝だった。 ロシアのシュートはほとんどが「GKにとってノーチャンス」と言えるポストギリギリか、意図的なグラウンダーにより砂のピッチ状況で予期しない軌道を描くシュートが多かった。対する日本もオーバーヘッドで対抗したが、いわゆる“普通のシュート“はGKの好セーブに防がれていた。 それでも初のファイナル進出である。18年ロシアW杯決勝と同じ舞台であるルジキニで開催された決勝で、日本の選手は初めて見た光景を忘れずに2年後のリベンジを果たして欲しい。 一方、国内で開催されているパラリンピックのブラインドサッカーで、念願の初出場を果たした日本は初戦でフランスに4-0と完勝した。12年ロンドン五輪で銀メダルに輝いたフランスは、今回もヨーロッパ予選を2位で通過して出場権を獲得したが、攻守に精彩を欠いての完敗だった。 もしかしたらトップアスリートではないだけに、日本特有の蒸し暑さに順応できなかったのかもしれない。試合会場である青海の特設会場は周囲が海に囲まれているため、湿度もかなり高かったことが予想された。 不世出のストライカー釜本邦茂氏の実姉である釜本美佐子さんは、日本交通公社(現JTB)のツアーコンダクター第一期生として世界各地で活躍後、1993年に網膜色素変性症(現在も根治する治療法はなく、徐々に視力を失い失明する病気)を患い69歳の時に失明したが、その後は全国視覚障害者外出支援連絡会会長、網膜色素変性症協会会長などを歴任。そして01年に視覚障害者サッカーが韓国で開催されていると知り視察へ訪れ、ブラインドサッカー専用の鈴が入ったサッカーボールを持ち帰った。 そして翌年の02年、日本視覚障害者サッカー協会(日本ブラインドサッカー協会)を設立し、同時に理事長に就任して“ブラサカ"の普及と発展に尽力してきた。当時のブラインドサッカーを支えていたのは、障害者のスポーツに理解のある外資系の会社がほとんどで、新大久保の雑居ビルの2階にあったブラインドサッカー協会も、職員のほとんどはボランティアだったと記憶している。 ブラサカに転機が訪れたのは13年9月7日、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催されたIOC(国際オリンピック委員会)総会だった。昨日死去した前IOC会長のジャック・ロゲ氏(79歳)が、2020年の東京五輪・パラリンピックの開催を発表。障害者サッカーには視覚障害だけでなく、聴覚障害や知的障害など様々なカテゴリーがあるが、パラリンピックの種目はブラインドサッカーだけ。このため徐々にスポンサー企業は増えていった。 その結果、チーム強化のためのキャンプや海外遠征による強化試合など、日本代表を取り巻く環境は飛躍的に改善された。その成果が、今回のフランス戦で現れたと言ってもいいだろう。 しかし、王者ブラジルはやはり別格だった。日本は0-4と完敗したが、ほとんど日本陣内で試合は行われ、日本のシュートは0本。パス、ドリブル、シュートといった基本プレーのスピードがブラジルとは違った。後半から出場して2ゴールを決めたレジェンドであるリカルジーニョのシュートは、健常者であるGKも反応が遅れるほど速かった。 それでも日本はフランス戦の貯金から、得失点差は±0だ。ライバルである3位・中国はブラジルに0-3と健闘したが、フランスには1-0と1点しか奪えなかったため得失点差は-2。このため日本は引き分け以上でグループリーグを突破できる。中国も簡単な相手ではないが、ブラインドサッカーもビーチサッカーに続いて新たな歴史を築いて欲しい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.08.31 11:00 Tue
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サガン鳥栖躍進の立役者/六川亨の日本サッカーの歩み

Jリーグは8月13日に2回目となる今シーズンの移籍ウインドウを閉じた。昨シーズンと違い、J1とJ2も降格があるためか、チームによっては積極的な動きを見せ、早くも効果の現れたチームがある。 14日のJ1リーグ第24節では、柏から浦和に加入した江坂任が鳥栖戦でPKから決勝点を奪い2-1の勝利に貢献した。そして浦和から横浜FMに新天地を求めた杉本健勇は、12日の名古屋戦(第18節)で得意のヘディングから移籍初ゴールとなる先制点を決めてチームを2-0の勝利に導いた。 彼ら以外にも、21日の第25節では6年ぶりにJリーグへ復帰した神戸の武藤嘉紀が、鹿島戦の後半34分に好判断からの絶妙クロスで決勝点をアシストして健在をアピールした。 その第21節で試合を取材して驚いたのが、柏対鳥栖の一戦だった。何に驚いたかというと、鳥栖の完成度の高いサッカーと、それを実現した金明輝監督の手腕に、である。 鳥栖が選手への高額な人件費などで約7億円の債務超過に陥っていたのは周知の事実。それでも昨シーズンは13位でJ1残留を果たしたが、今シーズンは特にチーム名は上げないが、鳥栖が降格候補の1チームであったことに異を唱える人はいないだろう。 それがフタを明けてみれば、第25節終了時点でACL圏内の3位(勝点44)と大健闘。4位神戸とは同勝点、5位の名古屋とは1勝点差、6~7位の鹿島と浦和とは3勝点差と気の抜けない状況ではあるが、ライバルはいずれもリーグ優勝や天皇杯を獲得したことのある強豪だ。 加えて今シーズン開幕前は加入1年目で活躍した右SB森下龍矢を名古屋に、東京五輪後はストライカーの林大地をシント=トロイデンに引き抜かれた。また、チームの中心であった生え抜きのMF松岡大起も清水エスパルスへと移籍した。にもかかわらず、現在の順位をキープしているのは“奇跡”と言ったら大げさだろうか。 実際の試合では、ワンタッチやツータッチのパス交換でゴールをこじ開けて来た。柏戦でもボールポゼッションで圧倒して3-1の勝利を収めたが、鳥栖の凄さが表れていたのが2点目だった。 前半29分にパスをつなぎ始め、幅と深さを使ったパス交換で守備を崩す。柏の選手に奪われることなく21本のパスをつないで、最後は仙頭啓矢のクロスを中野嘉大がボレーシュート。これはGKキム・スンギュに弾かれたが、仙頭に戻しのパスを出した小屋松知哉がフリーで押し込んでリード広げた。小屋松、仙頭、中野はいずれもワンタッチだったため、柏DF陣も対応が遅れた。 鳥栖が鮮やかなのは、ワンタッチ、ツータッチでパスをつなぐために、パスの受け手となる選手の動き出しが相手より早いことと、その動きに連動して複数の選手が反応していることだった。だからこそ、ワンタッチでのプレーが可能になる。 そして、言葉にすれば簡単なことでも、サッカーではいざ実践するとなると上手くいかないことが多い。ところが金監督は、柏戦では8月上旬に移籍してきた選手をスタメンで起用すると、何の違和感もなく“鳥栖スタイル”のサッカーで柏を粉砕した。 右サイドMFの小泉慶とインサイドハーフの白崎凌兵は8月10、11日に移籍してきて10日あまりだが、すでに何年も鳥栖でプレーしているかのように、すっかりチーム戦術に適応していた。元々のポテンシャルが高かった上に、2人とも鹿島からの移籍ということで気心が知れていたのかもしれない。 今シーズン、京都から完全移籍した仙頭と、2シーズン目となる小屋松は京都橘高校の先輩後輩の間柄。だからといって2人の間に共通した“サッカー言語”が存在するかどうかは別問題としても、チームの完成度は高い。 ここらあたり、シーズンを通じたチーム作りが着実に進んでいる証拠かもしれない。当の金監督は試合後に「我々はボールポゼッションや細かいパス回しにこだわっていません。試合に勝つことにこだわっているので、選手たちが判断してやったということです」と謙遜する。 Jリーグの監督には、自分の理想とするスタイルを追求してコツコツとチーム作りを進めるタイプもいれば、選手の適性と能力を見抜いて獲得し、新たなタスクを与えることで才能を開花させる監督もいる。 前者の代表例が元川崎Fの風間監督であり、かつては広島や浦和を指揮し、現在は札幌のペトロヴィッチ監督だろう。そして後者なら浦和のリカルド・ロドリゲス監督やFC東京の長谷川監督、柏やG大阪の監督を務め、元日本代表の監督だった西野氏と言えるかもしれない。 そして金監督は、その中間に位置している監督のような気がする。鳥栖の快進撃とあわせて、その手腕に注目したい監督でもある。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.08.24 20:30 Tue
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