毎日新聞の川淵さんのコラムへの届かない返信/六川亨の日本サッカー見聞録2019.04.05 13:00 Fri

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一昨日、4月3日の毎日新聞の夕刊に、「私だけの東京 2020に語り継ぐ」という連載企画に、JFA(日本サッカー協会)元会長、Jリーグ初代チェアマンで、現在は日本トップリーグ連携機構会長や東京五輪の組織委員会の評議員を務める川淵三郎氏が登場した。

64年の東京五輪では選手としてアルゼンチン戦でゴールを決め、勝利の立役者となった。残念ながら準々決勝のチェコスロバキア戦で敗れたが、そこでコーチのデットマール・クラマー氏の残した言葉が印象的だったと振り返っている。

クラマー氏の「アルゼンチン戦に勝った時は、喜びを分かち合おうとたくさんの『友達』ができただろう。でも今日、君たちのところに来る友達は少ないだろうが、彼らこそが本当の友達だよ」という言葉は、「人生に大きな影響を与え、後になって重みが増すことになります」と紹介した。

その重みとは、06年ドイツW杯で敗退すると、JFAの会長だったために自身が批判の的となり、「ああ、こういう時にそばにいてくれる人が、本当の友達だと痛感しましたね」というものだった。

正直、幾つになっても「我田引水」は変わらないと思った。サッカー専門誌時代から川淵氏には批判的な原稿を書いてきた。それは02年にJFAの会長になることでJリーグのチェアマンを譲る際に、後継者として鹿島の社長だった鈴木昌氏を指名した。それ自体は悪いことではない。

しかし、その陰では02年にこれまで川淵氏を支えてきた森健兒氏に辞任を迫る。森氏はJリーグの前身となるスペシャル・リーグ構想を打ち出し、JSL(日本サッカーリーグ)の読売クラブ、日産、全日空にはプロ選手が存在することを実行委員会に認めさせ、Jリーグ創設に向けて礎を築いた。

残念ながら社業でも重要なポストを担っていたことで、森氏はJSL総務主事の重職とJリーグ創設を川淵氏に託してその身を引いた。そして93年、Jリーグの開幕を前に33年間勤務した三菱重工を辞め、Jリーグの専務理事に専念することになる。ところが川淵チェアマンは、当時勤務していた古河産業を辞めていなかった。

「Jリーグの成功に半信半疑だったのではないでしょうか」というのが森氏の推測だ。そして辞任を迫られた際は「いくら欲しいんだ」と川淵チェアマンに言われたため、「一銭も入りません」と答えて袂を分かっている。

さらに翌03年には森氏と並んでJリーグの創設者とも言える木之本興三氏を解任した。「木之本、辞めてくれ」との言葉に、木之本氏は理由を尋ねたが、その後は一切無言だったという。

Jリーグを創設した“仲間”であるはずの2人を切ったのは、自分自身がJリーグの創設者となりたいのではないか。そこで邪魔者を除外する。さらに06年にはJFA副会長の野村尊敬氏を2階級降格の平理事にし、それまで暗黙の了解事項だった会長職2期4年を覆し、6年間務めた。野村氏は次期会長の有力候補だったため、ここでも邪魔者を除外したと思われて当然だろう。

そうした“独裁者”のような人事を批判したものの、川淵氏はドイツW杯後に「独裁者と呼ばれてもかまわない」というタイトルの本を出した。

話を06年のドイツW杯に戻そう。当時も川淵氏を批判した。というのもジーコ・ジャパンで惨敗した記者会見で、川淵氏は「オシムと言っちゃった」と日本代表の監督人事を漏らした。そのことで会見はジーコ・ジャパンからオシム・ジャパンに移った。意図しての人事漏洩だったのか詳細は分からない。

しかし問題は、そもそも代表監督は技術委員会の精査・具申を受け、当時はJFAの幹部会で議論し、理事会の承認を経て決定されるものだった。その手続きを経ずに次期監督の名前を出すことは、ルールから逸脱しているし、ここでも“独裁者”として君臨している証明ではないかと批判した。

92年のことだ。当時はJFAの強化部長だった川淵氏は、初の外国人監督となるハンス・オフトを招聘し、アメリカW杯まであと1歩に迫るまで強化に成功した。それは画期的なことだと評価している。

しかし95年に加藤久・技術委員長らがまとめた「加茂監督ではフランスW杯の出場は難しい」。そこでネルシーニョ(元東京Vで現在は柏監督)を推すというレポートに対し、年俸の改ざんをある強化委員に指示し、長沼健JFA会長に「これでは高すぎて協会として払えない」と“加茂続投”のシナリオを描いた。

加茂氏は志半ばでバトンを岡田武史監督に託し、見事W杯出場を果たした。しかし、その後も代表監督人事は「ジーコに聞いてみたら」と言ったり、「オシムと言っちゃった」と言ったりしたように、技術委員会の頭越しに代表の監督人事に介入した。

そのこと自体が問題であるのに、分かっていないので問題を提起したつもりだったのが、それは届いていなかった。三流雑誌の三流記者の提言だけに、仕方のないことかもしれない。

そして今回の新聞記事である。人は誰でも人生を美化したくなるだろう。サッカーに対する情熱は“熱血漢”と言ってもいいほど高い。それでも思うのは限りなく高い上昇志向だ。Jリーグだけでなく、Bリーグでも辣腕を発揮して東京五輪へ参加の道を開くなど功績は数多い。それだけに、引き際は潔いものにして欲しいと願わずにはいられない。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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キリン杯とコパの日本代表が決定/六川亨の日本サッカー見聞録

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久保効果が見込めないU-20日本代表/六川亨の日本サッカー見聞録

今週始めの5月13日、U-20日本代表が流通経済大と練習試合を実施した。「GKは2人、フィールドは11人。プレーできる人間が限られていた」と影山雅永監督が言うように、週末のリーグ戦で出場機会がなかった選手を中心にして試合に臨んだ。それでも90分間で5-0と圧勝したが、正直物足りなさを感じたものだ。 それというのも今シーズンはFC東京で久保建英のスーパープレーを見ているからだ。ドリブル突破はもちろんのこと、彼のパスセンスが非凡であることは、先週末の磐田戦でも証明した。後半28分に右サイドのスペースに出したパスの意外性に、スタンドはどよめいたものだ。 見ていて「そこに出すか」と驚きを禁じ得なかった。残念ながら球足が長く室屋成は追いつけなかったが、その後にペナルティーエリア左の矢島輝一に出したパスは、矢島自身が来るとは思わず反応できなかったほどだ。 改めてU-20日本代表に久保がいたら、ポーランドでも世界の記者やファンに驚きをもたらすだろうと残念でならない。 そして“久保効果”はその他にもある。現在J1リーグで首位を走るFC東京の長谷川健太監督は、小川諒也や岡崎慎ら若手先週の台頭に“久保効果”を指摘する。 「若手が変わったのはタケ(久保)の存在が大きいですね。J1リーグでプレーしている姿を目の当たりにして、触発されていると思います。渡辺も1年目で試合に出てやっているし、岡崎もどん底に落ちて這い上がってきた。平川もそれを見ていて短い出場時間でしたがプレーしました」と“久保効果”を口にした。 同じことは2年前のU-20W杯の韓国大会でも当てはまる。当時15歳の久保に刺激を受け、堂安律(当時G大阪)や岩崎悠人(当時京都)らは「自分らも頑張らないと」と奮起したものだ。15歳という若さにもかかわらず、浮かれることなく、勝負に真剣に打ち込んでいた。 さて、その久保だが、長谷川監督によると、関係者から「日本代表に招集したいのでポーランドでのU-20W杯には招集しない」と連絡があったものの、その後は何の連絡もないそうだ。 ファンが一番気にしているのは、久保がどの大会に招集されるか、ということだろう。6月1日から始まるトゥーロン国際大会のU-22日本代表なのか、それとも6月5日と9日のキリンチャレンジ杯なのか、さらには6月14日から始まるコパ・アメリカなのか。 JFA(日本サッカー協会)は、U-20日本代表のメンバー発表の際に、上記のそれぞれの大会について、どう臨むのか基本的なスタンスを発表するべきだった。しかし久保と安部裕葵を外した理由を問われ、関塚隆技術委員長は「今日は世界大会に臨む21名の発表です。このメンバーと監督にフォーカスを与えて欲しい」と質問には答えず、「全カテゴリーが1つの目標に向かってしっかりと進んでいく。サムライブルーに到達するために、監督、技術委員会、JFAは1つになって考え、選手を成長させていく。共通理解を持って進んでいることを説明したい」と、抽象的な説明でお茶を濁した。 これでは、海外組と国内組も含め、日本代表もU-22日本代表も、選手の招集がうまく進んでいないと勘ぐられても仕方がないだろう。大迫勇也の所属するブレーメンは、コパ・アメリカはもちろん、今年12月の東アジアE-1選手権(韓国)と来年の東京五輪にも招集を拒否すると発表したそうだ。 Jクラブも近い将来、もしかしたらブレーメンら海外クラブのように、選手の代表招集を拒否する日が来るのかもしれない。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.05.16 17:45 Thu
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Fリーグの現状と未来/六川亨の日本サッカー見聞録

5月25日に開幕するFリーグ2019/2020のキックオフカンファレンスが5月9日にJFA(日本サッカー協会)ハウスで開催された。Fリーグは開催がJリーグと重なるために足が遠ざかり、ここ数年は試合会場に行っていない。せめて会見だけは取材しようと行った次第である。 オフィシャルスポンサーには『AbemaTV』と『アビームコンサルティング』と『伊藤園』の3社がつき、オフィシャルボールスポンサーに『sfida』、そしてオフィシャルパートナーに『ATHLETA』、『日本スポーツコート』、『ルートインホテルズ』の3社が名を連ねるなど、なかなか盛況なようである。 大手広告代理店の『電通』がFリーグから手を引いて4年、まさにFリーグ関係者の努力のたまものだろう。 1部12チームと2部8チームの計20チームの監督、選手が今年のスローガンと抱負を述べたが、各チームともユニホームの胸にはスポンサー名があり、営業努力を感じずにはいられなかった。 早いもので、Fリーグが誕生してから13年目を迎える。カンファレンスにはそれぞれの地元からも記者が取材に訪れるなど、地域との密着も進んでいるようだ。 そんな順風満帆に見えたFリーグだが、関係者によると問題山積だという。前回2016年のW杯予選敗退を契機にFリーグのクラブライセンス制度の導入を試みた。試合会場となる施設、クラブ運営法人に関する組織面、財務面、法務といった各基準を満たすことや下部組織を持つことをトップリーグ加盟の条件にしたのである。 しかし「オリジナル8」――第1回Fリーグ加盟の8チーム、名古屋オーシャンズ、デウソン神戸、ペスカドーラ町田、シュライカー大阪、湘南ベルマーレ、バルドラール浦安、バサジィ大分(ステラミーゴいわて花巻は2012年に退会)の1部チームから既得権を理由に反発を受けた。 これは小倉純二FリーグCOOの力業で乗り切りライセンス制度を導入することはできたものの、体育館の修理を約束しながら6年も放置しているチームがあるそうだ。名古屋オーシャンズのホームコートであり、Fリーグオーシャンカップのメイン会場である武田テバオーシャンアリーナは、東京五輪開催で注目を集めるバレーボールやバスケットの国内リーグ、バドミントンなど多くの競技を開催したことで、こちらもコートの損傷が激しいという。 来年2月にはリトアニアで開催されるフットサルW杯のアジア予選(AFCフットサル選手権。日本とイランしか優勝していない)が開催されるが、「もしもW杯の出場権を連続して逃すようだと、フットサル人気は致命的なダメージを受ける」と関係者は警鐘を鳴らしていた。 2012年のW杯には横浜FCのFW三浦知良が日本代表として参加し、世間の注目を集めたが、まずは予選を突破してW杯の出場権を獲得することが一番の起爆剤になるだろう。リーグ戦は難しいかもしれないが、代表戦は取材しようと決意を新たにした次第である。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.05.09 22:55 Thu
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なかなか骨格が見えない五輪代表の苦しい台所事情/六川亨の日本サッカー見聞録

元号が令和に変わって最初のコラムですが、テレビのワイドショーにはちょっと食傷気味でもあります。 さて昨日の日刊スポーツでは田嶋幸三JFA(日本サッカー協会)会長のインタビュー記事が掲載されていました。それによると田嶋会長は「メダルを狙いにいかないといけないし、ベストメンバーにしたい」とコメント。地元開催だけに、メダルを狙うのは当然だろう。 そして「OA以外は、海外のクラブからも招集できるようお願いしていく。実際動いている。23歳以下に関しては、非常に前向きに進んでいると思う」と自信を見せ、「東京五輪は世代交代する千載一遇のチャンス。隙間を空けずに22年につなげていく」と世代交代の必要性を訴えた。 田嶋会長の言う通りだと思う。にもかかわらず、森保五輪ジャパンのイメージがどうにもわかないのだ。 これまで代表監督と五輪監督はW杯のたびに交代してきた。その例に漏れず、ロシアW杯後に代表監督に森保氏が就任したのは自然な流れとして、五輪監督も兼務することになった。過去の例からも、五輪監督の最初の仕事は秋に開催されるアジア大会である。森保五輪監督はジャカルタでの大会でチームを決勝戦まで導いた(韓国に1-2で敗れ準優勝)。 しかし、それ以降は代表監督に専念し、五輪代表を率いたことは一度もなければ、国内で強化試合をしたこともない。五輪代表に選出される選手のほとんどはU-17やU-20などアンダーカテゴリーでプレー経験があるだけに、強化の継続性はあるだろう。しかし、東京五輪に臨む代表チームの骨格がなかなか見えてこない。 今年3月にミャンマーで開催されたAFC U-23選手権タイ2020予選には、横内昭展監督代行がチームを率いた。同時期はキリンチャレンジ杯があったため、森保監督は日本代表に専念せざるを得なかったからだ。 五輪代表の骨格がなかなか見えてこないのは、5月23日から6月15日にかけて、ポーランドでU-20W杯が開催されるせいかもしれない。冨安健洋や堂安律らはU-20日本代表の主力であるだけでなく、すでに日本代表でもそれなりの実績を残している。さらに今シーズンは台頭著しい久保建英もいる。当然、U-23日本代表にその名を連ねてもおかしくないが、優先順位はU-20W杯ということになるだろう。 このため次にU-23の活動の場となるトゥーロン国際大会での招集が濃厚かと言えば、話はそう簡単にいかない。まず日程が6月1日から15日と、U-20W杯と日程が重なっている。もしも日本がグループリーグで敗退すれば5月30日以降の合流は可能だが、選手は休みなく2大会に出場しなければならないため、現実的な選択とは言えない。 それはなぜかと言うと、肉体的な疲労に加え、町田浩樹(鹿島)、立田悠悟(清水)、橋岡大樹(浦和)、齋藤未月(横浜FM)、久保建英(FC東京)、前田大然(松本)、田川亨介(FC東京)ら選手のほとんどが所属クラブでレギュラーか準レギュラーのため、シーズン中だけにクラブ側が招集を許可するとは思えないからだ。 田嶋会長の言う「23歳以下の海外のクラブの選手は」板倉滉(フローニンゲン)、中山健太(ズヴォレ)、伊東達哉(ハンブルガー)らを指しているのだろう。 ではトゥーロン国際に森保監督が参加できるかと言うと、こちらの答えもノーだ。6月5日と9日にはキリンチャレンジ杯があり、それぞれトリニダード・トバゴ、エルサルバドルと対戦する。さらに14日からはブラジルでのコパ・アメリカが控えている。 こうして改めて日程を調べてみても、Jリーグ期間中に五輪代表はほとんど活動できないのが現実だ。田嶋会長はインタビューで「東京五輪では男女ともメダルに位置に行ってもらえるよう、僕らはサポートする。そのために労を惜しむつもりはない」と言っていたが、男子代表に限ってはサポートできることはほとんどない。 唯一、長期の日程をとれるのが来年1月にタイで開催されるAFC U-23選手権で、こちらは東京五輪の最終予選も兼ねているだけに、ガチンコ勝負のできる絶好の機会だし、森保監督もじっくりとチーム作りができるだろう。あとは来年のJリーグのカレンダー作りの際に、どれだけ五輪代表の強化のための時間を捻出するかだ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.05.02 13:30 Thu
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全日本大学選抜の練習試合で感じた疑問点/六川亨の日本サッカー見聞録

昨日24日はルヴァン杯の取材前に、味の素フィールド西が丘で行われた全日本大学選抜対U-20全日本大学選抜候補の練習試合を取材した。今年7月3日からイタリア・ナポリで開催されるユニバーシアードの最終選考会を兼ねた試合には、日本代表の森保一監督を始め、影山雅永U-20日本代表監督、齋藤俊秀U-21日本代表コーチらJFA(日本サッカー協会)技術委員会のスタッフや、Jクラブの強化担当など多くの関係者が詰めかけた。 試合は1本目が大学選抜対関東の大学によるU-20大学選抜、2本目は大学選抜対地域所属の大学によるU-20大学選抜で行われ、大学選抜は1本目の試合開始早々に先制点を許したものの、その後は三笘薫(川崎U-18から筑波大学)、上田綺世(鹿島学園高校から法政大)、イサカ・ゼイン(桐光学園高から桐蔭横浜大学)の3連続ゴールで勝利を収めた。 試合を見て改めて感じたのは、上田はストライカーとしてゴール前で味方からのパスを引き出すポジショニングとシュートまでの体勢が秀逸なこと、三笘の落ち着きのあるドリブルと視野の広さは群を抜いていることだった。 さらに2本目から出場した旗手怜央(静岡学園高から順天堂大)はドリブラーの印象が強かったが、同業者いわく「チームメイトからは、怜央君はいつも僕のことを見てくれていると言うように、パサーとしての才能も開花しつつある」との言葉通り、ドリブルだけでなく俯瞰するように攻撃陣をリードしていた。 改めて、この3人は現在の大学サッカー界でも図抜けた存在であることを実感した。 そして彼らだけでない。地域所属の大学によるU-20大学選抜ではストライカーの根本凌(上田西から鹿屋体育大の2年生)は、フィジカルの強さ(183センチ、75キロ)を発揮して存在感を示していた。高校選手権で長野県初のベスト4進出に貢献した逸材だが、隣に座っていた景山監督は大学1年の頃から追跡しているようで、外国人選手を相手にしても引けを取らないフィジカルとメンタルの強さを評価していた。 その他にも将来が楽しみな逸材が揃っており、U-19全日本大学選抜は7月にスイス遠征、9月には韓国で開催されるアジア大学サッカートーナメントに参加する。 そこで疑問に感じたのは、せっかく大学サッカー界の逸材、将来のJリーガー予備軍が一堂に会したのに、この試合が一般のファンには非公開で行われたことだ。ただでさえ注目度が低く、身内や関係者しか観戦に来ない大学サッカーの魅力をアピールする絶好の機会だったと思うと残念でならない。 たぶん今年、ユニバーシアードが開催されることを知っているファンも少ないだろう。かつての関東大学リーグは西が丘が聖地だったが、現在は開催地が分散しているため観戦するのにも苦労する。だからこそ、大学サッカーの関係者はもっと情報を積極的に発信すべきではないだろうか。ここらあたり、JFAにも大学サッカーのバックアップをお願いしたいところだ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.04.25 18:20 Thu
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