いつも困難の伴うコパの“負の遺産"とは/六川亨の日本サッカー見聞録
2019.03.08 12:00 Fri
JFA(日本サッカー協会)は3月22日(対コロンビア)と26日(対ベネズエラ)に開催されるキリンチャレンジ杯の代表メンバー23名を、3月14日の記者会見で発表することになった。
この2試合はFIFAの国際Aマッチデーのため海外組の選手を招集できる強制力がある。しかし問題は、当初、森保ジャパンは今年6月にブラジルで開催されるコパ・アメリカのメンバー選考を兼ねる予定でいたことだ。
すでにスポーツ紙の報道でもあるように、大迫の所属するブレーメンはJFAに対してコパ・アメリカの招集を拒否する通達を出している。コパ・アメリカは南米連盟主催の公式大会ではあるものの、AFC(アジアサッカー連盟)に所属する日本に対し、ヨーロッパのクラブは選手を出場させる義務はないからだ。
日本は過去2大会でコパ・アメリカを辞退してきた。最初は2011年で、次は2015年だった。今回はコパ・アメリカに出場するものの、状況は2015年と似ている。当時は1月にアジア杯がオーストラリアで開催され、ヨーロッパのクラブは選手の招集に協力した。しかし秋からは翌年開催されるEURO(ヨーロッパ選手権)の予選が始まる。このためリーグ戦の開幕が前倒しされるため、ヨーロッパのクラブは選手に十分な休養が与えられないとして招集を拒否した。
コパ・アメリカそのものが変則開催ではあるが、2019年のブラジル大会は早い段階から決まっていた。2015年に続き海外組の招集が難しいことはJFAも把握していたはずだ。にもかかわらず参加を決めたのは、2011年の“苦い思い出"があるからではないだろうか。
そこでザッケローニ監督は海外組の選手を中心にしたチーム作りを模索したものの、選手の拘束力がないため参加を断念せざるを得なかった。
そうした物理的な問題と、「未曾有の大災害時にサッカーをしていていいのか」という倫理的な問題もあった。さらに南米連盟からは「日本の復興支援につなげるためにも是非参加して欲しい」というメッセージも届いた。しかし、海外組はもちろん、国内組の選手の招集も困難な状況では、辞退する以外に日本に選択肢はなかった。
こうして1999年に初参加して以来、2度の辞退があったため、2019年は選手の招集が困難なことが分かっていても参加を決めたのかというと、コトはそう簡単なものではない。
2011年は東日本大震災がなければ日本は参加する予定だった。このためスタジアムに設置されるスポンサーボードには日本企業の名前が並び、テレビの放映スケジュールも決まっていた。しかし5月17日に最終的に辞退を決めたため、これらはすべてキャンセルとなった。
放映権やスポンサーボードの仲介役を果たした大手広告代理店は各所に平謝りだったと聞く。そして莫大な放映権料やスポンサー権料がフイになったアルゼンチンサッカー協会のグロンドーナ会長兼FIFA副会長(当時)--最後まで日本の出場を要請した――は激怒して、当時の小倉JFA会長に脅しをかけたという噂すらあった。
たぶん日本からの利権を巡り、多くの人間の利害関係が損なわれたことは想像に難くない。
こうした“借り"がJFAにはあるからこそ、日本はコパ・アメリカへの参加を余儀なくされているのではないだろうか。だとしたら、一日でも早く過去の“借り"を返して、日本の参加できるタイミングでのコパ・アメリカ参加という方向に舵取りして欲しいものだ。
この2試合はFIFAの国際Aマッチデーのため海外組の選手を招集できる強制力がある。しかし問題は、当初、森保ジャパンは今年6月にブラジルで開催されるコパ・アメリカのメンバー選考を兼ねる予定でいたことだ。
すでにスポーツ紙の報道でもあるように、大迫の所属するブレーメンはJFAに対してコパ・アメリカの招集を拒否する通達を出している。コパ・アメリカは南米連盟主催の公式大会ではあるものの、AFC(アジアサッカー連盟)に所属する日本に対し、ヨーロッパのクラブは選手を出場させる義務はないからだ。
コパ・アメリカそのものが変則開催ではあるが、2019年のブラジル大会は早い段階から決まっていた。2015年に続き海外組の招集が難しいことはJFAも把握していたはずだ。にもかかわらず参加を決めたのは、2011年の“苦い思い出"があるからではないだろうか。
2011年は1月のアジア杯でザック・ジャパンが4度目の優勝を果たした。しかし3月11日に東日本大震災が発生し、リーグ戦の延期を余儀なくされた。そして当初はコパ・アメリカ参加のために中断するはずだった7月に、延期したリーグ戦を消化する必要に迫られた。
そこでザッケローニ監督は海外組の選手を中心にしたチーム作りを模索したものの、選手の拘束力がないため参加を断念せざるを得なかった。
そうした物理的な問題と、「未曾有の大災害時にサッカーをしていていいのか」という倫理的な問題もあった。さらに南米連盟からは「日本の復興支援につなげるためにも是非参加して欲しい」というメッセージも届いた。しかし、海外組はもちろん、国内組の選手の招集も困難な状況では、辞退する以外に日本に選択肢はなかった。
こうして1999年に初参加して以来、2度の辞退があったため、2019年は選手の招集が困難なことが分かっていても参加を決めたのかというと、コトはそう簡単なものではない。
2011年は東日本大震災がなければ日本は参加する予定だった。このためスタジアムに設置されるスポンサーボードには日本企業の名前が並び、テレビの放映スケジュールも決まっていた。しかし5月17日に最終的に辞退を決めたため、これらはすべてキャンセルとなった。
放映権やスポンサーボードの仲介役を果たした大手広告代理店は各所に平謝りだったと聞く。そして莫大な放映権料やスポンサー権料がフイになったアルゼンチンサッカー協会のグロンドーナ会長兼FIFA副会長(当時)--最後まで日本の出場を要請した――は激怒して、当時の小倉JFA会長に脅しをかけたという噂すらあった。
たぶん日本からの利権を巡り、多くの人間の利害関係が損なわれたことは想像に難くない。
こうした“借り"がJFAにはあるからこそ、日本はコパ・アメリカへの参加を余儀なくされているのではないだろうか。だとしたら、一日でも早く過去の“借り"を返して、日本の参加できるタイミングでのコパ・アメリカ参加という方向に舵取りして欲しいものだ。
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