【インタビュー】日本サッカー史に残る伝説の守護神、川口能活のサッカーへの想い
2019.01.31 19:30 Thu
2018年12月2日、1人の偉大なるレジェンドが現役生活に幕を下ろした。日本サッカー史に名を残す伝説的なGK、川口能活だ。
1994年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に入団し、プロ2年目にデビューを果たすと、そこからは一気に飛躍。ワールドカップには日本が初出場した1998年のフランス大会から4大会連続で選出され、イングランド、デンマークと欧州でのプレーも経験。国内でも横浜FMを始め、ジュビロ磐田、FC岐阜、SC相模原とJ1からJ3まで、3つのリーグでプレーした。
記憶に残るシーンも多い。1996年のアトランタ・オリンピックでの“マイアミの奇跡”や、2004年のアジアカップでのPKストップを始め、数々の名場面に川口能活ありという印象が強い。
25年に渡る現役生活で川口能活が見て来たものとは。日本で最も多くの経験を積んできた守護神のサッカーに対するひたむきな想いに迫った。
取材・文・写真:菅野剛史

◆ワールドカップは観るものだと思っていた
──J1からJ3、海外クラブ、日本代表と様々な舞台で活躍されて来ましたが、改めて現役生活を振り返っていかがでしたか
川口能活さん(以下、敬称略):全てにおいて、サッカーのために全てを懸けて来ました。そこに楽しみもありましたけど、プレッシャーもあったり、大変な時もあったので、現時点ではプレッシャーから解放された安堵感がありますね
──川口さんと同世代ということで、山田プロデューサーの中で一番印象に残っている川口さんのシーンはどこでしょうか?
山田理一郎プロデューサー(以下、山田P):やっぱりアジアカップですね。PK戦の(2004年)。楢崎(正剛)選手とポジション争いが結構ある中で、日本代表のGKと言えば、タイプが違う楢崎、川口といて、僕的には大事なというか、とんでもない逆境の中で止めて勝ったというのは、日本代表のGKは川口となりましたね。あんなことされたら、しょうがないじゃんというか(笑)俺が監督だったら、使わざるを得ないよねという感じのインパクトでした
ただ、その前からPKのイメージはありました。高校サッカーの時から。同世代の同級生で、あんなGKでめっちゃPKを止めて、女の子にモテるわけじゃないですか。ムカつきますよね(笑)
ムカつきますけど、やむを得ないです。カッコいいですし。GKにとってはPKは見せ場じゃないですか。PKを止める川口選手。メンタルの強さを感じますね
宮崎伸周ディレクター:僕は清商(清水商業高校)で出て来たときのキャプテンシーですね。キャプテンでGKというのを高校サッカーで見ていて、後ろでキャプテンシーを発揮していたので、そこから夢中でしたね
Jリーグに入っていって、松永(成立)選手の下で、GKのイズムとかを学んでいるのかなと。そんな中で短い時間でスタメンに入って、気がつけば日本代表というサクセスストーリーの階段を上る早さ。見ている側も一緒に成長しているなという感じですね
山田P:あの時の監督はソラーリさん(※レアル・マドリーのサンティアゴ・ソラーリ監督の叔父)ですよね?外国の監督が見るとフラットなんだなという印象でしたね。松永さんがいて、川口さんがいて。中々日本人の監督だと、そういったこと(GKの世代交代)はできないですよね
──川口さんの中で最も印象的な試合やシーンは
川口:1つは難しいですね。アトランタ・オリンピックのブラジル戦やアジアカップのヨルダン戦はそうですが、その間に2000年のアジアカップのファイナルがありました。レバノンでやったサウジアラビアとの決勝だったんですが。その試合は自分の中で印象に残っています
決勝まで、実はそれほど出番がなかったんですが、決勝のサウジアラビア戦は1点獲ってから猛攻を受けました。その猛攻を凌いで、自分がセーブを繰り返してタイトルを獲れた。自分の中では忘れられないゲームの1つですね
──日本代表として初めてワールドカップに出られた時の初戦はいかがでしたか
川口:自分は若かったので、日本代表でプレーすること、選ばれるために必死のアピールを続けてトレーニングを続けていました。ワールドカップの出場を決めた直後は興奮があったんですが、そこから先はワールドカップに選ばれるためにとにかく必死でしたので、あまりワールドカップを迎えるという気持ちの整理はできていませんでした
そして初戦、アルゼンチンの選手たちとグラウンドに入って行くじゃないですか。左を見ると、水色と白の縦縞のユニフォームを見て、これがアルゼンチンだと。しかもワールドカップという舞台で、アルゼンチンが横にいるということで、初めて実感しました。夢のようでしたね
ワールドカップって正直観るものだと思っていました。雲の上の存在でしたから、自分がやるとは夢にも思っていなかったです。アルゼンチンのユニフォームを見たときに、初めてワールドカップに出てると実感して感動しました
──そこを含めて4度ワールドカップのメンバーに選ばれています。4度のワールドカップで大きく変わったものはありますか
川口:自分が出場したフランス大会(1998年)、ドイツ大会(2006年)というのは、もちろん自分がプレーしたということに対しての思い入れはありますが、代表チームとしては結果が残せなかったです。ただ、自分がピッチに立っていない大会、日韓大会(2002年)、南アフリカ大会(2010年)。特に南アフリカ大会は、自分が出場機会を得るというより、チーム全体を見る立場として、臨むにあたってはモチベーションは非常に難しかったです
ただ、過去のワールドカップの歴史を見た時に、自分がやらなければいけないことをしっかり整理して、ワールドカップに臨んで、チーム全体の雰囲気を戦う集団にするために努力し、選手たちは感じてくれました。選手なのでプレーできない悔しさはありましたが、サッカー人として新しい引き出しを増やせたのは、収穫ある大会でしたね
──その経験は、J2でのFC岐阜やJ3でのSC相模原でプレーする際も活きてきましたか
川口:非常に難しいのは、選手ですからピッチに立てないのは非常に悔しいんですよ。ピッチに立っている瞬間が一番幸せですし、勝利の瞬間をピッチで過ごすのが一番幸せですが、サッカーはそれだけではないです。出る選手、出ない選手、メンバー外になる選手も含めて、サッカーです。それは代表チームで学びましたので、J2の岐阜やJ3の相模原でも活かせましたね
◆勝てないと思った唯一の日本人GKは前川和也さん
──現役時代はストイックな生活を送られてきたと思います。最も意識していたことはなんでしょうか
川口:食事の面は特に油分は気にしていましたね。甘いものをなるべく取らない食事の節制。3食しっかりとって、休養もしっかりとって、サッカー中心の生活をすることは常に心掛けていました
──その生活が、長い現役生活に繋がったのでしょうか
川口:長く続けるためという風には思っていませんでしたが、自分がしっかりとしたコンディションを維持するには、サッカー中心の生活をしないといけないです。しっかりとコンディションを維持しないと、トレーニング、試合に臨めないと思っていました。そんなに甘い世界じゃないので、そこは意識していましたね
──現代のサッカー界ではGKの役割が大きく変わってきましたが
川口:自分のプレースタイル、これだけは負けないということはしっかり求めながら、現代サッカーや監督に求められるプレーの質は常に追求してきました。ただ、やっぱり自分の中でこれは負けないというものを持ってなくてはいけない。Jリーグでも代表でも、海外でプレーするにしても、そこは揺るぎない自信を持つことが大事だと思います
──川口さんのイメージと言われると何を思い浮かべますか?
山田P:PKのイメージですけど、ちょうどGKに足元の技術や攻撃の起点といった、GKを使ったプレーを求められ始めたところかなと。それまでは、バックパスをキャッチして良かったんですからね
川口:そうなんですよ。若い選手に言っても「は?」っという感じなんですよね
山田P:GKそうやって変わっていく境目だったのかなと思います。川口さんも観ていると今までのGKと違って、そういったプレーができるスタートかなと。PKストップのイメージは大きいですが、Jリーグが始まってGKが近代的になっていくところの人かなと思います。僕はサンフレッチェ広島ファンなので、前川(和也)さんを思い出しますけど、やっぱり前時代的だったと思います。止めるのは止めますが、オールラウンダーという感じではないですよね
川口:唯一、この人に敵わないと思った選手は、前川さんなんです。初めて日本代表の合宿に行った時に、前川さん、下川(健一)さん、僕だったんです。もちろん下川さんも凄いGKなんですが、前川さんの一対一の圧力とセービングの迫力を観た時に、まともに勝負しても勝てないなと思った唯一の日本人のGKです

──若いGKの選手と一緒にプレーするとGK像の変化を感じることはありますか
川口:GKに求められることが増えているので、どうしてもミスが起こってしまう。GKに求めるものが少なかった時より、リスクを負わなければいけないので、失点に繋がるミスがどうしても増えてしまうことは否めないです。選手たちの能力だけでなく、サッカーのスタイルもそうなって来ています
でも、GKは最後の砦ですし、そういったミスをなるべくしないような。仮にミスをしたとしても、平然としていられるような振る舞いは大事かなと思います。ただ、以前よりも失点に繋がるミスは増えてしまっていますね
山田P:守っていればいいということではないですからね。(マヌエル・)ノイアーだって、前に出てミスしますからね
川口:でもGKは最後の砦なので、失点しないことはまずは大事ですね
山田P:『サカつく』シリーズでもそうですけど、結局FWとGKをまずは獲るというところからスタートするんですよね。ゲームっぽいなと思うんですけど、現実でもやっぱりそうだなと思います。最後は個人でなんとかするということですね。個人の力でなんとかなっちゃう、なんとかするという感じは特殊ですよね。メンタル的にもFWやGKは特殊じゃないとできないのかなって思うこともあります
川口:いくら組織的なディフェンスを敷いても、最後の一対一はGKでしか防げないんですよね。そこはGK個人の能力と、俺が守ってやるという強さですね。GKは点を取られてもなんだよっていうか…
山田P:川口さんは、何かの試合で明らかに自分のミスなのに、怒ってボールを返していて、それが大事なんだろうなと
◆理想は地域に愛されるクラブ
──『サカつく』はチームを経営するというゲームですが、相模原では高校の先輩でもある望月重良さんが代表を務め、日本代表で一緒にプレーした高原直泰さんが沖縄でチームの代表を務めています。指導者という道に興味があると引退会見でおっしゃっていましたが、クラブ経営に興味があったりはしますか
川口:現場をまずはやりたいんですが、クラブを作る、フロント側になって、選手を集めたり、クラブ経営をしてみたいというのはありますね。それはサッカーの専門分野とは違う専門分野なので、いちから勉強しなくてはいけないんですけど。クラブを作って、選手たちを集めて、そのチームが強くなっていくというのは楽しいですよね
山田P:JFLからJ3に参入するだけでもかなり大変ですもんね。岡田(武史)さんも試行錯誤されているのを見ますしね。『サカつく』というゲームがあってという訳でないですが、Jリーグに合わせてゲームを作っていたので、何もないところにクラブにできてJリーグに参加する。みんなが夢見てやっていますもんね
今だと、J3があったとしても、それに参入することも大変ですし、維持することも大変ですし、上に行くということも大変ですね。『サカつく』も割と大変なゲームですけど、現実はたくさんやらなければいけないことがあるので、大変だなと思いますね
川口:やっぱりお金が必要ですし、そのためには行政の方の協力、スポンサーの方々に挨拶回りをするとか。地域に根付くために選手を派遣して活動するとか。観客動員を増やすとかスポンサーを獲得するとか、色々なものを全てやらないとクラブ経営は上手くいかないですね
山田P:長続きしないですよね
川口:お金があるだけでは長続きしないですね。地域に密着しないと、クラブは長続きしないですね
──『サカつく』もその辺りを結構考えさせられるゲームですよね
山田P:Jリーグのコンセプトがあって、それを体現しているゲームなので、『サカつく』が特殊というよりは、Jリーグがそういったものを目指しているというのがあります。逆に海外の方は、『サカつく』みたいなゲームの面白さがわからないみたいなんですよね
海外にはすでにクラブがもうあって、誰もが自分のクラブがある感じなんですよね。オリジナルクラブができて、世界を目指すというロマンがわからないんですよね。アジアの方々は、そういったものがないので、ロマンや夢と言ってくれますけどね。そう言った意味で、Jリーグの思想は素晴らしいですよね
『Jリーグ百年構想』というのがあって、草の根からサッカーを盛り上げていって、上を目指すというのはお金がいくらあってもできないことです
川口:下のカテゴリに行けば行くほど、そういった活動の大切さを痛感しますね
山田P:僕らはJリーグ世代ですが、その子供たちが中間的な層で、Jリーグがよく分からないなっていう感じなんですが、その下になるとクラブの練習に関わってたりするんですよね。あるいは、父親がどこかのファンで一緒に観ているとか。Jリーグもそういったサイクルが繰り返されていって、ファン層が大きく広がるんだろうなと思います

──海外クラブからJ3クラブまで、様々なタイプのクラブでプレーされてきましたが、理想のクラブ像はありますか?
川口:やっぱり地域に根付いて、地域に愛されるクラブ。そして、クラブの生え抜き選手は絶対に大切にしなければいけないなと思います。そのクラブの象徴でもある選手は絶対に必要だと思います。生え抜きで地元出身の選手というのが、クラブに対する忠誠心も一番ありますし、そういった選手がいれば、クラブがまとまるんですよね
──『サカつく』は施設なども作れますが、こういった施設がほしかったというものはありましたか?
川口:スタジアムとトレーニング場とクラブの事務所。これが1つになっていることが一番ですよね。日本の場合は土地の問題もあって、なかなか1つにすることは難しいです。ただ、それが1つになれば全てのことが迅速になりますし、現場とフロントの一体感も生まれてきます。常にコミュニケーションが取りやすくなる。その一体感はクラブが成長して行く上で大事だなと思います
山田P:やっぱりヨーロッパでの経験がそう思うところですか?
川口:僕がいたノアシェランは歴史は浅いんですが、スタジアム、トレーニング施設、それからクラブ事務所が1つのところにまとまっています。スタジアムの中にホテルがあって、アウェイのチームや旅行に来ている方々が泊まって試合を観る。全てのことが1つのコミュニティで成立するんですね
山田P:ビジネス的にみても、総合型スタジアムみたいな
川口:駅からでもノアシェランの場合は歩いて10分ぐらいなので、駅からの移動も可能ですね
山田P:(広島)ビッグアーチなんかは、登山かみたいな感じですからね(笑)
川口:アクセスも良くて、1つになっているのはハード面においては理想ですね。クラブハウスがあることが前提ですけど。クラブハウスがないクラブも経験しているので、まずはクラブハウスですね
◆中田英寿は別格だった
──『サカつく』では選手を集めてチームを作ることができますが、川口さんが選ぶ“現役Jリーガーベストイレブン”を教えてください
川口:難しいですね…(笑)
──絶対にチームに入れたい選手はいらっしゃいますか?
川口:一緒にプレーしていた(中澤)佑二とか、中村俊輔、中村憲剛、小野伸二…この辺りは今もJ1でプレーしていて、絶対に入れたいですね
──引退されている方を含めても良いです
川口:フォワードでいったら…やっぱり自分が一緒に戦った選手になりますね。クボタツ(久保竜彦)とか、タカ(高原直泰)もそうですね。たくさんいすぎますね(笑)。森岡隆三もすごく代表で一緒にプレーしていて楽しかったし、ツネ(宮本恒靖)とかタナカマコ(田中誠)もそうですね。たくさんいすぎて11人を選べないですね
──それだけ素晴らしい選手たちとプレーされて来たんですね。今まで一緒にプレーして“別格だったな”と感じた選手はいらっしゃいますか?
川口:それもたくさんいますね。僕はみんなに頼っていましたから。でもやっぱり、最初に代表で一緒にプレーしたこれも同世代になりますが、中田英寿は別格でしたね
強烈なパーソナリティと試合での絶対的な安心感というか。ヒデにボールを預ければ何とかしてくれるという期待感もありました。ジョホールバルの戦いで、ワールドカップを決めなければいけないあのプレッシャーの中で、ヒデが別次元に行ってしまう瞬間を後ろから見ていました。あの残像は忘れられないですね
あの試合は全ての選手たちが素晴らしいパフォーマンスを見せていましたが、日本とイランを含めて1人だけプレーレベルが超越していました。あれを観た時は、ヒデは別の世界に行ってしまったなという感じがしました。それぐらい彼は、日本のサッカー界にインパクトを与えたんじゃないかなと思います。
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記憶に残るシーンも多い。1996年のアトランタ・オリンピックでの“マイアミの奇跡”や、2004年のアジアカップでのPKストップを始め、数々の名場面に川口能活ありという印象が強い。
25年に渡る現役生活で川口能活が見て来たものとは。日本で最も多くの経験を積んできた守護神のサッカーに対するひたむきな想いに迫った。
取材・文・写真:菅野剛史

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◆ワールドカップは観るものだと思っていた
──J1からJ3、海外クラブ、日本代表と様々な舞台で活躍されて来ましたが、改めて現役生活を振り返っていかがでしたか
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──川口さんと同世代ということで、山田プロデューサーの中で一番印象に残っている川口さんのシーンはどこでしょうか?
山田理一郎プロデューサー(以下、山田P):やっぱりアジアカップですね。PK戦の(2004年)。楢崎(正剛)選手とポジション争いが結構ある中で、日本代表のGKと言えば、タイプが違う楢崎、川口といて、僕的には大事なというか、とんでもない逆境の中で止めて勝ったというのは、日本代表のGKは川口となりましたね。あんなことされたら、しょうがないじゃんというか(笑)俺が監督だったら、使わざるを得ないよねという感じのインパクトでした
ただ、その前からPKのイメージはありました。高校サッカーの時から。同世代の同級生で、あんなGKでめっちゃPKを止めて、女の子にモテるわけじゃないですか。ムカつきますよね(笑)
ムカつきますけど、やむを得ないです。カッコいいですし。GKにとってはPKは見せ場じゃないですか。PKを止める川口選手。メンタルの強さを感じますね
宮崎伸周ディレクター:僕は清商(清水商業高校)で出て来たときのキャプテンシーですね。キャプテンでGKというのを高校サッカーで見ていて、後ろでキャプテンシーを発揮していたので、そこから夢中でしたね
Jリーグに入っていって、松永(成立)選手の下で、GKのイズムとかを学んでいるのかなと。そんな中で短い時間でスタメンに入って、気がつけば日本代表というサクセスストーリーの階段を上る早さ。見ている側も一緒に成長しているなという感じですね
山田P:あの時の監督はソラーリさん(※レアル・マドリーのサンティアゴ・ソラーリ監督の叔父)ですよね?外国の監督が見るとフラットなんだなという印象でしたね。松永さんがいて、川口さんがいて。中々日本人の監督だと、そういったこと(GKの世代交代)はできないですよね
──川口さんの中で最も印象的な試合やシーンは
川口:1つは難しいですね。アトランタ・オリンピックのブラジル戦やアジアカップのヨルダン戦はそうですが、その間に2000年のアジアカップのファイナルがありました。レバノンでやったサウジアラビアとの決勝だったんですが。その試合は自分の中で印象に残っています
決勝まで、実はそれほど出番がなかったんですが、決勝のサウジアラビア戦は1点獲ってから猛攻を受けました。その猛攻を凌いで、自分がセーブを繰り返してタイトルを獲れた。自分の中では忘れられないゲームの1つですね
──日本代表として初めてワールドカップに出られた時の初戦はいかがでしたか
川口:自分は若かったので、日本代表でプレーすること、選ばれるために必死のアピールを続けてトレーニングを続けていました。ワールドカップの出場を決めた直後は興奮があったんですが、そこから先はワールドカップに選ばれるためにとにかく必死でしたので、あまりワールドカップを迎えるという気持ちの整理はできていませんでした
そして初戦、アルゼンチンの選手たちとグラウンドに入って行くじゃないですか。左を見ると、水色と白の縦縞のユニフォームを見て、これがアルゼンチンだと。しかもワールドカップという舞台で、アルゼンチンが横にいるということで、初めて実感しました。夢のようでしたね
ワールドカップって正直観るものだと思っていました。雲の上の存在でしたから、自分がやるとは夢にも思っていなかったです。アルゼンチンのユニフォームを見たときに、初めてワールドカップに出てると実感して感動しました
──そこを含めて4度ワールドカップのメンバーに選ばれています。4度のワールドカップで大きく変わったものはありますか
川口:自分が出場したフランス大会(1998年)、ドイツ大会(2006年)というのは、もちろん自分がプレーしたということに対しての思い入れはありますが、代表チームとしては結果が残せなかったです。ただ、自分がピッチに立っていない大会、日韓大会(2002年)、南アフリカ大会(2010年)。特に南アフリカ大会は、自分が出場機会を得るというより、チーム全体を見る立場として、臨むにあたってはモチベーションは非常に難しかったです
ただ、過去のワールドカップの歴史を見た時に、自分がやらなければいけないことをしっかり整理して、ワールドカップに臨んで、チーム全体の雰囲気を戦う集団にするために努力し、選手たちは感じてくれました。選手なのでプレーできない悔しさはありましたが、サッカー人として新しい引き出しを増やせたのは、収穫ある大会でしたね
──その経験は、J2でのFC岐阜やJ3でのSC相模原でプレーする際も活きてきましたか
川口:非常に難しいのは、選手ですからピッチに立てないのは非常に悔しいんですよ。ピッチに立っている瞬間が一番幸せですし、勝利の瞬間をピッチで過ごすのが一番幸せですが、サッカーはそれだけではないです。出る選手、出ない選手、メンバー外になる選手も含めて、サッカーです。それは代表チームで学びましたので、J2の岐阜やJ3の相模原でも活かせましたね
──現役時代はストイックな生活を送られてきたと思います。最も意識していたことはなんでしょうか
川口:食事の面は特に油分は気にしていましたね。甘いものをなるべく取らない食事の節制。3食しっかりとって、休養もしっかりとって、サッカー中心の生活をすることは常に心掛けていました
──その生活が、長い現役生活に繋がったのでしょうか
川口:長く続けるためという風には思っていませんでしたが、自分がしっかりとしたコンディションを維持するには、サッカー中心の生活をしないといけないです。しっかりとコンディションを維持しないと、トレーニング、試合に臨めないと思っていました。そんなに甘い世界じゃないので、そこは意識していましたね
──現代のサッカー界ではGKの役割が大きく変わってきましたが
川口:自分のプレースタイル、これだけは負けないということはしっかり求めながら、現代サッカーや監督に求められるプレーの質は常に追求してきました。ただ、やっぱり自分の中でこれは負けないというものを持ってなくてはいけない。Jリーグでも代表でも、海外でプレーするにしても、そこは揺るぎない自信を持つことが大事だと思います
──川口さんのイメージと言われると何を思い浮かべますか?
山田P:PKのイメージですけど、ちょうどGKに足元の技術や攻撃の起点といった、GKを使ったプレーを求められ始めたところかなと。それまでは、バックパスをキャッチして良かったんですからね
川口:そうなんですよ。若い選手に言っても「は?」っという感じなんですよね
山田P:GKそうやって変わっていく境目だったのかなと思います。川口さんも観ていると今までのGKと違って、そういったプレーができるスタートかなと。PKストップのイメージは大きいですが、Jリーグが始まってGKが近代的になっていくところの人かなと思います。僕はサンフレッチェ広島ファンなので、前川(和也)さんを思い出しますけど、やっぱり前時代的だったと思います。止めるのは止めますが、オールラウンダーという感じではないですよね
川口:唯一、この人に敵わないと思った選手は、前川さんなんです。初めて日本代表の合宿に行った時に、前川さん、下川(健一)さん、僕だったんです。もちろん下川さんも凄いGKなんですが、前川さんの一対一の圧力とセービングの迫力を観た時に、まともに勝負しても勝てないなと思った唯一の日本人のGKです

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──若いGKの選手と一緒にプレーするとGK像の変化を感じることはありますか
川口:GKに求められることが増えているので、どうしてもミスが起こってしまう。GKに求めるものが少なかった時より、リスクを負わなければいけないので、失点に繋がるミスがどうしても増えてしまうことは否めないです。選手たちの能力だけでなく、サッカーのスタイルもそうなって来ています
でも、GKは最後の砦ですし、そういったミスをなるべくしないような。仮にミスをしたとしても、平然としていられるような振る舞いは大事かなと思います。ただ、以前よりも失点に繋がるミスは増えてしまっていますね
山田P:守っていればいいということではないですからね。(マヌエル・)ノイアーだって、前に出てミスしますからね
川口:でもGKは最後の砦なので、失点しないことはまずは大事ですね
山田P:『サカつく』シリーズでもそうですけど、結局FWとGKをまずは獲るというところからスタートするんですよね。ゲームっぽいなと思うんですけど、現実でもやっぱりそうだなと思います。最後は個人でなんとかするということですね。個人の力でなんとかなっちゃう、なんとかするという感じは特殊ですよね。メンタル的にもFWやGKは特殊じゃないとできないのかなって思うこともあります
川口:いくら組織的なディフェンスを敷いても、最後の一対一はGKでしか防げないんですよね。そこはGK個人の能力と、俺が守ってやるという強さですね。GKは点を取られてもなんだよっていうか…
山田P:川口さんは、何かの試合で明らかに自分のミスなのに、怒ってボールを返していて、それが大事なんだろうなと
◆理想は地域に愛されるクラブ
──『サカつく』はチームを経営するというゲームですが、相模原では高校の先輩でもある望月重良さんが代表を務め、日本代表で一緒にプレーした高原直泰さんが沖縄でチームの代表を務めています。指導者という道に興味があると引退会見でおっしゃっていましたが、クラブ経営に興味があったりはしますか
川口:現場をまずはやりたいんですが、クラブを作る、フロント側になって、選手を集めたり、クラブ経営をしてみたいというのはありますね。それはサッカーの専門分野とは違う専門分野なので、いちから勉強しなくてはいけないんですけど。クラブを作って、選手たちを集めて、そのチームが強くなっていくというのは楽しいですよね
山田P:JFLからJ3に参入するだけでもかなり大変ですもんね。岡田(武史)さんも試行錯誤されているのを見ますしね。『サカつく』というゲームがあってという訳でないですが、Jリーグに合わせてゲームを作っていたので、何もないところにクラブにできてJリーグに参加する。みんなが夢見てやっていますもんね
今だと、J3があったとしても、それに参入することも大変ですし、維持することも大変ですし、上に行くということも大変ですね。『サカつく』も割と大変なゲームですけど、現実はたくさんやらなければいけないことがあるので、大変だなと思いますね
川口:やっぱりお金が必要ですし、そのためには行政の方の協力、スポンサーの方々に挨拶回りをするとか。地域に根付くために選手を派遣して活動するとか。観客動員を増やすとかスポンサーを獲得するとか、色々なものを全てやらないとクラブ経営は上手くいかないですね
山田P:長続きしないですよね
川口:お金があるだけでは長続きしないですね。地域に密着しないと、クラブは長続きしないですね
──『サカつく』もその辺りを結構考えさせられるゲームですよね
山田P:Jリーグのコンセプトがあって、それを体現しているゲームなので、『サカつく』が特殊というよりは、Jリーグがそういったものを目指しているというのがあります。逆に海外の方は、『サカつく』みたいなゲームの面白さがわからないみたいなんですよね
海外にはすでにクラブがもうあって、誰もが自分のクラブがある感じなんですよね。オリジナルクラブができて、世界を目指すというロマンがわからないんですよね。アジアの方々は、そういったものがないので、ロマンや夢と言ってくれますけどね。そう言った意味で、Jリーグの思想は素晴らしいですよね
『Jリーグ百年構想』というのがあって、草の根からサッカーを盛り上げていって、上を目指すというのはお金がいくらあってもできないことです
川口:下のカテゴリに行けば行くほど、そういった活動の大切さを痛感しますね
山田P:僕らはJリーグ世代ですが、その子供たちが中間的な層で、Jリーグがよく分からないなっていう感じなんですが、その下になるとクラブの練習に関わってたりするんですよね。あるいは、父親がどこかのファンで一緒に観ているとか。Jリーグもそういったサイクルが繰り返されていって、ファン層が大きく広がるんだろうなと思います

(C)CWS Brains,LTD.
──海外クラブからJ3クラブまで、様々なタイプのクラブでプレーされてきましたが、理想のクラブ像はありますか?
川口:やっぱり地域に根付いて、地域に愛されるクラブ。そして、クラブの生え抜き選手は絶対に大切にしなければいけないなと思います。そのクラブの象徴でもある選手は絶対に必要だと思います。生え抜きで地元出身の選手というのが、クラブに対する忠誠心も一番ありますし、そういった選手がいれば、クラブがまとまるんですよね
──『サカつく』は施設なども作れますが、こういった施設がほしかったというものはありましたか?
川口:スタジアムとトレーニング場とクラブの事務所。これが1つになっていることが一番ですよね。日本の場合は土地の問題もあって、なかなか1つにすることは難しいです。ただ、それが1つになれば全てのことが迅速になりますし、現場とフロントの一体感も生まれてきます。常にコミュニケーションが取りやすくなる。その一体感はクラブが成長して行く上で大事だなと思います
山田P:やっぱりヨーロッパでの経験がそう思うところですか?
川口:僕がいたノアシェランは歴史は浅いんですが、スタジアム、トレーニング施設、それからクラブ事務所が1つのところにまとまっています。スタジアムの中にホテルがあって、アウェイのチームや旅行に来ている方々が泊まって試合を観る。全てのことが1つのコミュニティで成立するんですね
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川口:駅からでもノアシェランの場合は歩いて10分ぐらいなので、駅からの移動も可能ですね
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◆中田英寿は別格だった

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──『サカつく』では選手を集めてチームを作ることができますが、川口さんが選ぶ“現役Jリーガーベストイレブン”を教えてください
川口:難しいですね…(笑)
──絶対にチームに入れたい選手はいらっしゃいますか?
川口:一緒にプレーしていた(中澤)佑二とか、中村俊輔、中村憲剛、小野伸二…この辺りは今もJ1でプレーしていて、絶対に入れたいですね
──引退されている方を含めても良いです
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──それだけ素晴らしい選手たちとプレーされて来たんですね。今まで一緒にプレーして“別格だったな”と感じた選手はいらっしゃいますか?
川口:それもたくさんいますね。僕はみんなに頼っていましたから。でもやっぱり、最初に代表で一緒にプレーしたこれも同世代になりますが、中田英寿は別格でしたね
強烈なパーソナリティと試合での絶対的な安心感というか。ヒデにボールを預ければ何とかしてくれるという期待感もありました。ジョホールバルの戦いで、ワールドカップを決めなければいけないあのプレッシャーの中で、ヒデが別次元に行ってしまう瞬間を後ろから見ていました。あの残像は忘れられないですね
あの試合は全ての選手たちが素晴らしいパフォーマンスを見せていましたが、日本とイランを含めて1人だけプレーレベルが超越していました。あれを観た時は、ヒデは別の世界に行ってしまったなという感じがしました。それぐらい彼は、日本のサッカー界にインパクトを与えたんじゃないかなと思います。
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「まさに死闘ってカンジ」歴史に残るバーレーンとの4-3の激闘!2004年大会プレイバックに反響「このゴールで中澤佑二に惚れた」
31日、日本代表はアジアカップ2023のラウンド16でバーレーン代表と対戦する。 過去の対戦成績は日本の8勝2敗となっているが、アジアカップの舞台で最後に対戦したのは2004年の中国大会での準決勝。記憶に残る激闘だった。 MF小野伸二、FW高原直泰ら当時の主力選手が欠場していた当時の日本は、開催国の中国サポーターにブーイングを浴びせられながらも決勝トーナメントに進出すると、準々決勝ではPK戦途中でのサイド変更とGK川口能活の神がかり的なセーブが印象深いヨルダン代表戦に勝利し、準決勝でバーレーンと対戦した。 しかし、バーレーン戦では開始6分に先制ゴールを許すと、40分にはMF遠藤保仁が不可解な判定で一発退場。日本はビハインドの状況で数的不利を負ってしまった。 数的不利の状況でもMF中田浩二とFW玉田圭司のゴールで逆転した日本だったが、その後2失点。2-3と1点ビハインドで試合終盤を迎えた。 それでも日本は最後まで諦めず。DFも攻めあがって同点ゴールを狙うと、90分にDF中澤佑二が値千金の同点ゴール。不屈の精神で同点に追いつくと、延長前半には玉田の独走ゴールが決まり、4-3で激闘を制していた。 なんとか決勝に進出した日本は、決勝で中国代表を撃破。見事に大会連覇を成し遂げていた。 久しぶりの対戦を前に『DAZN』は当時の試合映像をプレイバック。SNS上のファンも「このゴールで中澤佑二に惚れた」、「バーレーン戦といえばこの試合よな」、「痺れたね、玉田」、「まさに「死闘」ってカンジだった!」、「2004の大会は激熱だった」と当時を思い返している。 ベスト8を懸けた一戦は、31日の20時30分にキックオフ。『DAZN』で視聴が可能だ。 <span class="paragraph-title">【動画】当時の記憶が蘇る!2004年大会でのバーレーンとの激闘ハイライト</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="ja" dir="ltr">/<br>「バーレーンvs日本」<br>過去対戦をプレイバック<br>\<br><br>アジアカップ2004年大会で起きた<br>奇跡の大逆転劇<br><br><a href="https://twitter.com/hashtag/AFC%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#AFCアジアカップ</a> ラウンド16<br>バーレーン×日本<br>1/31(水)20:30(19:45配信開始)<br><a href="https://twitter.com/hashtag/DAZN?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#DAZN</a> 独占配信<br>出演:水沼貴史/小野伸二/佐藤寿人/下田恒幸/桑原学 <a href="https://t.co/x7Sals8iKu">pic.twitter.com/x7Sals8iKu</a></p>— DAZN Japan (@DAZN_JPN) <a href="https://twitter.com/DAZN_JPN/status/1752609401201189348?ref_src=twsrc%5Etfw">January 31, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.01.31 18:45 Wed2
【2022年カタールへ期待の選手㊲】夢に見続けてきた頂点に立ったスピードスター/松村優太(静岡学園→鹿島アントラーズ/MF)
5万6000人という高校サッカー選手権決勝史上最高観客が押し寄せた埼玉スタジアムで行われた13日のファイナル。静岡学園は高円宮杯プレミアリーグ王者・青森山田に挑み、0-2の劣勢を跳ね返して初の単独優勝を果たした。エースナンバー10・松村優太は大会を通して重圧を感じながら戦い、得点も準決勝・矢板中央戦の1ゴールにとどまったものの、夢に見続けてきた頂点に立ったことで、心からの安堵感をのぞかせた。 「前半初めにセットプレーで点を取られて、ちょっと飲まれてしまった。でも自分たちで盛り返してできたことが勝利の要因かなと思います。2点取られても攻撃的に行くスタイルを貫いた勝利が一番いい。僕はこれから鹿島アントラーズに行きますけど、これをいい弾みにして、開幕から試合に出られるように頑張っていきたいと思います」と18歳のスピードスターは目を輝かせた。 奇しくも埼玉スタジアムが完成した2001年に大阪で生まれた松村は東淀川FCに所属していた中学は無名の存在だった。「当時はスピードに頼っていた」と本人も述懐する。その彼が静学を選んだのは、同じクラブの5つ上の先輩・名古新太郎(鹿島アントラーズ)も赴いた静学。「名古さんが行った縁があって、監督から勧められました。他の高校とは違う魅力があり、独自のものを持っているんで、自分が一番伸びる高校かなと思って決めました」と本人は言う。 15歳の春、親元を離れて静岡に向かったが、200人を超える静学サッカー部の選手たちは足元の技術が抜群にうまかった。それも名将・井田勝通総監督が何度もブラジルに通って考案したボールテクニック練習を繰り返したから。「15歳までにボールに100万回触れ」「独創性をとことん追求しろ」「サッカーはつねに美しくあるべき」といった明言を残している名指導者がこだわり続けた個人技を誰もが身に着けようと朝練から躍起になっている。そういう環境に行ったことで、松村の心にスイッチが入った。 「静学に行った頃の自分はリフティングやフェイントとかもうまい方じゃなかった。それを毎日続けていくうちにだんだん自信がついてきた」と彼も話したが、その積み重ねが心身両面の大きな成長につながり、1年の終わり頃には川口修監督に才能を見出された。高2の段階でU-17日本代表に選ばれ、静学の10番を背負うまでになったのは、やはり競争の激しいチームで切磋琢磨し続けたから。15歳の選択は正しかったのだ。 実際、2〜3人の敵がいても抜群のスピードで抜き去る能力を持った彼のような選手はそうそういない。そのストロングポイントを見た鹿島のスカウトも一瞬にして松村に魅せられ、獲得を決めたという。今季の鹿島は同じドリブラータイプの中村充孝がモンテディオ山形へ移籍し、相馬勇紀も名古屋グランパスへのレンタルバックが決定。右サイドを長く担ってきた遠藤康もケガがちでコンスタントにピッチに立てていない。そういう意味でも松村は喉から出が出るほど欲しかったタレントなのだろう。 「スピードとドリブルは自分でも結構まずまずだとは思うんですけど、ラストのシュートの精度だったり、クロスの精度はもっともっと高めていかないといけない。それができればJリーグでも通用するかなと思うので、引き続き練習していきたいです。選手権で優勝したことでより注目されると思いますけど、これに満足することなく、結果を残せるように頑張りたいです」と本人も新たな決意を胸に秘め、常勝軍団の扉を叩いた。同郷の先輩・名古もいるだけに、メンタル的にも余裕を持ってのぞめるはず。鹿島というクラブで若手がいきなり出番を得るのは相当に難易度の高いことではあるが、ザーゴ新監督就任直後で序列も定まっていない今だけにチャンスは少なからずありそうだ。 仮に鹿島で結果を残せれば、夢である海外移籍も見えてくる。 「自分が憧れているのは(エデン・)アザール(レアル・マドリー)。背が高くなくてもプレミアリーグであれだけ活躍していましたし、そのレベルを目指してやっていきたいですね。僕と同い年には久保建英(マジョルカ)もいますし、すでにJリーグで実績を積み上げている斉藤光毅(横浜FC)や西川潤(セレッソ大阪)もいる。彼らはA代表とかU-20代表とか上のカテゴリーでやってますし、早くそこに追いつかなければいけない」 語気を強めた松村は貪欲に高みを追い求めようとしている。その向上心を失わず、順調に成長できれば、海外挑戦という夢にもいずれ手が届くだろう。 静学の川口監督は「ウチの今の目標はUEFAチャンピオンズリーグでプレーする選手を出すこと。『目指せ、カンプ・ノウ』ですよ」と笑ったが、松村にはそのくらいの領域を視野に入れ、とことんまで突き進んでほしいものだ。 2020.01.15 17:45 Wed3
21世紀の出場試合数ランキング発表! 首位は1145試合のC・ロナウド、トップ10に日本人選手がランクイン
IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)が、21世紀で最もプレーした選手のランキングを発表。トップ10には日本人選手もランクインした。 様々な統計を行うIFFHS。2022年までのデータを集計し、21世紀に入ってからのプレーした試合数をもとにランキングを作成した。 対象となるのは、各国のリーグ戦やカップ戦、国際カップ戦、代表チームの試合も含まれ、全ての公式戦が対象になっている。 今回の統計では1000試合以上プレーした選手が3人に増加。首位は昨年と変わらず、サウジアラビアへ活躍の場を移したポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスル)となり、1145試合を記録した。 2022年に1000試合を突破したのは、ブラジル代表DFダニエウ・アウベス(UNAMプーマス)とアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(パリ・サンジェルマン)。アウベスは1033試合、メッシは1003試合となった。メッシはカタール・ワールドカップ(W杯)での試合で1000試合を超えたことになる。 そんな中、8位には日本人がランクイン。941試合に出場したMF遠藤保仁(ジュビロ磐田)だ。遠藤はガンバ大阪と磐田、そして日本代表での試合が21世紀に含まれている。なお、アジア人でも唯一となり、900試合以上を達成しているのも12名となっている。 ◆21世紀の出場試合数ランキング 合計(国内リーグ/国内カップ/国際カップ/代表) 1位:クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル) 1145試合(651/93/205/196) 2位:ダニエウ・アウベス(ブラジル) 1033試合(620/115/172/126) 3位:リオネル・メッシ(アルゼンチン) 1003試合(559/102/170/172) 4位:イケル・カシージャス(スペイン) 974試合(585/57/171/161) 5位:ジョアン・モウティーニョ(ポルトガル) 958試合(563/107/142/146) 6位:ズラタン・イブラヒモビッチ(スウェーデン) 948試合(603/72/152/121) 7位:ルカ・モドリッチ(クロアチア) 947試合(569/69/146/162) 8位:遠藤保仁(日本) 941試合(606/117/66/152) 9位:チャビ・エルナンデス(スペイン) 937試合(536/95/174/132) 10位:セルヒオ・ラモス(スペイン) 935試合(534/70/151/180) 11位:アンドレス・イニエスタ(スペイン) 933試合(552/98/152/131) 12位:ロジェリオ・セニ(ブラジル) 904試合(675/71/149/9) 2023.01.12 12:45 Thu4
「不公平」、「八百長」と炎上中の佐藤隆治主審、物議醸した判定に不服のマレーシアサッカー協会が公式の意見書を提出
マレーシアサッカー協会(FAM)は29日、佐藤隆治主審の判定についてASEANサッカー連盟(AFF)に公式の意見書を提出したことを発表した。 問題が起きたのは12月27日に行われたAFFチャンピオンシップ(三菱電機カップ)のグループステージ、グループB第3節のベトナム代表vsマレーシア代表の試合だった。 今シーズン限りでJリーグの主審を引退した佐藤主審。東南アジアの王者を決める大会で主審を務めた中、59分に問題が起こる。 ベトナムがリードした中で迎えたシーンでは、数的不利の中で相手陣地深い位置までボールを追ったベトナム代表のドアン・バン・ハウが、マレーシア代表のアザム・アズミとコンタクト。両者はそのままもつれるようにピッチの外へと転がった。 佐藤主審はしばらく様子をうかがったのちにプレーを止め、副審との協議を経てアザム・アズミにレッドカードを提示。ベトナムにPKを与えた。 この判定にはマレーシア側が激怒。マレーシアの各メディアが佐藤主審をバッシング。またサポーターと思われる人たちからも、「不公平なゲーム」、「八百長」などと声が寄せられた。 判定に納得がいかないFAMは、意見書を公式に提出したと声明を発表している。 「この措置は、FAMの副会長がFAMレフェリー評価委員会の意見を聞いた後に行われたFAMの委員会で決まった」 「その後、試合中のレフェリーの行動と決定に対するFAMの不満を表明する意見書が、今日の午後、AFF事務局長に送られ、更なる行動を取れるようにしました」 なお、ファウルのシーンだけを見れば誤審とも思われるが、ピッチの外に出た後、アザム・アズミがドアン・バン・ハウの顔面を蹴る姿が収められた動画があり、このプレーの判定だと思われる。 報復行為であり乱暴な行為という点で考えれば、レッドカードに相当することは考えられ、その場合は競技規則で定められている通り、今回の場合はPKになることが妥当だ。 その前の時点のファウルを取っていない以上、この判断は妥当とも言えるが、AFFはどのような裁定を下すのか注目を集める。 <span class="paragraph-title">【動画】佐藤主審が担当し物議を醸した、ベトナムvsマレーシアのレッドカードとPK判定シーン</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="in" dir="ltr">AFF Mitsubishi Electric Cup | Kumpulan B<br><br>Vietnam 1-0 Malaysia<br><br>Kad Merah <br><br>Azam Azmi 62'<br><br>Saksikan semua perlawanan AFF Mitsubishi Electric Cup secara langsung hanya di Astro!<a href="https://twitter.com/hashtag/HariHariMauMenang?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#HariHariMauMenang</a><a href="https://twitter.com/hashtag/jomtunjukbelang?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#jomtunjukbelang</a> <a href="https://t.co/LufQORTIgR">pic.twitter.com/LufQORTIgR</a></p>— ASTRO ARENA (@ASTROARENA) <a href="https://twitter.com/ASTROARENA/status/1607737454529843200?ref_src=twsrc%5Etfw">December 27, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <span class="paragraph-title">【動画】物議を醸したPK判定シーン、ピッチサイドからの映像</span> <span data-other-div="movie2"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Close-up of the situation leading to the card and penalty of the Malaysian team <a href="https://twitter.com/hashtag/vietnam?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#vietnam</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/malaysia?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#malaysia</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/ryujisato?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#ryujisato</a> <a href="https://t.co/fPPQka7ReR">pic.twitter.com/fPPQka7ReR</a></p>— ngh (@YuH_aig16) <a href="https://twitter.com/YuH_aig16/status/1607753216275681280?ref_src=twsrc%5Etfw">December 27, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.12.30 23:40 Fri5
