Jリーグの知識は結果を左右するのか!? 編集部員とウッチーが対決!【前編】

2019.01.20 19:30 Sun
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Jリーグをこよなく愛する編集部員と、Jリーグ初心者の新人レポーター・ウッチーがガチでチームを作り、J1の頂点を目指して勝負する企画がスタート。

今回は、スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(以下、『サカつくRTW』)の「Jリーグプロサッカークラブをつくろうモード」(以下、「Jリーグモード」)で対決した。

世界の選手を集めてチームを作っていた「ロード・トゥ・ワールドモード」(以下、「RTWモード」)とは別に、Jリーグの全54クラブと戦える新たなモード。実在するJリーグ選手たちをチームに引き入れ、J1の頂点を目指すモードだが、Jリーグの知識やサッカーへの造詣の深さが結果に影響を与えるのか。リアルを追求する『サカつく』で対決してみた。


◆「Jリーグモード」開幕! 最初の選手獲得から差が出る!

ウッチー:今回、『サカつくRTW』の「Jリーグモード」をやるということだったんですが、実は僕Jリーグを全然観ないので不安なんです

編集部T:ウッチーは、海外サッカーのことは知っているけど、Jリーグは全然だからね。でも、とりあえず好きな選手を集めて行けば良いんじゃない?

ウッチー:そうなんですか?最初にスカウトが連れてきた中から、佐藤寿人を獲ったんですけど…大丈夫ですかね?

編集部T:Jリーグでも得点王を獲ったことあるからね。なんで佐藤寿人にしたの?

ウッチー:得点力が欲しかったのと、名前を知っていたので…

編集部T:いや、名前って! 他の選手も有名でしょ!

ウッチー:まぁ、そうなんですけど…。Tさんは誰にしましたか?

編集部T:俺は、2018シーズン限りで現役を引退したレジェンド・小笠原満男にしたよ

ウッチー:あ、名前知ってます。中盤から補強するんですね

編集部T:やっぱりチームを安定させたいし、「勝利への執念」にあやかりたいからね

ウッチー:そんな能力あるんですか?

編集部T:いや、ないよ。それは本人の特徴だけどね。チームを勝たせてくれるんじゃないかなと思ってね

ウッチー:そうなんですね。そう言えば、僕はもう1人獲りました

編集部T:え?誰?

ウッチー:内野八郎です。

編集部T:内野八郎?

ウッチー:ウッチーにちなんで「ウチ」が名前に入る選手を集めて、J1制覇を目指して行きたいと思いまして

編集部T:なるほど…ウチ、ウチ…色々いるけど11人集まるのかなぁ?


◆J3初挑戦! しかし、戦い方が全然違う!

編集部T:ウッチーは、どんな感じでJ3の1年目を戦ったの?

ウッチー:僕は「Deck」が4つ作れたので、スタメンやフォーメーションを固定せずに4パターン作りました。対戦相手の戦術に対して、有利になる戦術のデッキを毎回選んでましたね

編集部T:おぉ…意外。じゃあチームを固定しないで、対戦相手に常に合わせたんだね

ウッチー:そうですね。Jリーグは全然わからないので、とりあえず相手に合わせることにしました。Tさんはどうしたんですか?

編集部T:俺は、最初に獲得した小笠原と最初からチームにいたラゴス武威を中心としたチームにして、監督のフォーメーションコンボを優先してメンバーを決めたよ

ウッチー:「Deck」は使ってないんですか?

編集部T:鈴原哲也監督が得意とする[3-4-3]の中央突破で「センターアタック強化」を発動させるようにしてたよ

ウッチー:そんなのあるんですか?

編集部T:え?知らないの?フォーメーションコンボは結構重要な要素で、チームの能力を上げてくれるから序盤は重宝するよ

ウッチー:あ…僕、それ後になって気づきました…

編集部T:ザンネン。でも、小笠原が使いたかったから、フォーメーションコンボは結局無視しちゃったけどね。「ウチ」のつく選手は補強できたの?

ウッチー:それがですね…序盤に結構苦戦しちゃったので、GBを使って良いスカウトを雇って、何も考えずにレアリティの高い選手を軒並み補強しちゃいました

編集部T:コンセプトがいきなり崩れてる…

ウッチー:勝てなかったので(笑)。クリスティアーノ、オルンガ、ナバウト、パウロンとか外国人を獲りました

編集部T:しかも力業!早いね(笑)

ウッチー:選手がちょっと良く分からないので…Tさんは誰か獲ったんですか?

編集部T:とりあえずセンターラインが重要なので、1トップにはJ2で勝負強さを見せてギラヴァンツ北九州で得点を量産している原一樹、GKにヴァンフォーレ甲府の守護神・河田晃兵を補強したよ

ウッチー:ちょっと、情報が多すぎてついていけません

編集部T:あとは、試合に勝ってミッションを達成して、「RTWモード」から元日本代表で横浜F・マリノスの中澤佑二をレンタルで獲得したよ

ウッチー:あ、ボンバーですね。知ってます

編集部T:小笠原と共に中澤も長いことJリーグ、日本代表を支えてきたけど2018シーズンで引退。彼らを使って、J1の頂点を目指そうと決めたよ

ウッチー:それ、いいっすねー。僕はコンセプトが崩壊しちゃいました

編集部T:コンセプトを崩したのはウッチーでしょ。補強してどうなったの?

ウッチー:選手が成長するにつれて徐々に試合に勝てるようになりました。後半戦は連勝もできまして、1年目はJ3を2位で終えてJ2に昇格しました! Tさんは?

編集部T:俺はセンターラインの他にも選手を補強して、10月ぐらいにJ3優勝が決定したよ。補強が大当たりして、原一樹が20試合20得点でMVPと得点王。初期選手の勝田武治がアシスト王になったね。ベストイレブンにも何人か選ばれていたよ

ウッチー:すごい…ちゃんと考えてやると優勝できるんですね。2位で褒められると思ったのに…

【ウッチー1年目】
最終順位:J3・2位 (15勝5分け8負)勝ち点50

【編集部T1年目】
最終順位:J3・優勝 (19勝3分け6負)勝ち点60


◆ウッチーがさらに力業! しかし、J2初挑戦は苦戦続き…

編集部T:2人とも1年目でJ2昇格を決めたわけだけど、ウッチーはJ2初挑戦はどうだった?

ウッチー:前半戦は終始ボコボコにされました。『サカつく』って難しいなぁと思ったんですが、また補強しちゃったんですよ

編集部T:まぁ、『サカつく』はそういった難しいところが醍醐味でもあるけどね。で、誰を補強したの?

ウッチー:僕も「RTWモード」からレンタル選手を獲得しました。なんと、コウチーニョです!!

編集部T:本格的な力業じゃん。しかも、コウチーニョとは。流行のバルサ化に便乗したの?

ウッチー:そういったわけではなくて…コ“ウチ”ーニョですからね…

編集部T:え!? それありなの? 「ウチ」って「内」じゃなかったの!?

ウッチー:すいません(笑)。あと、櫻内渚もレンタルで獲りました。あと、倉田秋をスカウトで獲得して、コウチーニョ中心の攻撃的なチーム作りが始まりました。Tさんはどうですか?

編集部T:俺は1年目のメンバーを継続したんだけど、やっぱり選手の能力とチーム力の差がありすぎて、大苦戦。Jリーガーを少しずつ補強していって、残留争いを続ける感じだったかな

ウッチー:大型補強はしてないんですか?

編集部T:大型補強はしてないね。チームの成熟を進めたけど、限界があった感じかな。だから、次のシーズンを見据えて、監督交代に合わせた選手を補強していったよ

ウッチー:監督交代!僕、J3の時にすぐ監督手に入れて代えちゃいましたし、J2でもすぐに代えちゃいました(笑)

編集部T:コンセプトなしのノープラン!! まぁ、らしいっちゃ、らしいよね。俺はカウンターと3バックを継続していく路線にしつつ、[3-6-1]に変えるために選手に経験を積ませながらシーズンを進めて、10月ぐらいに監督を交代させたよ

ウッチー:めちゃくちゃ計算してやってるんですね…

編集部T:『サカつく』とはそういうものだからね。リアルなサッカーを考えながらやっている感じだよ。結局17位で終わったけど、2年目のJ2に向けた準備をした感じかな

ウッチー:僕は13位でした。でも、計算が足りず、次のシーズンに向けて、また大きな補強をしちゃいました

【ウッチー2年目】
最終順位:J2・13位(19勝6分け17負)勝ち点63

【編集部T2年目】
最終順位:J2・17位(10勝7分け25負)勝ち点37


◆ウッチーは迷走、編集部Tは着実に成長

編集部T:また補強?どうせコンセプトは無視してるんでしょ?

ウッチー:それは置いておいて、守備が弱いと思ったので、三竿健斗、中村航輔、福田晃斗、闘莉王といったディフェンスの選手を補強しました

編集部T:日本代表クラスが勢揃い! しかも、コウチーニョが居るんでしょ? じゃあ、結構いいとこまで行ったんじゃ?

ウッチー:それが、補強の甲斐なく14位でした。前のシーズンより1つ順位を下げてしまったんです

編集部T:おぉ…補強したのに、結果に繋がらなかったと

ウッチー:しかも、後先考えずに☆5、☆4の選手を大量に獲得したツケが回り、シーズンの終わりに年俸が払えなくなりました。結局、スタメン以外の選手を大量放出するハメになりました

編集部T:『サカつく』のビギナーがやりがちなやつだ。資金不足に陥って立ちいかなくなるやつだね

ウッチー:はい。もっと勝てると思っていたんですが、投資に失敗しました。強い選手を集めるだけじゃ勝てないんだなと、カベにぶち当たりました

編集部T:ゲームではあるけど、『サカつく』はリアルさを追求しているからね。それが『サカつくRTW』でも再現されていることはかなり熱いけどね

ウッチー:Tさんは2年目のJ2はどうだったんですか?さすがに補強しましたよね?

編集部T:2年目のJ2に向けて監督とシステムを代えて、選手もそれに合わせて補強したよ。日本代表にも呼ばれていた守田英正とか、鹿島アントラーズの遠藤康、あとは、J屈指の点取り屋である大黒将志とかね。あと、これまた2018シーズンで現役を引退した川口能活も迎えて、スタメンは全員Jリーガーだ

ウッチー:川口さん出たんですか!?ベテランを上手く使っている印象が…何位でした?

編集部T:17位から大きく飛躍して、8位で2年目のJ2を終えたよ。そして、その先に向けても徐々に動き出したね

ウッチー:え!? また先を見据えて動いたんですか?

編集部T:やっぱり、ちょっとずつ変化していかないと、チームは強くならないからね

ウッチー:ということは、3年目のJ2でJ1昇格を…?

編集部T:その話は、また次回にしよう。選手を大量放出したウッチーの話も気になるからね

ウッチー:いや、この先はもう……

【ウッチー3年目】
最終順位:J2・14位(16勝7分け19負)勝ち点55

【編集部T3年目】
最終順位:J2・8位(21勝6分け15負)勝ち点69



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世界最高の選手とは…DFでただ1人バロンドールを2度受賞した“皇帝”フランツ・ベッケンバウアー

いつの時代であっても、“最高のサッカー選手”というのはファンの間で話題になる。 一番ゴールを決めた選手なのか、最もテクニックがある選手なのか、それともタイトルを一番獲っている選手なのか。見る人1人1人の好みもあり、“最高”という言葉で括るには基準がたくさんありすぎる状況だ。 そんな中、1956年にフランスのサッカー専門誌『フランス・フットボール』によって創設されたのが、世界の年間最優秀選手に送られる“バロンドール”だ。 11月29日には2021年の受賞者が発表され、パリ・サンジェルマン(PSG)のアルゼンチン代表FWリオネル・メッシが受賞した。史上最多の7度目、2位のポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(マンチェスター・ユナイテッド)の5回に2つ差をつけることとなった。 この選出には、多くの意見が噴出。2位に終わったバイエルンのポーランド代表FWロベルト・レヴァンドフスキがふさわしいという声が多く、事前の予想でもレヴァンドフスキが受賞するという声も多かったが、メッシへと手渡され、レヴァンドフスキは新設された「ストライカー・オブ・ザ・イヤー」を受賞することとなった。 <span class="paragraph-title">◆攻撃的な選手が有利な傾向</span> 創設当初から、“バロンドール”の受賞対象は欧州の国籍を持つ選手のみだった。投票も欧州の52カ国の記者によって行われていた。 その後1995年には、欧州クラブに在籍している選手が対象となり、国籍は問われないことに。さらに2007年からは、全世界でプレーするサッカー選手に拡大されることとなり、投票権を持つ記者も欧州以外に広がることとなった。 そのバロンドールだが、最多受賞のメッシ、2番目に受賞しているC・ロナウドのように攻撃の選手が受賞する傾向が強い。1956年から、新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で選考されなかった2020年を除いて今年で65回目となった“バロンドール”だが、GKとDFの選手が受賞したのは、たったの4回しかない。明確な数字で成績を残せないため、評価がされにくいということが多い。 その中で、初めてDFとして受賞し、守備的な選手として唯一2度の“バロンドール”を受賞しているのが、元西ドイツ代表のフランツ・ベッケンバウアーだ。 <span class="paragraph-title">◆“皇帝”と呼ばれたレジェンド</span> ベッケンバウアーはミュンヘン出身で、バイエルンの下部組織で育ち、1964年から1977年までバイエルンでプレーした。 背筋をピンと伸ばして視野を広く取り、常に冷静な判断力を武器にピッチ上で試合をコントロール。ディフェンスラインをしっかりと統率するキャプテンとして活躍したベッケンバウアーだが、元はストライカーやウインガーとしてプレーしていた。 若くしてその素質を見出された一方で、フィジカル面の弱さが指摘されることも多く、鍛えることをズラトコ・チャイコフスキー監督に指示された。実力のある若手である一方で、将来を心配しての指導だったが、この指導が大きくキャリアを変えることに。プロデビューはウインガーだったが、徐々にポジションを後ろに下げていくこととなった。 最終的にベッケンバウアーは“リベロ”というポジションを確立。攻撃に積極的に参加するという、自身の本質を生かしながら、守備を統率し、優れたストライカーたちを抑えるという役割を務めていた。ユーティリティ性を兼ね備えていたことに加え、強いキャプテンシーも発揮していたこともあり、ベッケンバウアーありきのバイエルンは「FCベッケンバウアー」とも呼ばれるほどだった。 そのバイエルンでは名誉会長を務めているベッケンバウアーだが、初めてバロンドールを受賞したのは1972年だった。 この頃バイエルンは、ブンデスリーガで3連覇をする一方で、チャンピオンズカップ(現:チャンピオンズリーグ)も3連覇。西ドイツ代表としても1972年のユーロと1974年のワールドカップを制しており、ベッケンバウアーはどちらも中心選手として活躍。1974年、1975年は2位に、そして1976年に2度目の受賞となった。 <span class="paragraph-title">◆ベッケンバウアーですら悩んだ受賞</span> サッカー界を代表するレジェンドでもあり、一時代を築くだけでなく、“リベロ”というシステムの概念を変えてしまったほどのベッケンバウアーだが、それでも“バロンドール”には悩んでいた。 それは1974年。ベッケンバウアーが2位に終わった年だが、この年の受賞者はアヤックスで活躍し、ベッケンバウアーと同世代のFWヨハン・クライフだった。 クライフは説明するまでもないが、言わずと知れたサッカー界の指折りのレジェンドの1人。その卓越したテクニックやプレースタイルから「空飛ぶオランダ人(フライング・ダッチマン)」も呼ばれていた。 一方、ベッケンバウアーは1974年に西ドイツ代表のキャプテンとしてワールドカップを優勝。バイエルンのキャプテンとしてチャンピオンズカップを優勝していた。しかし、受賞したのはクライフ。2人の得票数の差は「11」となっていたため、僅差であることに違いないが、クライフが選ばれることとなった。 「私はこれ以上何をすればいいんだ」と当時嘆いていたベッケンバウアー。世界最高の選手とは一体なんなのか。ベッケンバウアーですらその悩みを抱えていただけに、その答えは見つかりそうもない。 <div id="cws_ad"><hr>西ドイツ代表でも活躍し、バイエルンのレジェンドとしてもしられ、DFとして2度のバロンドールを受賞しているベッケンバウアーが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せた卓越したプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href="https://ryan.onelink.me/C7cD?pid=worldsoccer2110&c=worldsoccer2110&is_retargeting=true&af_inactivity_window=3d&af_dp=ryan.app%3A%2F%2F&af_web_dp=http%3A%2F%2Fsakatsuku-rtw.sega.com%2F" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20211215.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> <span class="paragraph-title">【動画】これがセンターバック!? ベッケンバウアーの圧巻ゴール集</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJQRkFmM2dQUyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD?pid=worldsoccer2110&c=worldsoccer2110&is_retargeting=true&af_inactivity_window=3d&af_dp=ryan.app%3A%2F%2F&af_web_dp=http%3A%2F%2Fsakatsuku-rtw.sega.com%2F" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20211215.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2021.12.15 21:30 Wed
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相手が恐れる右手…ストライカーの完成形と呼ばれた男、アラン・シアラー

サッカーの試合で最もボルテージが上がる瞬間と言っても良いのがゴールシーン。どのカテゴリーの試合でも、間違いなく観る者、そしてプレーする選手のテンションを上げる場面だ。 そのゴールシーンでは、各選手が特徴的なゴールパフォーマンスを見せ、ゴールを多く決める選手ほど、その代名詞とも言えるパフォーマンスを持っている。 現代サッカー界で最も広く知られているのは、マンチェスター・ユナイテッドのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドが見せるポーズだろうか。ゴールを決めた勢いのまま走り出すと、コーナーフラッグでジャンプし反転。「Siiiii!(イエース!)」と絶叫し、両手を広げながら着地する仁王立ちパフォーマンスは知られたものだろう。観客もパフォーマンスに合わせて「Siiiii!」というものだ。 その他にもゴールパフォーマンスを見せる選手は多く、バク宙をする選手や勢いをつけてヒザで滑るもの、ハートを手で作ったり、古くは指輪にキスをするなど様々。世のサッカー少年は、好きな選手のパフォーマンスを真似するのに必死なはずだ。 そのゴールパフォーマンスだが、右手を高く掲げるゴールパフォーマンスを見たことはあるだろうか。シンプルなパフォーマンスだが、対戦相手にとっては悪夢とも言えるこのポーズは、かつてイングランド代表のエースであったアラン・シアラーのものだ。 <span class="paragraph-title">◆商標登録されるパフォーマンス</span> 特段目立つパフォーマンスでもなく、むしろ地味でシンプルなものだが、ことシアラーの右手を掲げるパフォーマンスは誇り高きパフォーマンスとして愛されている。 このパフォーマンスは商標登録されるほど。もちろん、パフォーマンスをすることが他の選手に禁じられているわけではなく、シアラーが右手を高く掲げるこのパフォーマンスの写真等を使用した商品は、10%がチャリティに寄付されるというものだ。 それだけこのパフォーマンスの価値が高いということを示しており、イングランドにとって重要なパフォーマンスであることが知れるところ。プレミアリーグにおける最多得点記録保持者ということでも、どれほど多くの回数右手が掲げられたかがわかるだろう。 ニューカッスル出身のシアラーは、サウサンプトンの下部組織で育ち、1988年にアーセナル戦でプロデビューを果たす。 そのデビュー戦では、まさかのハットトリック達成。2点ビハインドから3点を奪い、チームに勝利をもたらせたことで一気に注目を集めることに。シアラーが17歳で成し遂げたことだった。 当時はプレミアリーグ発足前、ファーストディビジョンとして行われたリーグだが、1992-93シーズンに開幕したプレミアリーグで、一気にシアラーの得点力が花開くことに。スコアラーとしての地位を確立していくこととなる。 <span class="paragraph-title">◆大舞台で輝くストライカー</span> そのシアラーがイングランド代表としてデビューを果たしたのは1992年2月。フランス代表とのフレンドリーマッチだった。 フランスはエリック・カントナやジャン=ピエール・パパン、ディディエ・デシャンなど、往年のスター選手が出場していた中、シアラーは2トップで先発出場。43分に先制ゴールを記録し、こちらもデビュー戦ゴール。プロデビューに続いて、デビュー戦でいきなりゴールを決めるという勝負強さを見せる。 当時のエースは、後に名古屋グランパスに加入し、Jリーグでもプレーするギャリー・リネカー氏が務めていたが、新たなエース誕生という期待がシアラー氏にかけられていく。しかし、所属クラブとは裏腹に、イングランド代表ではシアラー氏は思うようにゴールを決められない。 シアラー氏がイングランド代表として最も輝いたのは、1996年に行われたユーロ。初戦のスイス代表戦でゴールを決めると、スコットランド代表戦で1ゴール、オランダ代表戦で2ゴールと3試合連続ゴールを記録。準決勝のドイツ代表戦でも1ゴールを決め、大会通算5ゴールで得点王に。チームはベスト4で終わったが、初めてイングランド代表でもその得点力を披露することとなった。 なお、ユーロ初戦でゴールを決めるまで、20試合ゴールを決めていないことも大きな話題となったが、大舞台での活躍で信頼を取り戻す。 その後も、日本代表が初めて出場した1998年のフランス・ワールドカップ(W杯)に向けた欧州予選ではゴールを量産。無事に出場権を獲得すると、本大会でも2ゴールを記録した。 シアラーは2000年のユーロにも出場し、2ゴールを記録。ユーロ予選も含めてゴールを決めた一方で、フレンドリーマッチではほとんどゴールを決めないという不思議な現象もあり、代表通算63試合で30ゴールという成績に。歴代8位という意外な数字で終わっているが、決めなければいけない試合でのゴールをしっかり決める勝負強さを発揮した。 <span class="paragraph-title">◆ストライカーの完成形</span> イングランド代表としては大きな輝きを放てなかったシアラーだが、クラブレベルでの活躍は素晴しいものだった。 プレミアリーグが発足した1992-93シーズンにブラックバーンへと移籍したシアラーは、21試合で16ゴール4アシストを記録。ケガなどもあり満足いく数字を残せなかったが、1993-94シーズンは40試合で31ゴール4アシストと得点を倍増させる。 さらに1994-95シーズンは42試合で34ゴール13アシストとアシスト数も増加。元イングランド代表FWクリス・サットンとのSASコンビでプレミアリーグ得点王に輝くと、チームを優勝に導くことに。ビッグ6と呼ばれるクラブ以外では、“奇跡の優勝”と言われた2015-16シーズンのレスター・シティと共にチャンピオンとして名を残している状況だ。 なお1995-96シーズンは35試合で31ゴール、ニューカッスルへと移籍した1996-97シーズンは31試合で25ゴールを記録し3年連続得点王に輝いていた。 当然その得点力にはビッグクラブが目をつけており、マンチェスター・ユナイテッドやバルセロナなどが獲得に動いたが、自身が愛する地元のクラブであるニューカッスルから離れることはなく、キャリアの終了までプレーした。 シアラーの特徴は、183cmと際立って大柄ではないものの、空中戦にめっぽう強く、ヘディングの技術は卓越したものがあり、多くのゴールにつなげた。 さらにシュートレンジも広く、様々なゴールパターンを持っていることからも、完成されたストライカーの1人として認識され、キャリアの晩年になってもゴールを決め続け、積み上げたプレミアリーグでのゴールは「260」。2位のウェイン・ルーニーが「208」と遠く及んでない。 そのシアラーの記録を抜く可能性を持っているのが、現在のイングランド代表のエースであるトッテナムのハリー・ケインと言われている。現時点で「167」ゴールを記録しており、記録までおよそ100ゴール。28歳のケインがプレミアリーグでプレーを続ければ間違いなく達成されるだろうが、イングランド人FWにとっての目指すべき姿として、今なお愛され続けている。 <div id="cws_ad"><hr>イングランド代表でも活躍し、ニューカッスルのレジェンドとしてプレミアリーグ歴代最多ゴール数を誇るシアラーが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>イングランド代表としてプレーしたDFソル・キャンベル、FWマイケル・オーウェンと共に現役時代に魅せたゴールが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。</div> <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD?pid=worldsoccer2110&c=worldsoccer2110&is_retargeting=true&af_inactivity_window=3d&af_dp=ryan.app%3A%2F%2F&af_web_dp=http%3A%2F%2Fsakatsuku-rtw.sega.com%2F" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20211027.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> <span class="paragraph-title">【動画】伝説のストライカー、シアラーのイングランド代表での技ありゴール集!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">A huge congratulations to former <a href="https://twitter.com/hashtag/ThreeLions?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#ThreeLions</a> man <a href="https://twitter.com/alanshearer?ref_src=twsrc%5Etfw">@alanshearer</a> on becoming one of the first inductees into the <a href="https://twitter.com/premierleague?ref_src=twsrc%5Etfw">@premierleague</a> Hall of Fame! <a href="https://t.co/FpxSU7B2cK">pic.twitter.com/FpxSU7B2cK</a></p>&mdash; England (@England) <a href="https://twitter.com/England/status/1386592090247860224?ref_src=twsrc%5Etfw">April 26, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJzUmR6VnJiMiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.10.27 20:00 Wed
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史上最高“究極”のオールラウンダー、フランク・ランパード

サッカーにおいての花形ポジションとされるのは、やはりストライカー。チームを勝利に導くその姿に憧れる子供は少なくなく、幼少期には誰もがゴールを奪いたい気持ちでプレーしたはずだ。 プロの世界になれば、それぞれのポジションにスペシャリストがおり、子供たちの憧れの的になる選手は様々。それでも、やはり目に見える結果が残せるFWの人気は高いだろう。 どの時代においても、わかりやすくスターになれるストライカーたち。しかし、FWでプレーしない選手でも数多くのゴールを決められることを証明した究極の選手がいる。それが、元イングランド代表のフランク・ランパードだ。 <span class="paragraph-title">◆IQ150以上の天才MF</span> ランパードのイメージは、やはりチェルシーだろう。2001年から2014年まで在籍し、中盤に君臨。ほとんどの試合でプレーする姿は、“鉄人”と呼ばれていた。 また、“ランプス”と呼ばれて愛されたランパードは、ロマン・アブラモビッチ氏がクラブを買収し、ジョゼ・モウリーニョ監督を迎えて急激に力をつけたチームにおいて、軸となって支えた1人として記憶に残っていることだろう。ランパード無くして、チェルシーの飛躍はなかったと言っても過言ではない。 しかし、ランパードのルーツは同じロンドンでもウェストハムにある。父は元イングランド代表DFのフランク・ランパード・シニア、伯父には監督として多くのクラブを率いたハリー・レドナップ氏を持ち、サッカー一家で育つ。 家庭は裕福であり、ランパードは運動能力に長けるだけでなく、学力も優れており、IQは150を超える天才。育ちもよく、恵まれた環境で能力も高いという、正にエリート街道を歩む選手だった。 そのランパードがプロ生活を始めたのがウェストハム。頭角を現し、イングランド代表としてもプレーする一方で、伯父が監督、父がコーチを務めていたことで、結果が出なければ非難を浴びることも多々あった。 また、イングランド代表にも早くに選ばれながら、なかなかブレイクせず。その流れもあり、環境変化を求めて移籍したチェルシーで、チームに欠かせない選手に一気に成長。クラブ、そしてイングランド代表にとっての柱となった。 <span class="paragraph-title">◆チェルシーと共に花開く</span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiI2T0tmR0VNTiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> キャリアを始めたウェストハムでも高い能力が認められていたランパード。世代別のイングランド代表に選ばれると、1999年10月10日にイングランド代表デビューを果たす。 しかし、ランパードの代表でのキャリアは順調にはいかない。デビュー後は、出番どころか招集もされず。2001年に入り再び代表に招集されるようになり、日韓ワールドカップ(W杯)の前にはコンスタントに招集を受けるが、最終的にはW杯出場を逃すことに。その後も、しばらく代表からは外れていった。 ランパードがイングランド代表に定着したのは2003年5月以降。チェルシーに移籍して2シーズン目の終わり頃。チームとしても変革を遂げる少し前にポジションを掴んでいく。 そのランパードは定着を果たすと、ユーロ2004ではレギュラーとしてプレー。大会3ゴールを挙げて、ベスト11に選ばれることに。その後のドイツW杯予選では5ゴールを挙げるなど、イングランド代表のW杯出場に大きく貢献する。 その頃、チェルシーはモウリーニョ監督の下でプレミアリーグ制覇を達成し、ランパードとしても乗っている時期と重なっている。 イングランド代表としては2010年の南アフリカW杯、2014年のブラジルW杯にも出場。その後に引退を表明しているが、106試合で29ゴールを記録。歴代10位のゴール記録であり、攻撃的なポジションではない選手では最もゴールを決めている選手となっている。 <span class="paragraph-title">◆類稀なる得点力を備えたオールラウンダー</span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJvM2hRUGZHcyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> そのランパードは、チェルシーでも当然輝きを放つ。2005年にはバロンドール、FIFA最優秀選手ともに全体の2位という栄誉を得る。なお、どちらも元ブラジル代表MFロナウジーニョが1位だった。 またクオリティの高いプレーもさることながら、愛称の“鉄人”が示す通り、プレミアリーグでは164試合連続出場記録を樹立。それまでは元イングランド代表GKデイビッド・ジェームズが保持していた記録であり、フィールドプレーヤーが達成するのは異例だった。 その後もチェルシーの中心選手として君臨し続けたランパード。プレミアリーグで3回、FAカップで4回、EFLカップで2回と国内で9つのタイトルを獲得。さらに、チャンピオンズリーグとヨーロッパリーグを1度ずつ制しており、クラブの黄金期を支えた。 それはタイトルのみならず、個人の成績でも大きく貢献。公式戦通算648試合に出場し211ゴール150アシストという大記録を樹立。出場数は同時期にプレーした生え抜きのDFジョン・テリーに次ぐ2位、ゴール数は名だたる名FWを差し置いてダントツの1位となっており、まさにクラブのレジェンドそのものとなっている。 しかし、成績とは裏腹に、あまり目立たないのがランパードの真骨頂と言えるだろう。同時期に同ポジションを争ったリバプールのMFスティーブン・ジェラードはスター選手として早くから扱われており、リバプールというクラブに出てきた期待の若手というのが大きな要因といえる。 一方で、選手としての能力だけで見れば、ランパードの方が優れているという声も多く、なんでもこなせるハイスペックなオールラウンダーとして評価。得点力、アシスト、さらには中盤でのタイトな守備や泥臭いプレーなど、全てにおいて高い能力を誇り、さらにはケガをほとんどしないことで愛されていた。 <div id="cws_ad"><hr>イングランド代表でも活躍し、チェルシーのレジェンドとして歴代最多ゴール数を誇るランパードが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>盟友のDFジョン・テリーやMFスティーブン・ジェラードと共に現役時代に魅せたゴールが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。</div> <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD?pid=worldsoccer2110&c=worldsoccer2110&is_retargeting=true&af_inactivity_window=3d&af_dp=ryan.app%3A%2F%2F&af_web_dp=http%3A%2F%2Fsakatsuku-rtw.sega.com%2F" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20211013.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2021.10.13 20:00 Wed
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