レフェリーブリーフィング/六川亨の日本サッカーの歩み

2018.12.18 13:00 Tue
©超ワールドサッカー
▽12月17日、今年最後で第6回目となるレフェリーブリーフィングが開催された。6週間ぶりの開催となったが、この間にJ1、J2、J3の各リーグとルヴァン杯で試合後に意見交換の対象になったプレーは340シーンあり、判定が間違いだったことは92シーン、率にして32%だったことが判明した。

▽サッカーは、一度下った判定は、例えそれがミスジャッジでも覆ることはない。とはいえ、結果に重大な影響を及ぼしたミスジャッジが2件あったことが報告された。
▽まずは明治安田生命J1リーグの第34節、名古屋グランパス対湘南ベルマーレ戦である。結果は2-2のドローに終わり、勝点を分け合うことで名古屋と湘南は勝点41で並び、同勝点のジュビロ磐田が得失点差でプレーオフに回った。

▽名古屋は0-2のビハインドからジョーのPK2発で同点に追いついた。まず66分にジョーが倒されたように見えて主審は「後ろの選手が押し倒した」と判断してPKを取った。しかしVTRで確認したところ、「背後の選手は強く押していない。クロスボールも高く、選手はコントロールできない」(上川インストラクター)として、両クラブには「反則ではない」と伝えたことを明かした。

▽このゴールにより名古屋は反撃に出て、75分にジョーのPKから同点に追いついたが、1点目が消えていたら名古屋が同点に追いついていたのかどうか、疑問の残るところである。もしも1-2で試合が終了したら、名古屋がプレーオフに回ったことになる。結果的に磐田はプレーオフを制してJ1残留を果たしたが、これはきわめてデリケートな判定だったと言えるだろう。
▽そしてもう1件は、世界的にも話題になったJ1第33節の清水エスパルス対ヴィッセル神戸戦におけるAT(アディショナルタイム)18分の椿事である。すでにネット当で上川氏は状況説明をしているが、改めて当時の状況を再現しよう。

▽試合は神戸が3-2とリードして後半アディショナルタイム4分に突入した。この場合、アディショナルタイムは「4分から4分59秒まで」(上川氏)というのが通例だと言う。ところが残り10秒足らずで空中戦の激突により清水の選手が倒れた。

▽主審は「ボールにプレーしたので反則ではない」と判断してプレーオンとしたが、その後プレーを中断して治療に当たらせた。治療時間は4分20秒だったが、その時間を主審はATに加算し、選手と副審にもその旨を伝えたところ、第1副審以外は納得してしまった。疑義を呈した第1副審の声はスルーされてしまった。

▽本来なら清水の選手の治療後、プレー再開となった「AT4分50秒くらいで終わらせる試合」(上川氏)を、さらに空中戦でポドルスキーのファウルにより中断して治療に3分近く要し、これも主審はATに追加。さらに神戸FWウェリントンの騒動でトータルして11分30秒ほど試合は止まった。

▽その結果、「ランニングタイムとして98分くらいで試合終了とすべきだった」(上川氏)試合が19分も長引いたというわけだ。

▽小川審判委員長は「正当に終わっていれば、神戸が3-2で勝ち、警告も負傷もなかった。このレベルにあるレフェリーは正しくやらないといけない。本来なら終わっている試合を終わらせられなかった。こうしたことは起こしてはいけない」と苦言を呈した。

▽結果的に清水戦のドローによりJ1残留を決めた格好の神戸だが、禍根を残したことは間違いない。それを主審のミスジャッジであることを認めた審判委員会のレフェリーブリーフィングでもあった。

▽過去にこうした例は一度もないと上川、小川の両氏が話したように希有な例でもある。それを包み隠さず公表する審判委員会の姿勢を今回も評価したいと思うので、紹介させていただいた次第である。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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Jリーグがサウジアラビアリーグとパートナーシップ協定/六川亨の日本サッカーの歩み

Jリーグは5月21日に第5回の理事会会見と、23年度のクラブ経営情報の開示を行った。理事会会見で注目したいのは、Jリーグとサウジアラビアのプロフットボールリーグ(SPL)が戦略的パートナーシップ協定を5月20日から25年12月31日まで結んだことだ。 「具体的な内容はこれから詰める」ものの、「フットボール水準の向上を目的とした人材交流」、「両リーグの成長と発展を目的としたワークショップ、ビジネスカンファレンスの開催、育成などに関する情報共有等」、「交流イベント、親善試合などを通じた国際交流」などが予定されている。 ただ、これまでJリーグはタイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、シンガポール、インドネシア、マレーシアのプロリーグと協定を結んでおり、各国リーグの国籍を有する選手は試合エントリー時に外国籍選手ではないものと見なしてきた。東南アジアのレベルアップを図りつつ、ビジネスチャンスの拡大ととらえていたからでもある。 しかしサウジアラビアの国籍を有する選手はこれに該当しない。そもそも高給取りのサウジアラビアの選手がJリーグに来ることは考えづらいし、Jリーグの日本人選手やブラジル人選手を引き抜くことはあっても逆はまずないからだ。 そして今回の協定の一番の目的は、中東の盟主であるサウジアラビアとの関係強化に他ならないだろう。ご存知のようにサウジアラビアは2年後のU-23アジアカップ2026と、3年後の27年アジアカップ2027の開催が決定している(いずれも初の開催となる)。 これまでUAEやカタールはアジアカップを複数回、開催してきた。サウジアラビアがこれまで開催に手を挙げなかったのは、基準を満たすスタジアムがないからだった。ところがサウジアラビアは、27年のアジアカップだけでなく、34年のW杯開催にも立候補した。日本サッカー協会も23年10月19日の理事会で、34年W杯を招致しているサウジアラビアを支持すると表明した。 34年のW杯は日本も開催に名乗りをあげる予定だった。しかし34年のW杯では8万人以上収容のメインスタジアムの他に6万人収容が2つ、4万人収容のスタジアムも複数必要という条件があり、今年7月までに政府保証(日本の場合は閣議決定)と合わせて書類を提出する必要があった。 FIFA理事も務める田嶋幸三JFA名誉会長は「もう少し準備の時間があると思っていたが、あまりにも短く間に合わないと判断。ベースとなる基本のもの(スタジアム)がないため諦めざるをえない。時間をかけて環境整備を進めたい。機会はもう1回ある。今回はサウジ支持が一番近道になる」と2050年までに再びW杯を単独で開催するという目標に期待を込めた。 こうしたJFAとの思惑とも相まって、Jリーグはサウジアラビアとの戦略的パートナーシップ協定を結んだことは想像に難くない。過去にはクラブW杯のホストカントリーを務めた。来年スタートする新たなクラブW杯はアメリカで開催されるが、4年に1回の大会とはいえサウジアラビアが開催国に名乗りをあげる可能性は高いだろう。情報の収集や、親善試合への招待でビジネス面での効果も期待できそうな協定と言える。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2024.05.22 10:30 Wed

ディエゴ・オリヴェイラの変化で生まれ変わったFC東京/六川亨の日本サッカーの歩み

昨日カシマスタジアムで行われた鹿島対東京V戦、後半5分に右CKからCB植田直通がヘッドで3点目を突き刺し3-0とした時点で勝負は決まったかと思った。多くのチームがカシマスタジアムを“鬼門”としているし、東京Vの選手にとっては初めてプレーする選手も多かったからだ。 ところがここから東京Vの反撃が始まった。今シーズンの東京Vは、後半アディショナルタイムに劇的なゴールを決めることもあれば決められることもあった。そしてこの日は前者のパターン。まず後半24分に途中出場のMF齋藤功佑が1点を返すと、36分にはファーサイドで詰めたFW木村勇大が押し込んで1点差に詰め寄る。交代出場のSB翁長聖のクロスも効果的だった。 そして後半アディショナルタイム45+3分、翁長のFKをCB谷口栄斗が頭で落とすと木村がシュート。これは当たり損ねだったものの、走り込んだMF見木友哉が押し込んでついに3-3の同点に追いついた。今シーズン4得点のFW染野唯月とCB林尚輝が鹿島からのレンタル移籍のため出場できないというハンデをものともせずに演じた同点劇。城福浩監督も「辛抱強くボールを回し、崩して点を取る。鹿島から勝点1を取れたのは自信になる」と選手を称えた。 これで東京Vは10戦負けなし。引分けは8と多いものの、「勝点2を失った」というよりは「勝点1を積み重ねている」と前向きにとらえるべきだろう。なぜなら確実に順位を上げており、勝点3を獲得すれば大きく順位を上げることもできるからだ。 今シーズンは昇格組の町田がクローズアップされているが、「負けない」東京Vもダークホース的な存在になってくるかもしれない。 土曜日のJ1は同じく3-3で引分けたFC東京対柏戦を取材した。前半でMF松木玖生のスーパーボレーが決まり3-1と逆転したFC東京だったが、前半アディショナルタイム45+2分にGK波多野豪がFW細谷真大を倒して退場処分となったことが後半に響き、同点に追いつかれてしまった。 ただ、ケガから復帰したFWディエゴ・オリヴェイラが4試合連続ゴールを決めただけでなく、彼の加入により攻撃に連動性が生まれたことの方が驚きだった。昨シーズンまでのディエゴ・オリヴェイラは、ボールを持つと強引なドリブル突破を仕掛けていた。それでフィニッシュまで持ち込めればいいが、2~3人がかりのマークにストップされることも多かった。 彼やアダイウトンがボールを持つと相手にとって脅威だが、チームとしての攻撃は陰を潜めていた。 ところが今シーズンは、ワンタッチでの落としが飛躍的に増えた。トップ下の仲川輝人や松木、右サイドではSB白井康介がフォローしていることも大きいが、加えて右サイドは白井、FW安斎颯馬、MF高宇洋、左サイドはSBバングーナガンデ佳史扶、松木、FW俵積田晃太のトライアングルが1~2タッチでパスをつないで柏のサイドを切り崩していた。 昨シーズン途中に就任したピーター・クラモフスキー監督だったが、「攻撃の推進力」が目に見えて改善されたとは言い難かった。しかし今シーズン、ディエゴ・オリヴェイラの復帰により「ゴールを目ざす魅力的なフットボール」は現実のものになりつつある。名古屋、横浜FM、G大阪との3連戦を乗り越えれば、一気に視界は広がるかもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> <span class="paragraph-title">【動画】粘りの東京Vがアウェイで鹿島に3点差を追いつく劇的同点劇!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="pXf3mcmFlhw";var video_start = 297;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.05.13 20:35 Mon

勝澤要先生の逝去に思い出す静岡サッカーの隆盛/六川亨の日本サッカーの歩み

すでに新聞やネットでも報じられたように、元清水東高校サッカー部監督の勝澤要氏が今月5日に亡くなった。85歳だった。勝澤先生を初めて取材したのは1980年の全国高校選手権だった。文武両道をモットーに、大学を出たての“若造”にも敬語を使う礼儀正しさ。「たぶん生徒には生活指導も含めて厳しい先生だろうな」と思ったものだ。 勝澤先生が清水東の監督に就任したのは1966年のこと。それまでの静岡サッカーと言えば、全国優勝も果たした藤枝東が有名だった。72年と73年には選手権で2年連続して準優勝を果たしている。天才的ドリブラーと言われたFW中村一義のスピードは驚異的で、大学生になってから一度だけ対戦したが、あまりの速さに追いかけるのを諦めた記憶がある。 そんな藤枝に対抗しようと清水のサッカーを育成したのが、清水サッカーとエスパルス生みの親の堀田哲爾氏(故人)、清水FCの監督で、長谷川健太さん、大榎克己さん、堀池巧さんらを擁して第1回全日本少年サッカー大会で優勝した綾部美知枝(2年前に日本サッカー殿堂入り)さん、そして清水東の勝澤先生だった。 しかし、高校選手権制覇の道のりは簡単なものではなかった。74年は決勝で帝京に敗れて準優勝。76年は井田勝道監督率いる静岡学園が“ドリブル旋風”を巻き起こしたものの決勝で浦和南に敗れた。80年は再び清水東が決勝まで勝ち進んだものの、古河一に1-2と惜敗した。決勝点をアシストした古河一のキャプテンは現・流通経済大学の中野雄二監督だった。 清水東が悲願を達成したのは82年のこと。決勝でFW保坂孝やFW羽中田昌を擁する韮崎を4-1と粉砕して選手権初優勝を遂げた。翌83年も決勝まで勝ち上がったが、帝京FW前田治の一撃に涙を飲んだ。 それでも85年は清水商が、86年は東海大一がそれぞれ四中工と国見を下して静岡勢が選手権連覇を達成する。87年の東海大一は決勝で国見に敗れたものの、88年は清水商が市立船橋を下して2度目の全国優勝を達成。この頃は「静岡を制するものは全国を制する」と言われたほど、静岡勢は選手権で優勝候補にあげられた。 その後、高校サッカーは群雄割拠の時代に突入し、近年は青森山田が覇を競っている。そして勝澤先生は母校を離れ、熱海高、掛川西高、藤枝明誠高などの監督を歴任した。ご子息がJFAに勤務しているため、お目に掛かるたびに近況を伺っていたが、謹厳実直を絵に描いたような監督であり先生だった。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2024.05.07 17:00 Tue

8大会連続五輪出場決定、大岩監督のメッセージを感じる采配/六川亨の日本サッカーの歩み

大岩ジャパンは昨夜29日、ドーハでのU-23アジアカップ準決勝で難敵イラクを2-0で下し、今夏パリで開催される五輪の出場権を獲得した。これで日本は96年のアトランタ五輪以来8大会連続のオリンピック出場を決めた。 28年ぶりの五輪だったアトランタ大会にしても、その後のシドニー、アテネ、北京、ロンドン、リオも「出場して当然」と思われながらアジア最終予選では苦労した。理由は年齢制限があるからだ。ここがW杯予選との大きな違いである。加えて近年は本大会も含めて“海外組”が増えたことで、選手の招集に強制力がないことも日本のネックになっていた。 そうした意味で今回の予選では、MF藤田譲瑠チマをシント=トロイデンが招集に前向きだったことが予選突破に大きく貢献した。守備では、激しくないもののサラリと相手ボールを突っつくようにしてカットしては味方にパスを送る。そして攻撃では絶妙のポジショニングでフリーとなってDFラインからパスを引き出し、前線に好パスを配球する。まさに“攻守の要”であり、遠藤航の後継者、あるいは彼を凌ぐタレントの持ち主ではないか。 藤田のパスから2ゴールが生まれたシーンは改めて説明する必要はないだろう。1点目はFW細谷真大の好トラップと、その後の反転とダブルタッチが絶妙だった。カタール戦で決めた股抜きシュートはイラクGKに防がれていたため、コースを狙った一撃も彼にしては珍しいが、余裕があった証拠だろう。 2点目のコンビネーションも日本らしいゴールで、藤田のワンタッチパスに抜け出た荒木遼太郎が外すとは思わなかった。藤田と荒木、そして今シーズンはFC東京で荒木と絶妙のコンビを組む松木玖生をなぜ同時起用しないのか、大岩剛監督には疑問を感じていた。 今大会に限らずW杯でも、グループリーグの初戦は絶対に負けてはならない。そしてグループリーグを突破してからは必勝が義務づけられる。いわゆる「絶対に負けられない」戦いが続く。そして今大会では“一番のキモ”が五輪の出場権のかかった準決勝のイラク戦となる。 この試合に備えて選手をターンオーバーしつつ、藤田、松木、荒木の3選手を同時起用するまで『隠していた』としたら、大岩監督の采配には敬服するしかない。準々決勝のカタール戦の前半で松木が警告を受けたため、後半にFW藤尾翔太と交代させたのも準決勝を想定しての選手起用だとしたら、“策士”としか言いようがない。 過去の五輪予選がそうであったように、「終わってみれば」日本は五輪予選を通過してきた。アンダー世代での継続した強化の賜物だろう。とはいえ、それが五輪でのメダルを約束してくれるわけではない。そして近年の五輪やW杯では空中戦に強いFWの存在が重要視されている。劣勢の際はハイクロスが武器になることは変わらないからだ。 そうした意味でCB高井幸大は重要な選手だし、後半アディショナルタイムに内野航太郎をピッチに送り出したのも大岩監督の日本サッカーに対するメッセージと感じた。 まだ今大会は無失点のカザフスタンとの決勝が控えているが、DF陣を含めて選手の成長を感じた5試合でもある。パリ五輪でOA枠を使うかどうか、これはこれで議論を呼ぶかもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> <span class="paragraph-title">【動画】きっちり勝利で8大会連続の五輪出場決定!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="NpGyB1NtSYg";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.04.30 20:00 Tue

日韓戦で感じた違和感/六川亨の日本サッカーの歩み

とても奇妙な前半戦だった。パリ五輪のアジア最終予選を兼ねたU-23アジアカップのグループB最終戦、日本と韓国は勝点6、得失点差+3で並び、両国の直接対決でグループBの1位と2位が決まる。1位抜けなら準々決勝はグループA2位のインドネシア、2位だとホストカントリーのカタールと対戦する。できればカタールとの対戦は避けたいところ。とはいえ、準々決勝で勝ったとしてもパリ五輪の出場権は獲得できない。そんな微妙な背景で試合は始まった。 日本は第2戦のUAE戦から7人のメンバーを代えた。GK野澤大志ブランドンら3選手は今大会初出場だ。対する韓国も10人の選手を入れ替えてきた。グループリーグを1位で抜けようと2位になろうとも、準々決勝はパリへの通過点に過ぎない。主力選手をターンオーバーで温存するのは当然の策でもあった。 そして前半は、奇妙なほど攻め手を欠く大凡戦だった。韓国が中盤での争いを避け、ロングボールによるカウンター狙いは今に始まったことではない。フィジカルの強さと空中戦での優位を生かし、セットプレーに活路を見いだすのも常套手段である。 対する日本も攻め手を欠いた。CBの高井幸大と鈴木海音、ボランチの川﨑颯太と田中聡は安全第一なのか、それともポストプレーヤーが見つけられなかったのか、急所を突くようなタテパスは皆無で、サイドに開いた平川悠や藤尾翔太の足元に緩いパスをつなぐだけ。とはいえ両選手とも三笘薫や伊東純也のようなドリブラーではないため、決定機を演出するまでにはいたらない。 互いに負けたくないという心理状態が色濃く反映された前半は、82年スペインW杯1次リーグの“出来レース"と言われた西ドイツ対オーストリアの試合(初戦でアルジェリアに負けた西ドイツが2次リーグに進むには最終戦のオーストリア戦を2点差以内で勝つしかなく、西ドイツが前半にリードすると後半は互いに無理をせず時間が過ぎるのを待った)を彷彿させる退屈な45分間だった。 ところが後半に入り13分過ぎから両チームとも選手交代をしたところ、突然攻撃が活性化した。日本は川﨑と田中に代えて藤田譲瑠チマと松木玖生を投入。やはり彼らが大岩剛監督にとって選択肢のファーストチョイスなのだろう。松木は後半26分にミドルサードで2人の選手に囲まれながらもフィジカルの強さを生かしてボールをキープすると、1トップの内野航太郎に決定的なスルーパス。安全を優先したプレーでは、組織的な守備を崩せないことを自ら証明した。 彼らと山本理仁、レフティーモンスターの山田楓喜が現チームの主力であり、準々決勝のカタール戦ではスタメンに名前を連ねると思う。そして、大岩監督の気持ちはわからないでもないが、野澤大志ブランドンは肉体的な資質は申し分ないものの、鈴木彩艶と同様にA代表やU-23代表で起用するには経験不足は否めないのではないだろうか。野澤は元々キックに難点があり、左足は得意ではないためトラップして右足に持ち替えることが多い。韓国戦でも冷やっとしたシーンがあったし、なんでもないシュートを後ろにそらしてOGの危険性もあった。 これまで2試合でチームを救った小久保怜央ブライアンを使っていれば、CKに飛び出てクリアするでもなく、中途半端なポジショニングで何もできずに失点したシーンも何とかできたのではないかと思ってしまう。期待するのは悪いことではない。しかし、その見極めを誰がいつするのか。これは個人的な見解だが、鈴木彩艶は今年のアジアカップで、野澤大志ブランドンは韓国戦のプレーをシビアに検証すべきだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> <span class="paragraph-title">【動画】日韓戦は韓国に軍配! 低調な試合も後半は一変</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="TMihrmhQQbc";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.04.23 14:30 Tue
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