キリン杯誕生の秘話/六川亨の日本サッカーの歩み

2018.10.16 14:00 Tue
Getty Images
▽10月12日、日本対パナマ戦の国歌斉唱の時のことだった。整列している選手の後ろのピッチ中央に「THE OFFICIAL PARTNER SINCE 1978」と書かれたフラッグがあった。「そうか。キリンカップがスタートして、もう40年になるのか」と感慨深いものがあった。
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▽キリンカップ(当時の名称はジャパンカップ)が始まったのはいまから40年前の1978年5月20日だった。当時のアジアにはマレーシアのムルデカ(マレー語とインドネシア語で独立の意味)大会、韓国の朴(当時の大統領)大統領杯などの招待大会があった。しかしジャパンカップはヨーロッパと南米の強豪クラブに、アジアの代表チームと日本代表を加えた豪華な大会としてスタートした。▽第1回大会は奥寺康彦さんが所属する1FCケルン(GKは西ドイツ代表のハラルド・シューマッハー)とボルシア・メンヘングラッドバッハ(GKウォルフガング・クレフとユップ・ハインケスは西ドイツ代表で、アラン・シモンセンはバロンドールを獲得したデンマークの伝説的な選手)、コベントリー・シティ(イングランド)、パルメイラス(ブラジル)の4クラブに、韓国代表、タイ代表、そして日本代表と日本選抜の8チームにより争われた。
▽8チームを4チームずつ2組に分かれてリーグ戦を行い、上位2チームが準決勝に進む大会形式だった。当時の日本代表の主力選手は永井良和、金田喜稔、西野朗、加藤久らで、長らく代表を支えたメキシコ五輪組は一線を退いたものの、逆に代表チームは低迷期に突入していた。

▽日本はコベントリー・Cに0-1、タイ代表に3-0、ケルンに1-1で準決勝進出は果たせなかった。ベスト4はいずれもヨーロッパと南米が占め、ボルシアMG対パルメイラスの決勝は1-1の引き分けに終わり両チーム優勝となった。
▽当時のイングランド勢は代表チームもクラブチームもヘディングの強さは世界1と言っていいほど図抜けていた。このためケルン対コベントリー・C戦でのケルンは、空中戦を封じるためオフサイドトラップを積極的に仕掛けたが、最終ラインをセンターサークルまで上げたのは衝撃的だった。

▽翌年の第2回大会にはイタリア代表のジャンカルロ・アントニョーニ率いるフィオレンティーナや、前年のアルゼンチンW杯で優勝したリカルド・ビジャ、オズワルド・アルディレス(後に清水の監督)を擁するトッテナム・ホットスパー(後に清水の監督に就任したスティーブ・ペリマンも来日してプレー)など8チームが参加(優勝はトッテナム)。W杯優勝チームの選手が来日したのは滅多にないことだった。

▽このジャパンカップだが、JFA(日本サッカー協会) の長沼健(故人)専務理事が、まだ原宿にある岸記念体育館(日本のアマチュアスポーツの総本山)の3階にあったサッカー協会の部屋の窓からJR山手線の線路を挟んで建っていたキリンビールの本社ビル(現在は移転)を眺め「ああいう大きな会社に支援をお願いできないものか」と思案し、人伝に同社とアポを取り、キリンビールの小西秀次社長(当時)に直談判した結果、冠スポンサーを実現させたと言われている。

▽2002年の日韓W杯終了後、2003年にJFAはW杯などで得た資金でお茶の水にある三洋電機からビルを購入。通称JFAハウスとしてサッカー協会とJリーグ、JFLなどの事務局を9月に移転した。地下には2002年のW杯を記念した日本サッカーミュージアムを12月22日に開設。オープニングイベントとして、サッカー関係者からサッカーにまつわる思い出のグッズを説明文つきで掲示する企画があり、その取材を手伝うことになった。

▽ベルリン五輪のメンバーだった鴇田正憲さん(翌年没)、漫画家の望月三起也さん(故人)や奥寺康彦さんら40人近くの方々を電話や会って直接取材したが、その中の1人にキリングループの広報の方もいた。取材テーマは「ジャパンカップ誕生秘話」だったが、八丁堀にある本社を訪ねて広報の方を取材したものの、「ジャパンカップ誕生にまるわる資料は一切ありません」との返事。

▽長沼さんがサッカー協会からキリンビールの本社を見てジャパンカップのスポンサーをお願いしたエピソードはもちろん知っていたが、それについては「都市伝説のようなものではないでしょうか。伝説は伝説として残しておこうとということで、肯定も否定もしません」との返事だった。

▽現在キリンのホームページには「KIRINサッカー応援の歴史」というコーナーがあり、「支援のはじまり」では大会の誕生した経緯が、上で紹介したように長沼さんと小西社長との出会いがきっかけだったと書かれている。広報の方が言ったように「伝説は伝説として残して」あるのだ。

▽実は長沼さんがJFA最高顧問の時に、ジャパンカップ誕生の真相を聞いたことがある。しかし「伝説は伝説として残しておく」ため、真相を書くことは控えたい。

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