【六川亨の日本サッカー見聞録】大杉漣さん逝去2018.02.22 13:30 Thu

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▽私的なことで申し訳ないが、今日は21日に、心不全で急逝した大杉漣さんについて書かせていただきたい。大杉さんといえば、北野武監督の映画やNHKの連続ドラマなど、強面のヤクザから小心なサラリーマンなど幅広い演技で定評のある名脇役だった。

▽そんな大杉さんと出会ったのは1970年代末。当時通っていた新宿ゴールデン街の飲み屋だった。そこは映画関係者や舞台役者などが集まる店で、はす向かいに「ノーサイド」という店があり、作家の野坂昭如さんが草ラグビーチームを結成したので、「それならサッカー好きが多いので、草サッカーチームを作ろう」ということになった。

▽チーム名はお店で売っていたサントリーウィスキーの「ホワイト」から、「ホワイトドランカーズ」に決定。大杉さんは不動のセンターフォワードだった。特に長身にもかかわらず、しなやかな動きからのポストプレーは絶妙で、足下にスッとボールを収める。そのプレーは「エレガント」と言わずにはいられないほど鮮やかだった。

▽出会った頃は、転形劇場の舞台俳優だったものの、むしろ日活ロマンポルノでの活躍で注目(?)を浴びていた。男優として「帝王」と呼ばれ、芸名である漣(れん)は、当時流行していたコンドームの漣(さざなみ)から取ったと教えられた。

▽大学卒業後、ホワイトドランカーズも解散し、一時は疎遠になったものの、ソナチネなど映画で活躍していた大杉さんに、02年日韓W杯の際に久しぶりに連絡してインタビューを申し込んだところ、二つ返事で了解してくれた。

▽そんな大杉さんと共通点がもう1つある。当時、海外のサッカーを知るにはテレビ東京が放映していた「ダイヤモンドサッカー」しかなかった。岡野俊一郎氏の解説で、金子勝彦氏がアナウンサーを務めた名番組だ。そのテレビのエンディングで視聴者プレゼントがあり、取り替え式のスパイクか5号級の皮革サッカーボール、安田のテルスターが各5名にプレゼントされる。

▽サッカーのスパイクも、革製のサッカーボールも当時住んでいた町にはどこも売っていない。そこで葉書を書いて応募したところ、サッカーボールが当たって番組の当選者に名前が載った。そのことを大杉さんと飲みながら話したら、彼も徳島在住時代にサンテレビから応募してサッカーボールが当たってうれしかったと教えてくれた。

▽押しも押されもしない俳優にもかかわらず、いつも、誰に対しても腰の低い、優しい目をした大杉さん。まだ66歳、俳優としてはこれから脂の乗りきる時期でもあるだけに、突然の訃報に正直戸惑っている。いまはただ、ご冥福を祈るしかない。漣さん「安らかにお休みください」
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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初めて知ったジャッジの違い/六川亨の日本サッカー見聞録

今年2回目となるレフェリーブリーフィングが4月18日に開催されたので、そこで話題にのぼった面白い実例を紹介しよう。第1節から先週末までのJ1~J3とルヴァン杯の240試合中、48試合に関してJクラブから意見交換を求められたそうだ。そこで問題提起された64シーンでディスカッションした結果、14試合の15シーンで間違った判定があったことを審判委員会は認めた。 それを踏まえて今回はハンド、オフサイド、ペナルティーエリアインシデント(危機的状況)、反スポーツ行為、負傷者の5項目について、映像で振り返りながらブリーフィングが行われた。 何かと物議を醸した4月6日の第6節、松本対神戸戦では2つのシーンが取り上げられた。神戸の選手がペナルティーエリア右でこぼれ球を拾い、リフティングしたボールが松本の中美の手に当たったシーンで、神戸の選手はハンドとしてPKを主張した。 レフェリーはプレーを続行したが、ブリーフィングでも上川氏は「よけることはできないし、手も肩より上に上がっていない」との理由から、「レフェリーの考えを受け入れる」と判断して正当性を認めた。ただし、「ハンドのジャッジでも受け入れられる難しい判断」との見解も併せて示した。 この試合では「ペナルティーエリアインシデント」も発生した。神戸は右CKからウェリントンがヘッドでゴールを決めた。しかしレフェリーはウェリントンがシュートを決める前に笛を吹いている。そこでVTRで確認すると、ゴール前にいた神戸の大﨑はボールが蹴られた瞬間、松本の飯田と橋内の2人の選手のユニホームを引っ張って動けないようにすることでウェリントンをフリーにしていたことが判明した。 上川氏いわく「蹴られる前にボールの方向を見ていないので、普通レフェリーは何かやるなと思う」とレフェリーの視点から解説。ただし、イエローカードにつながるファウルではないとも説明した。 反スポーツ行為では珍しい例が3件報告されたので紹介しよう。まずJ2第5節の千葉対京都戦でのことだ。千葉が左CKを蹴ろうとしたとき、ファーサイドのポスト際で水分補給をした千葉の田坂は、そのままゴール裏を走ってピッチの左サイドに移動し、ショートコーナーのボールを受けた。 水分補給の際は少しだけピッチから出ることは許されているものの、それ以外でレフェリーの許可なくピッチを離れればイエローカードである。過去にも九州の高校サッカーで実例が報告されたそうで、上川氏も「なかなかレフェリーは気付かない」頭脳プレーだそうだ。 第3節の千葉対山口戦では、山口の田中がシュートを決めるとベンチへと走り、自身のスマホを取り出して自撮りをした。かつてバロテッリが動画で自撮りしインスタにアップしたのを真似たわけだが、監督やコーチは通信機器をベンチに持ち込むことは許されても、選手が「あらゆる形式の電子もしくは通信機器を身につける、もしくは用いることは認められない」という競技規則から、反スポーツ行為として当然ながらイエローカードの対象となる。 そして同じくJ2の第4節、山形対大宮戦で山形のジェフェルソンが20分にゴール後、左コーナーポストを引き抜きライフル射撃のポーズをとった。これに対しレフェリーはイエローカードを出したが、クラブは昨シーズンも前所属先である水戸で同じ行為をしたのにイエローカードは出なかったため質問状が届いたという。 それに対し上川氏は「レフェリーの判断だが、リスペクトに欠けるものなので、フィールドに設置された物を動かすまたは使うの過度であり、JFA(日本サッカー協会)としてイエローカードとなる」との判断を示した。 今回、ハンドに関するジャッジについては割愛したが、ハンドを含めた新ルールが6月1日から採用される。その前に5月にポーランドで開催されるU―20W杯で新ルールが初めて採用されるため、小川審判委員長は今週始めに千葉で実施されたキャンプで新ルールの説明会を開催した。 その際に実例として紹介したプレーに、選手たちは初めて知ったというプレーもあったので、最後にそれを紹介しよう。 第1問は、AというチームとBというチームが対戦。Aチームの選手が反則を受け、レフェリーは笛を吹きBチームの選手にイエローカードを出そうとしたが、Aチームが素早くリスタートして攻撃した。その後プレーは止まったので、レフェリーはあらためてBチームの選手にイエローカードを出せるのかどうか。 第2問は、Aチームの選手が反則を受け、レフェリーは笛をいてBチームの選手にイエローカードを出そうとしたが、Aチームのアドバンテージを取り、笛は吹かずにプレーオンとした。その後プレーは止まったので、レフェリーはあらためてBチームの選手にイエローカードを出せるのかどうか。 答えは、第1問ではレフェリーが笛を吹いてから次のプレーに移っているため「イエローカードは出せない」が正解で、第2問は笛を吹いていないため、「プレーが止まってから遡ってイエローカードを出せる」が正解だ。 試合中は、反則を受けたチームの選手から「なんでイエローカードが出ないのだ」とクレームが来るそうだが、笛を吹く吹かないでジャッジも変わってくる。正直、初めて知った違いだった。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.04.18 19:00 Thu
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VAR導入の裏側/六川亨の日本サッカー見聞録

Jリーグは2019シーズンの一部の試合で、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の導入を決定していたが、4月11日、メディアを対象に改めてVARへの理解を深めると同時に、一般のファン・サポーターへの告知のための講習会を開いた。 導入される試合はルヴァン杯プライムステージ(準々決勝、準決勝、決勝)の全13試合と、J1参入プレーオフ1試合(決定戦)の4試合だ。このVARだが、実施するためには様々なハードルがある。 まず「FIFA(国際サッカー連盟)およびIFAB(国際サッカー評議会)より通達のある、VAR導入に際し大会主催者が順守すべきImplementation Assistance and Approval Program(実施支援および承認プログラム)に基づき、担当審判員のトレーニング、開催スタジアムでの事前テスト、FIFA立ち会いの検査等の各種要件を充足したうえで、FIFAおよびIFABからの事前認可取得が必要となる」とされている。 FIFAとしては各国にVARを導入して欲しいが、試合結果に直結するだけに、万全を期して運用して欲しいということだろう。今回は元プレミアリーグのレフェリーで、イングランドサッカー協会審判委員長でありIFABのメンバーでもあるディビッド氏が来日し、講習会で説明した。 まずVARが適用されるのは、次の4つのケースに限られる。1)得点か得点ではないか。2)PKかPKでないか。3)退場(累積ではなくレッドカードでの退場)。4)人間違い(主審が、反則を行ったチームの別の競技者に対して警告したり退場を命じたりした場合)。 これらの反則があり、VAR(のスタッフ、またはその他の審判員)が「レビュー(VTRで確認すること)」を勧める。あるいは重大な出来事が「見過ごされてしまった」と主審が不安に思った時にVARを利用することができる。 その際に主審はイヤホンまたはヘッドセットにはっきりと指を当てながら、もう一方の手または腕を伸ばすシグナルを送って選手や監督に伝える必要がある(これを「チェック」と言う)。続いて主審は両手でテレビモニターの形(四角)を見せる(TVシグナル)ことで、「レビュー」することを示さなければならない。そして映像で確認したら、改めて「TVシグナル」を示した上で、その直後に最終判定を下すという手順になっている。 こうして書くと簡単そうなVARと思うだろう。しかしデモンストレーションを見たら、いかに大変な作業かが実感された。スタッフは3人で、VARを中央に、左隣はアシスタントレフェリーのAVAR、右隣はリプレーオペレーター(RO)が座る。VARとAVARはレフェリーかレフェリー経験者に限られ、ROはVARの求めに応じて必要な場面を再現したり、ピッチサイドにいる主審に映像を送ったりするため映像のプロが務める。 そしてAチームがボールを保持して攻撃を開始したら、VARは「APP(Attacking Possession Phase)スタート」とスタッフに告げ、Aチームがボールを失ったら「APP終了」と告げつつ、対戦相手のBチームが攻撃に移ったら、再び「APPスタート」と言って画面に見入る。のんびり観戦している暇などないのだ。 VARの席には上下2つのモニターがあり、上はライブ映像、下は4分割に違う角度から撮影された映像で3秒遅れとなっていて、AVARはアシスタントの名の通りオフサイドか否かをチェックする。 さて、このVARだが、冒頭にも書いたように対象となるのは4つのプレーだ。4)の人間違いは見ているファン・サポーターにもわかりやすいだろうし、試合結果に直接影響しない。1)と2)も場所が限定されるため観戦者はゴールか否か、PKか否かはわかりやすいだろう。 問題は、3)の退場かどうかだ。Aチームが得点したとしよう。しかし、その前にオフサイドがあった場合、ゴールは取り消される(1の得点か否かが適用される)。同様に反則がありながら主審が見逃し、Aチームが得点しても、反則がイエローならゴールは認められるが、レッドの場合は取り消される。そうなると反則のあった地点でのFKで試合は再開されるが、果たして観戦しているファン・サポーターは「なぜ応援しているチームの得点が取り消されたのか」理解できるかどうかだ。 この点をJリーグの関係者に聞いたところ、「将来的には何らかの方法が必要になるかもしれませんね」という答えだった。昨年3月にも来日したディビッド氏は反則映像をスタジアムの電光掲示板で再現することに「どちらかのチームに不利になる判定をスタジアムにいるすべての人たちが、サッカー競技規則のもとVARの判定を支持するかどうかという懸念点が残る」として明言を避け、今後の検討課題にしていた。それだけVARはデリケートな問題をはらんでいるようだ。 今回の講習会でディビッド氏は「最小限の介入で最大限の効果」と従来のFIFAのVAR採用の効果を語り、次のようなケースも指摘した。初めてVARが導入された昨夏のロシアW杯グループリーグ、フランス対オーストラリア戦で、フランスはVARのおかげでPKを獲得し2-1の勝利を収めた。もしもPKによる得点がなければ「フランス対オーストラリアはドローに終わり、(得失点差で2位の)フランスは決勝トーナメント1回戦でクロアチアと対戦したので、VARがなければ優勝もなかったかもしれない」と。 他にもロシアW杯ではVARにより「レッドカードや激しいファウルが減少した。選手もVARで見られていることを知ったからだ。コッリーナ(イタリア人の元主審)も『セリエAでは暴言とシミュレーションが減少した』と言っていた。VARは大きなミスを正すだけでなく、フットボールをクリーンにする」と訴えた。 それらは紛れもない事実であるし、ロシアW杯や今年1月のアジアカップでは日本も恩恵を受け、そしてハンデになったことも経験した。真実を追究することとロマンを求めること(誤審があるからこそ人々の記憶に残る)――この矛盾する両面をどう折り合っていくのか。VARの導入には問題が山積だと思う。そこで今後は審判だけでなく、元と現を含めて選手や監督からの意見も聞いてみたいと思ったVARである。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.04.11 21:00 Thu
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毎日新聞の川淵さんのコラムへの届かない返信/六川亨の日本サッカー見聞録

一昨日、4月3日の毎日新聞の夕刊に、「私だけの東京 2020に語り継ぐ」という連載企画に、JFA(日本サッカー協会)元会長、Jリーグ初代チェアマンで、現在は日本トップリーグ連携機構会長や東京五輪の組織委員会の評議員を務める川淵三郎氏が登場した。 64年の東京五輪では選手としてアルゼンチン戦でゴールを決め、勝利の立役者となった。残念ながら準々決勝のチェコスロバキア戦で敗れたが、そこでコーチのデットマール・クラマー氏の残した言葉が印象的だったと振り返っている。 クラマー氏の「アルゼンチン戦に勝った時は、喜びを分かち合おうとたくさんの『友達』ができただろう。でも今日、君たちのところに来る友達は少ないだろうが、彼らこそが本当の友達だよ」という言葉は、「人生に大きな影響を与え、後になって重みが増すことになります」と紹介した。 その重みとは、06年ドイツW杯で敗退すると、JFAの会長だったために自身が批判の的となり、「ああ、こういう時にそばにいてくれる人が、本当の友達だと痛感しましたね」というものだった。 正直、幾つになっても「我田引水」は変わらないと思った。サッカー専門誌時代から川淵氏には批判的な原稿を書いてきた。それは02年にJFAの会長になることでJリーグのチェアマンを譲る際に、後継者として鹿島の社長だった鈴木昌氏を指名した。それ自体は悪いことではない。 しかし、その陰では02年にこれまで川淵氏を支えてきた森健兒氏に辞任を迫る。森氏はJリーグの前身となるスペシャル・リーグ構想を打ち出し、JSL(日本サッカーリーグ)の読売クラブ、日産、全日空にはプロ選手が存在することを実行委員会に認めさせ、Jリーグ創設に向けて礎を築いた。 残念ながら社業でも重要なポストを担っていたことで、森氏はJSL総務主事の重職とJリーグ創設を川淵氏に託してその身を引いた。そして93年、Jリーグの開幕を前に33年間勤務した三菱重工を辞め、Jリーグの専務理事に専念することになる。ところが川淵チェアマンは、当時勤務していた古河産業を辞めていなかった。 「Jリーグの成功に半信半疑だったのではないでしょうか」というのが森氏の推測だ。そして辞任を迫られた際は「いくら欲しいんだ」と川淵チェアマンに言われたため、「一銭も入りません」と答えて袂を分かっている。 さらに翌03年には森氏と並んでJリーグの創設者とも言える木之本興三氏を解任した。「木之本、辞めてくれ」との言葉に、木之本氏は理由を尋ねたが、その後は一切無言だったという。 Jリーグを創設した“仲間”であるはずの2人を切ったのは、自分自身がJリーグの創設者となりたいのではないか。そこで邪魔者を除外する。さらに06年にはJFA副会長の野村尊敬氏を2階級降格の平理事にし、それまで暗黙の了解事項だった会長職2期4年を覆し、6年間務めた。野村氏は次期会長の有力候補だったため、ここでも邪魔者を除外したと思われて当然だろう。 そうした“独裁者”のような人事を批判したものの、川淵氏はドイツW杯後に「独裁者と呼ばれてもかまわない」というタイトルの本を出した。 話を06年のドイツW杯に戻そう。当時も川淵氏を批判した。というのもジーコ・ジャパンで惨敗した記者会見で、川淵氏は「オシムと言っちゃった」と日本代表の監督人事を漏らした。そのことで会見はジーコ・ジャパンからオシム・ジャパンに移った。意図しての人事漏洩だったのか詳細は分からない。 しかし問題は、そもそも代表監督は技術委員会の精査・具申を受け、当時はJFAの幹部会で議論し、理事会の承認を経て決定されるものだった。その手続きを経ずに次期監督の名前を出すことは、ルールから逸脱しているし、ここでも“独裁者”として君臨している証明ではないかと批判した。 92年のことだ。当時はJFAの強化部長だった川淵氏は、初の外国人監督となるハンス・オフトを招聘し、アメリカW杯まであと1歩に迫るまで強化に成功した。それは画期的なことだと評価している。 しかし95年に加藤久・技術委員長らがまとめた「加茂監督ではフランスW杯の出場は難しい」。そこでネルシーニョ(元東京Vで現在は柏監督)を推すというレポートに対し、年俸の改ざんをある強化委員に指示し、長沼健JFA会長に「これでは高すぎて協会として払えない」と“加茂続投”のシナリオを描いた。 加茂氏は志半ばでバトンを岡田武史監督に託し、見事W杯出場を果たした。しかし、その後も代表監督人事は「ジーコに聞いてみたら」と言ったり、「オシムと言っちゃった」と言ったりしたように、技術委員会の頭越しに代表の監督人事に介入した。 そのこと自体が問題であるのに、分かっていないので問題を提起したつもりだったのが、それは届いていなかった。三流雑誌の三流記者の提言だけに、仕方のないことかもしれない。 そして今回の新聞記事である。人は誰でも人生を美化したくなるだろう。サッカーに対する情熱は“熱血漢”と言ってもいいほど高い。それでも思うのは限りなく高い上昇志向だ。Jリーグだけでなく、Bリーグでも辣腕を発揮して東京五輪へ参加の道を開くなど功績は数多い。それだけに、引き際は潔いものにして欲しいと願わずにはいられない。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.04.05 13:00 Fri
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代表選手の背番号からみるプライオリティー/六川亨の日本サッカー見聞録

コロンビア戦を2日後に控えた3月20日、JFA(日本サッカー協会)は日本代表選手23人の背番号を発表した。これまで2011年から長らく「10番」を背負った香川真司だが、9月にスタートした森保ジャパンでは招集されなかったため中島翔哉に譲り、中島が負傷辞退した1月のアジアカップでは乾貴士が背負った。 そんな森保ジャパンに香川が初招集され、中島も復帰したことで注目の集まった「背番号10」だが、すんなり香川に落ち着き、中島は「8」、乾は「14」に決まった。 中島自身も19日の練習後は「前から言っていますけど、そこまでずっと番号にはこだわっていないと。こだわっていないですし、やっぱり試合でいいプレーをすることがサッカー選手としても、日本代表の選手としても大事だと思うし、あんまり気にしてないというか、番号はただ番号というだけで、やっぱりいいプレーをしていくことが大事だと思います」と語り、香川も「番号でプレーするわけじゃない。もちろん10番は自分にとって誇りだけど、誰が決めるか分からないし、僕にもどうなるか分からないので。皆さん、楽しみに」と余裕のコメントを残した。 日本代表の背番号を決めるのは、「(日本協会に)任せています。私は関与していません」と森保監督が述べたように、JFAの仕事である。そこで今回の背番号だが、それなりの“配慮”があったようだ。 GKの3人は「1」と「12」、「23」が定番で、アジアカップで権田修一のつけていた「12」はすんなり再招集の中村航輔に落ち着いた。そして、これまで森保ジャパンに招集されてきた佐々木翔(4番)、三浦弦太(2番)、冨安健洋(16番)、柴崎岳(7番)、南野拓実(9番)、堂安律(21番)は慣れ親しんだ番号に変わりはない。 彼ら以外となると、やはり主力に近い選手が“若い番号”を与えられた印象が強い。復帰組の昌子源は、それまで室屋成が付けていた3番になり、室屋成は長らく長友佑都が背負ってきた5番を継承した。遠藤航の「6番」は同じく復帰組の山口蛍、原口元気が付けていた「8番」は中島、「11番」はロシアW杯で背負っていた復帰組の宇佐美貴史に戻り、それなりに過去の実績を忖度した選択のように感じられる。 その中で目を引いたのが23番以降の数字を背負った小林祐希の「25番」だ。JFAは国際大会の際に50~60人の選手を背番号とともにあらかじめ登録する。本来なら「22」はキャプテンでもある吉田麻也、「19」は酒井宏樹の定番だが、今回は前者を西大伍が、後者は安西幸輝が付けることになった。 それは裏返せば、彼ら2人が事前に登録されていないことにもつながるのではないだろうか。同じことは槙野智章の「20」を畠中慎之輔、大迫勇也の「15」を橋本拳人と初招集の2人が継承したことにもつながる。 それだけ「25」の小林は代表選手としてプライオリティーの高い選手(主力組は別として)と判断してもいいだろう。 そんな何気ない背番号だが、気になるのが長らくキャプテンとして日本代表を牽引してきた長谷部誠の「17」の不在だ。森保ジャパンがスタートした時は守田英正、アジアカップでは青山敏弘が継承した。今回、守田は合宿初日こそチームに合流したものの、負傷で辞退した。すでに守田で登録していたため使えなかった番号かもしれないが、そのことからも森保監督とJFAは守田に期待を抱いている表われではないだろうか。 最後に、9月に発足した森保ジャパンはコスタリカ、パナマ、ウルグアイ、ベネズエラ、キルギスとキリンチャレンジ杯で戦い、1月のアジアカップに臨んだ。そして今回は何かと因縁のあるケイロス監督率いるコロンビア、ベネズエラと対戦する。あらためて言うまでもなく南米と北中米の国々との対戦が多い。 それはヨーロッパが昨年9月からネイションズリーグを創設したため、招集が難しくなったことが影響している。そして、それは今後も続く可能性が高い。となると、今後のキリンチャレンジ杯も目玉となる招待国はウルグアイやコロンビアといった南米勢に限られるだろう。 そうしたパイプをつなぎ止めるためにも、今年6月にブラジルで開催されるコパ・アメリカには参加せざるを得ない理由があるのかもしれない。ペルーが開催を返上したU-17W杯もブラジルでの開催が決定した。なんだか南米に絡め取られていくような日本と感じられてならないのは私一人だけだろうか。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.03.21 13:25 Thu
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Jリーグふろしきの可能性/六川亨の日本サッカー見聞録

3月22日と26日に開催されるキリンチャレンジ杯のメンバー23名が14日に発表された。森保ジャパンになって代表初招集はDFの安西幸輝(鹿島)と畠中槙之輔(横浜M)、そしてFWの鈴木武蔵(札幌)と鎌田大地(シントトロイデン)の4人だった。 安西は左SBのため佐々木翔(広島)の、CB畠中は冨安健洋(シントトロイデン)と昌子源(トゥールーズ)のバックアップといったところ。そしてJリーグで結果を出している鈴木と、同じくシントトロイデンでゴールを量産している鎌田はポスト大迫といったところだろう。 そして注目は、やはりロシアW杯以来の代表選出となった香川真司(ベシクタシュ)だ。どのポジションで起用されるのか楽しみだし、FWが2人しか選出されていないため、香川や小林祐希(ヘーレンフェーン)がゼロトップという可能性もあるのではないだろうか。いずれにせよ、ケイロス監督率いるコロンビア戦は楽しみでならない。 同日には22日からミャンマーで開催されるAFC U-23選手権に臨むU-22日本代表のメンバーも発表された。東京五輪の主力となるメンバーとして、板倉滉(フローニンゲン)、町田浩樹(鹿島)、立田悠悟(清水)、橋岡大樹(浦和)、中山雄太(ズヴォレ)、杉岡大暉(湘南)、久保建英(FC東京)、前田大然(松本)らJ1リーグで結果を残している選手ばかり。 個人的にはこちらの試合を見てみたいので、どこか中継してくれるテレビ局はないのだろうか。 といったところで本題に入ろう。日本代表のメンバー発表から1時間30分後、JリーグがNTTグループと共同で新たな取り組みに着手することを発表した。日本初となる本格的スタジアムデジタルアセットハブ、その名も“Jリーグふろしき”の構築である。 “ふろしき”とは、その名の通り風呂敷のことだ。日本古来の物を包む道具だが、命名の由来を簡単に説明すると、これまでJリーグは26シーズンに及ぶ映像のデータを始め、スカウティング映像(対戦相手を分析するため、両チームのゴールが映り、全選手の動きが分かる映像)と静止画(写真のこと)、さらにトラッキングなどの競技データを管理してきた。 それが可能なのは、Jリーグは誕生時から映像と写真はJリーグ(子会社のJリーグ映像とJリーグフォト)がコストを負担して制作し、テレビ局に提供してきたからだ(現在はDAZN)。それというのもJリーグ以前のJSL(日本サッカーリーグ)時代は、テレビ局が中継したものの放送される試合が少なく、JSLに著作権もなければ映像そのものが残っていなかったからだ。ここらあたり、Jリーグの創設に尽力した木之本興三氏(故人)の先見の明と言える。 話を戻すと、そうした膨大なデータだが、これまでは映像なら映像を検索し、競技データは競技データで検索しないと求めるデータを集まることはできなかった。そこでこれまで個別だったデータをキーワードで“ひも付け”するなどして、一元管理による制作・編集・供給・配信をマネジメントしようというのが“Jリーグふろしき”である。 その試みの1つとして、5月12日の神戸対鹿島戦は、神戸のホームゲームだが都内の屋内施設で高臨場・高精細の映像によるライブビューイングを開催する。これらは今後、スタジアムになかなか足を運べない身体障害者や、天候によりスタジアム行きを断念しなければならない子供や高齢者向けのファンサービスとして活用できる。 さらにVR(ヴァーチャルリアリティ)空間での観戦サービスも広める予定で、俯瞰した映像や選手目線での映像、ゴール裏からの観戦などを選択できる視聴方法にもトライする。すでに3月10日の仙台対神戸戦と、17日の札幌対鹿島戦、30日の大分対広島戦は、NTTドコモがDAZNからのサブライセンスを受けて観戦体験を提供する予定だ。 こうした映像の一元管理により、例えばタイにはチャナティップをフォーカスした映像や、ヨーロッパにはイニエスタやトーレスを中心にした映像の配信が可能になるという。そして、将来的にはJリーグにとどまらず、日本のあらゆるスポーツを取り込み、最先端の環境を構築しながら映像などのデジタル情報を集約・供給配信などのネットワークサービスにつなげる予定だ。 会見に出席したNTTグループの澤田純社長は、まだ実現は先の話だろうが「VRでも4K(高画質)放送ができるのはNTTだけ」と自信を見せる。 そして村井チェアマンは「私が(チェアマンに)就任した2014年には想像できなかった世界」でもあるだけに、「大風呂敷」という表現もあながち的外れではない大事業に成長する可能性もある。 ただ、その前に、Jクラブのスタジアムの無料Wi-Fi化を早急に実現して欲しいというのが1記者としての切実な願いだ。埼玉スタジアムや日産スタジアム、味の素スタジアムなどキャパシティの大きいスタジアムはドコモであっても(ドコモだからか)、試合開始直前やハーフタイムは通信だけでなくインターネットにも接続できずストレスを感じてしまう。 新ビジネスの開拓、それもJリーグが先頭に立っての“攻めの姿勢”は歓迎したいし、今年のラグビーW杯は対応が無理とのことだが、来夏の東京五輪につながるコンテンツの構築だろう。ただ、中国の故事には「隗(かい)より始めよ」という言い回しもある。Jリーグには“攻守のバランス”を上手くとって欲しいところだ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.03.15 13:15 Fri
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