【六川亨の日本サッカーの歩み】高校選手権の隠れたドラマ。初めて大阪に優勝旗を持ち帰った監督

2018.01.09 07:00 Tue
▽第96回全国高校サッカー選手権は、前橋育英の初優勝で幕を閉じた。流経大柏との決勝戦は、両チームとも高い集中力による好守が光り、1点を争う緊迫した試合だった。ただ、地力に勝る前橋育英はほとんどの時間帯でボールを支配し、決定的なシーンを何度も作っていただけに、優勝は順当な結果とも言える。
PR
▽今大会に限ったことではないが、年々全国の格差が縮まっていることを痛感させられた高校選手権でもあった。それは、過去に優勝経験のある清水桜が丘(旧清水商)、秋田商(はるか昔だが)、広島皆実、山梨学院の4校が姿を消し、2回戦でも星陵、滝川二、東福岡が敗退する波乱があった。▽そして日本文理や明秀日立、米子北が初のベスト8に進出し、上田西は長野県勢として初のベスト4に進出した。組み合わせに恵まれたとはいえ、米子北はプレミアリーグで揉まれているし、上田西には元横浜MのDFで、日本代表にも選出された鈴木正治氏のサッカースクール「シュートFC」の教え子がいるなど、確実にチーム力は上がっている。もはや高校選手権に“波乱”という言葉は当てはまらないのかもしれない。
▽そんな高校選手権を取材して、「おや」と思ったことがあった。2回戦から登場した大阪桐蔭が、羽黒との試合で選手全員が喪章を巻いていた。その理由を試合後に永野監督は、恩師である元初芝高校監督の田中勝緒氏が昨年12月16日に75歳で亡くなったことを明かした。直接指導を受けたことはないものの、「いつも合宿や遠征では声をかけてくれた」そうで、昭和48年の高校選手権で同校が初優勝したDVDは、移動のバスのなかで選手に見せていたと言う。

▽「おや」と思ったのは、永野監督が「最初に大阪に優勝旗を持ち帰られた監督」と話したことだった。高校選手権は1976年(昭和51年)から首都圏開催となって現在に至っているが、それまでは長居競技場や靱(うつぼ)球技場など大阪開催だったはず。なので「大阪に持ち帰る」という表現に違和感を覚えたのだった。
▽そこで古い資料を探したところ、昭和48年当時は西宮球技場と神戸中央球技場がメイン会場として使用され、西宮球技場は関西において「フットボールのメッカ」だったことが分かった。両競技場とも所在地は兵庫県。隣県とはいえ、「最初に大阪に優勝旗を持ち帰った監督」というのは間違いではなかったのだ。

▽高校選手権の黎明期は御影師範や神戸一中といった兵庫県勢が全盛期を迎えていた。そうれだけに、「最初に大阪に持ち帰った」という田中監督の偉業を大阪の指導者の方々は忘れずにいるのだろう。これも永い歴史を誇る高校選手権の、隠れたドラマの一つではないだろうか。

PR

NEWS RANKING
Daily
Weekly
Monthly