【六川亨の日本サッカーの歩み】浦和のACL優勝で思い出した古河優勝のスクープ

2017.11.27 16:03 Mon
Getty Images
▽浦和が10年ぶりにアジアの頂点に立った! ACL決勝でアル・ヒラル(サウジアラビア)との第1戦を1-1で引き分けた浦和は、11月25日のホーム第2戦で勝つかゴールレスで引き分ければ優勝という状況で、試合終了2分前に、第1戦に続いてラファエル・シルバが値千金の決勝点を奪取。2試合合計1勝1分けの堂々たる成績で2度目の優勝を果たし、12月7日から始まるクラブW杯では、アルジャジーラvsオークランドの勝者と9日に対戦し、勝てば準決勝でレアルと激突する。
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▽このACLだが、2002-2003年シーズンにアジアクラブ選手権、アジアカップウィナーズカップ、アジアスーパーカップを統合し、アジアのチャンピオンを決める大会としてリニューアルされた。日本からは浦和とG大阪が過去に制しており、最多優勝は韓国クラブの5回。日本は今回の浦和の優勝で3回目となり単独2位に浮上した。

▽それ以前の前身であるアジアクラブ選手権では磐田、読売クラブ(現東京V)、古河(現ジェフ千葉)の3クラブがアジアの頂点に立っていることは以前にも紹介した。一方のアル・ヒラルは2年連続して古河と読売クラブの後塵を拝し、今回で3回目のランナーズアップと、なかなか勝てない。▽浦和との対戦では、主力選手のブラジル人MFカルロス・エドゥアルドが第1戦で左足十字靭帯を傷め、第2戦でも宇賀神のチャージにエースストライカーのオマル・フリビンが負傷するなど運にも見離されたと言っていいだろう。
▽このアジアクラブ選手権で忘れられないのが1986年末に初優勝を遂げた古河だ。日本人プロ第1号の奥寺さんが西ドイツから凱旋帰国して古河に復帰すると同大会でも快進撃を続け、12月の決勝大会に進出。アジアクラブ選手権に出るためには天皇杯を欠場するしかない。過去にも現在も、天皇杯を棄権したのはこの時の古河しか記憶にない。

▽サウジアラビアで、リーグ戦形式で行われた86年の大会を取材するため現地を訪れたメディアは皆無だった。年末に遠く中東で行われた大会だけに、それも当然だった。にもかかわらず、サッカーダイジェストだけはモノクロのページながら写真つきでアル・ヒラル戦の模様を紹介した。
▽自費で取材に行った、わけではない。当時、古河のチームドクターを務めていた森本氏と、マッサーの妻木氏は、森ジャパンでもコンビを組んでいた。日本代表の取材を通じて知己となった両者は、カメラが趣味でもあった。そこで2人に、オフタイムや試合中にベンチから写真撮影をお願いすると、「可能だったら」という条件付きながら快諾してくれた。

▽新宿駅西口のバスターミナルが集合場所で、そこから成田空港に向かうため、モノクロフィルム10本ほどを手渡した。帰国後、元旦の天皇杯決勝の前に古河は優勝トロフィーを披露したが、そこで撮影済みのフィルムを受け取り、祈るような気持ちで現像のあがるのを待った。プロのカメラマンではないため望遠レンズにも限りがあり、アップのプレー写真こそなかったが、しっかり写っていた。こうして古河の優勝を誌面に反映できたのだった。

▽最後に、ACLの勝者が出場するクラブW杯は2019年まで現行のスタイルで開催されることが決まっているものの、FIFAは2020年以降を未定としつつ、2021年でコンフェデ杯を終了させ、クラブW杯と入れ替える計画だそうだ。4年に1回、6月開催で、当初は24チーム参加の大会を計画しているものの、どのように決定するかはまだ未定とのことだ。

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