【Jリーグが伝えたい事】第1回:Jリーグが育んだ“忘れない”の精神とサポーターと紡いだ復興支援への想い
2017.11.22 12:00 Wed
「笑顔、感動の涙など人の感情に寄り添えることがこの仕事のやりがいに繋がっています」──Jリーグのアジア戦略では先頭に立ち、現在は株式会社Jリーグ マーケティング専務執行役員として多忙な日々を送る山下修作氏が、仕事のやりがいを語った。Jリーグが掲げる『百年構想』を体現するキーマンである山下氏に、Jリーグが目指すもの、Jリーグが生み出してきたものについて、インタビューを進めたい。
第1回目のテーマに選んだのは、Jリーグが後援する映画『MARCH』。2011年3月11日に発生した東日本大震災による震災被害を乗り越え活躍するマーチングバンドとJリーグクラブの関わりを題材とした作品を通じてのリーグの取り組みを中心に伺った。
『MARCH』は、被災地の一つである南相馬で活動を続ける小中学生で構成される南相馬市立原町第一小学校のマーチングバンド部を中心に誕生した“Seeds+”というマーチングバンドが、震災から3年半が経過した2014年9月14日、J2の愛媛FCvsモンテディオ山形の試合に招待され、試合前のピッチで演奏を披露。この様子を中心にJクラブと“Seeds+”の関わりやクラブの復興支援のあり方、その関係性に生まれたサッカーの新たなる魅力やマーチングバンド“Seeds+”の魅力を描いたドキュメンタリー映画である。
Jリーグクラブが関わる取り組みに対し、震災当日仕事で神奈川県内にいた山下氏自身もその衝撃に驚き、そして仙台をはじめとしたJリーグ各クラブが被災したことを踏まえ、甚大な被害を与えた東日本大震災を“忘れない”ために、リーグとして後援を決定したと明かしてくれた。
「私自身も関東ではありましたがあの地震を体感し、その後何度も仙台の試合や陸前高田にも行かせていただく中で、未だ復興は道半ばと感じています」
「Jリーグとしては“忘れない”ことをキーワードに、しっかりと被災地に寄り添って募金活動など、お手伝いできることをしていこうと決めていました。この映画の後援をさせていただいたのも、“忘れない”ことの一環なのかなと思います」
「正直、何もできないなと。しかも仙台があのような状況になっていた。唯一できたのは、その年の(ベガルタ)仙台のチームの集合写真に『頑張ろう!』というメッセージを入れ、『J's GOAL』に掲載しました。『サポーターもみんなで頑張っていきましょう』というようなことしか、写真で掲載できませんでした」
「その写真に対して全国のサポーターから『頑張ってください』などたくさんのコメントが寄せられました。それくらいしか、あの週末はできませんでした」
震災の影響で仕事のあり方や自身の生き方、日常をいかに取り戻せばいいのかという葛藤と混乱に誰もが苛まれたあの時。Jリーグで働く山下氏も、その想いは同じだった。
「(3月)15日、16日にACLがあって、セレッソ大阪とガンバ大阪がアウェイの中国で試合がありました。元々行く予定でしたが、すごく迷っていて…」
震災直後に日本で開催予定だった、名古屋グランパスvsアル・アイン、被災地の1つである鹿島アントラーズとシドニーFCのアウェイゲームは順延に。しかし、中国での2試合は予定通り開催された。中国行きを迷っていた山下氏を、ある1つの考えが現地に向かわせた。
「迷っていたのですが、こんな中でも試合が行われていて、そこで日本のJリーグのクラブが戦う。そこから伝えられることはあるんじゃないか? そう思い中国に向かいました」
山下氏の「何かできることはないか」という想いが決断させた中国行き。その想いは、再び人々の感情を動かすことになる。
自身の感動体験は、再び被災者へ伝えられることとなる。
「その様子を写真に撮って、『J's GOAL』に載せて、中国のサポーターも仙台のこと、日本のことを心配しているということを発信しました。それが震災から1週間くらいのことです」多くの葛藤が胸の中にありながらも、自身の想いを行動に移し、それを多くの人々に広げていくことを続けていた山下氏。その背景には、Jリーグの「自分たちが何かお役に立てるようなことがないか」という視点があった。
「自分には何ができるのだろうか。こういう時にサッカーをやっていて良いのだろうか。とすごく悩みながらも、サッカーを通じてだからこそできること、小さくても良いので何かできないかなと思っていました」
Jリーグは、復興支援の一環として『TEAM AS ONE』を結成。日本代表との復興支援試合を開催した。その裏で山下氏は、サポーターからの相談を受け、再び動き出す。
「私はそこ(『TEAM AS ONE』)には関わっていなかったので、当時関わっていた『J’s GOAL』で何かできることはあればと思っていました。サポーターから電話がかかってきて、「復興支援物資を持ち寄って仕分けして送りたいけど、どこか仕分けできる場所ありませんか」と相談があり、JFAに掛け合ってJFAハウスの一階を開放して、3月26日の土曜日にサポーター有志と集まり、一緒になって仕分けしました」
「7~800人のサポーターが何も言っていないのに応援しているチームのユニフォームを着て、支援物資を持ち寄って、段ボールにメッセージを書いていました。そこには『浦和レッズのサポーターが』ではなく『Jリーグのサポーターがあなたたちと一緒にいます』と書かれていました。みんなが『Jリーグのサポーター』という言葉を使っていて、すごく驚きというか、感動というか…。『すごいなJリーグのサポーターの人たちは』と思いました。みんなが一体となって、被災地のために役立とうという思いをリアルに体感した一日でした」「Jリーグは『百年構想』をはじめとした理念を全国に広げていく中で、明確にこの日を目指していた訳ではありません。こういう積み重ねがあったからこそ、サポーター同士が話し合って、連携して、被災地のために役立つ行動をしようとしてくれているのは、Jリーグが選手やサポーターと積み重ねてきた文化が一つの形として少し表れたのかなと思います」山下氏が体感した、Jクラブのサポーターを通じて「人の感情に寄り添えること」。それはJリーグが誕生から25年間の歳月をかけて積み重ねてきた産物だったのかもしれない。
Jリーグが後援している映画『MARCH』は、2017年5月、フランス・ニースにて開催された国際映画祭「Nice International Filmmaker Festival 2017」で外国語ドキュメンタリー最優秀監督賞を受賞した。しかし、山下氏は福島に対する被災地と世界とのギャップを感じているという。
「ギャップはすごくあるなと感じています。1つは、世界では『フクシマ』は終わったと思われている。しかし、実際には福島でJリーグの試合も行われていますし、普通に人々は生活しています。いまそこにある日常を、そこを発信していかなければいけないと思っています」
「世界に『フクシマ』を伝えていくために、映画の制作者や関わっている方が頑張って作品を出品して賞を獲っていくことはとても良いことです。そのお手伝いができればなと思っています」
「あと、日本国内でもまだまだだなと感じています。世界で思われている『フクシマ』のギャップを埋めていくだけではなく、日本国内でもまだまだ福島の現状への理解不足と風評被害がある中で、そのギャップを埋めていくためにJリーグが何かお手伝いできないかと感じています」
山下氏が度々口にする『お手伝い』という言葉。やはり、ここにもJリーグ、そして山下氏の想いが詰まっているように感じる。「自分たちが何かお役に立てるようなことがないか」というJリーグの視点は、ファンやサポーターを含めたJリーグに関わる多くの人々へ根付いている。
「正直、あの映画があるからこそJリーグとしてもストーリー性を伝えやすいところはあります。出てくる子供たちの頑張っている姿や笑顔を見て、感じることが多く、自分も何か支援できないだろうかと感じてくれる人もいると思います」
「Jリーグとして伝えていきたいことがこの映画にも表れていたので、後援させていただいています。今Jリーグがやりたいことと、できることのギャップを埋める1つの手段として『MARCH』があるのかなと思っています」
Jリーグは、震災から5年が経とうとする2016年2月23日に『MARCH』の後援を発表。そして5年が経過した2016年3月14日に、JFAハウスにて『MARCH』の上映試写会を実施した。
「後援を発表した後にJFAハウスで完成お披露目試写会をやりました。平日の夜でしたが、参加してくれたのはJの25クラブくらいのサポーターの方たちでした。ユニフォームを着て駆けつけてくれて、ソーシャルメディアでも感想を書いていただきました」
「私の中では2011年の3月にみんなで支援物資を仕分けしたのと同じ場所で試写会を実施したので、オーバーラップしたというか…。あの時もいろいろなクラブのサポーターが仕分けをして支援物資をお送りしましたが、今回は観る支援。そこから『MARCH』のグッズを購入してもらったり、募金を頂いたりもしました」
「Jリーグのサポーターは自分が応援しているクラブだけではなくて、日本全国、色々なところで役に立てることがあれば、役に立ちたいと思ってくれているんだなと感じました」
「1つはスポーツの素晴らしさ。あの子たちが頑張っている中で、映画の最初の方で試合を純粋な笑顔で見ているシーンがあります。応援して、ゴールが入って試合に勝って。そういうことがスポーツとしてできるという部分。また、試合前にあのように演奏できる機会があるのもスポーツの延長線上だと思います。その素晴らしさはぜひ伝えたいことです」
「もう1つは福島というところは地元の人たちが明るく暮らしているんだよと。がんばってこういう活動をしている人たちがいるんだよと伝えられればと思っています」
お伝えした『MARCH』。
このコラムをきっかけにご覧になりたい方も多いかもしれない。
しかしこの原稿執筆時点では今後の上映予定は未定とのことだ。それは、主催者側の様々な被災地への配慮や思いがあってのことだという。
「現在は、問い合わせを頂き、お話させてもらってお貸しするような制度をとっています。その都度、ご相談していただくのが『MARCH』の上映スタンスです」
多くの人々に観てもらいたい映画でありながら、広めることが難しい『MARCH』。しかし、山下氏はここでも「何かお役に立てるようなことがないか」という考えを垣間見せてくれた。
「残念ながら今は身近に観ることはできませんが、みなさんの声が集まればどこかで観られるようにしたいですね」
東北復興支援ドキュメンタリー映画『MARCH』。Jリーグサポーターには、ぜひ観ていただきたい作品であり、Jリーグの想いを感じることができる作品でもある。今後、この作品にどこかで出会うときがきっとくるはずだ。東日本大震災を“伝える”ではなく“忘れない”ためにも、その機会に出会ったときには観ていただければと思う。(了)
第1回目のテーマに選んだのは、Jリーグが後援する映画『MARCH』。2011年3月11日に発生した東日本大震災による震災被害を乗り越え活躍するマーチングバンドとJリーグクラブの関わりを題材とした作品を通じてのリーグの取り組みを中心に伺った。
『MARCH』は、被災地の一つである南相馬で活動を続ける小中学生で構成される南相馬市立原町第一小学校のマーチングバンド部を中心に誕生した“Seeds+”というマーチングバンドが、震災から3年半が経過した2014年9月14日、J2の愛媛FCvsモンテディオ山形の試合に招待され、試合前のピッチで演奏を披露。この様子を中心にJクラブと“Seeds+”の関わりやクラブの復興支援のあり方、その関係性に生まれたサッカーの新たなる魅力やマーチングバンド“Seeds+”の魅力を描いたドキュメンタリー映画である。
Jリーグクラブが関わる取り組みに対し、震災当日仕事で神奈川県内にいた山下氏自身もその衝撃に驚き、そして仙台をはじめとしたJリーグ各クラブが被災したことを踏まえ、甚大な被害を与えた東日本大震災を“忘れない”ために、リーグとして後援を決定したと明かしてくれた。
「Jリーグとしては“忘れない”ことをキーワードに、しっかりと被災地に寄り添って募金活動など、お手伝いできることをしていこうと決めていました。この映画の後援をさせていただいたのも、“忘れない”ことの一環なのかなと思います」
山下氏は、震災当時Jリーグからの出向先で業務に従事していた。そんな中発生した東日本大震災。山下氏は、「何かできることはないか」という想いから、1枚の写真を『J’s GOAL』にアップした。
「正直、何もできないなと。しかも仙台があのような状況になっていた。唯一できたのは、その年の(ベガルタ)仙台のチームの集合写真に『頑張ろう!』というメッセージを入れ、『J's GOAL』に掲載しました。『サポーターもみんなで頑張っていきましょう』というようなことしか、写真で掲載できませんでした」
[山下氏が震災当日にJ’s GOALに掲載した一枚]
前代未聞の地震を体感したあの日。山下氏はすぐに被災地のJクラブであるベガルタ仙台のことを想い、チーム、サポーターのために行動を起こした。そして、その想いはしっかりと伝わっていた。「その写真に対して全国のサポーターから『頑張ってください』などたくさんのコメントが寄せられました。それくらいしか、あの週末はできませんでした」
震災の影響で仕事のあり方や自身の生き方、日常をいかに取り戻せばいいのかという葛藤と混乱に誰もが苛まれたあの時。Jリーグで働く山下氏も、その想いは同じだった。
「(3月)15日、16日にACLがあって、セレッソ大阪とガンバ大阪がアウェイの中国で試合がありました。元々行く予定でしたが、すごく迷っていて…」
震災直後に日本で開催予定だった、名古屋グランパスvsアル・アイン、被災地の1つである鹿島アントラーズとシドニーFCのアウェイゲームは順延に。しかし、中国での2試合は予定通り開催された。中国行きを迷っていた山下氏を、ある1つの考えが現地に向かわせた。
「迷っていたのですが、こんな中でも試合が行われていて、そこで日本のJリーグのクラブが戦う。そこから伝えられることはあるんじゃないか? そう思い中国に向かいました」
山下氏の「何かできることはないか」という想いが決断させた中国行き。その想いは、再び人々の感情を動かすことになる。
[中国人サポーターからの激励のメッセージ]
「中国のサポーターが大弾幕で『日本と我々は常に一緒だ。がんばれニッポン』と。今まで中国の方からはACLで時として厳しいブーイングを頂いてきました。スポーツとはいえ戦う以上は敵同士。色々なことがありました。そんな中で、『大丈夫か!?』、『日本から来たのか!?』、『家族や友達は大丈夫か!?』と心配されたことは、あらゆる理屈や事情を超えてスポーツを通しての繋がりというか、応援をいただいたんだと思います」中国行きを決断したことで、得がたい体験をした山下氏。自身の感動体験は、再び被災者へ伝えられることとなる。
「その様子を写真に撮って、『J's GOAL』に載せて、中国のサポーターも仙台のこと、日本のことを心配しているということを発信しました。それが震災から1週間くらいのことです」多くの葛藤が胸の中にありながらも、自身の想いを行動に移し、それを多くの人々に広げていくことを続けていた山下氏。その背景には、Jリーグの「自分たちが何かお役に立てるようなことがないか」という視点があった。
「自分には何ができるのだろうか。こういう時にサッカーをやっていて良いのだろうか。とすごく悩みながらも、サッカーを通じてだからこそできること、小さくても良いので何かできないかなと思っていました」
Jリーグは、復興支援の一環として『TEAM AS ONE』を結成。日本代表との復興支援試合を開催した。その裏で山下氏は、サポーターからの相談を受け、再び動き出す。
「私はそこ(『TEAM AS ONE』)には関わっていなかったので、当時関わっていた『J’s GOAL』で何かできることはあればと思っていました。サポーターから電話がかかってきて、「復興支援物資を持ち寄って仕分けして送りたいけど、どこか仕分けできる場所ありませんか」と相談があり、JFAに掛け合ってJFAハウスの一階を開放して、3月26日の土曜日にサポーター有志と集まり、一緒になって仕分けしました」
[当時JFAハウス1階のバーチャルスタジアムでは支援物資の仕分け作業が行われた]
Jリーグクラブのサポーターと共に、被災地への復興支援に動いた山下氏。その活動の中で、Jリーグが育み、積み重ねてきた文化の一端を感じたそうだ。「7~800人のサポーターが何も言っていないのに応援しているチームのユニフォームを着て、支援物資を持ち寄って、段ボールにメッセージを書いていました。そこには『浦和レッズのサポーターが』ではなく『Jリーグのサポーターがあなたたちと一緒にいます』と書かれていました。みんなが『Jリーグのサポーター』という言葉を使っていて、すごく驚きというか、感動というか…。『すごいなJリーグのサポーターの人たちは』と思いました。みんなが一体となって、被災地のために役立とうという思いをリアルに体感した一日でした」「Jリーグは『百年構想』をはじめとした理念を全国に広げていく中で、明確にこの日を目指していた訳ではありません。こういう積み重ねがあったからこそ、サポーター同士が話し合って、連携して、被災地のために役立つ行動をしようとしてくれているのは、Jリーグが選手やサポーターと積み重ねてきた文化が一つの形として少し表れたのかなと思います」山下氏が体感した、Jクラブのサポーターを通じて「人の感情に寄り添えること」。それはJリーグが誕生から25年間の歳月をかけて積み重ねてきた産物だったのかもしれない。
Jリーグが後援している映画『MARCH』は、2017年5月、フランス・ニースにて開催された国際映画祭「Nice International Filmmaker Festival 2017」で外国語ドキュメンタリー最優秀監督賞を受賞した。しかし、山下氏は福島に対する被災地と世界とのギャップを感じているという。
「ギャップはすごくあるなと感じています。1つは、世界では『フクシマ』は終わったと思われている。しかし、実際には福島でJリーグの試合も行われていますし、普通に人々は生活しています。いまそこにある日常を、そこを発信していかなければいけないと思っています」
「世界に『フクシマ』を伝えていくために、映画の制作者や関わっている方が頑張って作品を出品して賞を獲っていくことはとても良いことです。そのお手伝いができればなと思っています」
(C)CWS Brains,LTD.
だが、山下氏がギャップを感じているのは世界とだけではなく、日本国内でも感じていると語った。「あと、日本国内でもまだまだだなと感じています。世界で思われている『フクシマ』のギャップを埋めていくだけではなく、日本国内でもまだまだ福島の現状への理解不足と風評被害がある中で、そのギャップを埋めていくためにJリーグが何かお手伝いできないかと感じています」
山下氏が度々口にする『お手伝い』という言葉。やはり、ここにもJリーグ、そして山下氏の想いが詰まっているように感じる。「自分たちが何かお役に立てるようなことがないか」というJリーグの視点は、ファンやサポーターを含めたJリーグに関わる多くの人々へ根付いている。
「正直、あの映画があるからこそJリーグとしてもストーリー性を伝えやすいところはあります。出てくる子供たちの頑張っている姿や笑顔を見て、感じることが多く、自分も何か支援できないだろうかと感じてくれる人もいると思います」
「Jリーグとして伝えていきたいことがこの映画にも表れていたので、後援させていただいています。今Jリーグがやりたいことと、できることのギャップを埋める1つの手段として『MARCH』があるのかなと思っています」
Jリーグは、震災から5年が経とうとする2016年2月23日に『MARCH』の後援を発表。そして5年が経過した2016年3月14日に、JFAハウスにて『MARCH』の上映試写会を実施した。
(C)J.LEAGUE PHOTOS
[震災当時、支援物資の仕分けを行った場所で『MARCH』上映会を開催]
震災当時と比べ、徐々に薄れつつある復興支援へのあり方。しかし、5年が経過して行われた試写会でも、山下氏はJリーグサポーターの行動に心を動かされた。「後援を発表した後にJFAハウスで完成お披露目試写会をやりました。平日の夜でしたが、参加してくれたのはJの25クラブくらいのサポーターの方たちでした。ユニフォームを着て駆けつけてくれて、ソーシャルメディアでも感想を書いていただきました」
「私の中では2011年の3月にみんなで支援物資を仕分けしたのと同じ場所で試写会を実施したので、オーバーラップしたというか…。あの時もいろいろなクラブのサポーターが仕分けをして支援物資をお送りしましたが、今回は観る支援。そこから『MARCH』のグッズを購入してもらったり、募金を頂いたりもしました」
「Jリーグのサポーターは自分が応援しているクラブだけではなくて、日本全国、色々なところで役に立てることがあれば、役に立ちたいと思ってくれているんだなと感じました」
(C)J.LEAGUE PHOTOS
[『MARCH』に登場するSeeds+のメンバーも上映会に来場]
Jリーグからサポーターに繋がる想い。山下氏は震災当時に感じた想いを、5年が経過した『MARCH』の試写会でも感じた。そんな山下氏が、『MARCH』の後援を通じて伝えたいことを改めて語ってくれた。「1つはスポーツの素晴らしさ。あの子たちが頑張っている中で、映画の最初の方で試合を純粋な笑顔で見ているシーンがあります。応援して、ゴールが入って試合に勝って。そういうことがスポーツとしてできるという部分。また、試合前にあのように演奏できる機会があるのもスポーツの延長線上だと思います。その素晴らしさはぜひ伝えたいことです」
「もう1つは福島というところは地元の人たちが明るく暮らしているんだよと。がんばってこういう活動をしている人たちがいるんだよと伝えられればと思っています」
お伝えした『MARCH』。
このコラムをきっかけにご覧になりたい方も多いかもしれない。
しかしこの原稿執筆時点では今後の上映予定は未定とのことだ。それは、主催者側の様々な被災地への配慮や思いがあってのことだという。
「現在は、問い合わせを頂き、お話させてもらってお貸しするような制度をとっています。その都度、ご相談していただくのが『MARCH』の上映スタンスです」
多くの人々に観てもらいたい映画でありながら、広めることが難しい『MARCH』。しかし、山下氏はここでも「何かお役に立てるようなことがないか」という考えを垣間見せてくれた。
「残念ながら今は身近に観ることはできませんが、みなさんの声が集まればどこかで観られるようにしたいですね」
東北復興支援ドキュメンタリー映画『MARCH』。Jリーグサポーターには、ぜひ観ていただきたい作品であり、Jリーグの想いを感じることができる作品でもある。今後、この作品にどこかで出会うときがきっとくるはずだ。東日本大震災を“伝える”ではなく“忘れない”ためにも、その機会に出会ったときには観ていただければと思う。(了)
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