【座間健司の現地発! スペインの今】カタルーニャ独立、サッカーに及ぼす影響
2017.11.05 12:00 Sun
▽2017年10月1日、スペイン北東部のカタルーニャ州は異様な雰囲気だった。この日、カタルーニャ州政府は、独立の是非を問う住民投票を強行した。1978年制定のスペイン憲法155条には「自治州が憲法を違反をした場合、もしくはスペインの統治をいちじるしく脅かした場合に、政府の直接統治が可能になる」という趣旨が記されており、独立を問う住民投票は、違法だと憲法裁判所は判決を下していた。カタルーニャ州政府はその判決を無視し、2014年に続き、住民投票を強行した。対して中央政府は国家警察を送り込み、投票所にある投票箱や投票用紙の回収、身元確認のインターネットシステムの遮断など投票阻止を行った。そして投票箱を回収しようとする国家警察と住民の衝突が起こり、警察が市民に暴力を振るう映像がSNSを中心に世界中に拡散された。カタルーニャ州政府は衝突により844人が負傷し、また約534万人の有権者の内、226万人が投票し、独立賛成が90パーセントに達したと発表した。とはいえ、同じ人間が多くの投票を行ったり、投票用紙がばらまかれたりと信頼できる数字ではない。
▽今も続く混沌とした毎日が始まったのが、この日だった。
▽それから約1カ月、カタルーニャ州政府は住民投票の結果を手に交渉しようとしたが、中央政府は違憲だと突っぱね続けた。すると10月27日にカタルーニャ州政府は、独立宣言を州議会の投票で賛成可決した。その結果を受け、すぐさま中央政府は議会で155条を実施を賛成多数で可決させた。カタルーニャ州議会は解散され、12月21日に議会選挙を行うことを発表した。
▽そもそもカタルーニャの人たちは、なぜ独立を訴えるのか。
▽カタルーニャはスペイン継承戦争の末、1714年9月11日にスペイン軍に制圧された。バルセロナの本拠地カンプ・ノウでは、17分14秒にスタンドから独立を求めるコールが起こるが、制圧された年号に由来する。1939年から1975年の独裁者フランコの体制下では、厳しい弾圧が行われた。自治権は剥奪など政治経済だけではなく、言語、音楽などの地域特有の文化も禁じられた。そんな時代にあってカンプ・ノウはカタルーニャ語を自由に話せる場所であり、クラブはカタルーニャ民族主義を示す存在でもあるので「クラブ以上の存在」というスローガンがバルセロナにつけられた。
▽このような歴史的背景があり、カタルーニャ州は独立意識の高い地域となった。「生まれた時から自分がスペイン人とは感じられない」とアイデンティティの違いを訴える人も多い。だが1990年代、2000年代はバルセロナ自治州大学の統計によると独立に賛成の人は、30パーセント代がほとんどで、50パーセントと言われる今ほど多くなかった。独立運動の激化の引き金となったのは、リーマン・ショックだ。
▽盛り上がる独立運動に対して中央政府は、カタルーニャ州政府との対話に応じず、不満のガス抜きを怠ってきた。カタルーニャ州政府も、正面から中央政府のドアを叩くだけで、他のルートを探すことを怠り、違憲と分かりながらも、住民投票を強行した。両者に有能な政治家がいないこともあり、政局は戻ることができないところまで来てしまった。
▽スポーツと政治は、切り離せない。過去のオリンピックやワールドカップを見れば分かるように、政治がスポーツを利用し、国民を扇動し、注目が集まる大一番ではスタンドに政治的なメッセージが掲げられた。レアル・マドリードを迎えたカンプ・ノウでは「カタルーニャはスペインではない」という観衆の横断幕は、その典型だ。
▽さらに政局は、スポーツに影響を与える。
▽バルセロナは住民と警察の衝突が起きた住民投票の日に、ラス・パルマスとのゲームがカンプ・ノウであったが、試合開始15分前に無観客試合を突然発表した。住民投票による異様な雰囲気もあり、スタンドで騒動が起こる危険性は高い。とはいえ、試合を中止にすれば、プロリーグ機構から勝点を剥奪する可能性があると警告された。そこで苦肉の策として、無観客試合を決めた。この決断に「住民が警察と衝突した日に試合をしている場合ではない」「クラブ以上の存在と唱えるクラブならば、勝点をいくら剥奪されてもいいから試合をすべきではなかった」と地元メディア、大多数のソシオは失望した。
▽試合後に住民投票の正当性を訴えたピケは、翌日マドリードで始まった代表活動に参加すると罵声を浴びせられ、ワールドカップ予選のアルバニア戦でホームにも関わらず、彼がボールを持つ度にブーイングが起こった。ピケはカタルーニャ州の独立を支持するとは公の場で一度も明言したことはないが、その言動から独立派だと認識されている。
▽ピケが所属するバルセロナも同じだ。カンプ・ノウでスタンドから独立コールが起こるように主張ははっきりしているように見えるが、独立を支持するとクラブは公言していない。ただ10月18日のチャンピオンズリーグのパナシナイコス戦では「対話、尊敬、スポーツ」という45平方メートルの横断幕を掲げるなど独立派の人たちに寄り添うメッセージを発信した。その一方でバルトメウ会長は以前は独立したら「バルセロナはエスパニョールとジローナと同じところでプレーする」と言葉を濁していたが、最近は「我々はリーガで戦いたいと望んでいる」と表明するようになった。
▽なぜ変容したのか。
▽チャンピオンズリーグでも今のように常に優勝候補でいるのならば、バルセロナには大きな予算が必要だ。仮にカタルーニャが独立し、バルセロナがエスパニョール、ジローナくらいしかライバルがいない競争力が低い国内リーグを戦うとなれば、リーガにいるほどの巨額の放映権料は手にできないことは確実だ。約200億円近い放映権料は、カタルーニャ州リーグだけでは、手にできない。ほんの10年前には胸にスポンサー名が入ることが大きな議論となったが、今ではソシオの誰もがそれを受け入れている。なぜなら巨額のスポンサーがなければ、メッシなどスター選手を抱えられないからだ。今ではネーミングライツを売り出そうと計画するなど収入を増やすことに必死なのだ。そんな状況下で、もしリーガを離れ、放映権料など失うことになれば、バルセロナは欧州の強豪ではなくなってしまう。そう算段しているからこそ、バルトメウ会長の言葉も変わってきたのではないか。それはエスパニョール、ジローナにも言えることで、カタルーニャ州の独立が地元クラブにもたらす恩恵はないのかもしれない。
【座間健司】1980年7月25日生まれ、東京都出身。2002年、東海大学文学部在学中から「フットサルマガジンピヴォ!」の編集を務め、卒業後もそのまま「フットサルマガジンピヴォ!」編集部に入社。2004年夏に渡西し、2012年によりフットサルを中心にフリーライター&フォトグラファーとして活動を始める。
▽今も続く混沌とした毎日が始まったのが、この日だった。
▽それから約1カ月、カタルーニャ州政府は住民投票の結果を手に交渉しようとしたが、中央政府は違憲だと突っぱね続けた。すると10月27日にカタルーニャ州政府は、独立宣言を州議会の投票で賛成可決した。その結果を受け、すぐさま中央政府は議会で155条を実施を賛成多数で可決させた。カタルーニャ州議会は解散され、12月21日に議会選挙を行うことを発表した。
▽そもそもカタルーニャの人たちは、なぜ独立を訴えるのか。
▽このような歴史的背景があり、カタルーニャ州は独立意識の高い地域となった。「生まれた時から自分がスペイン人とは感じられない」とアイデンティティの違いを訴える人も多い。だが1990年代、2000年代はバルセロナ自治州大学の統計によると独立に賛成の人は、30パーセント代がほとんどで、50パーセントと言われる今ほど多くなかった。独立運動の激化の引き金となったのは、リーマン・ショックだ。
▽もともとカタルーニャは、中央政府から還元される金額に不満を持っていた。スペイン第2の都市であるバルセロナは、スペイン紙『エル・ベリオディコ』に掲載された2015年のデータによれば、3番目に多くの税金を納めている自治州だ。対して、還元されている額は上から10番目の州だった。この分配にカタルーニャ州の独立派の人は、かねてから不満を持っている。ちなみに1番税金を収めているマドリード州へ還元される額は、11番目とカタルーニャよりも少ないが、こういった事実は彼らの目には止まらない。そんな不満を抱いていたところに、リーマン・ショックが起こり、当時建築バブルだったスペインは一気に傾き、不動産が暴落した。経済危機に陥り、失業率は30パーセント近くになり、20代、30代の失業率に至っては、50パーセントを超えた。常日頃から不満があった中央政府の税金の分配に加えて、経済危機が重なった。そして、カタルーニャ州政府やカタルーニャを拠点にするメディアは、この機会に乗じて、独立を喧伝した。
▽盛り上がる独立運動に対して中央政府は、カタルーニャ州政府との対話に応じず、不満のガス抜きを怠ってきた。カタルーニャ州政府も、正面から中央政府のドアを叩くだけで、他のルートを探すことを怠り、違憲と分かりながらも、住民投票を強行した。両者に有能な政治家がいないこともあり、政局は戻ることができないところまで来てしまった。
▽スポーツと政治は、切り離せない。過去のオリンピックやワールドカップを見れば分かるように、政治がスポーツを利用し、国民を扇動し、注目が集まる大一番ではスタンドに政治的なメッセージが掲げられた。レアル・マドリードを迎えたカンプ・ノウでは「カタルーニャはスペインではない」という観衆の横断幕は、その典型だ。
▽さらに政局は、スポーツに影響を与える。
▽バルセロナは住民と警察の衝突が起きた住民投票の日に、ラス・パルマスとのゲームがカンプ・ノウであったが、試合開始15分前に無観客試合を突然発表した。住民投票による異様な雰囲気もあり、スタンドで騒動が起こる危険性は高い。とはいえ、試合を中止にすれば、プロリーグ機構から勝点を剥奪する可能性があると警告された。そこで苦肉の策として、無観客試合を決めた。この決断に「住民が警察と衝突した日に試合をしている場合ではない」「クラブ以上の存在と唱えるクラブならば、勝点をいくら剥奪されてもいいから試合をすべきではなかった」と地元メディア、大多数のソシオは失望した。
▽試合後に住民投票の正当性を訴えたピケは、翌日マドリードで始まった代表活動に参加すると罵声を浴びせられ、ワールドカップ予選のアルバニア戦でホームにも関わらず、彼がボールを持つ度にブーイングが起こった。ピケはカタルーニャ州の独立を支持するとは公の場で一度も明言したことはないが、その言動から独立派だと認識されている。
▽ピケが所属するバルセロナも同じだ。カンプ・ノウでスタンドから独立コールが起こるように主張ははっきりしているように見えるが、独立を支持するとクラブは公言していない。ただ10月18日のチャンピオンズリーグのパナシナイコス戦では「対話、尊敬、スポーツ」という45平方メートルの横断幕を掲げるなど独立派の人たちに寄り添うメッセージを発信した。その一方でバルトメウ会長は以前は独立したら「バルセロナはエスパニョールとジローナと同じところでプレーする」と言葉を濁していたが、最近は「我々はリーガで戦いたいと望んでいる」と表明するようになった。
▽なぜ変容したのか。
▽チャンピオンズリーグでも今のように常に優勝候補でいるのならば、バルセロナには大きな予算が必要だ。仮にカタルーニャが独立し、バルセロナがエスパニョール、ジローナくらいしかライバルがいない競争力が低い国内リーグを戦うとなれば、リーガにいるほどの巨額の放映権料は手にできないことは確実だ。約200億円近い放映権料は、カタルーニャ州リーグだけでは、手にできない。ほんの10年前には胸にスポンサー名が入ることが大きな議論となったが、今ではソシオの誰もがそれを受け入れている。なぜなら巨額のスポンサーがなければ、メッシなどスター選手を抱えられないからだ。今ではネーミングライツを売り出そうと計画するなど収入を増やすことに必死なのだ。そんな状況下で、もしリーガを離れ、放映権料など失うことになれば、バルセロナは欧州の強豪ではなくなってしまう。そう算段しているからこそ、バルトメウ会長の言葉も変わってきたのではないか。それはエスパニョール、ジローナにも言えることで、カタルーニャ州の独立が地元クラブにもたらす恩恵はないのかもしれない。
【座間健司】1980年7月25日生まれ、東京都出身。2002年、東海大学文学部在学中から「フットサルマガジンピヴォ!」の編集を務め、卒業後もそのまま「フットサルマガジンピヴォ!」編集部に入社。2004年夏に渡西し、2012年によりフットサルを中心にフリーライター&フォトグラファーとして活動を始める。
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