【東本貢司のFCUK!】ロマンティストとリアリスト

2017.05.14 13:35 Sun
Getty Images
▽「freak」。「気まぐれ」もしくは「気まぐれな行為、いたずら」を意味する英語。文脈によっては「風向きが変わること」を指すこともある。13日土曜日のマンチェスター・シティー-レスター戦で見た「マーレズのPK失敗」は、まさに「運命のいたずら」と解され、それより前の「オフサイド疑惑」(シティー、シルヴァの先制ゴールが決まった際、オフサイドポジションにいたスターリングがそのシュートに触れようとしたかに見えた一件)ともども、ゲームの「風向き」を大いに左右しかねない「フリーク」な事件だった。あるいは2点のビハインドからストークがもぎ取った追撃のゴールの際、クラウチの頭よりも先に手に当たったように見える誤審疑惑もその一つに数えていいかもしれない。もっとも、こちらは幸いにもゲームの帰趨にさほどの影響は与えなくて済んだようだ。しかし、何よりも「フリーク」な印象を禁じ得ないのは、ついにプレミアのタイトル奪回に成功したチェルシーの新・名物マネージャー、アントニオ・コンテの人となりではなかろうか。

▽コンテの就任が公表されたとき、その火傷をしそうな熱血キャラと当時まだ燻っていた不祥事疑惑から、本コラムでコンテを「劇薬」と形容したことを覚えておられるだろうか。決め手となったのは、アンドレア・ピルロの“証言”「あの人といると気の休まる暇がまったくない」だったのだが、此度首尾よくデビューシーズン優勝を果たした直後から、コンテの意外な「気配りの才」が現地メディアで語られ始めたのには、正直“目からウロコが落ち”、なるほどと膝を打ったものである。背景を振り返ればその“劇的効果”がものの見事に「良薬」として機能したことに思い当たる。帰ってきた英雄「スペシャル・ワン」によってもたらされたタイトル奪還と、その後にやってきた思わぬ転落ーーーすべてはジョゼ・モウリーニョという、唯我独尊を絵にかいたような究極のリアリストが招いた天国と地獄・・・・スタンフォード・ブリッジに忍び込んだような失意と割り切れなさの“ウィルス”は、傍から見ても駆除するのにしばらく苦労するのではと思わせたものだった。つまり、コンテは格好のクリーニングアプリだったのだ。呆れるほどのきめ細やかさでもって。
▽彼はオフの間から(すなわち、イタリア代表監督としてユーロに参戦する合間を縫って)、チェルシーの隅々に至るまで、気配りと人心掌握と“ローラー作戦”を実行していたという。コブハムのトレーニング施設を足しげく訪ね、その責任者、スタッフと濃密な会話を重ねる一方で、オーナーとも影のように付き添って“クリーニング作戦”の種を掘り起こし、慎重かつ丁寧にそれを蒔いて芽が吹くお膳立てを施した。プレーヤー個々との聞き取り、話し合い、アドバイスのやりとりを通して、現状の理解および必要な手立てを模索し、話の分かる兄貴分としての自身を売り込んだ。あの、サイドラインで演じてみせる度肝を抜くような熱血アクション、記者会見間場で記者用に用意されたケーキを“つまみ食い”してみせる茶目っ気、質問に答える際の噛みしめるようなトーンと冷めた鋭い目つき・・・・それらすべてが、“演技”ではない、アントニオ・コンテの素のままの発露だったとすれば、モウリーニョ・ショックで白けかけていたムードを払拭する何よりのカンフル剤だったと、今では思えてくる。ならばあえてこう称したくなる。「稀有なるロマンティスト」

▽あくまでも対比だ。“脱・リアリスト”に対するロマンティスト。切り替えも潔く迅速だった。アーセナルに3-0で敗れて8位まで転落、首位マンチェスター・シティーに大きくみずをあけられたとき、コンテはやおら3バックを敷いて目先を変えた。それも、奇策でも何でもなく、必然の“二の矢”のごとく。戦術論偏向者にはいろいろと語る種になったようだが、ユヴェントス時代からコンテを観察し続けてきた某識者によると、コンテには戦術志向が薄いという。臨機応変、直感で迷わず善後策の手を打つ、いわば「フリーク」志向の気が強いという。そして、それがチェルシーの現メンバーにぴたりフィットして機能した。モーゼズを再生させ、アスピリクエタの新境地を開き、ケイヒルをキャプテンに据えて新しい“芯”を築き、問題児のコスタを巧みに手なずけた。ときにはピエロのようにふるまいつつ、沈着で冷徹な本質を垣間見せ、夢と現実を巧妙に融合させた。そんな意味での「ロマンティスト」、絵空事や独善ではない「ロマン」の提唱者を、“飾らない地のまま”の言動で演じて見せた。その、開けっぴろげさに、誰もがほだされ身を預けた。

▽片やリアリストのモウリーニョは、良くも悪くも「信念の人」である。その信念にわずかなりとも異議を申し立てられることを好まない。どこか衝動的にも映るエキセントリックな言動も、必ずその裏には信念に基づいている。そして、それは今、ヨーロッパリーグ制覇にほぼ全面的にフォーカスされている。ある意味での天王山となったアーセナル戦に向けて「主力休養」を匂わせ、セルタをなんとか退けて“計算成就”を目前にした後も「たとえ(アヤックスとの)決勝に敗れて(チャンピオンズ出場を絶たれて)も「(ユナイテッド初年度采配の)成功と言ってはばからない」とうそぶく。ロマンティストは迷わず手を変え品を変え、リアリストは慌てず騒がず我が道を行く。前者は他人の評価など意に介さず(もしくは、そのフリを見せず)、後者は他人の評価の先を読んで利用しようとする。ただし、そんなモウリーニョ流がユナイテッドに“合う”かどうかは・・・・未解決の謎だ。すでに「石橋をたたいて渡る」その守備寄りの考え方は“合わない”と憂慮する声も出ている。多分“答え”はチャンピオンズ復活以降に見えてくるのだろう。さてその成果は?
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】 1953年大阪府生まれ 青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。

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