【六川亨の日本サッカー見聞録】痛ましい墜落事故に思ったこと

2016.12.01 16:00 Thu
Getty Images
▽また痛ましい墜落事故が起きてしまった。もうすでにテレビや新聞、ネットでも報道されたように、11月28日午後10時過ぎ、南米クラブ選手権(コパ・スダメリカーナ)決勝に出場するためコロンビアのメデジンに向かっていたブラジル1部リーグのシャペコエンセの選手やクラブ関係者の乗っていたチャーター機がメデジン空港近くで墜落。奇跡的に救助された3選手をのぞき、22人のメンバーを含め、クラブ関係者や記者など70人が命を落としたという。
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▽哀しい事故により初めてチーム名を知ったが、犠牲者には元神戸のカイオ・ジュニオール監督や千葉でJ2得点王にもなったケンペスや、柏でプレーしたクレーベルら元Jリーガー5人が含まれているだけに、各クラブの関係者、ファン・サポーターも心を痛めていることだろう。HPで哀悼の意を表したり、練習前に黙とうをしたりしてかつてのチームメイトを偲んだクラブもある。▽かつては1949年に、当時絶頂期にあったトリノの選手が乗った飛行機がトリノ郊外に墜落して選手全員が死亡した「スペルガ(墜落地)の悲劇」や、1958年にチャンピオンズリーグの帰途、西ドイツのミュンヘン空港で離陸に失敗して選手の大半を亡くした「ミュンヘンの悲劇」と言われる惨事があった。近年では1993年に、W杯予選に出場するため移動中だったザンビア代表の搭乗機がガボン沖合に墜落して乗客全員が死亡したり、1987年にはペルーの名門チーム、アリアンサ・リマの選手が搭乗した飛行機が太平洋に墜落して43人が死亡したりした、痛ましい事故があった。
▽事故の原因は燃料切れという説と、電気系統のトラブルという説があるが、まだ正確なことは分かっていない。日本と違いヨーロッパや南米、アフリカは広大な大陸ため、移動手段に飛行機は欠かせない。そしてブラジルW杯や今夏のリオ五輪取材時に実感したのは、マナウスからサルヴァドールやサンパウロへ移動するのに直行便はないため、ブラジリアでの乗り換えを余儀なくされ、改めてブラジルの国土は広いということだった。今回のチャーター機も、サンパウロからボリビアのサンタクルスを経由してメデジンに向かった。どちらが墜落の原因であっても、納得せざるを得ない気がしてならない。

▽ここで話しは大きく変わるが、韓国では朴槿恵大統領の退陣を求める大規模なデモが連日のように行われている。何十万という人々が光化門広場に集まり声なき声をあげている。ドイツのミュンヘンなら市庁舎広場前、ウクライナだったら首都キエフにあるソフィア広場、フランスだとパリのシャンゼリゼ大通り、イタリアではミラノのドゥオーモ広場、メキシコではメキシコシティの独立記念塔、アルゼンチンならブエノスアイレスの独立記念塔といった具合に、嬉しい時や悲しい時、あるいは抗議をするために人々が集える広場がある。
▽もしも日本にもそうした広場があれば、今回のような痛ましい出来事に、サッカーファンが集って哀悼の意を捧げたと思うが、残念ながら日本にはそうした広場がない。渋谷のスクランブル交差点や大阪の道頓堀ではなく、人々が自然発生的に集える広場が欲しいとの思いを新たにせずにはいられなかった。最後に、亡くなられたすべての方々のご冥福をお祈りいたします。


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