【東本貢司のFCUK!】結果は必ずしもすべてじゃない
2016.10.13 11:15 Thu
▽正直、鼻白む思いだ。ハリル・ジャパンが表面的にはもどかしいドローに終わった直後から、降って湧いたように「解任論」が噴出し始めた。それも、これまで「勝って嬉しい、負けて悲しい」程度だったはずの“素朴なファン(および、普段はさして関心を示さなかった人々)”たちからである。物事を判断する際には「わかってきた気がするとき」ほどむずかしい。慎重、熟考がないと底の浅い“結論めいたもの”に走ってしまうもの。ブラジルW杯前後辺りから、サムライブルーには異変が目立ち始めていた。主戦級が軒並み海外へと飛び出し、彼らのポテンシャルが国際的に認められ始めたことも、一種の逆作用を及ぼしているのかもしれない。「いつでも(代表に)合流すればそれなりのサッカーができる」ということは、裏を返せば「いつでも同じサッカーしかしない」ことになりかねない。おそらくハリルもそれを案じていた。果たして蓋を開けたW杯最終予選、苦戦の連続だ。そこで前半戦の天王山・対オーストラリアに「新路線」をぶつけてみた。そして・・・・。
▽皆まで言うまい。素人目にも「変えたな」と気づく節が見え、それが結果を伴ったとは見えにくい、わかりにくいとなると、すわ、批判の矢を浴びせかける。本当は、何がどう変わり、その意図が奈辺にあるのか説明もできない向きほど、その傾向が強くなる。要するに、増幅されたやり場のない苛立ちだ。何の話かって? もちろん「ハリルの更迭近し」の静かなる大合唱にも重大な関わりがある。が、ここではスリーライオンズ、そのイングランドのキャプテンをめぐる「不要か否か論」に触れていかなければならない。代表最多ゴール、フィールドプレーヤーとして代表最多キャップという蓄積の節目を越え、名実ともに「偉大」の領域に入ったはずのウェイン・ルーニーが、今、その立ち位置の危なっかしさに直面している。年齢的な衰えはほぼない。31歳でそれは酷というもの。その理由、こちらはハリル(の戦術的変更)とは違って、素人目にもわかりやすい。一言で言えば、適性と与えられたポジションとの齟齬―――あからさまに言うなら、現在のルーニーはナンバー10、アンカー、トップ下、それらのいずれにも適合しない存在になっているのだ。
▽しかも、何よりの問題は、ルーニー自身が「覚悟を示す方向性」を定めきれずに彷徨っている状態にあることだと思う。ジョゼ・モウリーニョの評価(ナンバー10、ストライカーの適性)や、今年のユーロでのもどかしいプレーには、彼にも忸怩たるものがあるはずだが、では何をどうすべきかの答えが(少なくとも今はまだ)見つけられていない。ポジションでの貢献度に疑問符をつけられ、ユナイテッド、代表でスタメンから落とされてもなお、彼は「上から与えられたポジションはどこでも厭わない」と、精神論でしか応えられていない。おそらくは、献身的に攻守に駆け回り続ける昨今のプレースタイルを今更変えることはできない、という強い思い、覚悟なのではあろう。そして、そのことがチームの戦術上、必ずしも有意義、良好に機能していないことも自覚しているからだろう。少々穿った言い方をすれば、彼は今、そんな「矛盾」を突き抜けて自らの存在を示すしかないと腹をくくっているようにも見える。ただ、その“兆し”はまだプラスに表面化していない。
▽口を開けば「結果(がすべて)」と人は簡単に言うが、多くの場合、それも自らの生業や糧に直結するわけでも何でもない物事(余暇)に関しては、その「原因」をよく吟味などしないものだ。ハリルが「変えようとした、もしくは試みている」としたら、ルーニーの場合は「変えられない(から何にでも従う)」ことになるが、いずれも「原因」はほぼ明白だろう。そして、もうお気づきだと思うが、ここには「戦術ありきか、プレーヤー(の能力)ありきか」という、素朴で根源的ともいえる命題が行きつ戻りつ彷徨っている。さあ、どなたかこの命題について、自信をもって答えられますか? 「時と場合による」では話にならない。なぜなら、ここには歴然たる前提:「ほとんどの該当するプレーヤーたちは能力的にも戦術眼的にもできあがっている」があるからだ。つまり「どちらか」が歩み寄らねば問題解決に至らないことになるが・・・・。と、ここまで言い及んでおきながら恐縮だが答えは見えない。苦し紛れだが「相性と時の運次第」でしばしご勘弁いただきたい。
▽ただ、突破口、ないしはそれにつながるヒントなら、よく目と耳を凝らして見つけることはできる。イングランドはFIFAランキング60位代のスロヴェニア相手に、シュートたったの3本でスコアレスドローに甘んじた。暫定の将、ギャレス・サウスゲイトが腹をくくった、ルーニーをスタメンから落とすというショック療法は逆効果に終わり、都落ちしたジョー・ハートのスーパーセーヴでやっと最低限の体面を繕えた格好。残り20分で登場したルーニーが何をどう思ったかは神のみぞ知る。豪州戦後、本田がつぶやいた「自分は下手になっているのかも」は、今後ハリル流に身を預けるという意思表示なのか、それとも・・・・。ただ、本稿の締めくくりにこれだけは言っておきたい。監督交代はリセット、ゼロからの出発と同義である。ここで断行してどんな結果が出ても、そこに評価する土台は薄い。成功も失敗も「たまたま」でしかない。たとえ仮にロシアを逸したとしても、次につながる明確な評価基準を築くことこそ何より肝要。W杯出場だけがすべてじゃない ?!
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】 1953年大阪府生まれ 青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
▽皆まで言うまい。素人目にも「変えたな」と気づく節が見え、それが結果を伴ったとは見えにくい、わかりにくいとなると、すわ、批判の矢を浴びせかける。本当は、何がどう変わり、その意図が奈辺にあるのか説明もできない向きほど、その傾向が強くなる。要するに、増幅されたやり場のない苛立ちだ。何の話かって? もちろん「ハリルの更迭近し」の静かなる大合唱にも重大な関わりがある。が、ここではスリーライオンズ、そのイングランドのキャプテンをめぐる「不要か否か論」に触れていかなければならない。代表最多ゴール、フィールドプレーヤーとして代表最多キャップという蓄積の節目を越え、名実ともに「偉大」の領域に入ったはずのウェイン・ルーニーが、今、その立ち位置の危なっかしさに直面している。年齢的な衰えはほぼない。31歳でそれは酷というもの。その理由、こちらはハリル(の戦術的変更)とは違って、素人目にもわかりやすい。一言で言えば、適性と与えられたポジションとの齟齬―――あからさまに言うなら、現在のルーニーはナンバー10、アンカー、トップ下、それらのいずれにも適合しない存在になっているのだ。
▽しかも、何よりの問題は、ルーニー自身が「覚悟を示す方向性」を定めきれずに彷徨っている状態にあることだと思う。ジョゼ・モウリーニョの評価(ナンバー10、ストライカーの適性)や、今年のユーロでのもどかしいプレーには、彼にも忸怩たるものがあるはずだが、では何をどうすべきかの答えが(少なくとも今はまだ)見つけられていない。ポジションでの貢献度に疑問符をつけられ、ユナイテッド、代表でスタメンから落とされてもなお、彼は「上から与えられたポジションはどこでも厭わない」と、精神論でしか応えられていない。おそらくは、献身的に攻守に駆け回り続ける昨今のプレースタイルを今更変えることはできない、という強い思い、覚悟なのではあろう。そして、そのことがチームの戦術上、必ずしも有意義、良好に機能していないことも自覚しているからだろう。少々穿った言い方をすれば、彼は今、そんな「矛盾」を突き抜けて自らの存在を示すしかないと腹をくくっているようにも見える。ただ、その“兆し”はまだプラスに表面化していない。
▽ただ、突破口、ないしはそれにつながるヒントなら、よく目と耳を凝らして見つけることはできる。イングランドはFIFAランキング60位代のスロヴェニア相手に、シュートたったの3本でスコアレスドローに甘んじた。暫定の将、ギャレス・サウスゲイトが腹をくくった、ルーニーをスタメンから落とすというショック療法は逆効果に終わり、都落ちしたジョー・ハートのスーパーセーヴでやっと最低限の体面を繕えた格好。残り20分で登場したルーニーが何をどう思ったかは神のみぞ知る。豪州戦後、本田がつぶやいた「自分は下手になっているのかも」は、今後ハリル流に身を預けるという意思表示なのか、それとも・・・・。ただ、本稿の締めくくりにこれだけは言っておきたい。監督交代はリセット、ゼロからの出発と同義である。ここで断行してどんな結果が出ても、そこに評価する土台は薄い。成功も失敗も「たまたま」でしかない。たとえ仮にロシアを逸したとしても、次につながる明確な評価基準を築くことこそ何より肝要。W杯出場だけがすべてじゃない ?!
付記:現地最新報道は「サウスゲイト正式就任論」とそのサウスゲイトの「ルーニーは今後もキャプテン」声明を伝えています。
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】 1953年大阪府生まれ 青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
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