【東本貢司のFCUK!】「明日」は「未来」ではない?
2016.10.06 14:55 Thu
▽ミランの本田が苛立っている。求められもしないのに、ゲーム終了直後、自らカルチョのメディアをつまかえて発した苦言。「イタリアのファンには愛がないのか?」この「愛」とは多分「気遣い」の意味により近いのだろうが、正直驚いた。ファンの即時的な感情の起伏の激しさなど、今に始まったことではない。ファンとはそういうものなのだ。むしろ、本田こそよほど気が立っていたのではなかったか。賭けてもいいが、その「優しくないヤジ」を飛ばした当人たちは、きっと当惑していることだろう。「優しく(無様なプレーや敗戦を)ねぎらう」ことのどこが「愛」なのだ、と―――。すわ、日本のメディアはこのエピソードをまるで事件めかして取り上げた。さて、フットボールそのものより「海外のトップリーグでプレーしている同胞への関心」が勝る日本の(同記事の)読者はどう思っただろうか。本田の「日本人らしい(?)義侠心」にいたく感じ入ったか、それとも……。
▽同僚の不本意な退場に対する「心無い」ヤジにプレーヤー側から物申した例など、少なくとも近年では記憶にない。どこの国のどこのリーグでさえ。はたして、本田の発言は現地各方面に、あゝこれも一つの民族性の違いなのかもな、という以外のなんらかの“影響”をもたらしただろうか……疑問だ。そして、本田の真意も多分「違う」(と信じたい。そして、その「真意」のほどは是非ご推察願いたい)、なぜなら……。かつて、初出場の98年W杯から帰国した日本代表チームの某プレーヤーが、空港で待ち構えていた一部のファンから“怒り”の水を浴びせられた事件があった。その報を聞いて筆者は思わず天を仰いだものだった。見苦しいサル真似ではないか、と。すぐに思い出したのは、今からちょうど50年前の66年W杯、こともあろうに北朝鮮に敗れて失意のままに故国の空港に降り立った“優勝候補”のイタリア代表チームを、怒れるファンが腐った生卵の洗礼で出迎えたことだった。ファンとはそうするものだとでも思ったのだろうか、と。心底、情けなかった。
▽論理の筋が少々とっちらかってしまったかもしれない。改めて整理しよう。昨日おとといセリエAにやってきたばかりはあるまいし、まさか本田とてファンの日ごろからの「節操のなさ」に今更驚いてカチンときたはずなどなかろう。ここからは筆者の勝手な解釈でしかないが、本田はヨーロッパ参戦以来、ずっと燻り続けていた疑問と違和感を、この前代未聞の苦言という形で、矢も楯もたまらず何らかの行動で示したいという思いにかられたのではないかということだ。無論、あの性格ならではという特例ではあろう。が、現実にこのざっと10年来、特にヨーロッパのトップリーグ界隈では、短絡的な「自浄、自爆」の現象に拍車がかかっている。少し負けが込むと監督交代を叫ぶ声が、あらゆる方面から囁かれ、叫ばれる。その多くに「ファンがうるさい」「ファンが黙っちゃいない」という言い訳がついて回る。だが、ファンが一つの無様な敗戦にお決まりの不平をぶつけるのは日常茶飯事。要は「ファンの批判」など単なる口実に利用されているだけではないのか?
▽今年のノーベル賞に晴れて輝いた大隅良典・理学博士は、受賞後の会見でこんなことを述べられた。筆者なりに意訳すると「目先の利用途、利益を先走って期待するマーケティング主導的な成果主義は、かけがえのない文化発展の芽をあたら摘んでしまう、長いスパンで受け止めて欲しい、将来への投資こそを」。強引、牽強付会と思われるかもしれないが、筆者はこの大隅博士のメッセージと本田の苦言が、いやに共鳴して聞こえて仕方がないのである。今季、失意の2部落ちからのUターン昇格を賭けて再出発を期したアストン・ヴィラは、開幕わずか1か月半足らずで新監督ディ・マッテオのクビを切った。よくあることだろうと知ったかぶりで苦笑する向きには是非申し上げたい。仮に、ここで監督のクビをすげ替え、まかり間違って来季のプレミア復帰を果たしたとしよう。その暁には大幅な補強でほぼ別のチームに生まれ変わる可能性大。だがそれでチームが本当の意味で地に足をつけたことになるのだろうか。断じてない。それはただの取り繕いでしかない。チームが成長、充実に向かっているとはいえない。たとえ運よく残留を決めたとしても、である。
▽なぜ「明日に期待し、“ともに手を携えて”明日を創ろうとしないのか」―――これこそが、大隅博士と本田に共通する、魂の熱い叫びなのではないかと思えてならない。本田の場合、「ともに手を携えて」の「ともに」は特にファンを指していると考えていいだろう。とはいえ、哀しいことにこのご時世、そんな崇高な提言に耳を貸してなどいられないという御仁が、肝心の投資家筋には多すぎるようだ。そう、すぐ近い将来に医療などに利用できる見込みが立たなければ、あるいは、外国人金持ちオーナーの持ち株査定アップにつながらなければ、「明日」は「未来」でもなんでもなく、本当の意味の「明日」でなければならない……。もちろん、メディアにも問題は多々。例えば「日本人ノーベル賞受賞者続出の秘密」なる記事を探し出して、当の記事には目も通さないまま同筆者から「意見」を引き出そうとするどこぞの三流記者など。何もかもが一過性のキリトリで済まされる嘆かわしい文化の劣化、いや喪失。ミランのシーズンはまだ始まったばかりだ。ディ・マッテオも「さあ、これから」だった。そこを明確に認識してこそ、ファンを名乗れるはずなのでは? 穿った見方と言われようが、本田の苦言の真意はその辺りにあると思うのである。
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】 1953年大阪府生まれ 青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
▽同僚の不本意な退場に対する「心無い」ヤジにプレーヤー側から物申した例など、少なくとも近年では記憶にない。どこの国のどこのリーグでさえ。はたして、本田の発言は現地各方面に、あゝこれも一つの民族性の違いなのかもな、という以外のなんらかの“影響”をもたらしただろうか……疑問だ。そして、本田の真意も多分「違う」(と信じたい。そして、その「真意」のほどは是非ご推察願いたい)、なぜなら……。かつて、初出場の98年W杯から帰国した日本代表チームの某プレーヤーが、空港で待ち構えていた一部のファンから“怒り”の水を浴びせられた事件があった。その報を聞いて筆者は思わず天を仰いだものだった。見苦しいサル真似ではないか、と。すぐに思い出したのは、今からちょうど50年前の66年W杯、こともあろうに北朝鮮に敗れて失意のままに故国の空港に降り立った“優勝候補”のイタリア代表チームを、怒れるファンが腐った生卵の洗礼で出迎えたことだった。ファンとはそうするものだとでも思ったのだろうか、と。心底、情けなかった。
▽論理の筋が少々とっちらかってしまったかもしれない。改めて整理しよう。昨日おとといセリエAにやってきたばかりはあるまいし、まさか本田とてファンの日ごろからの「節操のなさ」に今更驚いてカチンときたはずなどなかろう。ここからは筆者の勝手な解釈でしかないが、本田はヨーロッパ参戦以来、ずっと燻り続けていた疑問と違和感を、この前代未聞の苦言という形で、矢も楯もたまらず何らかの行動で示したいという思いにかられたのではないかということだ。無論、あの性格ならではという特例ではあろう。が、現実にこのざっと10年来、特にヨーロッパのトップリーグ界隈では、短絡的な「自浄、自爆」の現象に拍車がかかっている。少し負けが込むと監督交代を叫ぶ声が、あらゆる方面から囁かれ、叫ばれる。その多くに「ファンがうるさい」「ファンが黙っちゃいない」という言い訳がついて回る。だが、ファンが一つの無様な敗戦にお決まりの不平をぶつけるのは日常茶飯事。要は「ファンの批判」など単なる口実に利用されているだけではないのか?
▽なぜ「明日に期待し、“ともに手を携えて”明日を創ろうとしないのか」―――これこそが、大隅博士と本田に共通する、魂の熱い叫びなのではないかと思えてならない。本田の場合、「ともに手を携えて」の「ともに」は特にファンを指していると考えていいだろう。とはいえ、哀しいことにこのご時世、そんな崇高な提言に耳を貸してなどいられないという御仁が、肝心の投資家筋には多すぎるようだ。そう、すぐ近い将来に医療などに利用できる見込みが立たなければ、あるいは、外国人金持ちオーナーの持ち株査定アップにつながらなければ、「明日」は「未来」でもなんでもなく、本当の意味の「明日」でなければならない……。もちろん、メディアにも問題は多々。例えば「日本人ノーベル賞受賞者続出の秘密」なる記事を探し出して、当の記事には目も通さないまま同筆者から「意見」を引き出そうとするどこぞの三流記者など。何もかもが一過性のキリトリで済まされる嘆かわしい文化の劣化、いや喪失。ミランのシーズンはまだ始まったばかりだ。ディ・マッテオも「さあ、これから」だった。そこを明確に認識してこそ、ファンを名乗れるはずなのでは? 穿った見方と言われようが、本田の苦言の真意はその辺りにあると思うのである。
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