【東本貢司のFCUK!】ラニエリ流“放任主義”の正体

2016.05.04 12:46 Wed
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▽さすがに「創立133年目にして1部初優勝」の威光とでもいうべきなのか、日本のメディアは我先ことばかりにレスター・シティーの快挙を報じた。もし岡崎慎司という存在がなかったら、こうまで賑々しく取り上げただろうかという疑問も残るが、昨今のプロフットボール界事情を鑑みれば、すこぶる付の一大事件であることには一点の曇りもない。なんとなれば、その大事件を締めくくった出来事自体が事件だったこともある。今一度、噛みしめていただきたい。レスターの優勝を決めたチェルシー-スパーズ戦で何があったかを。本来ならごく単純に「ホームゲームの勝利」を願うだけのブルーズファンが「レスターのために」を叫び、不本意なシーズンを送ったエース(アザール)が「レスターに優勝させてやりたい」と事前に公言することなど、ありえないことである。お忘れなきよう。チェルシーは腐っても鯛、もとい、れっきとしたディフェンディングチャンピオンなのだ。たとえ早々に、防衛どころかチャンピオンズ出場権の可能性すら見失っていたとはいえ。

▽ゲームの展開そのものも劇的だった。ハーフタイムで0-2のビハインド、スパーズのわずかな可能性に賭ける怒涛のモチベーションからして、もはや堕ちた王者のジリ貧敗戦は濃厚・・・・見守る誰もがそう観念したに違いない。それを彼らは覆してみせた。アザールのセカンドハーフ登場が流れを変えた? いいや、そんな、凡人解説者が言いそうな後付け論に何の根拠も、価値もない。試合をご覧になった方なら感極まったはずだ。ブルーズイレヴンの火の出るような誇り高い意地を。「レスターのために」を倍付の動機に、それとも、ある意味では照れ隠しの口実に替えてまでも、無様に残り45分間を送るまじとむき出しにした闘志を。テリーとケイヒルのぎらぎらした眼差しを、ウィリアンの怒りを。スパーズの“敗因”はまさにそこにある。相手が悪かった? NO! 仮に迎え撃つのがユナイテッドだったとしても(マタがアザールと同じような発言をしていたように)結果は似たり寄ったりだったろう。これがスタンフォード・ブリッジではなくエミレイツだったとしたらそれこそ何をかいわんや・・・・。「レスターのために」はほぼ合言葉と化していた?

▽情動論はここまで。改めて、レスターはなぜこの快挙を成し得たか。おや、出てくる出てくる、金太郎飴的“通り一遍”分析。スター不在のチームならではの「超シンプルに特化したカウンターアタック」に、もっともらしい「先を読むきめ細かなハードプレスディフェンス」? 一応はごもっとも。だが、肝心な点が抜け落ちている。では、なぜその単純戦法を強大なライバルたちが悠然と受け止め受け流し、返討を果たせなかったのか。あえて口の悪い言い方をさせてもらうなら、ご都合主義もここに極まれり。「ロングボール式カウンター攻撃」、またの名を「オールド・イングリッシュ・スタイル」が、やれ古臭い、やれカビの生えた、やれもう現代には通用しない、などと鼻で笑われ、高速ショートパスを駆使するポゼッションフットボールを最先端ともてはやして、はて、どれだけ時間が経ったか。いやこれ以上は控えよう。というよりも、こんな戦術比較的分析そのものが所詮は不毛なのだ(とは筆者の変わらぬ持論)。ほとんど一言で済む話なのだ。つまり、プレーヤーたち自身が自らに最もフィットしたサッカーを自ら考え、それを貫いたからだ、と。
▽それこそが、クラウディオ・ラニエリの“戦術”だった。嘘じゃない。ラニエリ自身がはっきりとそう述べている。モーガンやドリンクウォーターも証言している。「あのオヤジさんから戦術指導的な文言を聞いたためしがない」。お前たちが一番良いと思いように、やりやすいようにやればそれでいい! さて、これをどう“分析”しろと? 例えば、現在のユナイテッドやアーセナル、シティー辺りで同じ“指導”をやってみたらどうなるか。たぶん、混乱して少なくともしばらくは収拾がつかなくなるだろう。それでも、いつか彼らが自ら“突破口”を見つけ、形になって応用も利くようになっていけば、きっと今までにない底力が身に着いていく・・・・。なら、監督は誰も彼もが“放任主義”でいいのか、というとさすがにそれは無理筋。では、今回のレスターの快挙は、かつてチェルシー時代に「ティンカーマン(起用・戦術ともあれこれいじくりまわす男)」と揶揄されたラニエリだからこその教訓が生かされたからか? そう、そこに大きなカギの在りかが見えてくる。

▽昨季終盤、レスターは降格必至の危機を、残り10数試合をほぼ無敗で乗り切るという大逆転で乗り越えた。当時監督は、なぜかシーズン後に解任されたナイジェル・ピアソン。解任の理由についてはまたの機会に譲るが、筆者の見るところ、新任のラニエリは明らかにピアソン(の遺産)に敬意を払おうとした節がある。ちなみに、ラニエリ自らが先導した補強はほんのわずか。つまり、彼はとことん現有戦力を生かすことに決めた。だからこそ、彼はシーズンが終盤に差し掛かった頃ですら殊勝にも「目標は残留」と言い募ったのかもしれない。ある意味で「自分はピアソンの代理」だと割り切っていたのかも。それがピアソ解任に合点がいかないプレーヤーたちを勇気づけ、発奮させ、かつ落ち着かせた。要するに「失うもののない強み」を自らに印象付ける一方で、それがプレーヤーたちから一切の疑念や迷いを拭い去る絶大な効果を果たしたのでは、と。ラニエリは来季も「同じ路線で行く」とうそぶくが、それを鵜呑みにしてはバカを見る。過去の経験則から彼はわかっているはずだ。二匹目のドジョウはいない。さて何をやらかすのか。楽しみがまた増えた。

【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】
1953年大阪府生まれ
青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。

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